ブラッド・バレンタイン
冬のさなかと始まる春の間、二月。
音もなく地面に落ちる雪を見つめているのは、黒を基調とした服を纏った少女。そのエプロンドレスは普段着にするにはフリルが多く、彼女を浮世離れしているように見せる。
何より、十代半ばという見た目ながら、こんな時間に学校の近くに人待ち顔で居るのが奇妙だった。
平日の午後、しばらくして夕方にもなれば下校する生徒たちの中では、彼女はよく目立っていた。
「あれ、ラーシュちゃん? どうしたんだ、こんな所で」
そんな彼女に声をかけたのは、まわりと同じ制服姿の男子生徒。同年代より大人びた雰囲気が、整った顔立ちに似合っている。
「竜。今朝、防寒具を忘れていっただろう。届けに来た」
可憐な見た目とギャップのある口調で、ラーシュは彼に歩み寄った。先程まではうつむいていたせいで見えなかった瞳は、血のような真っ赤な色だった。
それを柔らかく細めて、持っていたバッグからマフラーを渡そうとする。
「ありがとう。……あ。ラーシュちゃん、手が冷たいな。もしかして、けっこう待ってた?」
「そんなことはない。たったの一時間程だ」
この寒空の下では、一時間もあれば身体が冷えきるには充分だ。しかもラーシュは防寒具らしい防寒具はなく、傘をさしているわけでもなかった。
「充分長いよ。そうだ、これ使って」
「では、ありがたく使わせてもらう」
シンプルなゴシックロリータにも見える服装には似合わない、雪の結晶模様の手袋をラーシュははめる。彼が使っていたからか、温もりが残っていた。
「しかし、私は吸血鬼だから人間とは感覚が違う。竜の気持ちは嬉しいが……」
その時、ラーシュの言葉を遮るように黄色い声が後ろで上がった。
「あー、いた! 竜斗くん!」
「ねえ、今日は一緒に帰れるよね?」
「まだあの質問、答えてもらってないよ!」
きゃあきゃあと集まってくるのは、いずれも竜斗と同じ制服の少女たち。華やかな雰囲気でいて、校則の範囲内で自分を飾り立てることに余念のないタイプだ。
整えられた髪型、手入れの行き届いた爪に、丈が短くされたスカート、可愛らしい小物がついた通学鞄。学校では相当目立つ、カースト上位にいるだろう女子だ。
「ごめんな。今日はラーシュちゃんと約束してるから」
残念そうな声が上がるが、強引に引き止めて好感度を下げる方が嫌だったのか、少女たちはそれ以上追ってこなかった。
この年頃の少女、特にあのタイプは関心を寄せる事柄が多い。その好奇心は猫より強く、くるくると動き回ってそれを満たしている。しかしそれこそが、彼女たちを輝かせているだろう。
「引き止める口実にしては、『質問に答えてもらっていない』というのは少し弱いな。何か理由があってのことか?」
「……バレンタインのことだよ。どんなチョコが好きとか、そんなことばっかり。どうしてぼくに聞くのかな」
どこか辟易しながらも、後半は不思議そうに竜斗が言った。彼は恋愛事となると疎い。そして、対象から当然のように自分を除外する。この年頃にしては珍しい傾向だ。
「それは……、竜を好いているからでは?」
「まさか。ぼくが他の人と少し変わってるってだけさ。それがたまたま、好意的に受け取られただけだよ」
雑談をしつつ歩いて学校から離れれば、通行人はあれどふたりきりと呼べる状況になった。
時間帯によっては人の多いこの通りは、夕暮れの街をマゼンタのイルミネーションで華やかに彩っている。
「バレンタインと言えば、去年ここであのモデルの青柳 蛍が告白して、マネージャーと付き合うようになったんだって」
それはたった一年でジンクスになり、バレンタインにここで告白すれば、好きな相手と付き合えると言われるまでになった。
そのモデルが大人気だったことも手伝ってか、噂はあっという間に広がった。彼が今もそのマネージャーと続いていることが、ジンクスに説得力を持たせていることも大きい。
「ああ、人はそういう手順を経てつがいになるのだったな。吸血鬼には、その点はよくわからないが」
「そうだね。ラーシュちゃんは、吸血鬼だからね」
竜斗がそこに警戒心を抱いていないのは、ラーシュとは昔からの幼馴染みだからだ。家が隣同士で歳も近いふたりは、種族の違いなど気にすることなく今も親しい関係でいる。
「……学校に、ラーシュちゃんがいたらな」
ぽつりと呟かれたその言葉に、ラーシュはどきりとする。
この現代で吸血鬼は人に紛れ暮らしている。とはいえそれは生活面だけのことであり、行政にまで影響を及ぼす程ではない。
不可能ではないが、目立たないためには学校に通うわけにはいかなかった。ラーシュがどれほど竜斗の近くにいたいと望んでも。
ラーシュがこの幼馴染みを意識するようになったのは、いつからだろうか。気づけばただの友人以上に、気持ちを寄せるようになっていた。
竜斗が同年代の少女たちに囲まれているのを見ると、自分に目を向けさせたくなる。甘い血の香りがすれば、噛みつきたくなる。ふとした瞬間に見せる表情に、気を許したからこその近い距離に、胸が高鳴る。
人間とまったく同じかはわからないが、ラーシュなりに竜斗を想っていた。
「バレンタインは明日だったか。その日にはつがいになる男女が増えるのだったな」
「まあ、女子からチョコを渡すっていうのは、日本独特らしいけどね」
「それだけ良いきっかけになる、ということだな」
始まりは宗教であっても、日本独特のものに形を変え、良く受け入れられたからこそ、こうして定番のイベントになっているのだろう。
「では、先を越される前に」
ふたりの家からほど近く、人気のない路上。車もめったに通らず、まわりからは目につきにくい場所がある。
そこでラーシュが竜斗に差し出したのは、ハート型の箱だ。赤い包装紙はハートがちりばめられているため、それが何であるか想像に難くない。
「もしかして、ぼくに?」
「ああ、ただし中身はチョコではないがな。竜斗は甘い物はあまり好まないだろう? だから、時計にした」
「実用性があっていいだろう?」とラーシュは少し自慢げだ。クラスメイトで、竜斗が甘い物が苦手なのを知る者は少ない。
「ありがとう、ラーシュちゃん。うれしいよ」
静かな雪降る中では、耳を澄ませば針音がかすかに聞こえてくる。
時計ならば、いつでも身に付けられるし、実用性もある。苦手な甘い物を押しつけられるより、竜斗にとってはずっとうれしい贈り物だ。
「何か、お返しできないかな……」
呟く竜斗が近づく。ふわりと強い香りがラーシュの元まで届いた。
紅い瞳に、人ではないモノの気配が滲む。それを真正面から見ていた竜斗は、柔らかい微笑みを浮かべてさらにラーシュに近づいた。
「いいよ」
「……本当に?」
「うん」
抗えないほどの血の魅力に、ラーシュの瞳が紅く煌めく。
吸血鬼にとって、相手を恋えば恋うほどその血は美味くなる。愛しいと想うほど、魅力的になっていく。
もしも今、彼に噛みついたら。その血は、きっと極上の味がするのだろう。
拒絶など、できるわけがない。ラーシュは、鋭い牙を竜斗の首筋に突き立てた。
「……っ」
これ以上はない血の味だった。ラーシュを甘く満たしていくのは、恋情か血か。この先誰かに想いを寄せても、もう同じ血は味わえないだろう。
「く、うぅ……」
苦痛から漏れる竜斗の呻きに、ラーシュは我に返った。
「すまない! 竜斗、大丈夫か?」
「……ん、大丈夫だ」
「本当にすまない……。わたしは確かに吸血鬼だが、間違っても竜斗を殺してしまうことだけはしたくない」
現在も時折、吸血鬼に殺された人間がみつかることがある。彼らは吸血鬼の同族によって遺族の元へ帰されるが、たとえ合意の上でもそれは望ましくないこととされている。
「わかってる。ラーシュちゃんが優しいことも、ぼくを想ってくれてることも」
「そうか」
吸血鬼の吸血行為と愛や恋の感情には、密接な関わりがある。ラーシュのようにある程度力を持つ吸血鬼は、むやみに人を襲わない。
血を吸う相手は、少なからず好意を抱いている者ばかりだ。
「ラーシュちゃんが、ぼくと同じ気持ちでいてくれてよかった」
「それは、いわゆる両想いというやつか?」
「うん、そうだよ」
雪景色の中笑い合う想い人の姿が、互いの目に映っていたのだった。