第二章 先輩と秘書が円盤に乗りました
翌日、約束した場所で落ち合った三人。
「今日は俺の願いをきいてくれて本当にありがとう」
先輩が後輩に軽く頭を下げる。
「本当は気が進まないんですけどねえ・・・酔っていたせいで、つい約束してしまったことなものですから・・・」
「今更あれは無しってことにはしないでくれよな」
「ええ、わかっています。約束は約束ですから」
「後輩さん、本日はよろしくお願いします」
秘書は直立不動での挨拶だ。
「はい、まあ・・・」
「どうだろう、まずは俺の方から君に、いくつか質問をさせてもらえたらと思うんだけど。かまわないかな?」
先輩がそう尋ねる。
「いいですよ、どうぞ」
「昨日の夜、君が乗って帰ったあの円盤はさあ、君が自分で作ったものなのかい?」
「いえいえ、違いますよ。そんな高等技術、僕は持ち合わせていません」
「では、何処かで購入したということなの?」
「いいえ、貰ったものなんですよ」
「貰ったって、いったいどこの誰から?」
「宇宙人からです」
「おお! 会えたのか、宇宙人に!」
身を乗り出した先輩が、後輩の両肩に手を掛ける。
「はい、会いました」
「やっぱり宇宙人はいたんだなあ。いやー、俺は前からいると信じていたんだよ、ほんと」
「その宇宙人が、この地球まではるばるやって来ているんです」
「宇宙人が実在していて、しかもこの地球を訪れている、これが本当の話だとすれば、一度に二度びっくりだなあ」
「どうぞ好きな回数だけ驚いてください」
「ありがとう、でも二回でもう充分のようだよ」
「現在の地球人が持つ技術ではおそらく作ることは不可能であろう、円盤という乗り物が、現実に存在していた、先輩はそれを昨日ご自分の眼で確認なさったんです」
「そうだったんだなあ」
「円盤がある、そのことからだけでも、宇宙人が存在している証拠になりうると思いますが」
「うんうん、俺もそう思いたいよ。思いたいところなんだけど、俺の頭の中にはまだなにか引っかかっているものがあってさあ」
「はあ、にわかには信じがたいとおっしゃりたいのですね」
「そうなんだよ。自分のこの眼で昨日はっきりと見たはずなのに、はたしてあれが本物だったのかどうかって、また半信半疑の状態に戻ってしまっていてね」
「解ります、解ります。予告もなしにとんでもないものを目の当たりにしてしまったわけですからね、頭が混乱してしまうのは仕方のないことですよ」
「この状態から脱却するには、俺が今抱いている疑問を君に解いてもらうのが一番いいと思うんだよ」
「どうぞ、なんなりと訊いてください」
「あの円盤の正体は実はヘリコプターで、目には見えにくい素材で作られたプロペラをぐるぐると回転させて飛ばしていたんですよー、なあんていう落ちではないんだろうね?」
「プロペラの回っている音が先輩には聞こえましたか?」
「いや、そんな音はしていなかったね」
「そうでしょ」
「じゃあ、雲の上から紐で吊るしているとかは・・・」
「はあ?」
「こうやって、操り人形みたいにしてさ」
しぐさで説明をする先輩。
「そんなことができてしまうのであれば、それはそれですごい技術ですね。けど、乗っている感じからいって、そういった仕組みにはなっていないように思います。それに、雲の下でなければ飛ぶことが出来ないという代物であるのならまだしも、あれは雲の上へも飛んで行けてしまいますからねえ」
「なるほど、そうかあ・・・」
まだ何かが引っ掛かっている様子の先輩。
「続いての質問! 今度はあれが本物の円盤だと仮定しての話になるんだけどね」
「はいはい」
「くどいようだけど、地球で作られたものではなく、地球外宇宙で作られてここ地球に持ち込まれてきたものということでいいんだよな」
「現在の地球の技術で製造が可能な物であるのかどうかが気にかかるんですね。それは先輩が自分で円盤に乗ってみて判断されてはいかがでしょう?」
「そうか、そうだよな、うんうん」
先輩が二度頷いた。
「よろしくお願いします」
「わかった。それじゃあ別の質問に移らせてもらうよ」
「はい、どうぞ」
「念のために聞いておきたいんだけれど、君は地球人なのかい? それとも宇宙人なの?」
「ははは・・・そこまで疑い深くなってしまいましたか。円盤の影響力というのはすごいものなんだなあ」
「で、本当のところ、どっちなんだい?」
「地球人です」
「そうか」
「ええ、ちゃきちゃきの」
「ははは、江戸っ子みたいに言うなよ」
「あはは」
「しかしさあ、俺の人生の中で、こういった質問を口にする日が訪れることになるなんて、ゆめゆめ思いもしなかったよ」
「僕も、宇宙人を疑われることになるなんて、考えてもみませんでした」
「時代は確実に変化しているんだなあ。いずれは、出身地を訊くような感覚で出身星を尋ねる時代がやって来るのかもしれないなあ」
「他国の人間と日常的に接するようになったのも、それほど大昔の話ではないっていうのに、今度は別の星からやってきた人達を相手にする世の中へと移り変わっていくんですねえ」
「田舎はどこ? から、国はどこ? になって、今度はどこの星から? か。こうやって人類の住む世界が広がっていくんだなあ」
「電車や飛行機の登場が遠方との距離を縮めてきたように、今度は円盤がその役割を果たす時代がやってくるんですね」
「それがなんと、もうすでに始まっているらしいときているんだからなあ」
先輩が視線を秘書から後輩へと移した。
「ええ、そういうことになりますね」
「うんうん。でさ、そのカギとなる円盤なんだけど、今はどこに隠してあるんだい?」
先輩が上空をぐるりと見渡す。
「月の裏側が円盤の基地になっていると聞いています。僕の円盤も、使用していないときにはそこに駐車してあるらしいですね」
「月かあ。遠いけど、人目につくことは絶対にないし、場所代もかからないんだろ? だったら、理想的な駐車場だよなあ」
一同が月を見上げる。
「では、こちらへ円盤を呼び寄せるとしますか」
「頼むよ。で、円盤とはどういう方法で連絡を取り合っているんだい?」
「無線を飛ばすのでしょうか」
首を横に振る後輩。
「普通はそう思いますよね、ところが、そういった機械類は一切使用しないんですよ」
「なにそれ?」
「心の中で指示を出すだけで、僕の意志が円盤に繋がってくれるんです」
「またまたあ。そんなものが伝わるものなのかよ、にわかには信じられない話だねえ」
「そうでしょ、疑っちゃいますよね。ところが不思議なことに、ちゃんと伝わるんですよ。なんなんでしょう、僕の脳波かなにかを円盤が読み取ってくれるんでしょうかねえ。来い、と念じるだけで僕のいるところまでやって来るんですから、これは驚きでした」
「人と機械とのテレパシーか」
「そうそう、仕組みとしてはたぶんそういった感じなんでしょうね」
「じゃあ、俺が念じても同じように来てくれるのかい?」
「いや、僕でないとあの円盤とアクセスすることは出来ないと思います。宇宙人から円盤を貰い受けるときに、僕用に設定を変える作業をしていたようでしたからね」
「あっ、やって来ましたよ!」
叫んだ秘書が指し示す方角へと視線を向けると、円盤の姿がはっきりと確認できた。三人のいる方へと近づいてくる。
「おおっ」
「どうですか、あの雄姿」
「はい、感動です」
秘書がそう呟く。片や先輩は、
「あれ? なんだよ、ジグザグ飛行をしていないぞ」
「ああ、そういえばそうですね。こちらへ一直線に飛んできていますねえ」
「せっかくのご対面だというのに、あれじゃあなんだか円盤らしくないなあ」
「お望みでしたら、ジグザグ飛行をさせてみましょうか?」
「いいのかい? それが可能だというのであれば、ぜひともお願いしたい」
後輩が目を閉じて念じると、とたんに円盤が不規則な飛行線を描き始めた。
「おー、これだよ、これでこそ円盤だあ」
「飛行機やヘリコプターには真似の出来ない芸当ですね」
「うおー、なんだか興奮してきたぞー」
先輩は両こぶしを握り締め、目を輝かせている。
「不思議なものです・・・」
秘書が、先輩とは対照的に冷静につぶやく。
「何が?」
「あれほどの激しい動きをしているというのに、まったく音が聞こえてこないんですね」
「そりゃあ、なんていったって円盤だもの、そうだろ?」
円盤は少しずつスピードを落としながら三人が立つ場所へと近づいて来ると、頭上三メートル程の位置で停止した。先輩と秘書が口をあんぐりとあけて円盤を見上げている。
「さあ、乗り込むとしましょうか。御二方は、僕の傍に寄ってきてください」
後輩が円盤の真下に移動して二人を促す。
「ちょっと待ってくれ」
と先輩。
「はい、なにか?」
「記念に写真を撮っておきたいんだけど、かまわないかな」
「結構ですよ。どうぞ良い写真を撮ってください」
「お願いばかりで悪いね、直ぐに済ませちゃうからさ」
「証拠写真はあった方がいいですからね。円盤体験を誰かに語ったところで、お話だけでは誰も信用してはくれないでしょうから」
「いやいや、そんな心配はいらないんだ。俺はみんなから信頼こそされていないかもしれないが、信用はあるつもりなんだ」
「そうおっしゃいますけど、どうでしょうかねえ。他のことについてでしたらまだしも、この件については取り巻きの人たちでさえも、話を鵜呑みにはしてくれないんじゃないかと思いますよ」
「そうかなあ」
「もちろん信じたい、信用してあげたいと思おうとはするんでしょうけどねえ・・・」
「うーん」
「円盤について語った日を境にして、まわりの人たちから病人扱いされるようになってしまうかもしれませんよ、ははは」
「そんなことってあるのかねえ?」
「見えるはずのないものが見えてしまう病気らしいな、かわいそうになあ・・・とまあ、そういった反応をされることになるでしょうね」
「うーん」
「なんか疲れがたまっているようですねーとか、しばらく休養されたほうがいいんじゃないですかーとか、そんなことを言われかねないでしょうね」
「そうかなあ?」
「そうはなりたくありませんでしょ、でしたら証拠の写真を撮っておきましょうよ」
「よし、記念にもなって、証拠としても使えるような写真を撮ってやろうじゃないの」
「では、僕がシャッターを押しましょう」
後輩は先輩からカメラを受け取って、円盤と、その真下でVサインを決めている二人とを写真の中に収めた。
「さあ、撮影も済んだことですし、そろそろ円盤に乗りこむとしましょうか」
後輩からの呼びかけに頷いた二人は、かなり緊張気味の様子だ。
「いよいよなんだな」
「はい、ついにこの時がやって来たんですね」
三人が円盤の下でひと塊になる。後輩が念じ始めると、頭上の円盤が下降を始めた。先輩と秘書の二人は首をおもいっきり後ろにそらせて、円盤の底が円形に開いていく様子をじっと見つめている。盤内から漏れ出た光が三人を照らす。
「中はずいぶんと明るくなっているんだなあ」
「眩しいようでしたら、照度を調節することも可能です。どうします?」
「いや、大丈夫だ」
降りてきた円盤が三人の頭、体、そして足と覆っていき、静かに着地した。
「頭のてっぺんから足の先まで、とうとうこれ全身が円盤の中にあるんですね」
「ああ。これで晴れて宇宙船乗組員になれたわけだ」
「どうぞ床の方へと移ってください」
「解った、こうかい?」
足をそっと横へ移動させる二人。
「ええ、それで結構です」
扉がゆっくりと閉まっていく。その動きの一部始終を見届けて、今度は盤内を見回し始めた二人。
「へー、こりゃすごいや。外の世界が、なんと360度丸見えだよ」
「壁全体がマジックミラーでできているんでしょうか」
「飛行中は下を見ないでおいた方がよさそうだな」
いつの間にか、床もマジックミラーに変わっている。
「ちょっと聞いていいかなあ」
先輩が後輩に声をかける。
「どうぞ」
「円盤の中の様子がさあ、自分で思い描いていたものと違うんだよ。なんていうか、がらーんとしすぎているように感じるんだけど・・・」
「モニターとか、メーターだとか、円盤の中にあってもよさそうなものが、なにひとつ見当たりませんね」
秘書も疑問を持ったようだ。
「操縦席らしきものすらないときている。ひょっとして、運転も念波を使ってやるのかい?」
「ネンパ? なんですか、それ」
「君が円盤に送っているテレパシーみたいなやつのことさ。念じる波で念波、たった今考えついたネーミングなんだけど、どうだい?」
「なるほど、いいですね」
「そうかい?」
「ええ。ありがたく頂戴して、使わせてもらうことにしましょう」
「うん、是非そうしてくれ」
先輩は、してやったりといった表情だ。ウインクがかわいそうになるくらい似合っていない。
「先輩がおっしゃるとおりで、操縦も念じる力で行っています」
「ごほん、ごほん」
「あっ、失礼しました。念波を使ってやっています」
「ふむふむ」
先輩は、機嫌を取り戻し、改めて盤内の観察をはじめた。
「ほえー」
「うほおー」
時折奇妙な声を口から漏らしながら、キョロキョロと目を動かしている。
「なるほどね、何もない事だけは俺にも解ったよ」
「私もです」
先輩と秘書が盤内の見物をあらかた終えたころあいを見計らって、
「では、そろそろ離陸するといたしましょうか?」
後輩がそう提案する。
「ああ、頼むよ」
「解りました、では出発します」
「あっ、ちょっとタンマ!」
「はい? なんでしょう」
「俺たちはどんな体勢でいればいいんだろうか。椅子はないようだし、安全ベルトも見当たらないんだけど」
「あっ、それについての説明を漏らしていましたね。すみません」
「どこでどうしていようか」
「そこいらへんで、適当に胡坐でもかいて座っていてください」
「それが正式なのかい?」
「さあ、どうなんでしょう。細かいことについては教わっていないものですから、我流で適当にやってしまっているんですよ」
後輩がその場に体育座りでしゃがんでみせた。
「立っていてもよろしいんでしょうか?」
秘書が後輩に確認する。
「大丈夫だとは思いますけど・・・」
「まあ、立ったままというのもなんだから、ここは彼と同じ姿勢でいようぜ」
先輩がそう促す。
「そうしてください」
「はい、わかりました」
三人が揃って床のうえで車座になった。
「では行きますよー」
「はーい」
後輩が念じると、円盤はゆっくりと上昇を始めた。
「まるで自分が宙に浮いているような、妙な感じですね」
「下に落ちてしまうのではないかとひやひやものだよ」
床も含めて外が丸見えの状態なのだ、そう感じるのも無理はない。
「この環境にも、すぐに馴れてしまいますよ」
「そうでしょうか・・・」
外の景色に空の占める割合がだんだん増えてきた。高度が上がっているのだ。
「これからどこに連れて行ってくれるんだい?」
「いい所ですよ」
中空で上昇から水平飛行に転じた円盤が、人家を見下ろしながら北へと進路をとる。街明かりの煌びやかな景色がどんどん流れて行き、東京を飛び立ってからたったの数分で、気が付けば辺りは見渡す限りの星空と山の深緑色になっていた。
「どうです、いいでしょー。この辺りの風景が、僕はとても気に入っているんですよ」
「景色がいいのは解るけど、俺が感動したのはこの円盤の移動スピードの方だよ。あっという間に山の中まで来てしまうんだものなあ」
「道中、信号で停止させられることがありませんからね」
「それだけじゃあないだろ、相当のスピードがでていたはずだ。時速にすると何百キロになっていたのかねえ」
「数字のことは解りませんが、かなりの速さが出ていることは確かでしょう」
「そのわりには、振動も感じないし、恐怖感も湧かなかったなあ」
「私もちっとも不安を感じませんでした。車で今と同じスピードを出されていたら、はたしてこれほどリラックスした状態で乗っていられたものかどうか・・・」
「そうだよな、たいしたもんだよ円盤は」
「一気に飛ばして、もっと奥の方まで行ってみましょうか」
「それについてはちょっと待ってもらえるかな」
「はあ、何か気がかりなことでもありますか?」
「あのさあ、もちろん星や自然の景色はとてもきれいで、それを見せに連れてきてくれたことに感謝はしているよ。だけどさあ・・・」
「はあ」
「できれば、この後は都心方面を飛んでもらえないかなあ、俺としてはその方がありがたいんだけど」
「え? それはダメです、できない相談です。だって、東京の空は人目が多すぎますからね」
後輩が何度も首を横に振る。
「そうかあ。高層ビルの間を縫うように飛んでみたいと思ったんだがなあ。都会の夜景は綺麗だろうなあ・・・無理な望みなのかなあ、残念だなあ」
「ヘリコプターなりなんなりをチャーターして、自力でやってください。先輩は金持ちなんだから、それくらいのことは簡単にできちゃうでしょ」
「まあそりゃそうなんだけどさあ」
「でしたらそうなさってください」
「わかったよ、都心を飛ぶことは諦めた。でもさ、その代わりと言っちゃあなんなんだけど、これぞ円盤ならではといったすご技をやってみせてもらえないかなあ。飛行機やヘリコプターでは真似することの出来ないようなアクロバット飛行をさ。もちろん場所は都心ではなく、この場所で構わないから」
「はあ、アクロバットっていうと、例えば?」
「宙返りはできるのかねえ?」
「どうだろう、やってみたことがありませんが」
「円盤ならできるんじゃないの?」
「ちょっと試してみましょうか」
「いいかい? わるいなあ」
「宙返り、宙返りと」
後輩が念じる。すぐに円盤が宙返りを始めた。
「できた!」「うわっ!」「おわっ!」
ごろごろごろ
三人がそろって転倒だ。
「いてててて」
円盤は、三人の悲惨な状況にもおかまいなしで、淡々と回転を続けている。
「目が回るー」
ごろんごろんと、円盤の中で転がりまわる三人。
「おい後輩、中止だ、中止! やめてくれー」
先輩が悲鳴をあげた。
「解りました、すぐに止めます」
後輩が、転がりながらという不安定な体勢のなかで、なんとか念波を送る。円盤はちゃんと反応してくれたようで、水平飛行に体勢を戻し、中空で停止した。
「いたたたた」
三人が揃って床面にうつぶせでへたり込んでいる。
「いやー、まいったまいった。宙返りなんか、するんじゃなかったですね」
尻をさすりながら後輩が言う。
「どういう結果が待ち構えているのかを、事前に推測してから始めてくれよな。問題のないことを確信出来てから実行に移してもらわないと、こっちはたまったもんじゃない・・・」
後頭部をさすりながら先輩が言う。
「先輩こそ、ちゃんと後先を考えてから提案してください」
二人とも自分のことを棚に上げて、相手に不満をぶつけだした。
「だいたいなあ、あっ・・・いつつつつ」
先輩が後頭部をさすりながら痛みを訴える。後輩は先輩の後ろ側へと急いで回りこむと、心配げに頭の様子を覗った。
「大丈夫ですか?」
「ああ、たいしたことはないんだよ。実際よりも大げさに痛みをアピールする癖が俺にはあってね。それよりも君の方こそどうなんだい」
言いながら後輩のお尻へと目をやる先輩。
「大丈夫です。秘書さんの顎にちょっとぶつけはしましたが」
「あっ」
秘書の方へとあわてて目をやる二人。
「わるいわるい、お前のことをすっかり忘れていたよ! 大丈夫だったか?」
「ようやく私を心配してもらえる順番がまわって来たようですね」
「すまん、ほんの少しだけ遅くなった」
「大丈夫ですか、秘書さん」
「ご安心ください。私の方も軽い打撲程度のダメージしか受けておりません」
胸をなでおろす二人。
「それじゃあまー、三人とも無傷ではなかったことだし、ぶつかり合ったことはお互い様ということで、これ以上文句の言いっこはなし、そういうことでいいかな?」
「恨みっこなし、いいでしょう」
「そうですね、異議なしです」
「しかしなんだなあ、外から眺めていたときには、円盤の動きが実にかっこよく映っていたんだけど、乗る側にまわってみると、中は激悪な環境。たまったものじゃあなかったな」
「そうですね。円盤らしさを演出するっていうのは大仕事なんですね」
「もう宙返りは封印することにしましょう」
大きく頷き合う後輩と秘書であったが、一方の先輩はというと、二人の会話にはお構いなしで熱く持論を語り始めた。
「次に興味を引かれるのは速度だな。この円盤には、はたしてどれくらいのスピードを叩き出す能力が秘められているんだろう」
「あのね先輩、私たちはほんの今しがた、先輩の軽率な思いつきのせいで、痛い思いをさせられたばかりなんですよ。さっきの今ので、何かを試そうという気分になれると思いますか?」
「なにを言っているんだよ、人生はチャレンジ、チャレンジ」
「もうこりごりですって、安全運転がなによりも大切なことですよ」
後輩が首を横に振って拒絶する。
「ダメなの? なんだよ、がっかりだなあ」
そう言いながら上を仰ぐ先輩。丸く浮かんでいる月の姿が目に入った。
「あっ、そうだ!」
「また何か悪企みを思いつきましたか?」
「人聞きの悪いことを言いなさんなって。俺のこの笑顔を観てみなさい、名案が浮かんできたっていう表情をしているだろ」
「どうですかねえ」
「あれだよ、あれ」
上を指し示す先輩。
「月がどうかしましたか?」
「これからあそこまで行ってみようぜ。スピードはゆっくりでもかまわないからさ」
「それも却下しますよ、危険すぎますからね」
「危険って、なにが?」
「以前僕も、月に行ってみようと思い立ったことがあったんです。でも、たしか月には空気が存在していないんだよなあと、どこかで教わったことを思い出しましてね」
「それについては、自分で確認をしたことがあるのかい?」
「いいえ、ありませんが」
「本当は、月にも空気があるんじゃないかなあとは考えられないかねえ。だって宇宙人は月の基地と地球とを平気で行き来しているっていうじゃあないか」
「彼らはそうしているようですけれども、我々が真似をしてもはたして大丈夫なものかどうか・・・。私たちと彼らの身体が同じつくりであるとは限りませんからねえ。空気を必要とする生物なのかどうかも解らない」
「時間をかけてあれこれと考え込むのはよそうよ。とりあえず月まで行ってしまえば自動的に答えが出てくれることじゃないか」
「窒息を起こさなければ空気が存在し、窒息してしまったとすれば空気がないと・・・」
「そうそう、そういうこと」
「そんな無某な計画は・・・」
「君は心配しすぎなんだよ。だいたいさあ、普段は空気の存在なんかは気にして暮らしていやしないだろ。ひょっとしたら、空気のことについて意識をしていない状態のときには、息はしていないのかもしれないぞ。うっかり空気のことを思い出してしまった時点で、ああ、息をしなきゃいけなかったんだと、体が急に思い出したように呼吸を始めるのかもしれない。自分で気にさえしなければ、呼吸をせずとも済むんじゃないのかなあ」
「むちゃくちゃな説ですね」
「どうしても心配だというのであればさ、円盤から外に出なければいいじゃないか。この中にいるのであれば安心できるだろ」
「それでどれくらいの時間持ちこたえることができるのやら」
「宇宙空間を飛びまわる道具なんだから、長時間でも大丈夫なように作ってある気がするけどなあ」
「そんないい加減な見通ししか建てられていない計画に乗るなんて、僕はまっぴらごめんですからね。宇宙に飛び出して行きたいというのであれば、シャトルなりロケットなりを使って勝手に行ってくださいよ。先輩は金持ちなんだから、それくらいのものは自分の財力だけで用意できるでしょう」
先輩にそう食って掛かる後輩。
「まあまあ。せっかくこうやって円盤が手元にあるんじゃないか、それをフルに活用しない手はないだろう。飛行機よりもゆったりとしたスピードで飛んでいたり、ヘリコプターよりも低空を飛んでいたりしているようでは、こんなにもったいない話はないぜ」
「いいんです。僕としては今までどおりの乗り方で充分に満足出来ますから」
「俺はそれでは不満だな。この円盤の能力がはたしてどれほどのものであるのかを知ってみたい。これからも君が消極的な姿勢をとり続けるというのであれば、代わりに俺がやる。俺が自分で操縦をするよ」
「この円盤は先輩の所有物ではありません。私のものなんですよ」
「じゃあこうしよう。俺に円盤を売ってくれ。この円盤に秘められている能力を、俺はどうしても引き出してみたいんだ。頼む」
「また金の力ですか」
「わるいな、俺にはそういう方法しか思い浮かんでこないものでね」
「いくらお金を積んだとしても、肝心の相手側に売る気が起きなければ、売買交渉は成立しませんよ。あいにくと僕にはこれを手放す気はありません。どうか諦めてください」
「このまま君が所有し続けていたのでは、あまりにももったいない」
「それでも僕は一向に構わないんです。僕の円盤なのだから、僕の好きなように使わせてもらいます」
「そうは言うけどさあ・・・」
「これ以上円盤ドライブを続けていても、楽しく過ごせそうにありませんね。今日はもう戻ることにしましょう」
「俺っていう人間は、諦めがとっても悪いんだよねえ。今の件、もう一度ゆっくり考えてみてくれよ、な」
それから数日後のことである、アポイントのない客が後輩の元へとやってきた。
「飛行許可を受けもせずに、勝手に空を飛びまわっている不届き者がこちらにいる、という通報がありましてね」
アポなし訪問者は、開口一番後輩にそう告げた。一枚の写真を後輩の眼前でひらつかせている。先輩と運転手が円盤と一緒に納まっている例の記念写真である。何度も持ちかけた円盤の売買交渉が決裂続きであったため、腹いせに先輩が当局に密告したのであろう。
「そうですか」
「フライトの際に必要な手続きについて説明に伺った次第です。事前に当局に申請書を提出することが義務付けられており、審査を通った時点で、初めて許可が下りるのです」
「面倒なものなんでしょうね」
「みんながやっていることですよ。この国では許可を受けることなしにフライトすることは許されていないんでね」
「じゃあしかたがありません、飛ばすことを諦めますよ」
「そうですか。でしたら何ら問題は発生しませんね。私はこれで失礼しましょう」
背を向けて立ち去ろうとする来客。
「えっ? それで済んじゃうんですか? てっきり家宅捜索とかをしていくんだろうと思いましたよ」
「当方が今回動いたのは、通報された話を真に受けたからというわけではないのですよ」
「はあ」
「我々の見解では、円盤というものはいまだ正体が確認されていない物体でしてね。今回は、真贋は別としましても、こういった証拠写真を添えてまでの通報であったものですから、こちらとしても動かざるを得なかったというのがことの次第でして」
「通報者からの情報よりも、僕の言い分をあなたは信用なさったと」
「仮に今回通報のあった物体が実在するというのであれば、それはとても魅力的な乗り物のはず。一度でもその旨味を味わったというのであれば、使わずにいられるとは思えない。使わないという約束をあなたがなさったということは、あなたの元に実際には円盤は存在していないということでしょう。違いますか?」
「もし円盤が実在していて、私があなたとの約束を破り、飛びまわったとしたら、どういうことになるのでしょうか」
「その時はその時のことですね。こちらは法律に照らして動くだけのはなしです」
翌日は航空技術者と名乗る男の訪問を受けた。
「本物であろうが偽物であろうが、どちらであろうと私としては一向にかまわないんです。どうか写真に撮られている円盤を一目見せてください。私の口から誰かに洩らすようなことはしませんから」
「困りましたねえ。当局から許可をされていない以上、この場所に用意することが出来ないんです。あなたにお見せすることは不可能なんですよ」
「飛行許可の申請さえすれば、飛ばすことはできるんでしょ。だったら書類を提出してください」
「当局にとって円盤は得体のしれない代物だと告げられています。書面にいったいどう書けというんですか」
「役所相手に前例のないものを申請するというのは、確かに手間がかかることでしょうが、そこをなんとか・・・」
「当局で未確認だとされている円盤型の物体を、何月何日の何時にどこからどこまで飛ばしますからどうぞよろしくと、メモでも書いて送ってみましょうか? そういった内容が書かれた文書で飛行許可をもらえるとも思えませんが」
「確かに見通しは明るくはありませんが・・・」
「飛行機だとか、ヘリコプターだとか、誰からでも認知されている乗り物であればまだしも、円盤うんぬんと記載されている申請書が、お役所ですんなり通るとは思えませんがねえ」
「それでも、出してみないことには、何事も始まってくれません」
「うーん」
「書類の不備さえなければ、当局だってやみくもに突っ返したりは出来ませんよ。確認の為にということで、聞き取り調査を求めてくる程度のことはしてくるはずです。その先については向こう次第ですがね」
「定期点検完了済の証明書を添付しろ、などという、こちらが到底出来るはずもない注文を突き付けられても困るし」
「ははは」
「僕の方としてはですね、面倒くさい事に巻き込まれてしまうことが嫌なんです、ご免こうむりたいんですよ。ですからこの件についてはもう終わりにしてしまいましょうよ。どうかそっとしておいてください、もう勘弁してやってください」
先輩からの要求も、当局と技術者による訪問も、それっきりとなった。しかし、彼らは決して諦めたというわけではなかった。静観するそぶりをみせる作戦へと路線変更しただけなのだ。しばらくの間距離をとっておくことで、もう諦めてくれたんだ、と後輩に思わせようという目論みだ。いずれは、ほとぼりが冷めたと思うか、痺れを切らすかして、後輩が動きだすに決まっている、必ず尻尾を出す、そうに違いないんだ、と読んでの策だ。ところがどうだろう、彼らの思惑どおりにはいってくれない。待てど暮らせど、後輩からの飛行許可申請は出されないし、無許可で飛んでいる様子もない。
後輩には後輩側の目論見があったのだ。こんなに大量の新しい情報が日々発信され、世界中を駆け巡っている時代なのである。自分にちょっかいを出してきた人たちも、いずれは興味の対象を別のニュースへと移していき、円盤のことなど忘れてしまうだろう、そのころあいを見計らってから、また飛ばすことにしよう。
痺れを切らしたのははたしてどちらか。
後輩の家へと再度乗り込んで行く者が現れた。技術者である。技術者という人種は、言い方を変えれば専門バカである。世の中の事象どころか、季節の移り変わりにすら興味を示すことなく、ただ一つのことに没頭し続けるのが役目。先に痺れを切らしたのは興味の対象に切り換えの利かない彼であった。
「お願いします、私に円盤を見せてください、私を円盤に乗せてください」
玄関先でそう懇願する。
「許可なく乗ってはならないと言い渡されていることはお伝えしましたよね。命令が当局からのものなものですから、逆らうわけにはいかないのですよ」
「では、私の方から当局へ手を回しましょう」




