1-2 『向き合わない代償』
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放課後、部活終了時間になって早十五分が経とうとしていた。
日が傾いて窓際から差し込む太陽光は廊下一帯を朱色に染めている。
静けさが充満する廊下を、一人の男子学生が逃げ惑っていた。なにかに追われ、鬼気迫る面持ちで、走って、走って、走って、必死に走る。目的地である昇降口まで程遠い距離をただひたすら走り続けた。走り続けて、逃げ道を誤り、行き止まりに入ってしまった。
もう後戻りはできない。
コツコツと、悠々とした足音はどこにも寄り道せず、真っ直ぐ男子学生のいる場所に迫った。そして、足音の主が不敵な笑みを浮かべながら男子生徒の目の前に姿を現した。
「どうも~、デリバリー調教師の佑真でゅえ~す」
正体は、九〇年代に流行ったボディブレードを携えた佑真だった。
「いやぁ、いるもんだなぁ。ホント治安のわりぃ地域だこと。どういう教育受ければこんな脅迫系ポルノ製造機が出来上がるんかねぇ」
ブンブン、ブンブン、ブンブン、と悪態をつき、ボディブレードを片手で軽く前後に振りながら男子生徒に近寄る。
「くっ、来るなッ!」
佑真が近づくと、男子生徒は逃げ場のない後方へ逃げ、終着点の壁に背を当てた。
「そう逃げなさんなよ、三年A組池谷大智せんぱーい。こっちは君の〝元〟彼女さんから依頼を受けて来てんだからよ」
「麻衣が?」
「おいおい、気安く呼び捨てにスンじゃねぇよ児ポ野郎。脅迫、または恐喝による性的暴行未遂。カレカノ関係での全裸写真の交換はべつにいいけどよぅ。それをさ、身体の関係を迫って拒否られたからってバラまくのは違うだろ。性獣さんよぅ」
佑真の言葉に、大智は訝しげな顔を浮かべる。反省の色を見せず、逃げ場のない状況下において今もなお無言の抵抗を続けている。
「やぁと追いついたぁ。あっ、もうお児ポを追い詰めたの? 早いねぇ。今回の依頼、歴代最高記録のRTAよ。十五分は最速よ」
佑真を追ってきた透が悠長にそう言った。
「犯人がまだ校内にいて急ぎの依頼だったしな。あと、俺の都合もあったしな」
「あ、そうなん? 言ってくれたら僕一人でやったのに」
「透は余計な仕事を増やすからノーセンキューだ」
「やん、冷たい♡」
「やーん、キモイキモイ」
気持ち悪く女の子ぶる透に、佑真は色味のない言葉を送り返して、壁に背を当てる大智に向けて掌を晒す。
「へい、携帯」
「え?」
「携帯だよ、携帯。そん中に入ってんだろ? 写真。消去するからさっさと渡せ」
佑真が携帯を要求すると、大智は携帯の入ったポケットを押える。顔に余裕の二文字が消えかけているのにも関わらず、なにがなんでも渡さない強気な姿勢を見せた。
「へっ、誰が渡すかよ。あれは俺のモノなんだ! 俺がなにしようとおまえらには関係ねぇだろ。これは俺と麻衣の問題だ! 部外者はすっこんでろ!」
拒絶の意思を告げられ、佑真の掌は引っ込んだ。
「きゃぁ、捨てられたくせに俺のモノですってキモーイ。女はモノじゃないんですよー。意思を尊重しない今の時代嫌われますよー」
感情の籠っていない佑真の言葉に、大智は嘲った。
「女は男を立てるモンだろ。黙って従ってればいいんだ。嫌とは言わせない」
「なんだってー。すみませーん、どこかに真の男女平等主義者の方はいませんかー? ここに女の敵がいまーす。ネット民のみなさーん、叩きやすいモノがここにありまーす」
わざとらしく言う佑真。その間も、ブンブンブンブンと、ボディブレードを片手で上下に振ってダイエットしていた。
「……。ねぇ、佑真。さっきから思ったんだけど、それなに?」
隣で黙っていた透がボディブレードを指差して佑真に問いかける。
「これか? 魔法のステッキだ。振ると脂肪がフォイフォイする優れものだ」
「いや、ボディブレードだよね? どこから持ってきたの?」
「拾った」
ブンブン……。
「うん、わかったよ」
ブンブン……ブンブン……。
「………………」
ブンブン、ブン、ブンブンブンブン、ブンブンブンブンブンブンブンブンブンブンブンブンブンブンブンブンブンブンブンブンブンブンブンブン、ブン…………。
「……、うるさいよ。佑真」
「ブンブンブンブン」
「うるさいよ! わざわざ口に出さなくていいって!」
「ブンブンのなにが悪い。ブンブンはブレードを振ってるからブンブンってそれっぽい効果音が鳴ってんだブンブン」
「わかってるよ! だからブンブン止ーめーろ! ブンブンブンブンうるさいって!」
「ブンブンブンブンうるさいのは透じゃねぇの? さっきからブンブンがブンブンして」
「うっせぇ、って! ブンブンブンブン! なんでブンブンでブンブンでがブンブンブンブンブンブンブンブンブンブンブンブンブン!」
ゲシュタルト崩壊しそうな会話だ。
「ブンブンブンブンうるせぇ! テメェらいったいなにしに来やがったんだ!」
「「………………」」
佑真たちの会話が止まる。そして、二人の視線は大智に向けた。
まず先に口火を切ったのは佑真だった。
「クソッたれがなに会話止めてんだよ。つか、早く携帯渡せよ」
「だ、誰に口聞いてんのかわかってんのか! こっちは先輩だぞ! 敬えよ!」
大智の言葉に佑真はふっと鼻で笑った。
「同級生を身体欲しさに写真で脅迫してるヤツを敬う気なんてなれねぇな」
「僕たちが言える立場かい?」
「つーか、テメェの名前もややこしいんだよ。大智って、友人に太知がいるから被んだよ。なんでお人よしと同じ名前でテメェは愚変態なんだよ全人類のたいちに謝れ」
「僕のクラスに優馬って名前の人おるよ」
「今日も横でうるせぇな。平きっぱの口動かすなよ」
「普段は口閉じてるよ」
真顔で言う透に、言葉を飲み込んだ佑真は嘆息しながら大智に近づいた。
「く、来るなよ! ――グエェ!?」
大智の鳩尾に佑真の蹴りが入った。異物の飲み込んだカエルのようになにか吐き出しそうな悶絶する顔を浮かべて蹲った。その隙を突いて佑真は携帯を奪う。
「ほい、っと。奪取完了」
画面を開き、ある程度の情報を元にアンロックを試みる。
「……か、返せッ!」
「返したら送るんだろ? 児ポ野郎。その前に全部の写真消去しとかなきゃ」
佑真の言葉に勝機を感じたのか、大智の顔に余裕が生まれる。
「へへっ……、そんなことしても無駄だぜ? 俺のパソコンにバックアップがある! 携帯のを消しても意味がな――」
「ああ、そういうハッタリはいいから。テメェがパソコン持ってないのは元彼女の情報で知ってる。バックアップっつっても携帯から簡単に消せる」
佑真の表情は揺らがない。揺らぐどころか、どうでもよさそうだった。
「あ、解除できた」
「――ッ!?」
「パスワードは〝元〟彼女の誕生日を逆さにしたものか。苦戦せず済んだ」
そう言いながら佑真は高速タップで目的を遂行する。フォルダを開き、最近の物から思い出まですべて確認し、依頼主とのツーショットをすべて消していく。もちろん、いかがわしいモノもすべて。バックアップも容赦なく消去し、復元不可能にした。
「ほらよ、返すわ」
すべての工程を終えた携帯を大智に返した。
大智には慌てて携帯の中身を確認して、彼女との思い出が詰まった写真すべてが消えていることに絶望し、嗚咽の声が廊下内に響き渡る。
「さて、依頼完了だ。透、一足先に依頼主に報告にいってくれ。俺は最期の工程を済ます」
「わかった。あとよろしく」
了承した透は足早にその場を後にした。
その場に残ったのは佑真と大智だけ。佑真は他人の自業自得の嗚咽に呆れながら携帯を操作し、知人に連絡する。
「しもしも、終わったんで回収よろしくお願いします。――場所? 三階の物置きになってる教室ですよ。その辺の角曲がると行き止まりの。んじゃ、よろしくお願いします」
手短に通話を終わらせると、大智に向き直る。
「まあ、そういうことなんで。悪く思わないでくださいよ。先輩カッコ笑さん」
踵を返して立ち去ろうとする。
「許さねぇ。テメェはゼッテェ許さねぇ! テメェのせいだ! 麻衣が離れる要因を作ったのはテメェが横やり入れたからだ! 横やり入れなきゃ俺と、麻衣は……っ!」
「………………」
惨めに喚く大智に向き直る佑真は溜息を吐いた。
そして、近づき、不敵に笑う。
「テメェのせいに決まってんじゃん。努力しなかった、気持ちを汲み取れなかった、だから弱みに漬け込んだ。無理矢理にでも既成事実を作ろうとした。ほら、わんさか出てくる」
「なんだと……ッ!」
大智の反応に、佑真は鼻で笑った。
「小学生ならここまで言ったらわかってくれるんだけどなぁ」
そう皮肉を言い残すと、佑真は踵を返す。角を曲がろうとして、足が止まる。
「後悔してからじゃないと気づけないのは、やっぱ怖いな。グッドラック」
佑真の姿が消え、そこには大智だけが残った。
「許さねぇ! 絶対後悔させてやる!」
大智は怒りに燃え、復讐することを誓った。
だが、それを許さない男もいた。
「ほう? 俺の前でよくそんなことが言えたな」
「――ッ!?」
大智の目の前に現れたのは江崎正道だった。日本史担当とともに生活指導を受け持つ男性教師。ボサボサの黒髪に、やつれているような顔つきが特徴的な男だ。
そして、生徒からは悪ガキにとっては恐れられている存在だ。
「バ、狂戦士……」
「なんか増えてんな。まあ、そんなことより、二方のことで訊きたいことがある。あとで関与してる生徒も呼んでもらう。ちょっと指導室に来てもらうぞ」
「ひ、ヒィッ! 殺される! だ、誰か、助け――」
抵抗する大智は、指導室へ引きずられていった。
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