2ー9 『七葉市の病院』
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七葉総合病院は、七葉市に住む人たちの健康を守る総合病院だ。七葉市にある複数の病院のうちの一つ市内では最大規模の病院である。元々は小さな個人病院だったが、再開発の際に超大手企業から信頼を買われ、新たに建設されたのが今の七葉総合病院だ。
今は開業主の息子が病院を引き継いで運営している。
病院長、もとい息子のほうとは長い付き合いである佑真は、病院に到着するとためらうことなくその息子に診察してもらうよう掛け合い、院長のいる診察室に通された。
「まさか、こんな時間に佑真が来るとは、珍しいこともあるもんだね」
診察室に通されてすぐに椿姫の腫れた頬の処置を始める医者、藪上達也はそう言った。
「悪かったな、藪上さん。順番もあるだろうにすぐ診察してもらって」
「いいんだ。なにせ佑真からの指名だからな。それに、今日は患者が少ない。もしかりに増えたとしてもほかの医師が担当してくれるから問題ない」
達哉は七葉総合病院に務める男性医師。若くして父親の病院を任されてかれこれ数年。複数の専門を持ち、類まれなる知識と才能で医療に貢献してきた優秀な医師である。
細身で高身長。色素がやや薄めの黒い髪。とくに特徴といったものはない三十路のおっさんだが、普段から清潔感を意識し、穏やかな性格で物腰も低く、人当りの良いことで患者からは好かれ、ほかの医師からも信頼されている人格者である。
「それにしても、佑真君が診察してほしいって子が、まさか榛名さんだったなんてね」
「なんだ。知り合いなのか」
「よく病院に来るからね」
まさか椿姫が達哉と知り合いなのは意外だった。
「ほーん……親しくなるくらい病院に通ってんのか」
「う、うん。よく藪上先生にはお世話になってるって、感じかな」
少し歯切れの悪い椿姫は気まずそうに目を逸らす。気にする場面ではないのだろうが、佑真は少しその反応が気になったが、今は達哉との会話を続けることにする。
「結構長いつき合いなのか?」
「そうでもないさ。榛名さんが……中学の頃だったかな? 大体そのくらいだったな」
「数年前か。椿姫はわりと健康優良児だと思ってたんだが、そうでもないのか?」
「中学の頃は結構大変だったんだぜ? 医者として患者の詳しいことは話せないけど榛名さんは頑張ったもんだよ。ああ、今も頑張ってるか。今もたまに、薬を貰いに来てるよ」
達哉の言葉に椿姫は空笑いを浮かべる。
「そうか。身体弱かったんだな」
「今はそれほどでもないさ。まあ、用心に越したことはないけど」
ひょんなことからとはいえ、椿姫のことを知れた貴重な話だった。椿姫のことを一つとも知らない佑真にとって非常に嬉しい情報だった。
「先生! わたしそこまでひ弱じゃありません!」
「あはは、そうだったな」
ご機嫌が斜めの椿姫に、達哉は小さく笑い飛ばし、処置を終える。
「はい、処置完了っと。口の端は大したことなかったから消毒だけで。腫れが引かないようだったらまた来てくださいね。一様、痛み止めと塗り薬出しとくから」
「ありがとうございます」
治療が終わったことで一段落がつき、佑真はほっと息をつく。
「ありがとな、藪上。今日はマジで助かった」
「良いってことよ。俺とおまえの仲だろ?」
「ちょっと臭いっスね。その台詞」
「いいだろう、べつに。こういうものは言ってみたいさ」
「ちげぇね」
否定するわけでもなく軽い茶番で終わらす。
「それじゃ、帰るか」
佑真はそう言うと、おろしていたカバンを再び肩にかけ、ついでに隣に置いてあった椿姫のカバンも持って本人に渡す。
「忘れ物はないよな?」
「うん。カバンだけだから」
「了解。んしゃ、藪上。世話になったな」
「先生、ありがとうございました」
確認を終えた佑真たちは、達哉に軽く挨拶すると診察室を出ようとする。
「おう。あ、ちょっと待ってくれ」
なにかを思い出した達哉は慌てて、帰ろうとする二人を呼び止め、机の一番下の棚から白く平たくも中身の厚みで膨れた薬袋を椿姫に渡した。
「はい、いつものね。今回は多めに入れておいたから」
「あ、ありがとうございます。いつも助かります」
「なーに。これくらい」
椿姫はお礼を言うと、カバンに薬袋を入れる。
「そんなに薬がいるほど、どこか悪いのか?」
べつに興味があるわけではなかった。薬を処方してもらっている、と佑真は完結させるつもりだった。この七葉総合病院で処方される薬は外の薬局で別途料金を支払って貰う。だが、急な来訪でこうも簡単に処方されるという不自然な流れに疑問を持ってしまう。
椿姫はどう見ても健康優良児。薬を飲むような場面に出くわしたことがない。
「あ、あぁ、えっと……。これはだな」
歯切れの悪い二人の反応を見るに、裏があることは確実だ。
「……、まあ、なにか事情があってのことだろうけど、こうも気になる状況を見てしまっては無視もできん。理由ぐらい聞かせてはくれないか?」
「……、まあ、なにか事情があってのことだろうけど、こうも気になる状況を見てしまっては無視もできん。患者のプライバシーを守る義務があるのは重々承知だが、理由ぐらい聞かせてはくれないか? ここで渡す理由をさ」
「そ、それは……」
瞬間、診察室のスライド式の扉が勢いよく開いた。
ばっと叩きつけるような音は、診察室に漂い始めた不穏な空気をかき消す。
偶然にも診察室に現れたのは満身創痍の透だった。その身になにが起こったのか、言わずとも教師にお灸を据えられたのが見て取れた
「随分と、派手にやられたもんだな」
労いの言葉をかけると、透は片腕に顔を埋めて泣いた。
「………………。すまん、もう一人追加で頼めるか?」
「あ、ああ……それはべつに構わないが」
呆然としていた達哉は我に返り、透の治療を始めるのだった。
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