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楽園への一歩

「エム、アイ、……み、な、み、や、ま、む、ら。勤務地、南山村」

辞令まで全部ローマ字表記にするの、ホントやめて欲しい。

不機嫌に不機嫌を上塗りしたような表情で呟くと、塚野シュン(つかの・しゅん)はディスプレイを眺めていた。

そもそも、どうして自分が地域福祉課に配置換えされたのかも分からない。

電算課……とお役所らしい古めかしい呼び名だが、要はマザーコンピュータとの開発担当……だった自分が、よりによってあの『地域福祉課』とは。

シュンは手早く端末を操作する。

操作と言っても、ヘッド型のインカムから音声で指示を出すだけだ。

「職員番号P094589、塚野シュンから質問依頼。辞令について確認事項がある」

「質問を許可します。どうぞ」

返答と同時に、ふわふわした栗毛の髪の可愛らしい少女が、ディスプレイに現れる。マリという名の少女はもちろん作り物のアバターで、シュンが開発したものだ。市民に恐怖心を与えないようにとの配慮でこんな姿をしている。ついでに、相手の好みを見て、見る人の好きなタイプへと姿や話し方を変えることができる高性能だ。

「どうして、俺が地域福祉課なのか」

「その質問については回答権限がないの。他には何か?」

「辞令を断る方法は?」

「ないわ」

「……即答かよ」

「シュンが退職すれば、辞令は破棄されるけど……」

「あー、それ以上はいい。退職なんて非現実的だし。……代わりに、南山村の情報が知りたい。ここから通勤は可能なのか?」

「通勤は困難ね。転勤をお勧めするわ」

ディスプレイに地図が現れる。

「うげ」

「うげ、の意味が不明瞭。質問は具体的にね」

俺が、何したって言うんだ。



『南山村』

一週間後の午後、俺は一人、その駅に降り立った。

マザーコンピュータによると、誰かが出迎えてくれる筈なのだが。

胸ポケットから煙草を取り出し、一本引き抜こうとする。

が、引っ張っても出て来ない。どうやら中で何かが引っかかっているようだ。

イライラするなあと思っていると、どこかから、今時エンジン音を響かせて……何かが近づいて来た。

何だ、ありゃあ。

「あー、あんただあんた、役所から来た人!」

無骨な車体にまたがった女が、こっちを指差して満面の笑みを見せた。

なんというか、顔全体、身体全体で笑っているような、とんでもない全力笑顔。

粗い三つ編みの髪と、数字がプリントされた、ド派手なオレンジのTシャツ。

「あんたがシュンくんだよね? あたし桃代ももよ。悪いけど、ゆっくり行くから、ついて走ってくれる?」

シュンくんなんて呼ばれる歳じゃねえよ。

と、心の中でそう突っ張る俺に、女は更に言葉を浴びせる。

「一人乗りなんだ、このトラクター」

だよな。

つか何で、それで迎えに来やがった。

突っ込みを口に出さず、俺は静かに名刺を取り出した。

これでもお役所の職員ですから。波風立てないのが大人の対応ってやつだ。

「初めまして、私、これからこの地域を担当させていただきます」

「そんなのいいって。ほら、さっさと歩く」

話を聞く気もなく、女はエンジンをかける。

「あの、じゃあお名前を教えていただけますか」

「だから桃代だって。桃代ちゃんと呼んでいいよ」

誰が呼ぶかよ。

トットット、と音をたて、トラクターが動き出す。

しょうがなくそれについて歩くと、俺は隣に並んだ。

右を見ても左を見ても、どこまでも畑が広がる道を歩く。

今までの職場とはかけ離れたど田舎具合に、心の中でため息をついた。

「あの、できれば、名字を教えてもらえないでしょうか」

「えー、いいけど。高田」

「高田さんですか」

「でも、ここじゃ誰も高田って呼ばないよ。桃代ちゃんだよ。……だよねえ!」

突然、女が畑に向かって声を投げた。

何を育てているのか、背の高い植物の間から、ひょこっと男が顔を覗かせる。

短髪と日に焼けた顔がたくましい、なかなかの男前だ。

「お、桃代ちゃんじゃないか!」

本当に桃代ちゃんなんだな。

しかし、どうしてそこに人がいると分かった。葉が茂ってて姿なんか見えなかったぞ。

千里眼かよ、あんた。

「そっちは見かけない顔だけど新しい住人かい」

「いいや。役所の人だってさ」

「ああ、そうか。……よろしくな」

「塚野と申します。これからよろしくお願いします」

お役所らしく腰低く。

丁寧におじぎをすると、男の笑い声がした。

この男も、底抜けに明るい笑い方をする。

「そんなにかしこまらなくていいよ。オレは伊都島重蔵いとしま・しげぞう。重さんでいいよ」

桃代ちゃんやら重さんやら、どいつもフレンドリーだな。

これが、田舎の良さといったところだろうか。

その姿に手を振ると、トラクターはまた先に進み始めた。

緩い上り坂に差し掛かり、持っていた荷物が重さを増す。

「で、高田さん、今から役所に向かうんでしょうか」

「だから桃代ちゃんだって。役所は明日。今日は家に連れてくだけ」

「なるほど」

確かに、この荷物をさっさと置きたい。

「……と、その前に」

「え?」

坂道を昇り切った先に、突然開けた視界。

抜けるような晴天の下、目が痛くなるほど光がきらめく。

「海……?」

「せっかくだから、見せてやるよ」

いや結構です、さっさと家に行きたいです。

などと言う間もなく、トラクターがエンジンをふかす。

「ちょっと待って……」

こんなところに放り出されるなんて、冗談じゃない。

慌ててその背中を追いかけ、海岸へたどり着く。

「あの、高田さん……」

もう行きましょう。そう声をかけようとした時だった。

ざ……と。

海が動いた。

いや、海の中で何かが。

大きく水面を波打たせながら、途轍もない何かが。

「なに……?」

ぐうっと波が沈み込んだと思った瞬間。

「うへ……!」

晴れ渡った空が、唐突に曇る。

いや、何かが空を覆い尽くしたのだ。

背中、腹、そうして尾びれ。跳ね上がる山のような巨体。

「どうだ、すげースケールだろ」

三つ編みを振るわせて、またしてもオレンジが全身で笑う。

「あれが、南山村の名産、養殖くじらだ!」

……うん、何かもう、いろいろとありえねえな。



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