出会いと別れ
わたしには1年前からの記憶がない。私が私であるという記憶は一年前のこの町の入口に立っていたというところから始まっている。その日は雨が降っていて、まだ肌寒いある春の日だった。わたしは何故か体じゅうに怪我をしていて、雨が酷く体中に沁みたけどどうする事も出来なかった。
そんな私を不審に思い、声をかけてきた男の人が『ステラ』という名前以外何も覚えていないわたしを不憫に思い引き取ってくれたのが1年前。
引き取ってもらって1週間は怪我のせいで熱が出てずっと寝込んでいたけれど、引き取ってもらったのに何もしないというのは悪いと思って何かできることが無いかと聞いてみたら、夫婦で店を経営していてちょうど従業員が足りなくなっているからそこで働いてほしいと言われた。
最初はにこりともせず、ただただ無表情に働いていた為か、あまりお客さんからの評判も良くは無かったけれど、引き取られた経緯を知って応援してくれるお客さんと、引き取ってくれた男の人…ファルクさんとその妻のロナさんが優しく、そして根気よく接してくれたおかげで、半年もたつ頃には笑ったり怒ったりする事が出来るようになっていた。
しかし、その平凡で優しい日々は唐突に終わりを告げた。
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「はい、お待ちどうさま!ラム肉の煮込みですっ!」
「お、ルーナちゃん今日も精がでるなァ」
「だって早く食べてもらわないと、わたしもお昼ごはん食べれないもの」
「ははっ。そりゃちげぇねぇ」
「うんっ!」
私がいつものようにお給仕をしていると、いつもは町の人しかいない店に見かけない顔の赤い髪の魔術師が入ってきた。魔術師は全員ローブをまとっているので一目で分かる。
そして魔術師はどんな階級でも―なろうと思えば奴隷でも―なれる職業で、魔力さえあれば貴族と同等の階級になれる事も出来るし、魔術学院長ともなれば王様とだって対等に話すことも出来るらしい。
魔力の属性は髪や目の色で見分けることが出来て、持ってる属性が混ざった色が目に、持っている魔力の中で一番多い属性が髪に出るらしい。わたしは水色の髪に水色の瞳をしているから純度だけはかなり高い『水』属性だ。
魔力の量は分からないし、計ろうとも思わないけど。日常生活ができる程度の魔力があれば構わないし。
「ルーナ、魔術師様から注文を聞いとくれ…くれぐれも失礼のないようにね。」
「はい」
ちょっと怖いなぁ。失礼のないようにいつもより丁寧な言葉で…!
「注文はお決まりですか?」
「いや、まだ悩んでいるのだが…おすすめの料理は?」
男の人かなあ。それにしては声が高い気がするけど。
「ええっと…今の時期だとお野菜がおいしいので、春野菜とベーコンのスープがおすすめです。」
「じゃあそれにしよう。ん?…君は…」
そしておもむろに、魔術師がこっちを向いてわたしをじっと見てからブツブツと呪文を唱え始めた。…今の対応で何か失礼なことがあったのだろうか?殺されてしまったらどうしよう…!
「あ、あの…「はあっ」」
わたしが声をかけようとしたのと同時に魔術師は呪文を唱え終わったらしく、呪文がわたしに向かって放たれ、わたしは反射的に目をつぶった。
…しかしどこも痛くならないし、むしろ体が優しく何かに包まれている感じがする。恐る恐る目を開けるとわたしの体を白っぽい半透明の炎のようなものが包んでいる。
「これは…?」
「すまない、驚かせて。」
魔術師は少し微笑みながら謝ってきた。
「これは何ですか?」
そう問いかけると、魔術師は驚くべきことを口にした。
「それは魔力の量を見るための魔術だ。君は魔力の純度も高そうだし魔力が多いかもしれないと思ってかけさせてもらった。…思った通りに君は魔力がとても多い。魔術師になって努力したら10年に1度の天才になるだろう。」
魔術師になったら、ファルクさんたちに迷惑をかけることもなくなる。…学院の寮に入らなければならないから自由に会えることはなくなってしまうけれど。
「じゃあ、相談してから決めてもいいですか?」
「ああ、かまわない。じゃあ、明日の夜君の家まで行こう。…どこにある?」
「あの…わたし、1年より前の記憶が無くて、今はここの店の主人に引き取ってもらったんです。」
と、言うとその魔術師はにっこり笑い、「そうか」とつぶやいた後、
「では、明日の夜店が終わった頃にまた来る。」
「はい。分かりました。」
「ああ、そういえば名前を聞いていなかった。」
「あ、はいステラです。」
「そうか、良い名前だな。私の名前はトル・セプテイーグ・ルベルだ。」
そしてトルと名乗った魔術師は店を出て行った。
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ファルクさんとロナさんに相談すると、「ステラの好きなようにしなさい」と笑いながら言われた。
わたしはお風呂に入ってから、ベットの上で悶々とさっきの事を考えていた。
わたしは魔術師になるべきのかなあ・・・魔術師になったらみんなとあまり会えなくなるけれど・・・
けど魔術師になったら記憶を戻せるかもしれない…!
次の日わたしは「魔術師になる。」と二人に伝えた。二人は少し悲しそうな顔をしたけれど、すぐに笑って「ステラの決めたことなんだから応援する」と言ってくれた。
その日の夜、約束通りトルさんはやってきた。
「こんばんは。…答えを聞いてもいいか?」
「はい。わたしは…魔術師になります。」
すると魔術師は笑って、「よく決断してくれた」と言い私の手を握った。
「ステラほど魔力が高い者が魔術師にならない場合は魔力を抑制する魔具をつけてもらわなければならないんだ。せっかく才能があるのにそれはもったいないと思ったから決断してくれてよかったよ。」
そうだったんだ…知らなかった。
「魔術師になるにはまず学院に入らなければならない。新学期まであとひと月ほどあるからそれまでは私の弟子として基礎的な訓練と知識を学んでもらう。私はこれでもかなり上位火のの魔術師だ。君の力になれるだろう。」
トルさんはそう言った。
「わたしはどうすればいいですか?」
「ひとまず私の家に来い。そこで魔力の属性と量の把握をしてからそれに合わせて訓練をする。そして一月後魔術学院に入学して本格的な訓練に入る。…ああ、学費はいらない。すべて国が払ってくれる。」
この家とも少しの間お別れかぁ。…やっぱりさびしいな。
「何日ぐらいで準備すればいいですか?」
「できるだけ早い方がいいな。明日の朝までに終わるか?」
「は、い。…多分。」
「じゃあそれで頼む。急な話で混乱していると思うが直に慣れるだろう。では、明日迎えに来る」
「分かりました。」
そう言ってトルさんは去って行った