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気付いた想い

 綾瀬遼は、一人暮らしをしている。中学に上がった頃から、事実上はずっと。一つの部屋に、押し込められる様な形で。

 遼が一人暮らしをしている事を知っている生徒はいない。遼は誰にも話さず、学校側もそれを誰かに言う様な真似はしないからだ。そういう点で、遼は〝学校〟というシステムを信頼していた。

 

 遼が一人で暮らしているのには、勿論理由がある。家庭の事情と言ってしまえば、それで済んでしまうのだが……そこには、少々深く、重い理由があった。

 遼が小学校を卒業する間近の事である。その何年か前から不仲だった遼の両親は、その年に離婚した。父親は仕事一筋な人間で、母親は元より子供があまり好きではない様だった。

 両親共に、あまり遼に干渉しなかったのだ。虐待があったわけではない。しかし、必要最低限の会話しか交わさない。遼自身が、娘の存在など邪魔なモノとさえ見えられていた気がしていた。

 

 親とも話す事のなかった遼は、どんどんと内向的に育っていった。そして訪れる、両親の破局。口論される親権問題。その口論が、どちらが娘を引き取るか。というものではなく、どちらに娘を押し付けるか。という内容でさえなければ、まだ遼は現在の様にはなっていなかったのかもしれない。それ程、酷いモノだったのだ。


 結果。遼は父親に引き取られる事になった。会社ではそれなりに優秀で、稼ぎも十分にあった為、養育が母親よりも適していると判断されたからだ。

 誰に――それは、父親の会社が抱えている弁護士に、だ。裁判になりかけた為、父親が意見を尋ねた結果であった。自分で声をかけた手前、それを否定する事も出来ず、父親は自分が遼を引き取る事に同意した。そもそも、父親は遼を嫌っているわけではなく、子育てを煩わしいと思っていただけなのだ。


 そして、遼の卒業。中学校への入学。それと同時に、父親は遼への自立を求めた。

 父娘の干渉は本当に必要最低限の事を抜かし一切なし。金銭面で、遼が困る事はなかった。金はやる。だから勝手に生活しろ。それが、父親のスタイルだったのだ。


 遼の心は蝕まれ、内向的な性格は、歪んだモノに変わっていった。他人を信用する事がなくなり、常に独りを好む様になった。親友とは呼べなくても、小学生時代にいた数少ない友人達でさえも、遼は信用出来なくなり、自分から遠ざけた。自分の中に殻を作り、周囲と自分を隔絶させる術を覚え、やがて周囲からも遼には関わらない様になってきた。


 そうして過ごした三年間。そして、高校への入学。それと同時に、父親は遼に部屋を与えた。自宅ではなく、高校の近くに、アパートの一室を借りてそこに住めと言ったのだ。遼はそれに従い、本当の一人暮らしを始めた。

 どうでも良い存在から、邪魔な存在へと変わったのだろう。遼は、父親の女遊びに気付いていた為、その変化も理解した。

 仕事一筋の父親が、たまの息抜きなのか行う女遊び。それは昔から続いている事で、遼はまたかと思っただけだ。

 家を出て行け。と言われ、むしろありがたかったくらいである。

 部屋は用意されたものではあるが、父親と同じ屋根の下ではなくなったと思うと、清々しい気分になれた。

 そして始まった高校生活。これから先も、今までと変わらない日常が続いていくと思っていた。それなのに、変化は訪れてしまった。遼の安息はなくなり、目まぐるしい感情の変化に追いつけていなかった。


(村野幸介……)


 ふと、その名前が頭に浮かんだ。

 久しく、覚えようともしなかった他人の名前。いつの間にか、自然に覚えていた。

 幸介の事を考えると、胸が痛くなる。感情のコントロールが効かなくなる。

 その感情が何なのか、遼はわからなかった。しかし、幸介が遼にとって、他のどうでも良い人間とは違う。特別な相手であると、遼は気がついた。


(村野、幸介)


 もう一度、心の中でその名前を呼ぶ。

 なぜか、少しだけ幸せな気分になれた。その幸せな気分のまま、遼は眠りに着いた。そして――

 その日、遼は幸介の夢を見た……


○――――――――――――――――――――○


 どうして、こうも綾瀬 遼という少女の事が気にかかるのか、幸介は全くわからなかった。勿論、今までもこうして輪を広めてきた事に変わりはなく、自分の殻に閉じこもっている節のある遼が気にかかるのも不思議ではない。不思議ではないのだが、その感情は今までのモノとは明らかに違っていたのだ。

 だから、幸介は悩んでいた。自分の胸に燻る感情の正体がわからずに、多少いらついていたのかもしれない。

 幸介にしては珍しく、他人に対する態度にそれが顕れていた。口調がきつくなったり、物にあたる事も少しはあった。そして、その行為で我に返り、幸介は自責の念に苛まれる。


(何してるんだ、俺……)


 どう考えても、原因は遼にある。それはわかっているのだが、遼の責任というわけでもない。それもわかっている。だから結局は、自分が悪いという事になる。幸介は必死で考えるが、導かれる結果は何度やっても変わる事はなかった。


「ただいまー」


 鍵を開け、自宅に入る。鍵が閉まっていたのだから、誰もいない事はわかっていた。

 幸介の家は、母子家庭だ。それも、母一人子一人の家庭である。まだ幸介が小学校に入る前の事である。幼い幸介と幸介の母を置いて、父親は家を出て行った。それから一度だりとも連絡など入った事もない。

 幸介は父の背を知らず、働く母の背を見て育ったのだ。

 片親の子供が味わう寂しさ、悲しさ、そして辛さ……多くの嫌な記憶に押しつぶされそうになりながらも、だからこそ人の輪を大切に思う人間に育った。母親の育て方も良かったのだろう。

 幸介は自分の他に誰もいない家の中を歩く。

 足音だけが響き、少し寂しさを覚えるが、それも今となっては慣れたものだった。

 用意されていた夕食を温め、一人で食べる。時間は少し早いが、自分で後片付けをする事を考えると、すぐに食べてしまった方が良い。時間が経つと、それが面倒になってくる。少しでも、遅くまで働いている母親の苦労を和らげる為に、自分で出来る事は極力しようと心がけている。

 それは、母親が大切な存在だから。たった一人の肉親。今まで自分を育ててくれた女性。

 そして、幸介は気付いた。

 自分が遼に対して抱いている感情が、母親に対して抱いている感情と似通っているという事に。それに勿論差異はあるが、近い感情だという事に。


(俺は、綾瀬の事を大切にしたいと思ってる……?)


 確信はなかった。しかし、それ以外の説明は出来ない。

 幸介が、それが人を「好き」になるという感情だという事に気がつくのは、もう少し先の事になる……

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