チャンスは突然に
普段と何ら変わる事のない風景。
まだまだ春を感じさせる暖かい空気。そよ風に吹かれながら登校する生徒達。
交わされる挨拶。交差する笑顔。平凡な日常。
それなのに……いや、だからこそ多々ある小さな問題の数々。
そんな問題の一つを、一人で抱え込む生徒が一人。村野幸介。それがその生徒の名前だ。
「…………」
幸介は一人、頭を悩ませながら登校している。
問題を解決する為のヒントは揃っている。それなのに、未だに答えを導き出せていない。だから、頭を悩ませている。
「幸介っ」
背後から名前を呼ばれ、幸介は足を止めて振り返った。
「綾瀬……」
「おはよう、幸介」
「おはよう」
文面だけ見れば、それも日常の一環。しかし、それは少しだけ日常とは違う心境。
「どうかしたの?」
どこか翳りのある幸介に気付き、遼はそう尋ねた。だが、幸介は苦笑して首を横に振る。
「何もないよ」
と。それは日常を装った幸介なりの言葉。遼を巻き込まない様に、遼を心配させぬ様にと、幸介なりの配慮。だが、遼は敏感に感じ取ってしまう。それが、本心ではないという事を。それでも、問いただす事は出来ない。閉ざしていた心を、開いてくれた相手。その幸介が、隠している事の意味。それを察したわけではなく、問い詰めて、今の関係が壊れるのが怖かった。だから、遼はそれ以上何も聞けない。
「……そう?」
「ああ」
それで、会話は終わってしまう。普段からそれ程口数の多くない遼。そして、普段とは違いあまり喋らない幸介。
それでも、これも日常の一環。少しだけいつもと違った、日常……
一日の始まり。きっと、午後にはいつもの日常に戻っている事を信じて、遼は何も言わない。
幸介は悩んでいる事を知らず、それでもそばにいたいと思いなだらも……
今日もまた、良く晴れている。
○――――――――――――――――――――○
訪れる日常。
いつもと変わらない風景。
村石と高坂の間に入った亀裂。いや、村石が心に抱えている問題。それだけが、幸介にとっては日常ではなかった。だから、ここ最近ずっと頭を悩ませている。
(そろそろ、解決したいよな……)
それは、自分に言い聞かせる為に言葉かもしれない。それでも、今の幸介には必要な言葉なのかもしれない。
解決したい。それは、幸介自身の願いでもある。それに何より、自分を頼ってくれた友人を助けたいと思っている。だからこそ、幸介は確実に解決出来る様に、ずっと頭を悩ませている。
早く。
早く。
出来る限り早く。
誰かが……いや、自分自身の心が、幸介をはやし立てる。
(どうすればいいんだ……)
何か、キッカケが欲しかった。理由や、経緯は既に知っている。後は、タイミング、そしてキッカケが必要なのだ。
そのキッカケをここ数日渇望していた幸介だったが、それは思いも寄らぬ形で訪れた。
「幸介」
その日の放課後。高坂の方から声をかけてきた。
「ん?」
「話したい事があるんだけど、今日暇あるか?」
その眼は真剣そのもので、幸介も神妙な面持ちで頷く。
「OK。それじゃあ、5時に学蓮に来てくれ」
「わかった」
幸介が頷くと、高坂は満足そうに笑みを浮かべ、踵を返し教室から出て行った。
学蓮。それはここ秀栄高校の近くにある喫茶店で、元より秀栄の生徒達を主な客層にしようとして出来た店だ。因みに、余談だがチェーン店ではなく、秀栄の卒業生が個人で営んでいる。
「5時に、学蓮か……」
時計を見た幸介は、大分時間が空く事に気が付いた。一度家に帰る時間は十分にある。それならば……
「綾瀬」
「なに?」
呼ばれて、直ぐに振り返る遼。幸介の声にはとても敏感な様だ。
「一緒に帰ろうぜ」
「……いいの?」
「いいに決まってるだろ」
何でそんな事を聞くのか。とでも言いたげに、幸介は答えた。
「良かった……」
釈然としない点は残ったが、安堵する遼を見て、何となくそんな些細な事はどうでも良く思えてしまう。
遼が、不安そうな表情をしているのは悲しい。安堵した表情や、嬉しそうな表情をしていると自分も嬉しい。幸介は、それを今十分に感じている。
「行こう?」
「あ、ああ」
少しぼぉーっとしていた頭を振り、歩き出す遼に続く幸介。
(今日、何とか高坂とは決着を着けないとな)
心の中でそう決意し、幸介は今は考えるのはよそう。と再び頭を振った。
「どうしたの?」
少しだけ心配そうに、遼が幸介の顔を覗き込む。
「いや、何でもないよ」
「そう?」
慌てながら後ずさった幸介を不思議そうに見つめながら、遼が首を傾げる。
「そうそう。ちょっと、ぼぉーっとしてただけだよ」
「ならいいんだけど」
今は遼の事だけを考えよう。そう頭を切り替え、幸介は楽しく、遼と二人で下校して行った。
○――――――――――――――――――――○
「よぉ、待たせたな」
5時を10分程過ぎた頃、学蓮で待っていた幸介の元に、高坂が悪びれた風もなくやってきた。
「遅い」
「10分くらいでケチケチすんなって。それに、俺が時間にルーズなのは知ってるだろ?」
「威張る事じゃないだろ……まあ、知ってるけど」
幸介は嘆息を漏らしながら言うが、高坂は気に留めた風もなく席に着いた。
「それで、話って何なんだ?」
「いきなり本題に入るんだな。まあいいけど」
苦笑を浮かべながらそう言った高坂は、一度目を瞑る。直ぐにその目は開かれたが、その時には高坂の顔つきは一変していた。先程までとは打って変わり、真剣そのものである。
「村石との事だよ」
「…………」
「その顔は、分かってたって顔だな」
「まあな」
微かに苦笑を交えた高坂の言葉に、幸介は頷いた。
「お前も色々聞き回ってたみたいだから、ある程度あいつの事も知ってると思う。だから、どうすれば前みたいな関係に戻れるのか、それで悩んでるんだろ?」
「ああ……ホント、お前には隠し事出来ないな」
皮肉混じりの苦笑。こういう過去からの絆が、村石を傷付けているのだ。
「あいつは、自分が独りだと思ってるんだ。昔の事なんて関係ないのに、1年も一緒に過ごせば、そんな差は十分に取り戻せるのに……」
「でも、そう割り切るのも難しいんだろうけどな。だから、村石は悩んでるんだ」
「そうなんだよな……でも、あいつ自身が閉じこもってる以上、俺達にはどうしようもない。特に、あいつに過去を意識させちまった俺じゃな。だから、あいつはお前に相談したんだろ」
「知ってたのか……」
「まあな。とにかくさ、お前なら、あいつの心を開かせる事が出来ると思う。うまく言えないけど、何かそういう力があるんだよ。だから、お前の周りにはいつも人が集まるんだ」
「……それは、俺がそういう風に意識してるからだよ」
「そうだとしても、それがお前の力である事に変わりはないだろ。だから、俺もお前には期待してるんだ」
「高坂……」
「俺だって、仲悪いままじゃいたくないしな」
そう言って、高坂は苦笑を浮かべた。今までの様な暗い笑みではなく、どこか朗らかな笑みだった。
「でも、頼りきりってのも嫌だしさ。仲介に立って欲しいんだ」
「仲介?」
「ああ。俺、村石と直接話そうと思う。でも、俺とあいつだけじゃ、多分何も解決しないから……だから、話に立ち会って欲しいんだ」
「……わかった。そうだな、それがいいよ」
「よし。それじゃあ、明日の放課後な」
「早いな、おい……」
「こういうのは早い方がいい。勢いが大事なんだよ」
「そういうもんか?」
「そういうもんだ」
「……そうだな。よし、それじゃあ明日な」
「おぅ」
それから少しだけ雑談をし、二人は学蓮を後にした。既に日は傾いており、空の色も大分赤みがかかっていた。
きっと明日も、同じ空が巡る。それでも今日とは違って、きっともっと晴れやかな空に見えるはず。幸介は、帰路の途中そんな事を考えていた。