二人の気持ち
ボーリングを終えた遼達は、その日はそのまま解散という事になった。
その帰り道を、遼は優子と二人で歩いていた。
「ねぇ、優子」
「ん? どしたの?」
少しだけ沈黙が続いたと思うと、珍しい事に遼から話を切り出した。
「優子は、どうして私に声をかけようっと思ったの?」
それは、ずっと遼が感じていた疑問。
「気になったから」
優子は笑顔で即答する。
「気になったからって……それだけ?」
「うん。前から、声はかけたかったんだけど……ほら、何かそんな雰囲気じゃなかったし。でも、この前から雰囲気が変わって、声かけやすそうになったから」
「勢いが大事?」
「そっ。勢いが大事」
そう言って、苦笑しあう遼と優子。
遼は先に今の質問をしたが、他に聞きたい事があった。
それは、今の自分の中にある気持ち。
それが一体何なのか、遼は誰かに教えてもらいたかった。
ただ一つ。可能性のあるものを聞く事にする。
「優子は――恋って、した事ある?」
「あたし? あたしはないなぁ。ほら、こういう性格だし。男子とも、友達って感覚でしか付き合えないんだよね。ちょっと、寂しかったりもするんだけど」
そう言って苦笑する優子。
「なになにっ? もしかして、遼好きな人いるのっ?」
「――わからない」
それが、遼の正直な気持ちだった。今まで恋などした事のない遼にとって、今の気持ちは未知のものなのだから。
「わからないって……」
「でも、気になる人はいるの。彼の事を考えると、彼と顔を合わせると、彼と話をすると、胸が苦しくなるの……」
「それって、恋じゃないの?」
「やっぱり、そうなのかな……?」
いまいち自信の持てない遼。
「あたしも恋愛経験ないから、はっきりと言えるわけじゃないけど……でも、それは恋だと思うよ?」
「…………」
だんだんと、遼もそんな気がしてくる。
自分が恋をしている。そう考えると、なぜだかおかしくなってきた。
他人を疎ましく思い、常に独りであろうとしていたはずなのに……
たった一人の少年の存在によって、今こうして友人をも作っている。
自分に訪れた変化を、自然と受け入れている。
(村野幸介)
「で、誰なの?」
心の中でその名を呟いた刹那に問われ、遼はドキリとする。
「ここまで言ったんだから、モチロン教えてくれるんだよね?」
「……言わなきゃ、ダメかしら?」
「ダメ」
「…………」
正直、遼としてはあまり言いたくなかったのだが……
「村野幸介」
フルネームで言う。
ふと、自分がフルネームでしか幸介の名を言った事がない事に気がついた。それもまた、おかしく思える。
「村野君かぁ……そう言えば、結構話とかしてたよね。どっちかって言うと、村野君から話しかけてたって感じだったけど……そっかぁ。遼、村野君の事好きなんだぁ」
「ちょっと優子。あんまり口に出さないでよ……」
「だって、今の遼があるのって、村野君のおかげでしょ?」
「!」
図星をつかれ、遼は一歩下がってしまった。
「村野君が話しかける様になってからだもん。遼の雰囲気が変わったのって」
「…………」
「村野君の存在は偉大だね」
「優子?」
少しだけ睨みつける様にし、優子の名を呼ぶ遼。
「ごめん、ごめん。でも、本当にそうだよ。あたし達も、村野君には感謝しないと。村野君のおかげで、遼と仲良くなれたんだから」
「優子……」
「あ、噂をすれば」
「え!?」
優子の言葉に、思わず声をあげ、その視線を追う遼。
空はオレンジ色に染まっている。
沈みかけた夕陽の見守る中、遼の視線の先には幸介がいる。
二人の視線は絡み合い、どちらからもそれを離そうとはしない。
「お邪魔虫は消えますかね。じゃね、遼」
そう言って、優子はスキップ混じりにその場を離れていった。
その声は聞こえていた。しかし、遼はそれに応える事が出来なかった。
胸の鼓動は高鳴り、幸介の事しか見えていない。まるで、世界に二人しか存在していないかの様な錯覚。
やがて、音さえも世界から消え、本当に二人だけになってしまうかの様な錯覚。
遼は、これが恋なのかなぁ。
なんて、頭の隅で考えていた。
こんなにも胸は逸っているのに、変に頭は冷静だ。
「綾瀬」
「村野君」
オレンジ色の空を背に、二人の声が重なった。
それはほんの偶然だった。
声が重なった事だけではなくて、二人が出会った事。二人が、同じ気持ちでいた事。
“会いたい”
その想いが、二人を巡り合わせたかの様に……
「…………」
「…………」
二人共、何を言っていいのかわからずにいる。その沈黙すら、気まずいものではなく、どこか柔らかな雰囲気を持っているかの様だ。
それでも、時は緩やかに過ぎていく。
「村野君」
遼が先に声を出す。幸介としては、ちょっと悔しい気持ちもあった。男として、先に声をかけるべきだった、と。
(見惚れてた、何て言い訳にもならないしな)
と、内心苦笑する幸介。
「な、何かな?」
少しだけ上ずった声で、幸介はそう聞き返した。
ついさっきまで高まっていた気分は、遼と顔を合わせた途端に収まっていた。とは言っても、胸の鼓動はより一層その速さを増しているが。
「……えっと、何でもない」
俯いて、呟く様に言う遼。
遼自身、そんな自分を罵りたくなっていた。
なぜ、何も言えないのか。否、その理由はわかっていた。
(怖いんだ……)
自分の気持ちが、そして自分という存在そのものが、気持ちをぶつける事によって拒絶されてしまう事が……
拒絶されると決まっているわけではない。それでも、答えがわからない以上、拒絶される可能性だってある。だから、遼は不安を感じずにはいられない。
また、その事によって幸介も不安を覚えていた。
遼の反応をどう受け止めていいのか、幸介には全くわかならなかったからだ。
そしてそれ以上に、自分の気持ちをぶつける事に、いざとなって臆してしまっている。
(俺って、ダメな奴だな……)
このままでは何も始まらない。それはわかっているのに、どちらも動く事が出来ない。二人共もどかしさを覚え、そして……
『あの』
再び、二人の声が重なった。
数瞬の沈黙。やがて、二人の口から苦笑が漏れる。
「えっと、綾瀬からいいよ」
「うぅん。村野君から」
「そうか? それじゃあ、遠慮なく」
何かが吹っ切れた幸介は、少しでも早く自分の想いを伝えたかった。だから、遼が何か言おうとしていたとしても、その後に聞けばいいと思った。もしかしたら、それを聞く事はなくなってしまうとしても……
「俺、綾瀬の事が好きみたいなんだ。こんな気持ち始めてだから、本当に好きなのかどうかわからないんだけど……でも、綾瀬の事、大切にしてやりたいって、守ってやりたいって思う」
告白としてはあまり良いものとは呼べないかもしれないが、それでも、それが幸介の正直な気持ちだった。
自分の気持ちを真っ直ぐにぶつけるくらいしか、幸介には出来なかったから。
「――――」
「綾瀬?」
「嬉しい……」
「え?」
「私も、多分村野君の事が好き」
幸介の耳には、遼の声以外の全てが入ってこなくなっていた。全ての神経が遼に向き、遼だけを感じている。
「私も、こんな気持ちになったの初めてだから、絶対とは言えない。でも――村野君の事を考えると、胸が苦しくなるの。村野君の事しか、考えられなくなる。それに――今、村野君に好きって言ってもらえて、すごく嬉しかった。だから、この気持ちは本物だと思う」
「綾瀬」
幸介は、再び遼の名を呼ぶ。
二人の気持ちは通じ合い、やがて絡みつく様に溶けていく。
幸介はそっと遼の身体を抱き寄せ、その唇をそっとふさぐ。
遼は何の抵抗もなく、それを受け入れる事が出来た。瞳を閉じて、幸介のなすままに……
二人は、しばらく口付けを続けた。
オレンジ色の空は暗みを帯びていて、夕陽は沈もうとしていた。
それはまるで、二人を世界から隠してしまおうとしているかの様に……