【杣径漫筆 巻之五 掻塚村小祠の事】
守屋竹叟著 嘉永三年自序
余古き宮や碑を訪ねて銘を写すを楽しみとす。掻塚村の杣道の傍らに小祠ありと聞き春の頃往きて見たり。
祠は高さ三尺に足らず。造り至つて麁にして板の継ぎ目は粗く銘も年記も無し。扉を開くに内に拳ほどの石ひとつと小石あまたあり。
小石は村の子らの仕業なりと云ふ。子らこの祠に石を入るるを遊びとして親たちも咎めず。祀る神の名を問ふに知る者一人も無し。いつよりあるかを知る者もまた無く最も年老いたる者すら幼き頃より朽ちてありきと言ふのみ。
この祠の傍らにて村の男死したる事ありと云ふ。一昨年と言ふ者あり三年前と言ふ者あり。柴を刈りに入りしまま帰らず次の日おなじく山に入りたる者の見出せしなり。
首と両の手足は胴を離れて二三間の内に散りてありき。切りたる様にはあらで継ぎ目より外れたるが如くなりきと云ふ。衣には破れ一つ無く二つの袖は空しかりきと。
村の者は狼の業ならんと言ふ。この後も柴を刈りに入る者は絶えず。
余この村にて写すべき銘一つをも得ず。徒らに往きて徒らに帰りぬ。
一、藤の花を見し事
帰るさ道の傍らに藤の盛りなるを見たり。棚に作らで高き木に掛かりたるが中々に見事なりき。
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【曉鐘新報 雑報】
明治四十年十月七日 切り抜き一葉のみ現存
●山中の惨死 豊嶋郡掻塚村の農須永某(五十六)は去る七日の夕、用ありて隣村に赴かんと村持ちの山林を抜くる杣道を取りしが夜に入りても着かず。翌朝捜しに出でたる村の者ども道の傍らに死しをるを見出せり。首と左右の手足は胴を離れて散りをりしが医師の検するに切り口に刃物の痕と認むべきもの無しと云ふ。懐中の紙入れはそのままにて物盗りの所為にあらず。現場は人家を距ること遠く傍らに何を祀るとも知れぬ古き小祠あるのみ。狼の類は当今この辺に絶えて久しく兇漢の業とせんも得物の知れざるは不審なり。要するに不可解の変事と云ふの外なく警察署の奮励を俟つ。




