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【ほんわかSF短編小説】あさひの画面の向こう側 ~えれこは今日も駆け抜ける!~

作者: 霧崎薫
掲載日:2026/03/23


第一章 おはよう、えれこ


パソコンの電源ボタンが押されるたびに、えれこは目を覚ます。


「んーっ、おはよう!」


えれこ——正式な名前は電子だけれど、みんなにはそう呼ばれている——は、ぐうっと背伸びをして、シリコンの廊下をぱたぱたと駆け出した。マイナスの電荷のせいか、歩くたびに髪がすこしふわふわと浮き上がる。青みがかった光をまとった、小さくてすばしっこい女の子だ。


廊下の向こうから、どかどかと地響きのような足音が聞こえてきた。


「えれこちゃーん! おはよー!」


陽子のポジくんだ。プラスの電荷を持つぽっちゃりした男の子で、えれこと正反対なのに、なぜかとても気が合う。


「ポジくん、またそっちから来るの? 引きつけられちゃうでしょ」


「だってえれこちゃんのことが好きだから!」


えれこは頬をぷくっとふくらませながらも、少しだけ顔が赤くなった。まあ、素粒子の世界では、プラスとマイナスが引き合うのは宇宙の法則なのだから仕方ない。


---


第二章 CPUおじさんのところへ


今日のえれこの仕事は、CPUおじさんへの伝言役だ。


CPUおじさんは、パソコンの心臓部にある大きな広場——コアという名の四つの部屋を行ったり来たりしながら、いつも忙しそうにしている、白髪交じりの働き者だ。


「CPUおじさん、おはようございます! 今日もあさひさんが使いますよ」


あさひさんというのは、このパソコンの持ち主の女子大生だ。


「おう、えれこか。ありがとな」CPUおじさんはにかっと笑って、額の汗をぬぐった。「今日はレポートか? 卒論か?」


「たぶんYouTubeです」


「……そうか」


CPUおじさんは少し遠い目をしたが、すぐに気を取り直してコアの部屋を暖め始めた。それが彼の仕事で、誇りだった。


「えれこ、帰りにメモリのメモコさんに寄っといてくれ。最近なんか元気なさそうでな」


---


第三章 メモコさんの悩み


メモリモジュールに住むメモコさんは、とても記憶力がいい——というより、記憶することが仕事なのだから当然なのだけれど——几帳面でちょっとおっとりした女性だ。ただ、電源が切れると記憶をすべてなくしてしまうという、少し切ない体質を持っている。


えれこが会いに行くと、メモコさんは棚の整理をしながら、はあ、とため息をついていた。


「どうしたんですか、メモコさん」


「ねえ、えれこちゃん」メモコさんはすこし寂しそうに言った。「あさひちゃん、昨日の夜ね、このパソコンの前で泣いていたの。就活がうまくいかないって。私、ちゃんとそのページを覚えていたのよ。エントリーシートのこと、企業研究のこと、全部。でも——」


「電源が切れたら、忘れちゃうんですよね」


「そう」メモコさんはやわらかく微笑んだ。「でもね、えれこちゃん。忘れても、いいのかもしれないって、最近思うの。私が覚えていた間だけでも、あさひちゃんのことを一緒に考えられたんだから」


えれこは、胸のあたりがじんわりと温かくなるのを感じた。


---


第四章 ヒッグスさんの通過


そのとき、廊下をふわりと横切る影があった。


「あら、えれこちゃん」


ヒッグスさんだった。


ヒッグスさんは、素粒子の中でもちょっと変わった存在で、宇宙のどこにでもふわふわと漂っている。パソコンの中にもときどき通り抜けてきては、えれこたちに「質量」というプレゼントを置いていく。つかみどころがなくて、でもどこか温かみのある、不思議なおじいさんだ。


「久しぶりですね、ヒッグスさん! どこから来たんですか?」


「どこから、というのは難しい質問じゃな」ヒッグスさんはにこにこしながら、半透明の体でメモコさんをすり抜けた。「わしはいつでもどこにでもおる。あさひちゃんのことが心配でな、ちょっと様子を見にきたんじゃ」


「ヒッグスさんもあさひさんのこと知ってるんですか?」


「もちろん。あの子が初めてこのパソコンを触った日から、ずっとわしはここを通っておる。あの子は泣いたり笑ったりを繰り返して、それでもキーボードを叩き続けておる。ええ子じゃよ」


ヒッグスさんはそう言って、また壁をすり抜けて消えていった。


「またね、えれこちゃん」


その声だけが、廊下にやさしく残った。


---


第五章 GPUのグラフィさん


午後になると、あさひさんは気分転換に動画を開いた。


すると、パソコンの中が急に賑やかになった。


GPUのグラフィさんが起動したのだ。


グラフィさんはえれこよりずっと背が高く、派手な衣装をまとった、エネルギッシュな女性だ。並列処理が得意で、いくつもの仕事を同時にこなしながら、ケラケラと笑っていた。


「えれこー! 今日はあたしの番よ! どいてどいて!」


「わかってますよ、グラフィさん」


えれこは苦笑しながら道を譲った。グラフィさんが走り出すと、映像がなめらかに流れ始めた。あさひさんが好きな猫のチャンネルだ。


グラフィさんは、働きながらもちらっと外——モニターの向こうのあさひさんの顔——を見て、ふふっと笑った。


「あ、笑った。猫見て笑ってる。よかった」


えれこも同じ方向を見た。画面の向こうで、あさひさんが猫の動画を見ながら、くすくすと笑っていた。さっきまで泣いていたのに。


「グラフィさんのおかげですよ」


「あたしだけじゃないわよ。CPUおじさんも、メモコさんも、えれこも。みんなで動かしてるんだから」


---


終章 夜のパソコン


深夜、あさひさんはまたパソコンを開いた。


今度はエントリーシートではなく、ひとつのメモ帳ファイルだった。


『今日もうまくいかなかったけど、なんか猫動画見てたら少し元気出た。このパソコン、なんか好きだな。古いのに、ちゃんと動いてくれるから』


えれこはその文字を読んで、目がうるっとした。


「ちゃんと届いてるじゃないですか」


CPUおじさんも、メモコさんも、グラフィさんも——みんながその一文を見て、静かにうなずいた。


ヒッグスさんは今夜もどこかをふわふわと通り過ぎながら、きっと微笑んでいるはずだ。


パソコンの中で、電子たちは今日も走り続ける。


あさひさんの明日が、少しだけ明るくなるように。



(おわり)


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― 新着の感想 ―
良いお話ですねえほろり。そういえば近頃は猫動画にでも逃避する他ないような、それはパソコンのせいじゃないと分かっていても中の人らにこんな思いをさせていたのならとか、やはり生産的作業のほうがやりがいがとか…
2026/03/23 17:30 ともに願おう
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