六・恋をした
「そうね、公爵方はね。それで? あなたは? ――って、聞くのも野暮な気がする」
ハリエットは、ぐるりと部屋を見回した。
現在、わたしの部屋にいくつもの花瓶があり、そこに飾ってあるのは真っ赤な薔薇ばかりだ。
家中の花瓶が必要な感じである。
「これ全部、ヴィンセント様からよね?」
「ええ。もういらないって言ったから、これ以上は増えないと思うけど」
わたしは、成長したヴィンセントに嫌われているのかと思っていた。
どうやら、そうではなかったらしい。
ヴィンセントは、わたしを見ると、わたしと目が合うと、それだけで恥ずかしくてどきどきして、どうしていいのかわからなくなるのだと、白状した。
もしかしたら、それは伝染するものなのかもしれないと、わたしは思いはじめている。
ハリエットに聞けば、わかるだろうか。なんといっても、彼女は婚約をすませているし、結婚式も控えているし、きっとこの症状の経験者だ。
「あのね、ハリエット。少し聞いてくれる?」
「なあに、改まって。まさか、まだヴィンセント様が何かしていることがあるの?」
「ヴィンセントがどうというのではないというか……。この間から、おかしいのよ、わたし」
「おかしい?」
そうなのだ。この間から、わたしは少しおかしい。
「ヴィンセントの顔が、まともに見られないのよ。なんだか、どきどきするの」
ひとが真剣に相談しているというのに、ハリエットはものすごーく生暖かい目をわたしに向けた。
「それはあなたが以前言っていたように、単純に恋愛感情なんじゃないの?」
「でもっ。ずっと弟みたいに思っていたのよ? なのに、あの子は、わたしよりずっと大きくなって、素敵な紳士になってっ。頭をよくなでていたけど、あんなに綺麗な陽だまりみたいな金髪だったかしら。目も、春の森みたいな新緑で素敵で。子犬みたいな表情だったはずなのに、あんなに凛々しいなんておかしいわ!」
「……」
「なんとか言ってちょうだい、ハリエット」
「……二十歳にもなる立派な淑女が愉快なこと」
「わたしはちっとも愉快じゃないわ」
親友にあしらわれて軽く頬を膨らませていると、ケイリーが取り次ぎをしてくる。
「お嬢様、ヴィンセント様がお見えです」
ハリエットはさっさと立ち上がった。
「来るとは聞いていたけど、予定より早いわね。仕方ない。それじゃあ、わたしは失礼するわ」
「え、ハリエット」
「初恋でしょ。楽しめばいいのよ」
「………………は、はつ――!?」
「また来るわ。そのときに詳しく教えてもらうから」
ウインクして出て行った友人と入れ替わるように、ヴィンセントが姿を現す。
ハリエットの言い残した『初恋』に動揺しつつ、わたしはヴィンセントをちらっと見る。
薔薇は持っていない。
花は好きだし嬉しいけど、そろそろ飾る場所に困る。
そういえば、先日は執事が案内したのは応接室だったはずだ。
このところ、ヴィンセントは以前のように、私室にやってくるようになった。
未婚の令嬢の私室に男性を入れるのはどうなのだろう。
今まで考えたこともないことを、わたしは考えた。
次からはやっぱり応接室に通してもらったほうがいいのだろうか。
でも、お互いの私室には何度も出入りしているのに、どうして今更、そんなことが気になるのだろう。
少しだけドアを開けたまま、お茶の支度をして、ケイリーは静かに部屋を出ていった。
最近、ヴィンセントはわたしを好きだと全身全霊であらわすようになった。
正直、そんなに好かれているとは、思ってもいなかった。
『横からかっさらわれる可能性を考えた結果だ』と、ヴィンセントは言った。
舞踏会や夜会で一曲踊ったあと、別行動だった説明もしてくれた。
他の男性とダンスをして欲しくなかったけど、そんなことを言えば心の狭い男だと嫌われる。せめて楽しそうに踊っている姿をなるべく見ないように、別の場所に移動していたのだそうだ。
でも気になって、しょっちゅう視線で追っていた。それがブレインチ公爵にばれているとは思わなかったと、悔しそうにうめいていた。
薄茶色の上着と少し濃くした色合いのベストとズボンは涼しげで、すらりとした体型によく似合っている。
格好いい――そう認識した瞬間、どきどきが止まらなくなった。
ヴィンセントはまっすぐ向かってきて、上着の中から――内ポケットに入れていたようだ――細長い箱を取り出して、わたしに差し出してくる。
「薔薇はもういらないって言われたから、これを」
わたしはがんばって平静を装った。
「ヴィンセント。わたしに、そんなに気をつかわなくてもいいのよ?」
「気をつかっているんじゃないし、プリシラにだから贈るんだよ。今までろくにプレゼントを渡したことがなかったから……。こういうのは、ちゃんとしたほうがいいと思って……」
ごにょごにょ言っているけど、誰かの入れ知恵だろうか。
学園時代の友人にさんざんアドバイスを受けていたと、その様子を目撃したアルボン様経由で情報が届いている。
だとしても、わたしのためにそうしてくれていることが、なんだかくすぐったい。
「開けてもいい?」
「もちろん」
細いリボンまで結んであって、ちゃんとした贈り物だ。
丁寧に包みを開くと、中にあったのは、透明なガラスにライトグリーンの螺旋模様が入っている綺麗なガラスペンだった。
「まあ、素敵ね」
「こういうの、集めていただろう? ペンとか便箋とかしおりとか。だから喜ぶかなと思って」
「ええ、とっても嬉しいわ!」
わたしの趣味を覚えていてくれたことと、それを贈ってくれたことが、とても嬉しい。
光に透かしながらペンを眺めていると、すっと取り上げられた。
「ヴィンセント?」
わたしが首を傾げると、ヴィンセントはペンを箱に戻してテーブルの上に置いてから、わたしの真横に座る。
近い。
「プリシラ」
それからヴィンセントは、わたしの両手を包むように持ち上げて、そっと唇を寄せる。
わたしは慌てて手を引き抜こうとしたけど、絶妙な力加減で握られていてそれがかなわない。
そして、ヴィンセントがわたしに視線を合わせる。
わたしは息を呑んで、目を逸らした。
「喜んでもらえてうれしいけど、ペンよりぼくを見て欲しい。プリシラに慣れたいんだよ」
「な、慣れたいも何も、幼馴染でしょう」
「三年間は違った。前から可愛かったけど、この三年でプリシラがこんなに可愛くなるなんて反則だし、だからぼくはどうしたらいいのかわからなくて、あんなひどい態度になったんだよ。本当に反省している。何度でも謝る」
「その、件は、だ、大丈夫だから。色々と説明してもらったから。わたしも、アルボン様とはふりだったって、教えたでしょう?」
「聞いたよ。ぼくとプリシラの間の感情にこんなに温度差があることに気が付かなかったなんて、一生の不覚だよ」
ヴィンセントはぐうっとうなって続ける。
「ぼくに嫌われてるとかぼくが不機嫌だとか、セオドーラ嬢はぼくが好きだとかぼくも彼女を好きになるとか、わけのわからない誤解をプリシラがして、それで公爵に求婚まがいなことをされることになって……ッ」
ヴィンセントがセオドーラ様に、『本当はヴィンセント狙いなのではないか』というわたしの懸念を直接尋ねた際――それもどうかと思うけど――、彼女は思いっきり否定したのだそうだ。
そしてブレインチ公爵の素晴らしさを延々と聞かされたと、ヴィンセントは少しげんなりしていた。
この計画は失敗だと思い、さらにアルボン様がわたしに求婚するつもりだと知って、セオドーラ様は地の底まで落ち込んだ。
ヴィンセントも動揺したものの、わたしの誤解をどうするか考えつつ、まずセオドーラ様をどうにかしようと思ったのだ。
自分のことよりセオドーラ様のことを優先したヴィンセントが、ちょっと誇らしかった。
ユー伯爵家の舞踏会に、アルボン様とわたしが出席するとわかっていた。
ちなみに、セオドーラ様はなるべくブレインチ公爵様と同じ夜会に出席するようにしていたし、ブレインチ公爵様もセオドーラ様が出席する夜会には絶対に行くようにしていたようだ。
ともかく、そこで、きちんと気持ちを伝えるべきだと、ヴィンセントはセオドーラ様にはっぱをかけた。
セオドーラ様が言うように素晴らしい人物なら、断るにしても、ちゃんと受け止めてくれるはずだから、と。
そのタイミングを計りつつ、わたしたちの後をつけてきた結果、アルボン様がわたしに求婚する場面を目の当たりにする羽目になったのである。
蒼白になって泣きながら逃げ出したセオドーラ様は、建物に入る直前にアルボン様につかまった。
そしてようやく、お互いの気持ちを知ることになる。
あれはヴィンセントにしても、青天の霹靂のような現場だったそうだ。
ブレインチ公爵様に――誰であろうと譲る気などさらさらなかったヴィンセントは、勢いのまま、わたしにプロポーズしたのである。
嫌われていないのであれば、それは予定通りであり、わたしに否やはない。
そうしてあのとき、わたしは笑いながらうなずいたのだ、が。
背景の夜空には星が散らばっている。蝋燭の灯りがゆらゆらと影を揺らす。
そんな世界で見上げたヴィンセントが、わたしを見下ろすヴィンセントが、知らない男性に見えたのだ。
わたしよりずっと高い身長、わたしをすっぽり包む体格、わたしを見つめる瞳。
思い出したら、なんだかまたどきどきしてきた。
そして、わたしの手を包んでいる彼の手の大きさを、はじめて知った。
「昔のプリシラは知ってる。ぼくはいまのプリシラに慣れたい」
「ちょ、ちょっと待って」
今日のわたしの装いは、深緑色のパイピングのある小花模様のドレスだ。髪は緩いみつあみで新緑色のリボンを編み込んでいる。
来客を迎えるためでおかしくはないと思うけど、ヴィンセントの好みはどんな感じなのだろう。
できれば、ヴィンセントに好ましいと思って欲しい。
そう思った自分の心に、先程のハリエットの言葉が浮かぶ。
それから、わたしは深呼吸を一つ。
そしてゆっくり、ヴィンセントと目を合わせた。
とろけるような笑顔で、わたしを見つめてくる新緑の瞳。
ケイリーが今日も――いつも選んでくれるリボンと同じ色だ。
わたしの専属侍女は、とても有能である。
両家での話はとっくについている。
婚約が遅かったのは、結婚することが既定路線だったからだ。
いずれはヴィンセントと夫婦になると、わたしも思っていた。
熱烈な愛や甘酸っぱい恋とは無縁に、家同士の結びつきのための、友人のような夫婦になるのだと思っていた。
「大好きだよ、プリシラ」
みるみる頬に熱が集まるのがわかる。
わたしとヴィンセントは、恋愛結婚になりそうだ。
最終話となります。
ここまでお読みいただきましてありがとうございました。
セオドーラ視点、ヴィンセント視点の短編を書きたいと思っているんですが、予定は未定(^-^;
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