四・ゴシップ新聞を見た
翌日、昼食前のことである。
食堂に行く前に、家族用の居間のドアが開いていたので少しのぞくと、両親が額を突き合わせるようにテーブルに屈みこんでいた。
「お父様、お母様? どうかしたの?」
二人ははっと顔を上げ、お父様はばさばさっと新聞を片付けた――握りしめてくしゃくしゃになっている。
それはいくつか購入している新聞のうちの、社交界新聞――つまり、ゴシップ新聞だ。
くしゃくしゃになってお父様の手にあるけど、見出しの部分が読めた。
『ウィロウ侯爵令息はトリヤ男爵令嬢に夢中!』
わかりやすい。
それにしても、これはやっぱり、ふりではすまないのではないだろうか。
「そ、そんな記事、気にすることはないわよ、プリシラ」
お母様は、わたしと同じ焦げ茶色の髪を結い上げ、シンプルなドレスを品よく着こなしている。我が母ながら、細身で舞うような動作が優雅だと思う。
「ああ、そうだとも! おまえは何も気にしなくていい!」
お父様は、わたしと同じ焦げ茶の目を怒らせているものの、丸顔であり、本来穏やかな性格なので迫力に欠ける。
昨夜はハリエットにも同じようなことを言われた。
わたしは友人や両親に愛されていると実感しながら、安心させるべく明るく笑って見せた。
「ええ。別に、気にはしていないから、大丈夫よ」
「え、そうなの? でも、ウィロウ家にちょっと連絡をしても」
「いいわよ、お母様! こんなゴシップ、珍しいことでもないでしょ。そんなに大騒ぎしないで、ね?」
わたしは慌てて止めた。
ウィロウ侯爵家に連絡されては面倒だ。
他の誰かからの連絡ならゴシップや噂話ですむだろう。
けれど、うちからはまずい。我が家が――わたしが、気にしていると思われてしまう。そうなれば、侯爵夫妻もヴィンセントに問いただすだろう。
わたしは気にしていない。
ふりなら気にする必要もない。
二人が本気になっているのなら、気にしても仕方がない。
そしてその日の午後、ぎりぎりマナー違反にならない早い時間に、ヴィンセントが訪問してきた。
執事が応接室に通したので、お茶の用意をしてもらってから、人払いをする。
ケイリーがものすごく渋々出ていったし、お母様とお父様はヴィンセントを射殺しそうな目でにらんでいた。
そして二人きりになったとたん、ヴィンセントはわたしを見て、さっと目を逸らす。
「プリシラ。あの記事は気にしないで欲しいんだ」
わたしは紅茶に口をつけてから、うなずいた。
「ええ、気にしていないわ。だからあなたも、わたしのことは気にしなくて大丈夫よ?」
「……どういう意味?」
「ふりがふりじゃなくなっても大丈夫よ、っていう意味よ?」
「ふりがふりじゃ――……。そっ! そんなことあるわけないだろう!?」
「しーっ」
突然声を上げたヴィンセントを、わたしは低くたしなめる。
そしてドアの外側をうかがうものの、とりあえず動きはなさそうだ。
わたしがほっとすると、ヴィンセントは改めて声を落とした。
「ふりだよ! 知ってるだろう!?」
「ええ、そうね。でも、セオドーラ様は、ふりじゃなかったのかもしれないでしょう?」
わたしの言葉を飲み込むのに、少し時間がかかったようだ。
「は?」
「だから。セオドーラ様は本当にあなたが好きで、がんばっているのかもしれないじゃない。ダンスのとき、わたし、にらまれた気がするもの」
「そ、そんなの気のせいだよ。だって彼女には、好きな人がいるんだから」
「それは誰か、セオドーラ様に聞いたの?」
「もちろん、聞いたよ。ぼくじゃない」
わたしには教えてくれなかったけど、ヴィンセントには教えたようだ。
お互いが協力者だからだと思えば納得がいくものの、それが真実だとは限らない。
「本当に?」
「本当だよ」
わたしの問いの意味が伝わっていない。
この子は、なんというか素直すぎるというか、疑うことを知らないというか、男女の駆け引きにうといのだろうということがよくわかった。
わたしだってそれほど詳しいわけではないけど、少し考えを巡らせば思い至る。
それともわたしがうがった見方をしすぎているのだろうか。
軽く首を振って、わたしはヴィンセントに言った。
「そうではなくて。セオドーラ様が、嘘をついているのかもしれないでしょう?」
「嘘? なんのために?」
「本当に好きなのはあなたで、あなたの気を引きたくて、別人の名前を言っているのかもしれないでしょう? そして、この計画を立てたのかもしれないわ」
ヴィンセントは目を見開いて、わたしを見つめ、顔を赤くする。
怒ったのだろうか。
「そ、んなこと、ないよ」
それでも思い当たる節があるのか、不安になったのか、ヴィンセントの声は小さくなっていく。
「セオドーラ様はとても綺麗だし、あなたが惹かれるのも無理はないのだから。もしそうなったとしても、わたしのことは気にしないでいいのよ」
そうわたしが言うと、ヴィンセントは急に立ち上がった。
「彼女に確認する」
「え、ちょっと」
やめておきなさいと、言ったわたしの声は届いていないだろう。
直接本人に聞いたところで、最初からヴィンセント狙いだったと認めるわけがない。
それとも認めるだろうか。ヴィンセントは、その気持ちにどう反応するだろう。
二人が両想いなら、わたしが家族に説明をして、ちゃんと認めてもらえるように説得しよう。
そんなことを決意して、せっかくだからと、そのままわたしは紅茶を飲んで、出されていたクッキーをつまんでいた。
すると、ややも経たないうちにブレインチ公爵様が訪問してきたのだ。
息子の友人とはいえ、両親はかなり驚いている。
ダンスを踊った翌日の訪問は、求婚検討中ということになるからだ。
わたしは特に驚かなかった。
アルボン様がわたしに結婚を申し込むことはないだろう。
そんな気があるのなら、昨夜の舞踏会でなにがしかの言葉があったはず。
だから、本当に散歩の相手を求めているか、他に何か用件があるかの、どちらかだと思う。
浮足立っているような両親にそつのない挨拶だけして、アルボン様はわたしを散歩に誘う。
断る理由もなかったので、わたしは出かけることにした。
ライムグリーンのドレスに同じ色の帽子をかぶり、アルボン様のエスコートで近くの王立公園をのんびり歩く。
シーズンがはじまる頃は厚手の上着が必要だったけど、終わりが近づく頃には薄手のドレスに涼やかな色合いとなってくる。
今日はお天気もよく、散歩日和だ。
そこここで、紳士淑女が昼間の社交を繰り広げている。馬車でデート中のカップルもいるし、ただベンチで話し込んでいる年配の淑女も見える。
わたしたち――というより、アルボン様が顔見知りから挨拶を受けながら歩くので、進み具合はかなりゆっくりしたものだ。
「これではきみとの会話もままならないな。プリシラ嬢。ボートに乗らないか? もし水が怖いのならどこかの個室のあるカフェでもいい」
「水は怖くはありませんけど、わたし、ボートを漕ぐのは下手ですよ。まっすぐ進まないのです」
一瞬驚いた顔をしてから、アルボン様がふっと噴き出した。
「すまない。きみにボートを漕がせるつもりはないよ。いったい誰と乗ったときの話だ? パーシバル?」
「いえ。ヴィンセントが」
「あの若造は、レディにボートを漕がせるのか?」
珍しく怒った声音になったので、わたしは慌てて付け足した。
「ち、違います。もう数年前の話です。わたしが漕ぎたいと言ったのです。お兄様もヴィンセントも、簡単そうに漕いでいるし、わたしにもできると思って。でも、ぐるぐる同じところを回転するばかりでした」
一緒に乗ってくれていたヴィンセントは、回転するボートにはしゃいで大笑いして、結局、ヴィンセントが漕いでくれたのだ。
あれ以来、絶対に一人でボートに乗ってはいけないと、お兄様とヴィンセントに言いつけられている。
それからすぐ、アルボン様の見事なオール捌きで、わたしたちは、湖の上のボートの中で、二人きりになった。
どのボートからもほどよく離れ、声が届かない。
そこで、アルボン様が口を開いた。
「プリシラ嬢。こんなことを相談するのも失礼かと思うのだが、聞いて欲しい」
「うかがいますわ」
わたしはうなずく。
訪問の目的は散歩の相手を求めてではなく、他の用件――相談事だったようだ。
「ですけど、わたしでお役に立てますか?」
「ああ、もちろん」
そして、アルボン様は少し言いよどんだ後、続けた。
「その、パーシバルは彼とは年が離れているし、聞きにくいというか……。あー、ヴィンセント・ウィロウは、どういう男だろう? 先程の話といい、幼馴染なら、よく知っているのだろう?」
「ええ。えっと」
なぜ急に。
その疑問が声と表情に出ていたのか、アルボン様が理由を告げる。
「セオドーラ嬢は、十年ほど前から知っている令嬢なんだ。その、できれば幸せになって欲しい。素直で愛らしい素晴らしい令嬢なんだよ」
わたしは、まず当たり障りのなさそうなことを口にした。
「ヴィンセントは、侯爵家の一人息子で、厳しく育てられました。ですけど、彼のご両親は仲がよく、家族仲も良好です。素行が悪いという話は聞いたことがありません。学園時代はあまり会わなかったのでこの数年はわかりませんけど」
「ありがとう。そうか。いや、そうだね。おかしな男ではないのだろう」
ヴィンセントの情報が欲しかったわけではないのだろうか。この程度のもので納得してしまうのか。
ブレインチ公爵家が本気で情報を集めれば、わたしの知らないヴィンセントの情報とて簡単に詳細が手に入るはず。
「優秀だという話は知っているんだ。学園では剣術と経済学の成績が特によくて、卒業後は父君の侯爵について領地の経営を学ぶと聞いた。身分に関係なく人当たりもいいし、友人も多いと」
「……はあ」
すでに、わたしよりよほど詳しい。
アルボン様は、なんとなくそわそわしている。
ボートは他のボートの波に揺られて流れていく。
「プリシラ嬢」
「はい?」
「正直に言おう。わたしは、セオドーラ嬢に恋をしている」
「まあ」
アルボン様の潔さに対して、そう言う以外に言葉はない。
けれどセオドーラ様には慕う相手がいるのだ。これは、教えてあげるべきだろうか。それとも黙っているほうがいいのだろうか。
――わたしの秘密ではないのだ。勝手に言うわけにはいかない。
そもそも、その相手がヴィンセントかもしれない。ふりがふりでないという可能性の話を、本人としたばかりだ。
アルボン様が気にするほど、二人の恋人のふりは真に迫っているということだろう。
やっぱり、少なくともセオドーラ様は、ふりではないのかもしれない。
「……パーシバルに決闘を申し込まれるような、きみの名誉を傷つけてしまうかもしれないお願いだから、断ってくれても構わない。それでも、できれば、協力して欲しいことがあるんだ」
アルボン様は、わたしにそう頭を下げた。




