一・貸してくれと頼まれた
設定ゆるゆるですので、広い心でよろしくお願いいたします。
事件は特に何もない、のんびりのほほんとしたお話です。
全6話になる予定です。
新緑が芽吹く春から、強い日差しの注ぐ夏に季節は移りつつあった。
あとひと月と少しで、今年の社交シーズンも終わる。
クインシィ伯爵家の娘であるわたし――プリシラ・クインシィの、三度目の社交シーズンが終わりかけているということだ。
また来年の春まで、おそらく王都に来ることはない。
この国の貴族は、秋と冬は基本的に領地で過ごす。
その本邸で、狩りを楽しんだり、数日間にわたりホームパーティをしたりといった社交に精を出すのだ。
というわけで、領地のほうではなかなか入手しにくい綺麗なペンや便箋といった文具類や、侍女の希望でわたしを飾るためのレースやリボンといった細かい物を見ようと、王都の大通りに並ぶ店を眺めていた。
ドレスを仕立てたり、貴金属を選んだりするのなら、邸まで商人に来てもらうことがほとんどだけど、わたしはウィンドウショッピングがわりと好きだった。
領地にも街はあり店ももちろんあるけど、やはり王都の品揃えと流行には及ばない。
馬車を降り、三軒目の店に向かって歩いているとき、付き添い役でもある侍女のケイリーの動きが、ふいに強張る。
「プ、プリシラお嬢様、あちらに参りませんか?」
そう言いながら、わたしの腕を取り、引っ張って行こうとする。
正直、教育された侍女の取る振る舞いではない。
わたしより三歳年長のケイリーは、どこに出しても恥ずかしくない侍女で、この五年ほどわたし専属の大切な存在である。
そのケイリーがこんな行動を取るということは――。
わたしはケイリーの視線を追って背後を見た。
見目麗しい男女が仲睦まじげに歩いている姿が目に入る。
女性のほうは、トリヤ男爵令嬢セオドーラ様。わたしより二歳年下で、今年十八歳になるはずだ。まっすぐ伸びたプラチナブロンド、透き通った水色の瞳、すらりとしつつもめりはりのある体つきの、女神のような美女である。
男性のほうは、ウィロウ侯爵令息ヴィンセント・ウィロウ。セオドーラ様より一歳年上。金色の髪と新緑の瞳で、人懐っこい顔をしているはずだ。中肉中背――かと思っていたけど、平均より少し背が高いだろうか。
ちなみに、ヴィンセントは、わたしの幼馴染であり、婚約予定者である。
我がクインシィ伯爵家とヴィンセントのウィロウ侯爵家では、暗黙の了解のように結婚するものと考えているけど、正式な署名は済ませていない。
むしろ、それでよかったのではないかと思う。
二人はわたしに気づかなかったのか、そのままドレスショップに入っていった。
それを見送ったわたしを、ケイリーが恐る恐るうかがってくる。
「……お嬢様? あの」
「大丈夫よ、ケイリー。さあ、行きましょう」
安心させるように笑顔でそう言って、また歩きだした。
そう。わたしは大丈夫。
だって、あれはお芝居なのだから。
そして、お芝居でなくても、大丈夫。
そもそも、婚約予定であって、婚約者ではない、ただの幼馴染なのだから。
◇ ◇ ◇
あれは、二か月ほど前。
シーズンが始まってしばらく経った頃。
ヴィンセントのエスコートで出席していた舞踏会でのことだった。
この国では、貴族や富裕層の令息の多くは、十六歳から十八歳まで王立学園に通う。
ヴィンセントも御多分に漏れず学園に通っていたのだけど、その三年間、わたしたちはタイミングが合わず、まともに会うことがなかった。
シーズンの開始は、学園の卒業試験も終わり、卒業式を待つばかりの頃だったので、本格的に参加しはじめている令息もいる。
今年のヴィンセントもその一人だ。
他の国では未婚の女性は男性のエスコートが絶対に必要というところもあるようだけど、この国ではそれほど厳しいパーティは少ない。
まあ、それでも、たいていは父親なり男兄弟なりがその役目を果たす。
わたしも去年と一昨年はお父様がエスコートをしてくれたけど、今年は最初からヴィンセントが務めてくれていた。
ただ、ほぼ三年振りに顔を合わせてから、ずっとヴィンセントが不機嫌なのである。
あまり目を合わせてくれないし、会話も少ない。
わたしより一歳年下――今年十九歳になるヴィンセントは、わたしのあとを追いかけていた元気な男の子ではなくなってしまったようだ。
正直寂しいけれど、仕方がない。これが成長というものなのだろう。
卒業式前で少し神経質になっているのかとも考えていた。
けれど、卒業式が無事に済んでもこの調子で、この舞踏会が三回目のエスコートとあっては、さすがにわたしも物申したい。
笑顔で、思いやりとほんの少しの不満を込めて、伝える。
「ヴィンセント。無理にエスコートしてくれる必要はないのよ。嫌なら断ってちょうだい」
「――嫌だなんて、言ってない。嫌なら、そもそもエスコートなんかしないよ」
馬車の中で、頬杖をついて、よそを向いたまま、言う。
とても、嫌じゃない、という態度ではない。
ウィロウ侯爵夫妻かうちの両親に、強制でもされたのだろうか。
婚約するのだからエスコートするのは当然、とか。
そのため、不機嫌なのだろう。
ということは、ヴィンセントはわたしとの婚約が嫌ということだ。
婚約が嫌ということは――他に好きな人がいるのかもしれない。
学園は男子校だから、友人の姉妹とか、その紹介とか、どこかで出会いがあったのだろう。
わたしはそんなことを考えていたし、ヴィンセントは口をきかない。
無言のまま馬車は会場につく。
ヴィンセントのエスコートは、礼儀作法という点では完璧だ。
馬車の乗り降り、歩調は女性に合わせて移動、主催者への挨拶、顔なじみと軽く談笑。
一曲目のダンスはエスコート相手と踊る。
その後は、ヴィンセントはすぐに知人たちのところに行ってしまい、他の女性と踊ってみたり、部屋を変えてカードゲームをしてみたりして、帰る時間の頃にわたしを迎えにくる。
だからわたしもわたしで、好きに過ごしていた。
あの晩も、ヴィンセントとダンスを一曲踊ったあと、三人の紳士と踊って、休憩をしているところだった。
軽食が用意されている部屋で、レモネードを飲んでいると、ある令嬢に声をかけられた。
「はじめまして。トリヤ男爵家のセオドーラと申します。クインシィ伯爵令嬢プリシラ様。お声がけする無礼をお許しください」
軽やかな挨拶に見えたけど、青いレース飾りのついたオフホワイトのドレスをつまむ彼女の指先が小刻みに震えていた。
紹介もなく、身分の下の者から声をかけることは無礼である――以前はそういうルールだったようだけど、大御所以外は、今はそれほどうるさく言う人もいない。
「構いません。どうぞ気楽になさって。声をかけてくださって嬉しいです」
「ありがとうございます」
明らかにほっとして、セオドーラ様は微笑みを浮かべる。
それはまさしく女神の微笑みだった。そして声まで心地いいなんて、神様はひいきが過ぎる。
セオドーラ様は今年のデビュタントで、シーズン初めから人気の令嬢だ。
男爵家とはいえ、領地の経営がうまく資産家だと聞く。その持参金とこの麗しい外見があれば、結婚相手はよりどりみどりだろう。
美人すぎてなかなか話しかけにくい雰囲気かつ男性陣に囲まれていることが多いので、いささかならず嫉妬が混じる女性陣とは親しげにしているところをあまり見たことがない。
わたしに一体なんの用だろうと訝しりつつ、壁際に移動して椅子に座ると、そこで彼女は身を乗り出した。
「プリシラ様。ぶしつけながら、お願いがあるのです」
「はい?」
そうしてセオドーラ様が、わたしに迫る。
「あの。わたくし、好きな方がいるのです。でも、その方は、なかなか、わたくしに振り向いてはくださらなくて……」
「はあ」
どこの誰だろう、この美女に振り向かないとは。
「なので、わたくしに、求婚者が現れれば、少し焦ってくれるのではないかと思って……」
「はあ」
確かに、ライバルが現れれば、焦るかもしれない。
その前提として、彼女に好意を持っていなければいけないのだけど、少なくともこの美人に好意を持たない男性はそういないだろう。
「正式な婚約者がいる方にはお願いしにくくて、その」
「はあ」
ということは、婚約者がいない人にはお願いしやすい案件、とはなんだろう。
「ですから、わたくしに、ヴィンセント様を貸していただけませんか? あなた方は婚約者だと思っていたのですけど、違うと先程おうかがいして。お二人が恋人同士だというのは承知しているのです。なのでお礼はできるかぎりいたしますし、ご迷惑はなるべくかけないよう――」
「はあ――待ってください」
貸し借り云々もいかがなものかとは思うけど、それだけ必死なのだと思えば気持ちはわからなくもない。
わたしが訂正したいところは、そこではなかった。
「わたしとヴィンセントは、恋人ではないです」
「え? でも、いつもヴィンセント様がエスコートをなさっていますよね?」
「幼馴染で気安いからです。家同士は結婚させたいようですけど、おっしゃる通り婚約はしていませんし、恋人でもありません」
「そ、そうなのですか?」
セオドーラ様は少し困ったように手を頬に添えて、一瞬だけ目線を会場のほうへ向けた。
わたしはそのままにこやかに続ける。
「ええ。なので、わたしにそのお願いをするのは、的外れです。直接ヴィンセントにおっしゃってくださればよろしいですよ」
「そ、そうなのですね。実は、あなたがいいと言えば、ふりをしてくれるとヴィンセント様はおっしゃったのです。では、ヴィンセント様に恋人のふりをしていただきたいと思うのですけど、あの――」
「他言はいたしません。これは、信じていただくしかありませんけど」
先回りして約束する。
そして、気になるのでこれだけは聞いておきたい。
「ちなみに、その片思いのお相手はどなたなのでしょう?」
セオドーラ様は、目に見えて動揺した。豊かな胸の前で手を組み、頬を染め、目を伏せる。
「その、こんなお願いをしておきながら申し訳ないのですけど、あまり言い触らしたくはなくて」
ふむ。
隠しておきたい気持ちもわからなくはない。万が一、この恋が実らなかった場合、誰にも知られずにすませたいのだろう。
「わかりました。どうぞ、よい結果になりますように」
「ありがとうございます」
ほんのり赤味が残った頬、少し潤んだ瞳、柔らかな微笑み。
外見からはもっとお高く留まった人なのかと思っていたけど、とても可愛らしくて、応援したくなる令嬢だった。
セオドーラ様は弾んだ足取りで会場に戻っていった。
首尾をヴィンセントに伝えて、計画を実行するのだろう。
あの子がちゃんと、セオドーラ様の恋人役をできるのかちょっと心配だけど。
レモネードを飲み干して、そろそろ舞踏会場に戻ろうと立ちあがったところで、ヴィンセントがやってきた。
「プリシラ!」
「ん?」
「セオドーラ嬢の言うことを受けいれたのか!?」
「え? あなたに先に話がいっていたのでしょう?」
「そ、だ、だけど、断るかと」
あんなふうにすがってくる令嬢を無下にするほど、薄情な女だと思われているのだとしたら心外だ。
「だって、セオドーラ様、困っていらしたから。わたしたちは婚約者でもないし、恋人でもないし」
「そ。そう。だけど。でも、家同士は、その、ゆくゆくは」
「ええ、そうね。でも、今は何も問題ないでしょう? それとも、セオドーラ様と一緒にいるところを見られたくない人が、あなたにいるというのなら、ちゃんと断るべきだとは思うけど」
「いないよ、そんな人!」
「それなら、彼女の片思いが実るように、お手伝いしてあげてもいいのではない? せっかく頼られたのだから」
わたしがそう言うと、ヴィンセントは視線を逸らしふてくされたように口を開いた。
「――わかった」
え、これ、わたしが悪いわけではないわよね?
貴族同士の結婚はほとんど家の問題であり、個人の意見が入り込む余地はない。
結婚式当日にはじめて顔を合わせる場合もあるようだし、それに比べれば顔がわかっているだけでもかなりましである。
クインシィ伯爵領とウィロウ侯爵領は隣あっていて、それなりに交流もあった。
わたしたちは年も近くて、幼い頃からよく一緒に遊んでいた。
だからこのままヴィンセントとの結婚も、ありかなとわたしは思っていた。
ヴィンセントもそう思っているのだと、疑いもしなかった。
暗黙の了解というか、世間話のようにごくたまに話題に上った際にも、ヴィンセントの学園卒業後――つまり今シーズン終了後に婚約式、そして翌年の二十歳に結婚、という流れだった。
予定は未定なのだと実感している今日この頃。
家を出て、学園生活で他の世界を知ったヴィンセントが、わたし以外の結婚相手を望む可能性がかなり高いということだ。
さっさと婚約していたら、解消だの破棄だの、面倒なことになったのだろう。
今ならまだ、少しとうが立ったものの、わたしはほぼ無傷ですむ――多少、話題になるのは仕方がないとしても。




