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【8話】親子


——マンフェス1週間後。


「……なんだろうね、これは」

「ニャウ………」

数日間、エルンストの家に世話になった後、西の森の小屋に帰ってきたシャルドルートとニャルを出迎えてくれたのは、玄関扉の前に乱雑に積み上げられたキノコや果物の山だった。


ニャルは興味深そうにスンスンと鼻先を赤い果物に寄せているが、シャルドルートは重たい旅の荷物を抱えたまま、全身にどっと疲れが押し寄せるのを感じていた。


なにせ今年はマンドラゴラ用高級肥料なんてお情けを貰ってしまって、行きより帰りの方が荷物が重かったのだ。


休みたいのに、玄関前の山が邪魔で、扉に手が届かない。


疲れた体に鞭を打ち、「誰がこんなことを」とぼやきながら、それらをひとまず脇へと避ける。


そうして、ようやく取っ手に手をかけた次の瞬間——


背後で、聞き覚えのある龍の咆哮が轟いた。


ガサガサと木々を揺らし、鳥たちが羽音と共に飛び立つ。


振り向くと、陽だまりの中に赤い龍が鬣を逆立て、立っていた。


足元には七色葡萄が枝ごと転がっている。


フィオだ。


「ニャウ!」

その姿を見ると、ニャルは尻尾をピンと立て、嬉しそうにフィオの元へと駆け寄っていった。


「……なんでうちに来るたび吠えるんだよ。近所迷惑だからやめてくれない?」


小屋の周りの木に巣を作る山鳥の家族たちが飛び去った空へ視線を投げ、シャルドルートが言う。


「おまっ……そ、それより先に、俺に何か言うことがあるだろ!!!」

興奮した口ぶりでそう叫ぶフィオの口からは飛沫が散った。


それがちょうど駆け寄ってきたニャルの顔面にかかり、ニャルは顔をしかめる。


「はぁ?…何かって、何……」


そこまではぼんやりと口にしていたが、急にシャルドルートはぎくりとした。


フィオの様子はただ事ではなく、何かに怒りを向けているのがよくわかる。


——『ニャルは俺が産んだ』


いつか自分がフィオに話した言葉の一言一句を思い出す。


そんなこと、薬の力なんかでできるわけがない。


つまりは全てでたらめで、ニャルはフィオが探していた、神木の卵から生まれた龍なのだ。


——しばらく家を空けているうちに、そのことがばれたのかもしれない。

ふっと風の音が遠のき、森の緑が消えた気がした。

シャルドルートは反射的にニャルを見る。


フィオに奪われないようにニャルの体を抱きしめたくても、今ニャルは、唾液をかけられて濡れた顔をよりによってフィオの足元に擦り付け、拭っている。


シャルドルートは、今にもフィオの赤黒い翼の影がそんなニャルの白い体を覆って、魔法使いの自分なんかではとてもたどり着けない龍の棲家へと連れ去ってしまう気がした。


“嫌だ“と、叫ぼうとした声は、口の中が急に乾いて上手く出せず、震える指先だけをそちらに向ける。


フィオは口元から白い牙をのぞかせてグゥ、と一度低く唸った後、思い切り息を吸い込み、


「何日間も!!!一体どこ行ってたんだよ!!!」


と、腹の底から叫んだ。


「……は…??」


「まっ……毎日毎日、お前の好きそうな食いもん持ってここまで来ても、いつまで経っても家の明かりはつかねぇし……

し…しっ……心配してたんだぞ」


家の玄関前に積み上げられた森の恵みの山に目を向け、大きな図体に不似合いな弱々しい声でそう言うフィオ。


…フィオ、お前だったのか。


フィオの細いスリットのような蛇の目には涙が滲んでいる。


そんなフィオの様子を見たシャルドルートは、身体中の力がヘナヘナと抜け、その場にしゃがみ込みそうになるのを必死に耐えた。


指先に血が戻り、森の音と色が戻ってくる感覚をはっきりと感じる。


「……北の森で祭りがあって、そこでやる品評会に出なきゃいけないって、前にクズマンドラゴラ見せながら説明したろ」


震えを隠すように曲がった木の枝でできた扉の取っ手をこっそりと掴み、言う。


「そりゃ聞いたけど…エルフの祭りなんてせいぜい一日二日だろ」

「東の森に友達がいて、ついでにそっちにも寄ってたんだって。

遠いんだよ、東の森」

「わざわざ遠いとこに寄り道してんじゃねぇよ」

「うるさいな、俺には俺の付き合いがあるの」

「………」


焦りが気取られないように、できるだけ感情を押し殺しながら長く家を空けていた理由について並べていると、話の途中で急にフィオが黙り込んだ。


どうしたのかとシャルドルートがそちらに目を向けると、フィオは、小屋の屋根とそう変わらない高さの首を情けなく垂らし、地面を見つめていた。


翼も、尻尾も重力に負けるように垂れ下がったこの様子が、落ち込んで元気がないときなのは、ニャルという龍を3年間育ててきたシャルドルートにはよくわかる。


ニャルにも、わかるのだろう。


ニャルは心配そうに首を傾げ、そんなフィオを見上げている。


「……何」

まるで小動物のように背中を丸める巨体に向かってシャルドルートが聞く。


「………嘘かと、思ったんだよ」

そんなフィオの答えにシャルドルートの心臓は再びドクンと音を立てた。


「……嘘って?」

聞き返す声が少し、上擦ってしまった。


「お前が作ったっていう……タマゴ何ちゃらって薬の話だよ」

「……ああ…。えーと……タ…タマゴウメール……α錠……」

そう答えるシャルドルートの顔を一度だけチラリと見たあと、フィオは再び視線を足元に落とし、そこにいたニャルの体を赤い尻尾の先で撫でる。


ニャルは遊びが始まったと思い、嬉しそうにそれにじゃれついた。


「お前らがいない間、ずっと1人で考えてた。

よく考えたらやっぱり変な話なんだよ。

魔法使いの雄でも龍の卵が産めるようなすげえ薬作れるってことは、お前、多分なんでもできんだよ。

だったら別に龍の卵じゃなくても、エルフの子供でも、同じ魔法使いの子供でも良かったわけだろ?」

「いやでもほら、そういうのはほら、よりセンセーショナルな方がヒットするっていうか、人々のニーズに応えるっていうか、バズるっていうか……」


「………」


必死に嘘に真実味を付け足そうとするシャルドルートの瞳をフィオがじっと見つめる。


シャルドルートの紫色の瞳は、相変わらず彼の無垢を証明するかのように透明で美しかったけれど、小さく揺れていた。


「……お前、ニャルの声が聞こえねぇんだろ…?」

「………!」


「龍の言葉もわかんねぇ…それを、あんな辛そうな目で話す奴が、わざわざ痛い思いまでして龍の卵なんか産もうと思わねぇと思うんだ」


そんなフィオの言葉に、シャルドルートは全身が、かっと熱くなるのを感じた。


怒りからなのか、

嘘がバレそうな焦燥からなのか

劣等感からの羞恥のせいなのかは、わからないが、

全身が熱くて、涙が出そうだった。


それまでフィオの尾先を追いかけて遊んでいたニャルは、シャルドルートのそんな変化にも気がついた。


今まで見たことない様子のシャルドルートに驚いて、一瞬びくりとその場で数センチだけ飛び跳ねたあと、何度も何度も、シャルドルートとフィオの様子を交互に見た。


どうすればいいのかがわからない。


「ニャルはお前が産んだってのも、薬も……本当は全部嘘なんだろ。

ニャルは本当は俺が探してた白龍で、お前は俺にニャルを取り返されることを怖がってんだ」


……ああ、終わった、と、


シャルドルートは思った。


こんなことなら、祭り会場で食べたがっていたマンドラゴラ飴の一つでも買ってやりゃよかったと、シャルドルートがニャルを見つめて後悔しかけたその時。


その赤龍は、その大きな全身からぷしゅうと熱気が抜けるようなため息をつき、こう言った。


「だから、ニャル連れて2人でどっか逃げちまったのかと思ってたんだけど……


なんだよ祭り行ってただけかよ……心配させんなよもう……」


と。


「……な、…なにそれ。

ひどいな、嘘だと思ったって?

こうしてほら、薬の材料も、エルフ族の偉ーい長老から特別に貰ってきたっていうのに……タマゴウメールα錠はさ、ほんとにあるんだよ」

そう言ってフィオの言葉を口元だけで馬鹿らしそうに笑い、シャルドルートは足元に置いた袋を得意げに見せる。


中身はもちろん、マンドラゴラ用高級肥料『マンドラリッチPro』だ。


「お…おお……まじか……」


「いやもうほんと、これを手に入れるのは苦労したよ。こんなの長老から貰えるのなんて、エルフ界広しとはいえ、俺くらいだからね?」


中身を知っているニャルは氷のような視線でシャルドルートを見つめている。


「そうか……俺の卵のために……1人で頑張ってくれてたんだな……。疑って悪かったよ」

「わかってくれたならいいんだよ」

「でもさ、お前だって悪いんだぞ??

前に俺が持ってきてやったメロンスネークも、家の裏でからっからになっちまってるしさ。

あんなの見たら、もう2度とここには戻ってこねぇつもりなのかと思うじゃん」


どこか怒ったような、拗ねたようなフィオの目が、小屋の裏手に向けられる。


シャルドルートもそれを追うように同じ方向を見た。


「ああ……あれは…」


シャルドルートが口を開いたのと同じタイミングで、それまで静かだった森全体を揺らす風が吹いた。


「わざと干してるんだよ」


「…わざと?」


「うん。ニャルはまだ肉を噛み切れるほど牙も生えそろってないし、俺も、蛇の頭や内臓のあたりは、硬かったり苦かったりしてちょっと苦手なんだけど、ああしておいたら最後まで残さず全部食べられるから」

「へぇ……」


風は、シャルドルートの髪を、フィオの鬣を乱していく。


ニャルは大きな瞳に砂が入って、目をぱちぱちと瞬かせた。


「前に、エルフのおっさんから聞いたことあるよ。

それがお前らの弔いなんだってな。

お前魔法使いのくせに、ほんとにエルフみたいなことばっか言うな」

「エルフに、育てられたんだってば」

そんなシャルドルートの言葉を聞いて、フィオは、ハッと思い出した。


「そうだよ!お前!!サヴァンの子供なんだな!!」

その声はひどく嬉しそうな物だった。


フィオの感情に合わせて、重そうな尻尾が地面を派手に叩く。


ニャルは、それまでずっとどこかしょんぼりしていたフィオの尻尾にようやく元気が戻ったことに目を輝かせ、その尻尾にぴょんとしがみついた。


サヴァンを知っているのか、と、シャルドルートはそんなフィオの反応を見て一瞬だけ驚いたが、すぐに彼もまたこの森の人間であることを思い出して納得した。


この森に住むもので、森の父であったサヴァンを知らないものはいない。


「俺、あの人にはずっと世話になっててさ!

ガキの頃、急に人型化して困ってた俺に服くれたのもサヴァンのおっさんだし……

お前、すげえ人の息子なんだな!!

そりゃそんな綺麗な目してるはずだわ!」


「あ…いや子供とか、息子とか、そんなんじゃなくて、俺はただ、あの人に育てて貰っただけで…」


シャルドルートのそんな言葉に、フィオは大袈裟に目元の肉を寄せる。


「はぁ?!何言ってんだよ!

そこまで立派に育ててもらったんだろ!

それはもう俺たちドラゴンの世界じゃ、立派な親子なんだよ!」

「……」


シャルドルートは風で乱れた髪を直すそぶりで自分の耳に触れた後、何も言わず、ニャルを見た。


ニャルはフィオがわざと揺らしてくれる尻尾にしがみつき、嬉しそうにニャウニャウと声をあげて笑っていた。

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