【6話】みんな集まれ!デリシャスマンドラゴラまつり
——北の森にて。
北の森の空に、祭りの開催を告げるささやかな花火が打ち上げられる。
森自慢の草花に飾られたゲート中央に掲げられた看板には、
北の長老が気合いを入れてしたためた
「みんな集まれ!超デリシャスマンドラゴラまつり」の文字が踊っている。
ただし、残念ながら達筆すぎてほとんど読めない。
広場には、木の葉色の天幕を張った素朴な出店がいくつも並んでいた。
テーブルの上には
まだ露をまとう朝採れの香草束や、
琥珀色の蜂蜜、
自家調合した薬草茶……
どれも良心的な値段だ。
そんな中、ひときわ目を引くのが、中央に据えられた全長五メートルもの大鍋だ。
深さは大人の腰ほどもあり、鍋番のエルフたちは、縁に置かれた木の踏み台に登り、船の櫂のような木ベラで湯気立つ琥珀色のスープをゆっくりとかき混ぜている。
鍋の中身は、エルフ特製マンドラゴラ汁。
来場者達の目当ては無料で振る舞われるこのマンドラゴラ汁だ。
マンドラゴラ汁と一言に言っても、東西南北の森ごとにそれぞれこだわりの味付けがあり、
時には郷土愛ゆえに派閥論争に発展することもあるのだが、この日ばかりはどの地方のエルフも
「ああ、今年もマンフェス(※マンドラゴラまつりの略)の季節が来たなあ」と、北の森仕立ての琥珀色のスープを笑顔で啜っている。
「やっと終わった……」
そんな温かな空気に包まれた広場で、ひとりだけ浮かない顔のシャルドルートが、大きくため息を吐いた。
手にしていた重たい袋を、休憩用の長椅子にどさりと置く。
袋の重みで、椅子の座面がわずかにたわんだ。
「何それ?」
「ウニャン?」
膝にニャルを乗せ、木椀の汁を一緒に啜っていた少年が首を傾げる。
少年の名はエルンスト。
肩ほどまで伸びたブロンドに、
猫目がちな淡い緑の瞳、
横に尖った耳……
彼は東の森に住む、エルフである。
「マンドラゴラ専用高級肥料だって。
今年から急に“よくがんばったで賞“なんて言う、どう考えても俺のための救済席ができててさ。
さっき北の長老から、景品だって渡されたんだけど、ほんとこういうことされると余計惨めになるからやめて欲しい」
ゲンナリとした顔でそう説明するシャルドルートの話に、エルンストは大きく声を上げ、まだ幼い体を揺らして笑った。
振動で椀の中のスープが溢れそうになり、膝の上のニャルが迷惑そうに顔を歪ませる。
「それさ、言い出しっぺは兄様なんだよ」
「やっぱり。なんかそんな気はしてた」
「でもほんと、今年もシャルの作る嫌味っぽいマンドラゴラは最高だったからさ。
高級肥料くらいは貰う価値あるよ」
派手に笑ったせいで目尻に浮かぶ涙を指先で拭いながらエルンストは言う。
「……みんなエルみたいに、そうやって笑ってくれりゃまだいいんだけど。
“よく頑張りましたね…“みたいな顔で生ぬるい拍手送ってくるから居た堪れなくて」
今日何度目になるかわからないため息を付き、シャルドルートも2人と同じ長椅子に腰を下ろす。
エルンストは、シャルドルートの話にまたおかしそうに喉の奥を見せて笑った。
この2人、幼馴染である。
体躯は小柄で華奢ながら、顔立ちは落ち着き、すでに大人の面影を帯びたシャルドルート。
それに対し、隣に座るエルンストは、若草色の、丈が短いズボンから細い膝下をのぞかせた、どう見てもまだあどけない少年だ。
だが二人は同じ頃に生まれ、同じエルフの一族に見守られて育った同年代で、気心の知れた仲だった。
同い年なのに、エルフの時間はゆっくりで、魔法使いの時間はせっかち。
ただそれだけのことが、2人の見た目に差をつける。
「ウニャ、ニャ」
椅子に座ったシャルドルートの姿を見て、それまでエルンストの膝の上で大人しく汁を啜っていたニャルがシャルドルートに向かって手を伸ばした。
シャルドルートは、ハッとした。
「ああ、エル、今年もニャル見ててくれてありがとう。重かっただろ」
エルンストにそう言って長椅子の上でかるく手を広げると、ニャルは嬉しそうに尻尾を揺らし、マンドラゴラ汁の入った椀を大切そうに抱えたままエルンストの膝を降りてシャルドルートの膝の上へと移動してきた。
そうして、まるでここが自分の席だとでも言いたげに、太い尻尾を自分の両足の間に挟んでシャルドルートの膝に身を納める。
深くもたれかかってきたニャルの背中は暖かく、その熱が羞恥と緊張で一日強張っていたシャルドルートの腹を温めた。
「全然。ずっと汁食べて大人しくしてたよ」
エルンストからそう言われたニャルは、首を大きく上に向け、口元や喉を汁で派手に濡らした顔で得意げにシャルドルートを見上げる。
「ニャーニャっ」
相変わらず、シャルドルートの丸い耳にはニャーとしか聞こえない。
けれどフィオは、ニャルはちゃんと喋っていると言っていた。
おかえり、と、言ってくれているのかもしれない。
なんだかそんな気がした。
「……ただいま」
シャルドルートがそう言って、ふわふわと柔らかな鬣を潰して頭を撫でてやると、ニャルは心地よさそうにその手に自ら頭を擦り寄せ、目元を細めた。
そんな様子を、エルンストは組んだ自分の足に頬杖をつき、笑顔で眺めている。
「……もう3年前だっけ?
シャルがマンフェスに急に白龍の雛なんて連れてきた時は流石にびっくりしたけどさ……
なんだかんだで、ニャルも立派に育ってきたよね」
「……そうかな。まだ毎日イタズラばっかりしてて、赤ちゃんみたいだよ」
「ンニャッ!」
“赤ちゃんみたい“と言われたニャルの尻尾が、一瞬怒りでピンと伸びる。
ここ数日のニャルはなんといっても、難解なドラゴン宝探しのミッションも、過酷なドラゴントレーニングの修行も乗り越えてきた立派な龍なのだ。
それを“赤ちゃん“とは聞き捨てならない。
「ンニャ、ウニャ、ニャウニャっ」
「はは。だよね。わかるよ、ニャル」
ニャルはニャーニャー鳴いている。
エルンストは、それにわかる、と、笑顔で返す。
「……ニャル、なんて?」
「え?“ニャルもう赤ちゃんじゃないよ“って」
「………そう……」
——うまく、笑って返せなかった。
「でもさーっ、どう考えても謎なんだけど、ほんと一体誰がシャルんちの前に龍の赤ちゃんなんか置いて行ったんだろうね」
エルンストが言う。
ニャルとシャルドルートの肩が、同時にぎくりと跳ねる。
「しかも“絶対の絶対にあなたが育ててください“なんて手紙まで付いてたんだろ?
サヴァン様が生きてらっしゃった頃ならともかく、魔法使いのシャルに貴重な白龍預けていくとか、意味わっかんないよね。
白龍なんて、数千年に一度生まれるかどうかの希少な存在なのに」
「……ね。ほんと……な、なんでなんだろうね……」
「ニャンニャ……」
シャルドルートは、エルンストからできるだけ目を逸らしながら言う。
もたれた背中越しに、シャルドルートの心音がバクバク伝わってきて、ニャルの小さな心臓も、まだ柔らかい鱗の下でつられるようにドキドキしていた。
森の聖獣である龍の卵を、森から勝手に持ち帰った——
自分が犯したそんな罰当たりな行動を、エルフ仲間に正直に話したら、一族どころか森を追放されてもおかしくはない。
卵から帰った白龍の雛を見て、咄嗟にそう思ったシャルドルートは、いつだったか皆の前で平然とこう言ってのけたのだ。
『可哀想な白龍が、家の前に名指しの手紙と共に置かれてて、なんかよくわかんないけど託されちゃってたから、頼まれたものは仕方ないし渋々育てている』
……と。
三日三晩、寝ずに考えた嘘だった。
ニャルはその頃まだ物心さえついていなかったが、それを聞いて『え?』と思ったような記憶がある。
「ね、今度その手紙ってやつ、見せてよ。
東の長老様なら筆跡で何か分かるかも……」
「手紙???!あ……あああ、あれね?!
あれはその、裏が白かったからうっかりメモ帳にしちゃってもう無いっていうか……!」
「手紙メモ帳にしちゃったの?!?!」
「白い紙ってほら、なかなか森じゃ手に入らないだろ?
それなのにあの手紙、ほんとやたら紙質良くて、もうとにかく白くて……」
「大事な手紙なのに、内容よりも紙質重視することある?!」
「ニ…ニャ……」
ニャルの心臓は、もう鱗を突き破って外に飛び出しそうだ。
ニャルの呼吸がハァハァと乱れ始めた時、ふわりと優しい空気が、2人と1匹が座る長椅子の周囲をつつんだ。
「お疲れ。シャル」
甘く優しい癒しの声がシャルドルートの耳に届く。
振り向くと、スラリと長身のエルフが立っていた。
生成りで出来た、ストンとしたストレートのシルエットの長衣に、
肩下まで伸ばした麦穂のような色の髪、
切れ長の、淡い緑の瞳。
エルンストの兄、マーテルだった。
エルンストとは違い、マーテルはシャルドルートと並んでも似た年齢に見えるが、彼はこう見えて、シャルドルートなどは本でしか知らない100年前の魔力革命戦争もその身で経験している。
そんなマーテルでもまだ、エルフ社会の中では相当若い。
「シャルは午後からずっと品評会に出ていたから……今年の汁はまだ食べていなかっただろう?」
そう言ってマーテルは、手にしていたまだ暖かい湯気の上がる木椀を、シャルドルートに差し出した。
「わ。ありがとう。お腹空いてたんだ」
シャルドルートはそれを両手で受け取る。
椀には、よくぞこれをここまでこぼさず持ってきたな、と思わずマーテルの体幹を感心するほど、表面張力ギリギリまでマンドラゴラ汁が注がれていた。
「わー……たくさん……」
「まだ熱いから……火傷しないように気をつけてお食べ」
「うん」
「シャルの好きなウマイ茸も……沢山入ってるだろう」
「うん、入ってるね。
マンドラゴラより、そっちのが沢山入ってる」
「味は?薄くは無いか?」
「ちょうどいいよ」
「そうだ。本部に塩があったな。塩を、貰ってこようか」
「ちょうどいいってば」
「……」
「……」
そんな2人のやりとりを、ニャルとエルンストは白けた目で見ている。
「ああ…白龍を膝に乗せたままでは食べづらいだろう。食べさせてやるから椀をこちらに……」
「ええ?!
い、いや流石にそれは大丈夫……」
「マーテル様!そろそろ長老達による、のどじま……いえ、“歌継の儀“の準備に移りたいのですが…」
マーテルの行き過ぎた愛情表現に、さすがのシャルドルートも戸惑いを隠せなくなってきた頃、北の若いエルフの青年がマーテルを呼びに来た。
「あ…ああ。そうか、すぐに行く」
マーテルはそういうと、下がっていた眉尻をキリリと上げ、額に下げた細い銀の額環の位置を正した。
「慌ただしくてすまない。……シャル、じゃあまた後で……必ず」
「うん」
「ニャルも、楽しんで」
「ニャウ…」
ニャルに声をかけながらも、最後にもう一度シャルドルートを見つめて、マーテルは名残惜しそうに若いエルフの青年を引き連れ、再び祭り客の中へと戻っていった。
樹皮と共鳴石で出来た拡声具が、甲高い共鳴音を立てる。
「それでは皆さまお待ちかね、長老たちによります超デリシャスのど自慢大会、間も無くスタートです!!」
マーテルの声が風に乗って、北の森の空に広がった——。




