【25話】お利口ドラゴン
——数日後。
小屋の扉を固く叩く音がする。
シャルドルートが出ると、そこにはフィオが立っていた。
「よ……」
ぎこちなく、片手をあげ、そのくせ露骨に目を逸らす。
「……よ」
シャルドルートも、そんなフィオの横顔を見つめながらぎこちなく返した。
「ええと……」
「…………」
「あの……」
乾いた鈴の実が虚しく揺れる玄関で、次に出す言葉を探りながら、フィオは後悔していた。
——せめて何か、土産を持ってくればよかった。
会話のきっかけが、見つからない。
「フィオー」
そんなフィオを助けるように、小屋の奥から舌ったらずな声がした。
フィオが呼ばれた方へ目を向けると、人型に変化したニャルが、クッションを3枚重ねた椅子に座り、テーブルから嬉しそうにこちらを見ている。
「フィオ、きたー」
フィオはそんなニャルを指さし、何か言いたげなまんまるな目でシャルドルートを見た。
やっと、こちらを見てくれた。
「あの日から……ちょっとずつ喋り始めたんだよ。
まだ、単語を幾つか繋げて言うくらいだけど……」
「すげえなニャル!!お前やっぱり天才だよ!!」
先ほどまでは小屋に一歩踏み込むことすらどこか躊躇いがちだったフィオが、嬉しそうにニャルの元へと駆け寄る。
シャルドルートはそんなフィオの背中を見つめ、静かに小屋の扉を閉めた。
「椅子にも、座れるようになったんだな!」
そう言ってニャルのもとまで近づいたフィオは、そこで見た光景に一瞬たじろいだ。
つい数日前まで、膝掛け一枚掴めずに泣いていた指先が、今はスミノキの枝で作った筆を握り、本を手本に文字をなぞっている。
「ス……スパルタ英才教育……」
フィオは思わず、何か恐ろしいものを見るような目でシャルドルートを見た。
「お前……いくらババアが利口に育てろって言ってたからって
流石にここまでさせるのは……」
「違う違う。
俺がやらせてるんじゃなくて、自分でやりたがるんだって」
弁明のようにシャルドルートは言う。
改めて見てみると、ニャルの周りには文字らしきものがぎっしり書き込まれた紙が、何枚も散らばっていた。
「ニャル、かいた」
フィオがそれらを床から拾い集めていると、椅子の上で2本の細い足をパタパタと揺らしながらニャルが言った。
「……すげえな。文字だな」
森で生きるフィオには、ニャルの書いた文字が読めない。
フィオはそれ以上何も言えずに、拾い集めた紙をテーブルの上に置いた。
束になっている練習成果を、ニャルは満足そうに見ている。
「ニャル。もうそこ片付けて。
食事にするから」
シャルドルートがそう言うと、ニャルは慌ててあと数文字、紙の上に書き綴ってから分厚い本を閉じた。
チラリと見えたページには、文字の他にも人物の輪切りや内蔵の図解、薬草の絵などが書かれていた。
「座ったら?」
ニャルの手によってテーブルの端に寄せられた紙と、表紙もページも過去に何度も捲られ、擦り切れ、ボロボロになったその本の表紙を眺めていたフィオに、シャルドルートは言った。
「え、あ、ああ……」
フィオがニャルの向かいに座ると、まもなくフィオとニャルの前に湯気のたつ皿が置かれた。
皿の上には、マンドラゴラの姿煮が乗っている。
葉はくったりと垂れ、根は鉢から引き抜いたそのままの形で煮込まれ、若干透明になっている。
鉢にいた頃はそれは端正だったろうと思わせる顔は、温かな煮汁の中で安らかに眠っているかのようだった。
「…………」
「ニャル、これきらい」
戸惑うフィオの前で、ニャルがフォークでマンドラゴラの緑の葉あたりを突き、唇を尖らせ、言った。
「今それしかないから。文句言わずに食べて」
シャルドルートもニャルの隣に腰を下ろし、他の2皿に比べてずいぶん煮崩れたマンドラゴラの乗った皿を自分の前に置いた。
——何もないなら、尚更何か獲ってきてやりゃよかったな…
後悔を募らせるフィオの前で、シャルドルートはマンドラゴラを爪先あたりにスプーンを差し込み、口に運んだ。
唇が、わずかに開く。
赤い舌が柔らかく煮込まれた太い根を迎え入れ、濡れた唇の端は咀嚼に合わせて小さく揺れる。
やがて細い喉が、ゆっくりと上下した。
「……」
ただそれだけの動きを、フィオは息をするのも忘れて眺めていた。
「……で?」
そんなフィオに、食事のために少し俯いたシャルドルートが、チラリと目線だけを上げて聞く。
「え?!」
フィオは、びくりと肩を揺らして声を上げた。
自分の皿からフィオの皿にマンドラゴラの葉の部分をこっそり移そうとしていたニャルも、同じように肩を揺らして、あわててその葉を自分の皿に戻した。
「……なんか用事があってきたんじゃないの?」
二口、三口とマンドラゴラの体を崩し、口の中に取り込みながらシャルドルートは言う。
「あ、ああ……。
ババアたちがさ、またニャル連れてこいってうるさくて……。
暇なんだよ、あいつら」
フィオも、スプーンでマンドラゴラの体をほろりと崩し、言う。
「……あの人達は、フィオの家族?」
「……いや、一緒に住んでるわけではねえんだけど……
ババアの方、居ただろ。
あいつが、一応俺を拾って育てた親でさ」
「ババア……」
シャルドルートは、あの日遺跡で見たコカトリスと女を思い出す。
正直どちらも、相当なババアだった。
ぼんやりと虚空を見つめて考えるシャルドルートに、フィオは口いっぱいに頬張っていたマンドラゴラを飲み込み、
「お前が遺跡にきた時、人型だった方」
と説明する。
「ああ……」
『うちの赤トカゲちゃん』
フィオを呼ぶ、女の言葉が耳の奥に蘇った。
「てことでさ、ちょっとニャル、あいつらのとこに連れて行ってもいいか?
夜んなったら、ちゃんと連れて帰るから……」
「あ、ああ……。それはいいけど……」
シャルドルートはチラリとニャルを見る。
ニャルは、まるで天使のようなその顔をこの世の終わりかのように崩して、小さな口の端からはみ出たマンドラゴラの葉を揺らしていた。
シャルドルートの返事に、フィオは短く息を吐く。
つい先日、ニャルを勝手に連れ出し、シャルドルートを不安にさせたばかりだった。
「……でさ…」
フィオはかちゃりと音を立て、ここからが本題、とばかりに手にしていたスプーンを皿の上に置く。
透き通った煮汁に、自分の赤い髪が映り込んでいた。
「お前は俺に、ちょっと付き合って」




