【23話】あ。
「そもそもこの場所はさ……」
森の闇の中、シャルドルートの持つ小さな松明が石壁を照らす。
風で炎が揺れるたび、石壁に刻まれたエルフ文字の影もゆらりと揺れた。
文字を読み、シャルドルートは、ふっと笑う。
「エルフの、結婚式場なんだよ」
「はぁ?!」
シャルドルートが口にした、思いもよらぬ単語にフィオは大きく声を上げた。
その声に、虫たちの声は一瞬止む。
「……結婚式場…?」
再び、今度は声を抑えてフィオが聞き返すのと同じタイミングで、虫たちもまた羽を揺らし始めた。
「うん。
エルフは一生が長いから……。
結婚なんてしないまま森に還る人がほとんどなんだけど、それでも時々一生を誓い合う人たちがいてさ。
ここは、そんなエルフの結婚式場」
シャルドルートの言葉を聞きながら、フィオは苔むした『ウェルカム!!』の文字列を眺める。
今は崩れた柱と割れた床しか残っていないこの場所に、
昔は明るい光が差し込み、遠い昔のエルフ達の笑い声が満ちていたのだろう。
フィオの目に一瞬、目の前の遺跡に花が飾られ、誰かの奏でる竪琴の調べが流れ、黄金の髪を揺らすエルフ達が幸せそうに笑い合う様子が浮かんだ。
同じ景色を見つめながら、黒髪の魔法使いは続ける。
「エルフの結婚式ってさ、凄いんだよ。
一年間もかけてやってるんだ」
「一年?!」
「うん。
一年間、夫婦になるエルフ二人はずっと遺跡の中にいるから、みんないつ会いにきても良くてね。
自分たちが育てた野菜とか、花とか、お土産を持って遊びにきて、代わりに二人から幸せの御加護を貰うんだよ」
ニャルは、そろそろもう眠い。
大きな口を開けてあくびをしながらシャルドルートの話を聞く。
ふぁ、と、自分の喉の奥から聞いたことのない音が出た。
「俺も、すごく小さい頃に一度だけお師さんに連れて行って貰って見たことがあるだけなんだけど……。
ちょっと、こっちきて」
前足で自分の口元を抑え、首を傾げるニャルの隣で、シャルドルートはフィオを呼ぶ。
フィオは、遺跡の入り口にいた自分の巨体をシャルドルートに一歩近づけた。
「頭、下げて」
「……なに?」
言われるがままに、赤い首を少しだけもたげる。
「……こうやってね」
シャルドルートの指先が、遺跡の周囲に咲く白い月光花を一つ摘み取った。
花弁の上で夜露か跳ねる。
シャルドルートは、葡萄の蔓で編んだサンダルを履いた小さな踵を地面からくっと持ち上げ、花を持つ手を高く上に伸ばした。
月光花は、フィオの頬鰭の間に、そっと差し込まれる。
花を差し込む指先が、ほんの一瞬、フィオの頬鰭に触れた。
その一瞬で、フィオの背中がぞわりと震える。
「………」
「あなたも幸せになれるように、って、花嫁さんの花を貰うんだよ」
フィオを見上げるシャルドルートの顔は、松明の炎で橙色にそまっている。
その顔を見た瞬間、フィオの胸の奥で、何かが静かにほどけた。
自分の胸の奥でずっと燻っていた感情に、ようやく名前が付く。
フィオの頬が赤いのは、炎のせいではなかった。
「……あ……あのさ!」
頬に不似合いな、白く小さな花を刺した赤龍は声を上げる。
「お前が言ってた……最期を一人にすんなって、あれ……」
「……ああ……。
あれは……ごめん、
あんまり気にしなくていいから……」
「いや、あの、あれ、お前が最期に一緒にいたいのは、ニャルだってのはわかってんだけどさ……あの……」
「……?」
「なんつーか………」
フィオの喉は、奥でゴロゴロと低い雷鳴のような音を立てていた。
シャルドルートから露骨に目線を逸らし、石壁すら容易に砕くような爪先でコリコリと地面に埋まった小さな岩を掻いている。
「そこに……
俺もいちゃ……駄目かな」
ニャルは、何度も大口を開け、舌を振るわせ、あくびをしている。
ふあーあ。
ふわーお。
何度目かのあくびの後、今度は小さく口を開け、呟いてみた。
「あ。」




