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【2話】ちゃんとお前を抱けるから

シャルドルートが着替えて再び玄関に戻ってくると、赤龍は律儀に玄関に背を向けたまま、暗い森の中でただ一匹、闇夜を見上げて待っていた。


背中に夜光虫が一匹、止まっている。


「ちゃんと服着てきたか?!」


開けたドアの隙間から伸びる部屋の明かりが直線状に差し込んだのを見て、

シャルドルートが戻ってきたことを察した赤龍が、ぎゅっと目を閉じて叫ぶ。

夜光虫はその声で夜空へ飛び立つ。


「うん」

答えると、ようやく赤龍は薄く目を開き、そろりと首を巡らせて、背後に立っているシャルドルートの姿を恐る恐る確認した。


もしまたあんなポルノじみた格好をされていたらと思うと、たまらないからだ。


目を開けて、ゆっくりと後ろを振り向き、シャルドルートが視界に入ると、赤龍は思わず硬い眉間の肉を寄せた。


「……あ……?」


そこで見たシャルドルートの服装が、赤龍が知る“魔法使いの服“ではなかったためだ。


風に揺れるような薄手のローブは草木で染めたような地味な色合いで、動きやすそうな軽くしなやかな布地の裾には小さな蔦の刺繍が施されている。


多くの魔法使い達はもっと、深い色味でゆったりとした生地に魔石や金糸で豪奢な装飾が施されたローブを好んで着ているものだ。


これではまるで……


「……何?まだなんか足りない?もっと足首まで隠せって??」


赤龍が自分を見て怪訝そうな顔をしたため、シャルドルートも自分の格好が少し不安になって、七分丈のローブの両サイドを軽くつまんで裾を引き上げ、自分の骨張った足首に目線を落として言った。


赤龍も、釣られるようにシャルドルートの足元に目線を向け、頼りなくひらひらしている布の下から覗く細い足首とふくらはぎに目を向ける。


正直さっきは、魔法使いの生肌という突然の衝撃波にやられ、すぐ目を閉じてしまっていたから、はっきり見えていなかった。


甲や足首の骨がくっきりと浮き、細く滑らかなラインはそのままふくらはぎへと続いていた。


シャルドルートのわずかな動作一つで動くその曲線に赤龍は思わずゴクンと喉を鳴らした。


そして、思い出す。


その脚の横に、隠れるようにちょこんと立っている白い生き物の存在を。


「いや、ふくらはぎじゃねぇんだよ!!」

「ふくらはぎ?」

「お前の足元のそれ!何が猫だ、ほら見ろやっぱり白龍じゃねぇか!」

「ね……猫だってば……ねぇニャル」


シャルドルートの、木の蔓を編んで作ったサンダルの爪先が、足元にいるニャルの脇腹をつつく。


「ニャ……ニャーン……」


(説明しよう!

人の言葉はまだ話せないニャルだが、“ニャ“と“ウ“と“ン“だけは言えるのだ)


「ほら…」

「なにがほらだ!!んな耳もヒゲもねぇ猫がいるか!」

「昼寝してたらネズミに齧られたんだよね?ね、ニャル」

「ニャ……ニャー……」

そう返すニャルの瞳は、まだたった3歳なのにひどく切ない。


「もうやめてやれよ、かわいそうだろ!!

嘘つくのに罪悪感感じてるからその子!!」


赤龍が尻尾をピンと伸ばして言う必死の訴えに、シャルドルートは小さく「ちっ」と舌を鳴らす。


「魔法使いが舌打ちすんな!!」

「だいたいさ、仮に、万が一、うちのニャルが白龍だったとして、それがお宅にとって何か問題でもあるわけ??

こんな夜更けにいきなりそんなでかい体で訪ねてきて、

急に着替えろだの猫だの白龍だのいわれても、迷惑なんだけど!」


実はシャルドルートには、この赤龍の来訪に心当たりがあった。

あるからこそ、ニャルの存在を無理やり隠そうとしたり、こうして妙に饒舌になって赤龍を言葉でやり込めようとしてしまう。



——3年前の話だ。


シャルドルートは、ある天気雨の日、一時の雨宿りのために潜り込んだ森の大きな木の樹洞で、たまたま見知らぬ卵を拾った。


人の頭ほどの大きさがある、重くてざらついた白い卵だ。


ちょうど師であり、育ての父でもあったエルフが砂になり、森に還って間もない頃で、その頃のシャルドルートの毎日はひどく孤独で寂しいものだった。


だからこれはきっと、

森が毎日頑張る自分にくれた、ちょっとしたご褒美なんじゃないかな⭐︎

と思って、何も疑わずうちに持ち帰り孵化させた。


卵から孵ったのは森の神獣、白龍だった。


正直、とんでも無いことをしてしまったなと感じてはいたのだ。


感じではいたけれど……


罪の意識以上に、ニャルは可愛かった。


可愛いニャルがお腹を空かせてはいけないから、せめて1人でミルクを飲めるようになったら、森に返そう…


いや、やっぱりニャルが1人で歩くようになったら、にしようかな…


いやいや、それよりもニャルが1人で眠れるようになったらの方がいいんじゃないかな、知らんけど……


そんなこんなで3年である。


正直、いつか誰かがニャルを取り返しにきてしまうんじゃないかという不安を抱きながら、ここまで1人と1匹で暮らしてきた。


「3年前にさ……森の神木から、神託を受けたんだよ」

シャルドルートが思わず遠い目をしてしまっていると、同じく遠い目をした赤龍が、突然語り始めた。


「神託……?」

「ああ。金の雨が森を濡らす日、神木の樹洞ん中に、白き聖獣の卵を授けるから、お前はエルフ無きこの森の王となるその聖獣に仕える守護獣になれっつー……

なんつーか……

すげぇ痺れる神託……」

「すげぇ痺れる神託……」

シャルドルートは、その聞きなれないパワーワードを恭しく繰り返す。


「なのに神木の樹洞に行っても卵なんかどこにもなくてさ。

それどころか、待てど暮らせど白龍の王は俺の前に姿も見せてくれなくて……」

「…………」


熱っぽく語る赤龍の言葉を聞きながら、シャルドルートは再び、3年前にやたらでかい木の樹洞から卵を持ち帰ったあの日のことを、走馬灯のように思い出していた。


走馬灯に登場するのは、森の神秘を横取りする卵泥棒である。


「俺、あれから3年間ずっとこの森で白龍を探してたんだよ!!

それを今夜やっと見つけたんだ!

猫とかいってないでそいつ俺に返せよ!

それは俺の……この森の王なんだよ!!」


「違う!!ニャルは……」

「……」

「ニャルは……」


ニャルの小さな前足が、珍しく必死の形相で大声を上げたシャルドルートの服の裾をぎゅっと掴む。


「……ニャル……」

シャルドルートが足元に目線を向けると、ニャルもシャルドルートを見上げて金色の瞳を不安げに潤ませた。


ニャルはもう、家族だ。


拾った卵から生まれた龍であることを認めて、この大切な家族を森へ帰すなんてこと、今更できるわけもなかった。


シャルドルートは、一つ覚悟を決めるように乾いた唇を軽く噛んで、鼻から深く息を吸い上げた。


「ニャルは……」


「……ニャルは…?」

赤龍が聞き返す。


「…………俺が産んだ…」


口からでまかせにも程があった。


当のニャルですら、足元で“え?“と言う顔をしている。


「お、お前が………??」


シャルドルートの言葉に赤龍は、その赤黒い瞳を大きく見開き、息を止めた。


その直後、ゆら、と、赤龍の黒くごわついた鬣が熱気で揺れる。


流石に出鱈目を言いすぎて怒らせたか、とシャルドルートは2度目の咆哮を覚悟し、身構えたが、


違った。


「すげえ?!?!?!お、お前、龍の卵うめんの?!?!え、なんで?!?!?!」


信じた。


シャルドルートとニャルの目は、一瞬虚無を見つめたが、シャルドルートという男はこの一瞬のチャンスを逃さない。


「今まで言ってなかったけどさ、魔法使いは魔法使いでも、森生まれエルフ育ち、森の仲間はだいたい友達の……

……スーパー薬剤師なんだよね……俺」


「お おお……」


「そんな俺にかかれば繁殖の秘薬なんて訳ないというか、“種の設計図“を1日2錠で変化させる事くらい朝飯前というか……」

「ニャウ……」


前半まではたしかに事実だった。


ただし後半はでまかせばかりを饒舌に並べ立てているシャルドルートに対し、ニャルは哀れみの視線を頭上に向けている。


「なんかわかんねぇけどすげぇな!!!

言われて見りゃお前って、着てるもんもエルフみてぇだし、いかにもただモンじゃねぇ綺麗な目してるもんな?!」


いや、あのふわふわした説明で信じるお前の方が凄いのだが……。


初めから赤龍は、着替えて出て来たシャルドルートをみて、まるでエルフのようなやつだな、と感じていた。

それに加えてこの森で育ったシャルドルートの紫眼はアメジストよりもまだ透明度が高く、そこには人を信用させるために充分な説得力があった。


つまり、今のシャルドルートの話は全体的に“それっぽ“かったのだ。


それに………



赤龍は、信じたかった。


「じゃ、じゃあさ……」


赤龍だって冷静になれば、今のシャルドルートの話を全て、嘘だと笑い飛ばすことが出来たかもしれない。


でもこの赤龍は、3年間、1日たりともそのことを忘れずに追い求めた“自分だけの王“を諦めたくなかった。


「お………俺にもその…、白龍の卵……産んでくれよ……」


「へ?!」

思いもよらぬ赤龍からの懇願に、シャルドルートの声が派手に裏返る。


「三年間、必死に探しても待つからねぇんだ……。

神木の言ってた白龍はなんかの事故でいなくなっちまったのかもしれないから……

お前が白龍を産めるってんなら、俺にも一匹産んでくれよ!」

「はぁ?!いや……あの……!」

「……俺さ……お前が卵産んでくれたら……

ちゃんと愛情持って一から育てるよ。白龍。

育てて、そいつと一緒にこの森を守ろうと思う」

赤龍の目は、もうニャルを見ていない。

遥か森の奥に、輝かしい“未来“を見ている。


その“未来“に、シャルドルートとニャルも釣られるように目を向ける。

どこまで行っても闇の、鬱蒼とした夜の森しか見えない。


「え、あ…、いや、もう手持ちのドラゴンの精子は切らせてて……

それがないと薬は作れないんだけど、あれって結構高いんだよね。

ほんのちょっとで30万エソもして、とてもじゃないけど……」

「そっ…それなら俺協力出来るんじゃねぇ?!」

赤龍は前のめりだ。


「え?!…あ、ああ〜…っ…た、確かに〜っ……!」

「なんなら直接お前の体に……」

「いっ……いやいやいや無理無理無理!!ほらそんな大きいのはいらないし…!!」


赤龍の下半身なんてしっかり見たことはない、見たことないけど、多分体に合わせてそこもでかいに決まっている。


「大丈夫!!ほら!!」


ほら、と、言うが早いか、赤龍は閉じていた2枚の翼を、夜道でトレンチコートの裾を広げる特殊な趣味をもつ紳士の如く、得意げにバサリと両側に開いた。


「え?!ちょっ……何考えて……っ」


シャルドルートは一応目を逸らす。

ニャルは凝視している。


そんな2人の前で、赤龍はその2枚の翼を一度バサリとはためかせ、周囲に穏やかな熱風を巻き起こした。


あたりの木の葉を巻き込みながら吹き上がる風圧に、ニャルとシャルドルートが一瞬強く目を閉じ、再びその目を開いた時、

目の前には赤い髪や袖口を余風に揺らす青年が立っていた。


歳の頃は、18か19か…


風に靡いた服の隙間から覗いた腹は、筋が走ってはいるのに、どこか頼りなげだ。


袖口から伸びた腕には確かな力があるのに、肌に浮かぶ血管や骨ばった関節が、やけに生々しい。


飢えと野生味のある荒々しさ、その両方を抱いたそれはまさに、“生き抜いてきた男の身体”だった。


風が止み、乱れた前髪が額に落ちると、青年は伏せた赤い睫毛の奥の瞼をゆっくり持ち上げる。


瞳は、ゾッとするような真紅だった。




「俺、ちゃんとお前を抱けるから」





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