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【16話】幼き王

【16話】

玄関前で、フィオは翼を一振りした。


生ぬるい風が周囲の緑を揺らし、風が止む頃、そこには赤髪の青年が立っていた。


シャルドルートは真剣な瞳でその一部始終を見ていた。


その視線に気づいたフィオは、変化の風で乱れた前髪を、できるだけさりげなさを装い、指先で整えた。


格好よく決めたつもりだった。


シャルドルートの手は、一瞬そんなフィオに向かって伸びかける。

変化の際に吹いた風が、あの夜のフィオの匂いと熱を、シャルドルートの肌に蘇らせたせいだ。


けれどその手は途中で止まり、生温かな風だけに触れて引き戻された。

シャルドルートは代わりにその手で、足元に転がった藤蔓の洗濯籠を拾い上げる。


「……なんかあったのか?」


フィオもまた、自分に向かって伸びかけたシャルドルートの手を取るつもりでいた。


けれどそれは叶わずに、フィオは整えたばかりの前髪を、今度はその手でわざと乱暴にかきあげながら聞いた。

格好つけようとした自分がひどく気恥ずかしかった。


「……え?」

「え?じゃねぇよ。……会いたかったって…いってたろ。…さっき。」

「…あ…ああ、うん……そのことなんだけど……ちょっと困ったことがあって…」


***


「人型?!あいつが?!」

シャルドルートが話す『今朝の事件』に、フィオは思わず声を裏返した。


「だってあいつまだ3歳……

いや、お前の話じゃ、2歳なんだろ?

それで変化は、いくらなんでも早すぎるって」


「早すぎるとか言われても、こっちはそんな龍のスタンダードなんか知らないってば……

いいからちょっとこっち来て、ニャルなんとかしてよ。

俺じゃ一体ニャルに何が起きてるのかさえよく分からないし、フィオが来るのをずっと待ってたんだ」


そう言って、ゲンナリとした様子で玄関扉を開けるシャルドルートの姿に、フィオの耳たぶは情けなく熱くなる。


……だから、俺に会いたかったのか。


『俺も』なんて熱に浮かれたことを口にしなくて本当に良かったと思う。


「…?いねぇじゃん」

玄関扉をくぐると、すぐにかまどとテーブルが置かれた小さな居間がある。


フィオは、いつもニャルが座っているかまど側の椅子や、床に敷かれたエルフ族特有の手織りのラグの上を探したが、人型になったニャルらしき姿はどこにも居なかった。


首を傾げるフィオに、シャルドルートは眉を八の字に下げ、黙って部屋の一角を指差した。


そこには何冊もの本や使っていない燭台が乱雑に詰め込まれた古いチェストがあり、その陰で、白い膝掛けが小さく盛り上がって震えている。


「………」

「朝からずっとああなんだよ」

唖然とするフィオに、そう言ってため息をつくシャルドルートの声にはくっきりとした疲れが滲んでいた。


「……ニャル、大丈夫か?」

床板を軋ませながら、フィオはニャルらしき膝掛けの山に近づく。

山の横に片膝をつき、そっとその膝掛けをめくったフィオは、その下にいた子供の姿に思わず息を呑んだ。


涙に潤んだ金色の大きな瞳が、突然の光に驚いて見開かれた。

その瞳がまっすぐこちらを見つめている。


それは誰の目にもはっきりと、特別であることが分かる存在だった。


まるで雪の降った朝のように真っ白な頬には、まだ消えきらない鱗が薄く残っている。

柔らかなミルク色の髪と濡れたまつ毛が光を受けて淡く輝き、この子が一つ瞬きをするだけで周囲の空気が少し澄むかのようだった。


「この森の……王……」

フィオが3年間探し求めていたのは、まさに、この光だ。


フィオは、思わず片膝をついたまま、首を下に深く下げそうになった。


「……おう?」

フィオの小さな呟きに、シャルドルートが聞き返す。

フィオの首がぴたりと止まった。


「え?!あ……お…お、おお!

お前が産んだ割には、ニャルとお前は全然似てねぇなと思って!」


ニャルを神木の白龍と認めたら、フィオはあの神託に従って、ニャルを森に取り返さなければいけない。


——森のため


——シャルドルートのため


二つの感情の間で揺れたフィオは、咄嗟にそういって誤魔化すが、それが今度はシャルドルートの心を揺らす。


「え?!

い、いや、違うって!

似てるから!!ほらもっとちゃんと見てよ。

俺もニャルも目は二つだし、口だって一つだよ??

ね?ニャル!」


シャルドルートはいつものようにニャルに、自分の吐く無理のある嘘に同意を求める。


ニャルはもはや条件反射のように口をあけ、それに一鳴きして答えようとしたが、小さな喉の奥からはただただ空気が漏れるだけだった。


その様子にシャルドルートは『やってしまった』と頭を抱え、ニャルの金色の瞳からは、急に大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちる。


フィオがそれにギョッとするよりも早く、ニャルはフィオの胸にがっしりとしがみついてきた。


口をぱくぱくとさせて泣くニャルから鳴き声は聞こえず、代わりにカヒュカヒュと、息の抜ける音だけ喉の奥から聞こえてきていた。


フィオの胸元が、じわじわと生暖かいニャルの涙で濡れていく。


ニャルの小さな体は、静かに、ただ震えていた。



「ニャルさ、何にも、できなくなっちゃって……」


そんなニャルの、よく見ると先日の病の名残か、ところどころが禿げた白い後ろ頭を見つめ、弱った様子でシャルドルートが言った。

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