【15話】一人分の洗濯物
——前日。
コカトリスの遺跡にて。
「浄化の……白龍?」
その言葉に、フィオの胸の奥に冷たいものが落ちた。
指先が僅かに止まり、聞き返す声が僅かに震える。
「なんだい知らなかったのかい。
黒煤の風が吹いた後、神木の卵から産まれる白龍は、浄化の龍って昔から相場が決まってるんだよ。」
婆さんがそう言うと、遺跡の壁の合間を縫うように二人のいる場所にまで風が入り込んできた。
その風で崩れた回廊の隙間から低い音が響いた。
まるで、森そのものが、婆さんの言葉に同意して深く頷いているかのようだった。
「そろそろ3歳くらいかねぇ。白い幼龍さ。
そりゃあ可愛いんだろうねぇ。
18年前に大蛇のババアがどこかから咥えてきた赤い幼龍は、ババアと二人でそのまま喰ってやろうかと思うほど憎たらしい顔をしてたけどさ」
古い羽毛を撫でるように吹く心地のいい風に、婆さんはそれでなくても小さな目を細めて言う。
フィオは石畳を見つめたまま
「……すげえ可愛いよ……多分」
と、シャルドルートに抱かれ、ニャウニャウ笑うニャルの顔を思い浮かべながら言った。
***
——翌日。
赤龍・フィオは、気がつくとシャルドルートの小屋の前に立っていた。
——3年前に消えた神木の卵と、おそらく3歳のニャル。
神木の卵から産まれるはずだったのは浄化の白龍で、おそらくニャルも……
ここまで条件が揃っていて、まだニャルはシャルドルートが産んだ龍だという話を信じるほど、フィオは馬鹿ではない。
正直、昨夜はずっと『騙された』という感情が胸の奥で小さな火となりぱちぱち爆ぜ、屈辱と苛立ちで一睡もできなかった。
寝返りを打つたび歯の奥が軋み、『嘘ばっかりつきやがって』と一吠えして、ニャルの首に噛みついて自分の巣に連れ帰る妄想を何度も繰り返しながら夜を明かした。
それなのに——。
シャルドルートの小屋の前に降り立つと、足が止まった。
陽はやわらかく、草は風に撫でられてきらきらと揺れている。
大地は広々として、空はこんなにも抜けているというのに——
その真ん中に、ぽつんと一軒だけ立つ小屋は、まるでそこだけ何かに取り残されたかのように寂しかった。
小屋のそばには、小屋の柱と木との間にロープを張って、何枚かの洗濯物が干されていた。
見覚えのあるエルフの服が、一人分だけ風に揺れている。
「………」
もし、ニャルを連れ去ったらシャルドルートはどうなるのだろうか、と、洗濯物を見つめながらフィオは思う。
あいつはどうなって、
俺をどう思う?
……きっとひどく恨むだろう。
「っ………」
フィオはふいに、泉のそばで抱いたシャルドルートの、熱を、匂いを、思い出した。
魔法使いの体は小さくて、泣いていたせいでひどく熱くて、人の暮らしを知らないフィオには嗅ぎ慣れない生活の匂いがした。
その匂いに、初めて感じる甘い眩暈を覚えたあの夜。
ニャルを連れ去るのは容易だ。
でもそうするとあの感覚をもう2度と味わえないのかと思うと、どうしようもない痛みがフィオの胸だけでなく、喉や胃や背骨の奥まで広がった。
もしかして、俺が、気づかないふりをしていればいいのかな……
フィオが一つの考えに辿り着きかけていた時、目の前の小屋の扉が開いた。
洗濯籠を手にしたシャルドルートが、どこかげっそりとやつれた様子で出てくる。
「あ………」
昨夜のシミュレーション通り、全て嘘だったんだろうと吠えようか、それともとぼけて声をかけようか、口をパクパクさせながら狼狽えるフィオの姿をシャルドルートが見つける。
「あの……嘘……あ、いや、なんつーか…」
「フィオ……」
シャルドルートは手から持っていた洗濯籠を落とす。
古い籐で編まれたそれが新緑の上にコロコロと転がった。
「よかった……会いたかったんだ…!」
シャルドルートの宝石のような紫色の瞳に赤い自分の体が映る。
その目を見て、フィオの全身に甘い痺れが走った。
『俺も』と、うっかり答えそうになったが、流石にそれは違うだろうとフィオは喉まで出かけていたその言葉を飲み込んだ。




