【10話】恐怖
「どうした?!」
勢いで開けた扉の向こうは、寝室だった。
太い梁がむき出しの寝室に、格子窓から朝日が斜めに差し込んでいる。
梁には乾いた薬草の束。
窓辺には、森との境が曖昧になるほど大量の鉢植え。
その中に素朴な木製のベッドがあり、シャルドルートはその前で、白い掛け布団を手にしたまま立ち尽くしていた。
軋む床板を鳴らしながらフィオはそこへ近づく。
白いシーツの張られたベッドでは、ニャルが横になっていた。
その姿に、フィオは一瞬息を呑む。
呼吸は浅く、白い小さな腹は小刻みに上下している。
その体はあちこちの鱗が剥がれてピンク色の毛細血管が透ける皮膚がむき出しになっていた。
剥がれ落ちた鱗は何枚もシーツの上に散らばっている。
瞼は、上がらない。
鳴こうとしたのか一度だけ小さく口を開いたが、音にならない息だけが漏れた。
「……なんだよ……これ……」
唇を震わせ、フィオが呟く。
自分だって龍だが、こんなにも鱗が剥がれるような妙な状態になったことはなかった。
「……わからない……。
昨夜も……羽の下あたりが…ゲホ……少し剥がれてて……どうせ大した事ないんじゃないかと思って……俺…ほとんど何もしてやらなくて……」
青い顔をしたシャルドルートが、掛け布団を手に立ったまま、ぽつりぽつりと、言い訳と後悔が混じったような言葉を、まるで独り言のように言う。
視線の焦点は合っておらず、どこを見ているのかもわからなかった。
先にニャルに手を差し出し、その痛々しい皮膚に触れたのはフィオだった。
ニャルの鼻先がぴくりと震える。
手のひらに感じるニャルの体は、ひどく熱かった。
「……熱もあるな」
そう呟いたフィオの言葉に、それまで呆然としていたシャルドルートの瞳に突然火が灯る。
「なんで?!
ま、祭りであちこち連れ回しすぎたから?!ゴホッ…
ニャルは、まだ3歳なのに!」
「落ち着けって!!そんな事くらいで龍が倒れるかよ!」
……3歳…?
シャルドルートの言葉がフィオの心に引っ掛かる。
前に聞いた時は、確か2歳だと言っていた。
なぜ?
……3年前は、神木の卵が消えた年だから……?
頭の中で何かがかちりと噛み合いそうな気がして、フィオはニャルを見つめたまま、しばらくうまく脳を働かせずにいた。
「鱗が剥がれる病気なんて、聞いたことがない……!」
シャルドルートが叫んだ。
その声でハッと顔を上げると、いつのまにか寝室のさらに奥の扉の向こうにシャルドルートがいた。
おそらく仕事部屋なのだろう。
狭い部屋には、棚という棚がぎっしり詰め込まれている。
そこには革張りの古い本と、大小さまざまな瓶がずらりと並んでいた。
机の上は乳鉢や薬草、薬瓶で占領され、シャルドルートはそこにかろうじて開いた空間に、本棚から取り出した分厚い専門書を置き、必死の形相でページをめくっていた。
「……お前……本当に、薬師だったんだな…」
その姿を見て、フィオの口が何かを確認するようにそう尋ねる。
「はあ?!だから最初からそう言ってるだろ!」
嘘も、真実も、同時に突き立てられる。
何が『本当』なのかが分からないまま、苦しそうなニャルの頬に、背中に、手を触れてやっていると、それを見たシャルドルートの顔が青ざめた。
「フィオにも……移るかも……」
「…え?」
「フィオ、帰って。早く」
「いや、でも……」
「いいから帰って!!」
真っ青な顔で、シャルドルートは叫んだ。
ただ、焦燥だけが剥き出しのまま唇が震えていた。
——サヴァンは最期まで、何も教えてくれなかった。
けれど、シャルドルートはなんとなく覚えているのだ。
25年前、まだ赤子だった自分を包んだこの世の終わりのような咳声と、風に流れる大人達の甘い腐臭を——
「怖いんだよ……」
咳で痛む胸を抑えながら言ったその言葉は、悲鳴のようだった。
怖いのは、病か。
それとも——




