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【1話】短くて、長い恋の話。

これは、

いつか腐りゆく運命の魔法使いと

永遠を生きる不器用な龍の

短くて、永遠の恋の物語。

 



——西の森に、今日も夜が訪れる。


月のない夜だった。


その真紅のドラゴンは、赤黒い皮膜の翼をはためかせ、どこまでも続く深緑の絨毯の上をなぞるように飛んでいた。


3年間、一日も休むことなく彼はこの森で、ある“探し物“をしているのだ。


今夜も収穫なしかと思い、諦めかけたその時、上空から見るとそこだけぽっかりと輪を描くように木々の無い空間を見つけた。


…いや、無い、と言うよりは、周囲の古木たちが互いに枝を差し出し合い、

円を描くようにしてそこに緑の大地を作っている。


そこに、小さな小屋があった。


煙突からは白い煙が細く立ちのぼり、窓から洩れるオレンジ色の灯りがまるで目印かのように浮かんで見える。


——こんなもの、今までなかった。


いや、正確には“今まで気づけなかった”。


きっと月夜のあの場所は、月明かりが周りの木々に影を作らせ、あの小屋ごと空間を隠すのだろう。


今夜は月がない。


そのせいで、その小屋の明かりは今夜に限り、まるで「ここにいる」と言わんばかりにはっきりと浮かび上がっていた。


「………」

赤龍は音もなく滑空し、湿った苔の上に降り立つと、翼の皮膜を静かに閉じた。


ドア下から伸びるこの家の生活の明かりが、赤く太い彼の足元まで続いている。


——ここにいる……?いやまさか……


赤黒く、岩のように硬い鱗の奥の、巨体の割に小さな心臓が高鳴る。


赤龍は、ずっと一匹でこの広い森の中を探しているのだ。


この森の宝…


荘厳にして神秘なる白龍を。



***


古びたその小屋の床は、木の表面が乾いて白く毛羽立っていた。


その上にまるで足跡のスタンプをつけるかのように、濡れた小さな獣の足が駆け抜けていく。


前足の爪は3本。

少し離れて後ろにもう1本。


床に残った足跡は王都の子供向けロングセラー書籍

『大迫力!ドラゴン生態大図鑑』に

“世紀のスクープ!これがドラゴンの足跡だ!!“

という煽り文句と共に記載されているものと寸分違わない。


…あえて言うなら、それよりはずんぐりと小さいか。


足が小さければもちろん体も小さい。


まだその体躯は人間の幼児ほどだった。


柔らかで少し透けた鱗の下の皮膚は、ピンク色の毛細血管があちこちに浮いてはいるものの基本的には白く、

その真っ白な体からは今、ほこほこと暖かそうな湯気が立ち上っている。


背中には、まだ頼りなく薄い皮膜の翼。


そのまま背骨に沿って生えた白い羽毛のような鬣を下に辿ると、太い尻尾が伸びていて、重たそうに床を引きずっている。


で、びしょ濡れ。


おかげで走れば床にくっきりと足跡が残る。


乾いた木の床が足裏の水分をキュッと吸い上げるその感触に幼龍は夢中になっていた。


「ニャルこら、待てってば!ちゃんと拭いてから出て!」


そんな声と共に、ニャルと呼ばれた幼龍の足跡を追いかけるようにして床にスタンプされていく足跡は、人間のものだ。


開け放した後ろのドアからは、白い湯気が石鹸の匂いを乗せて、狭い室内に湿気として広がっている。


追いかけられていることに気づいたニャルは、赤い歯茎にほんの少しだけ白い牙の先が覗き始めた口を開け、ニャウニャウと喉の奥で笑った。


笑いながら木製のテーブルの周りをポテポテ走るが、ドラゴンは走るのに特化した生き物ではない。


あっさりと、追ってきた人間にバスタオルの網で捕まえられてしまう。


「ああもう。せっかく洗ったのに、こんな埃まみれになって……」


バスタオルごと抱き上げた、意外と重たいその体には、足裏はもちろん、羽やら、お腹やら、あちこちに灰色の埃が張り付いていた。


何せ、身体中どこもかしこも白いので、埃もよく目立つ。


「ニャーゥ……」


ニャルは、金色の瞳で部屋の隅をじっと見た。


バスタオルに包まれた幼い白龍を胸に抱く人間もまた、同じ方向に目線を向ける。


そこには、部屋の埃を払うために存在しているはずの箒が、率先して埃まみれの姿で虚しく立てかけられていた。


「……掃除しろって?…うるさいなお前は。この家を掃除しなきゃいけないんじゃなくて、お前が濡れた体で走り回んなきゃいいんだよ」


「ンニャ………??????」


そんな“わかるようでわからない勝手な理屈“を、まだ3歳にも満たない幼龍に語り、

首を傾げられている彼の名前は、シャルドルート。


一族特有の美しい黒髪は洗い晒しで濡れて頬やひたいに情けなく張り付いているし、

服装だって貧相な体に麻の簡単なバスローブ一枚を頼りなく羽織っているだけで、

とてもそうは見えないが、一応紫色の瞳を持つ魔法使いだ。


とはいえ、この森に生まれ、この森で育ったシャルドルートが自らを“魔法使いである“と自覚したことは一度もない。


この森の中での彼はただ、

黒髪で、

瞳の色が紫で、


この森に住む他のだれよりも短命なだけの生き物だった。


シャルドルートはまだ濡れ髪のまま、ニャルの鱗にバスタオルの繊維が引っかからないようぽんぽん叩いて丁寧に水気を拭き取る。


それから、湯上がりの水を飲ませてやろうと水瓶の蓋に手を伸ばしたのと同じタイミングで、少し乱暴なリズムで玄関のドアが叩かれた。


シャルドルートとニャル。

1人と1匹が同時に顔を見合わせる。


「…………客だって。掃除、全くしてないのにね?」

「ニャウ……」

思わぬ来客で、床にそっと下ろされたニャルが呆れた様子でシャルドルートを見上げる。


やっぱり日常的にきちんと掃除をしておくべきなのでは、とでも言わんばかりの目線だ。


「そんな顔するなよ。片付けはちゃんとしてるんだから問題ないだろ。物の下敷きになって死んだ人はいても、埃で死んだ人はいないんだから。…多分。

はーい、今出ます」


シャルドルートはこの森で、生前は薬剤師だった師匠の後を継ぎ、森で取れる植物や鉱物を使った薬を作って生活している。


そんなシャルドルートの薬を求めて、もしくは薬師を医者と勘違いして、夜間でもこの家を訪ねてくる森の客は珍しくなかった。


ある時は、腹を壊した狸。


またある時は、喉にネズミの骨が刺さったミミズク。



そして今夜は、ドアを開けたシャルドルートの全身を真っ黒な影で覆うほど巨体の赤龍。


ところどころが痛々しく剥がれた赤い鱗に覆われた体は熱気を纏い、ごわついた真っ黒な鬣はざわざわと夜風に揺れている。


シャルドルートは、想定していたよりも遥か上部にあった客人の目線を探して天を見上げ、赤龍の赤い瞳と目をあわせた。


口の中の唾を飲み込む。


ごくりと細い喉が動いた。


シャルドルートには、この家に赤龍が訪ねてくる理由に少しだけ心当たりがあった。


チラリと部屋の奥に目線をやり、ニャルが玄関までついてきていないのを確認する。


その後、自分の小さな体でさりげなく家の中を隠すようにドアの前での立ち位置を変えてから、シャルドルートは震える唇を開いた。


「ええと……どういったご用件で……」


そういい終わるよりも早く、赤龍は口を開き大きく吠えた。


その咆哮で大地は揺れ、風圧で木々はざわめき、鳥達は飛び立ち、周辺にいた生き物は一斉に森の奥へと退散する。


シャルドルートは、ビリビリ震える皮膚の痺れるような痛みを感じながら、風圧と振動で今にも倒れそうな体を、後ろ手でドアを掴んでなんとか支えた。


赤龍は叫ぶ。


「お前……!!いきなりなんて格好で出てくるんだよ!!」


と。


「……はい……?」


「そんな…!下着みたいな…!寝巻きみたいな…!ふっ…風呂上がりみたいな……!!常識考えろよ!!」


赤龍はそもそも皮膚が赤いので良くはわからないが、おそらくその顔は真っ赤だ。


「……え…?いや……風呂上がりなもんで……」


シャルドルートは目線を下に向け、改めて自分の格好を確認する。


今夜はニャルが体を拭いてやる前に脱衣所から逃げ出したので、追いかけるために風呂場で慌てて全裸に薄手のバスローブだけを羽織って、そのままだった。


魔法使いは人前で必要以上に肌を晒さない。


今のシャルドルートのようにはだけたバスローブの裾から、か細い足を覗かせたり、鎖骨や削げた胸元を露わにさせた魔法使いなど、よほどマニアックなポルノグラフィのページを開きでもしない限り一般人が目にすることはまずないだろう。


「お前いいからとりあえず早く服着てこい!!服!!いろいろ聞きたいことあるんだけど話はそれから!!」


赤龍は、シャルドルートに背を向けて地面に丸くなり、赤黒い血管の浮き出た翼で自分の顔を覆いながら叫ぶ。

その背中はプルプルと震えているように見える。


「えー…。もう寝るだけだから面倒なんだけど……」

「ニャウ?」

「ああ……ニャルは出てきたらダメだって…多分話ややこしくなるから…」

「ニャル?!?!ニャルって何?!今の鳴き声ちょっと龍っぽくなかった?!?!?!」

「猫です」

「猫なわけねぇだろお前はさっさと着替えてこいよ?!」


赤龍は振り返りたい。

振り返りたいが、振り返れない。


だってそこに生きたポルノグラフィが平然と立っているから。



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