未観測領域
理央が消えた翌日。
誰も騒がなかった。
教師も、クラスメイトも、
最初から存在しなかったかのように振る舞う。
結だけが覚えている。
ノートに書いた理央の名前が、薄く滲んでいる。
ページの端に、小さな警告。
【観測対象:削除済】
結は理解する。
“排除”は、存在の消去。
死ではない。
記録からの削除。
だが完全ではない。
未観測領域に落ちた存在は、
まだ“可能性”として残っている。
だから――
取り戻せる。
結は理央の端末を起動する。
画面には、以前理央が選択したログ。
【第三層観測開始】
その奥に、わずかに揺らぐ入口。
【未観測領域:アクセス不可】
結は笑う。
「不可、って書いてあるだけで、無理とは書いてないよね」
彼女は指を置く。
観測者としての権限はない。
だが――
理央と接触していた。
ログに“共振記録”が残っている。
【接触履歴:強】
【干渉値:閾値超過】
画面が一瞬だけ白く弾ける。
【臨時観測許可:発行】
結の視界が崩れる。
図書館の床が、透明な水面のように波打つ。
彼女は落ちる。
音のない世界へ。
未観測領域
色がない。
形が定まらない。
思考がそのまま空間になる場所。
結が「道」と思えば、足元に線ができる。
だが集中を失えば、すぐに崩れる。
ここは、
“誰にも観測されていない可能性の海”。
理央はこのどこかにいる。
だが未観測領域では、
“存在”は定義されなければ消える。
結は叫ぶ。
「理央!」
声は広がらない。
代わりに、波紋が起きる。
遠くで、微かな反応。
結は走る。
空間が裂ける。
崩壊。
【外部干渉検出】
未観測領域に、赤い線が走る。
管理層。
結の侵入が検知された。
【不正観測者:排除対象】
空間が収束する。
結の足場が消えかける。
彼女は必死に理央を思い出す。
合理的な目。
冷静な声。
それでも、最後に見せた怒り。
“ふざけるな”
その言葉。
その感情。
未観測領域は感情で形を持つ。
結は叫ぶ。
「あなたは合理だけじゃない!」
空間が震える。
遠くで、黒い影が形を取り始める。
理央。
だが輪郭が不安定。
消えかけている。
管理層の赤い光が迫る。
結は理解する。
未観測領域では、
“観測”=“名前を与えること”。
彼女は震える声で言う。
「神崎理央。
合理的で、でも怒ると子供みたいで、
本当は誰よりも怖がりで、
それでも前に進む人」
輪郭が濃くなる。
赤い線が加速する。
時間がない。
結は最後の言葉を選ぶ。
「あなたは、選ばれた存在なんかじゃない。
あなたは――私の友達だ」
未観測領域が爆ぜる。
理央の瞳が開く。
赤い線が一瞬だけ止まる。
理央が初めて自分の意思で言う。
「観測は……拒否する」
未観測領域が再定義される。
【対象:復帰処理】
管理層の警告が乱れる。
【感情干渉値:想定外】
結と理央の周囲に、白い光が広がる。
二人は落ちる。
現実へ。
図書館。
床に倒れる二人。
理央は息をしている。
世界はまだ、彼を覚えていない。
だが結は笑う。
「大丈夫。今から、もう一回観測し直すから」
理央が、かすかに笑う。
「合理的じゃないな」
「うん。でも、生きてる」




