第1話 山を下りる者、名を預かる者
十五年――。
それが、俺が山に籠もっていた時間だ。
長いようで短く、短いようで長い。
少なくとも、本人としては「やりきった」という感覚だけが確かにあった。
毎朝、岩を睨み。
毎昼、木の枝を振り。
毎晩、焚き火の前で目を閉じる。
誰に教わったわけでもない。
誰かと比べたこともない。
だが、分かる。
――今の俺は、強い。
理由は説明できない。
説明できないということは、つまりそういうことだ。
「……よし」
腰に下げた袋を確認し、俺は山道を下り始めた。
目的地はただ一つ。
麓の町にある、冒険者ギルド。
十五年の修行の成果を、世界に示す時が来たのだ。
――
町は、騒がしかった。
人が多い。
声が多い。
情報が多い。
だが、動じない。
山で鍛えた精神力は伊達ではない。
ギルドの扉を押し開けると、視線が一斉に集まった。
理由は分かる。
――雰囲気だ。
俺は自分から言わずとも、そういうものを纏っている。
「登録ですね?」
受付の女性が、少しだけ姿勢を正す。
「はい」
頷くと、彼女は書類を差し出した。
「では、まずお名前を」
来た。
ここが、最初の関門だ。
名前――
それは、力を縛り、定義するもの。
本当は名乗りたくない。
名を明かすという行為は、世界に自分を固定させる。
「……仮でいいですか」
「え?」
「いえ……」
さすがに無理か。
俺は一度、視線を逸らし、深く息を吸った。
「……トンヌラ……」
「はい?」
「……トンヌラです……」
一瞬、空気が止まった。
受付の女性は、ペンを持ったまま固まり、周囲の冒険者たちがこちらを見る。
「ト、トンヌラ……さん、ですね?」
「はい……」
違う。
本当の名ではない。
だが今は、これでいい。
名は預けるものだ。
いずれ、真に相応しい呼び名が定まる。
「では、職業判定を行います」
水晶に手を置くよう促される。
俺は、静かに右手を伸ばした。
――封印が、騒いだ気がした。
だが、解かない。
今はまだ、時ではない。
水晶が淡く光り、文字が浮かび上がる。
「……え?」
受付の女性が、目を瞬かせる。
「職業は……
《ネームレス》……?」
ざわ、と周囲が小さく揺れた。
「えっと……説明文が……」
彼女は書類をめくり、首を傾げる。
「“名を預かるもの”……?」
沈黙。
誰も、その意味を理解できない。
――当然だ。
これは、理解されるための職業ではない。
「……登録は、可能ですか」
俺がそう言うと、受付の女性は慌てて頷いた。
「は、はい!
えっと……問題、ありません!」
問題があるかどうかは、これから分かる。
ギルドカードを受け取り、俺は静かに背を向けた。
――世界は、まだ気づいていない。
この名が、
いずれどれほどの誤解を生むかを。
職業について
本作の職業判定は、
「何ができるか」ではなく
「何を引き受けてきたか」を参照します。
《ネームレス》は
能力を与えられる職業ではありません。
名を与えられ、
名を背負い、
名の責任を引き受ける器。
※本人が強くなることはありません。
この物語では、
•派手な必殺技
•レベルアップ演出
•分かりやすい数値成長
は、あまり描かれません。
代わりに描かれるのは、
誰が、
どこで、
何を引き受けたか。




