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「将棋を指したいなら、ご自宅でどうぞ」 ――“物理学”になれなかったプロたちの生存戦略

1. それは「物理学」ではない

かつて、棋士は「求道者」として尊敬された。真理を探究する姿は、物理学者が宇宙の法則を解き明かすのと同義に見えたからだ。 だが、残酷な現実はこうだ。「将棋を極めたところで、それは物理学ではない」。 どれほど高尚な棋理を解明しても、病気は治らず、エネルギー問題も解決しない。さらに言えば、純粋な「正解」の算出においては、人間はもうスマホの中のAIに勝てない。


社会に物理的な還元ができない以上、それが職業として成立する理由はただ一つ。「遊び」であり、「サービス業」であることだ。 それなのに、業界はいまだに「良い将棋を指せば客は喜ぶ」という職人気質の幻想にすがっている。これは「味は最高だが、接客が無愛想で居心地の悪いレストラン」と同じだ。サービス業であることを忘れた職人は、やがて誰からも相手にされなくなる。


2. 「カツ丼」が教えてくれる真実

視聴者が何を求めているか、答えはすでに出ている。「将棋めし」だ。 解説者がどれだけ高尚な読みを語ろうとも、視聴者は「今日の昼食はカツ丼か、勝負に出たな!」という話題に食いつく。なぜか? 視聴者の9割以上は初段以下であり、盤上の論理(宇宙語)は理解できないが、「食欲」と「人間味」なら共有できるからだ。


もし、実力不足で引退の危機にある棋士が、プライドを捨てて志村けんやウッチャンのようなコントまがいのパフォーマンスで将棋を広めたらどうなるか。間違いなく、無言で座っているだけのトップ棋士より人気が出るだろう。 大衆が求めているのは、理解不能な「神の一手」ではない。失敗し、悔しがり、笑わせてくれる「人間ドラマ」なのだ。


3. 横綱にハンデを、プロに営業を

では、どう改革すべきか。答えはシンプルだ。「楽な試合をさせるな」である。 相撲の番付のように、上位者(横綱)にはハンデを背負わせる。AI研究が通用しない「駒落ち」や「圧倒的な時間差」の中で、必死にもがく姿を見せるのだ。きれいな棋譜など要らない。泥臭く、なりふり構わず勝ちに行く姿こそが、金銭を払う価値のあるエンターテインメントとなる。


そして、時間の使い方も変えねばならない。 社会人野球の選手たちは、社業をこなしながらプレーしている。「研究時間が足りない」などという甘えは通用しない。 1日の6割は広報や普及活動に汗を流し、残りの4割で技術を磨く。それで十分だ。もし「俺は10割の時間を自分の研究に使いたい」と言うのなら、答えは一つしかない。


「それなら、ご自宅でどうぞ」


社会に還元しない研究は、ただの趣味だ。趣味なら家で一人でやればいい。給料をもらう資格はない。


4. 結論:プロフェッショナルの新定義

これからの時代、「将棋が強い」だけの人間は、プロではない。それは「極めて将棋が強いアマチュア」に過ぎない。 プロとアマチュアの境界線は、強さではなく「ベクトルの向き」にある。


アマチュア: 将棋の楽しさを享受(消費)する人。


プロフェッショナル: 将棋の楽しさを生産・普及する人。


AIが神の強さを持ってしまった今、人間が人間に対して提供できる唯一の価値は「広めること」だ。 盤面から顔を上げ、言葉を尽くし、道化になってでも将棋の魅力を社会に売り込む「営業部長」。それこそが、物理学になれなかった私たちが目指すべき、真のプロフェッショナルの姿なのである。

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