8.お餅のお姉さん
竜神様の館に来てから2回の夜を過ごし、もうすぐ3度目の夜を迎えようとする頃、何も食べずに過ごしたために、空腹で目がまわって立っていることもできなくなった。
寝巻として着せられた白い絹の着物1枚で、部屋の隅に膝を抱えてうずくまった。
竜の目の美しい女性達は、出会った日からそれは親切に身の回りの世話をしてくれる。
彼女らは私に特上の絹着物を着せようとし、脱ぐと「ではこちらを」と色違いの着物をすぐに用意してしまう。髪に腕に首にと宝石が散りばめられた飾りを付けられて、私が外してお返しすると、いったいどこから持ってくるのか、さらに飾りは増えていき、金銀細工の目のくらむような宝石の山が部屋に積み上げられた。
1番困っているのが食事である。私がいくら食べないと首を振っても、ならばこちらは? それならあちらは? と止まることなく次々と豪華な料理が湯気をたてて運ばれてくる。
ああどうしよう。
すべては本当の花嫁になる姫様の物なのだ。私が手を付けていい物など何1つ無い。
お部屋も、湯殿も、着物も、食事もなにもかも、慎重に確かめたがここで花嫁に用意されているものは特上品の贅沢なものばかり、そしてお世話をしてくださる皆さんもとても優しい。
『姫に相応しい場所かどうか確かめて参れ』と神辺元網に命じられたが、心配はいらないようだ。どれもこれも姫様に相応しいと思えた。
もう一つの『竜神様が姫様に相応しいかどうか』を確かめねばならない。どうしたものかと途方にくれて「ほう」と大きなため息が出た。
壁にずらりと並ぶ5人の女性達が、竜の目で心配そうに私を見る。何か頼めば彼女らがすぐに叶えてくれることは、ここ数日の扱いで分っていたが、偽の花嫁である私が彼女たちに世話をしてもらうなど恐れ多いことだった。
部屋に訪問者があり、入り口で話声がして人が2人入ってきた。
壁を背に床に座ったまま見上げると、仁永と呼ばれていた黒髪黒衣の背の高い男性と、1人の若い女性が立っていた。
女性は水色の簡素な異国の衣で、髪も1つに束ねて木彫りの小さな飾りで留めてある。年のころは自分の少し上くらいで、とても質素な身なりは里の娘を思い出させた。
ふっくらとした体形は色白のお餅のようで、まあ美味しそうと思わず言ってしまいそうな、可愛らしいお姉さんだった。
彼女は膝を付いて、目線を私と同じにすると「こんにちは真砂様」と微笑んだ。
ああやっと普通の人が来てくれた。
なんだか心底安心して私も「こんにちは」と頭を下げた。
「良かった、やっと口をきいてくれましたか。緑雨様の言った通り、同じ人間のほうが気が休まるようですね」
黒衣の男性はそう言うと、私の前に片膝を付いた。近くで見ると心臓が止まりそうになるような美貌で、彼も竜神様と同じく神様の威厳が満ちていた。
「私は緑雨様の側近で黒麒麟の仁永と申します。何かお困りのことがございましたら私にご相談ください。そうは申しましても、人間である真砂様は竜や麒麟にお慣れになるまで時間もかかりましょう」
キリンとは神様の使いの神獣だったかしらとぼんやりとした記憶をたどっていると、彼は隣の女性を紹介してくれた。
「彼女は撫子、あなたと同じ人間です。今から彼女があなたの世話係になりますから、何でも遠慮なく申し付けてください」
言葉を返すのは不敬だと思い、ぎゅっと目を閉じコクコク頷いた。
彼は何も言わず立ち上がると、5人の女性を連れて部屋を出て行った。
撫子さんは私と部屋に二人きりになると、隣に来て同じように壁を背にして並んで座ってくれた。
「真砂様、私もあなたと同じ人間ですよ、気軽にお話してくださいね」
「あ……の……」
恐る恐る声をだしたが、撫子さんはさらに体をよせて「なんですか?」と優しく微笑んでくれた。
「ナデシコさんは……人間……なの?」
「ええ、あなたと同じただの人間ですよ」
「それなら、あのお姫様たちは?」
撫子さんは「お姫様たち?」とひどく驚いた顔をした。しばし考える顔をしてから、私の身の回りの世話をしてくれる女性達ことだと分かるとクスクス笑い出し「やだ、なんて可愛いのかしら真砂様」と笑いが止まらなくなり、終いにはゲハハと不思議な笑い声をだしてから恥ずかしそうに口を覆った。
「あれはお姫様ではなくて、真砂様の侍女達ですよ。竜族は身をキラキラしたもので飾るのが大好きですからね、派手な格好をしてますから、私達から見たら確かにお姫様のように見えますね」
「竜族……あの人たちも竜神様なの?」
「いいえ、この館にいる竜神は緑雨様だけ。紅玉湖の主である緑雨様は稀なるお力でこの紅玉湖と『境界の館』を守っておいでです。他の神竜様方は、人間ではけしてたどりつけない遥か遠くの『竜の谷』にいらっしゃるそうです。神竜様の体は天を覆うがごとく巨大で、千年を越える寿命があるとか。ですがあの侍女達のようなただの竜族たちは竜になっても体は小さくて、寿命も300年程ですよ」
300年でも途方もなく長い……さらに緑雨様は千年以上も生きると聞いて、あまりの長さに上手く想像できなかった。
「驚いたことでしょう。人間しかいない世界から来て、このように神から妖から、不思議な姿の者達に囲まれたのですからね」
怖かったでしょうと手を握ってくれた。ふっくらと柔らかいお餅のような白い手は暖かく、安心できた。
それからナデシコさんは魚族や妖狐など私が出会ったいろんな種族のことを教えてくれた。ここには獣人や妖がたくさんいて、八百万の神々も絶えず訪れる。パタパタ飛んでお茶を入れてくれたのは豆福という低級の神様なのだそうだ。
「あの……ナデシコさんは人間だから……他にもここに……人間は……いる?」
調子よく話していたナデシコさんが、急にふうとため息を吐いた。
「ここに人間はあまりいないのです。怖がらせるようなことを言って申し訳ないのですが、この境界地である紅玉湖では、人がいたらあっという間に攫われます」
攫われる!! 物騒な言葉に息を飲んだ。
「ここは色々な世界の扉が開くので『境界の館』と呼ばれていて、別の界に行くための便利な入口がある宿場のような場所なのです。神に妖、霊魂、怨霊とそれは様々な怪異たちが行き交う中で、最も力なくか弱く、脆い存在が人間です。私達人間は妖怪たちの大好物で、彼らにとっての餌なのです。霊魂や怨霊にとって人間は依り代として、のっとるには最高の肉体らしいですし。そして難儀なことですけど、一部の妖と、神々にとっては、人というのは最高の番なのですって」
つがいとは? と私は首を傾げた。
「番とは伴侶のことです。最も力のない人ですが、最も力のある神々にとっては、神力ある子をもたらすことができる唯一の存在のようですよ。だから神竜である緑雨様は人の娘であるあなたを花嫁としてお迎えしたのでしょう」
神様のお子をもたらす……なんという尊いお役目!
天女のような姫様がこの大役を担うのかと想像するととても相応しいことだと誇らしかった。
「緑雨様が万全にお守りしていますから、真砂様は攫われません。安心してくださいね」
そう言われて安心したのか、くうーっと私の腹が鳴った。さすがにお腹が空いた。胃のあたりが痛くて手でさするとナデシコさんが「真砂様はずっと気を張っていらっしゃる」と優しく背を撫でてくれた。
こんなことをされたことは無かった。じんわりと心が温まり、油断すると涙がこぼれてしまいそうだった。
「ほんの少しでいいんです、何か食べてみませんか? 食べられそうなものがあれば仰ってください、何でもいいですよ」
「あの……では、野菜くずの煮たものを少しだけ……」
「野菜くずとは? どんな料理ですか?」
「あの……料理した時に出る、野菜の切れ端や皮のくず……」
私が説明すると、さっきまでずっと優しく微笑んでいたナデシコさんの顔が曇った。
私、変なことを言ったのかしら?




