7.これは全部姫様のものだから
竜神様に抱えられ丘の上の宮殿に連れて行かれると、私はすぐに湯殿に入れられた。
何人もの女性に取り囲まれて、湯船でたっぷりのお湯につかり、上品な香りの石鹸粉をふんだんに使って全身を磨かれた。
「花嫁様、お湯加減はいかがでございますか?」
優しい声で問うてくる女性達は、金茶の髪を結い上げ、キラキラと輝く宝石が散りばめられた簪を何本も刺している。彼女達の異国の衣装は豪華な刺繍が縫い込まれそれは美しい。
上品に微笑む顔は優しいが、彼女たちの瞳はみな、竜神様と同じ蛇の目の虹彩をしている。この人たちも竜なのだろうか。見目麗しく雅な衣装に身を包んだ美女たち。
この人たちはお姫様なのかしら……
何か話さねばと声をだそうとしても、怖くなって言葉をのみ込んでしまう。
いつも罪人を見張る役人たちに、絶対に口をきいてはいけないと厳しく言いつけられていた。こんな高貴な人達に気軽に話しかけてはいけないと思った。
体を優しく何度も磨かれて、乾いた砂に水を落すようにすぐカサカサに戻ってしまう肌にたっぷりと香油をすりこまれた。
湯殿を出ると豪華なしつらえの異国の服を着せられた。下着から何から全てが絹で肌触りは柔らかく、羽のように軽い。鮮やかな色の衣の上から、幾重にも首飾りが巻かれ、煌く宝石に飾られる。
髪を櫛削られるとサラサラと額に落ちた。私の髪は木の根が乾いたような、硬くゴワゴワしているものと思っていたが、まさか頭を傾げただけで、髪が滑るように揺れる日がくるなど思いもしなかった。
顔に粉をはたかれて唇には紅を載せられた。
誇らしげな顔で女性達が大きな鏡を向けてくれる。その中には里の子が遊んでいたコケシ人形のような娘が映っていて、自分とは思えない裕福な家の娘に見えた。
女性達は私に恭しく礼をして「こちらへ」と歩くように促された。
廊下に出ると顔が鱗に覆われた、甲冑の男が2人、槍を立てて護衛のように直立している。魚の神様のように見える姿に、恐れ多くて手を合わせて拝むと、2人の男性は「花嫁様」と慌てて跪いたので困って固まってしまった。
1人の女性に手を引かれ、後ろの4人は大きな袖に手を隠して、静かに控え従う。
自分がとても大切に扱われていることが分る。皆私のことを竜神様の花嫁だと思っているのだ。
私は花嫁ではないと訂正したほうがいいのだろうが、姫様がどんな扱いをうけるのか、身をもって確かめた方が良いだろう。姫様に少しも辛い思いをさせたくない。竜神様の本当の姿が分るまで……このままもう少し花嫁のふりをしてみよう。
竜神様の館はたいそう不思議な造りだった。中は果てが分らぬほどに廊下が続いて、この館が何階建てでどれほど広いのか想像もつかなかった。中を照らす灯りは炎ではない不思議な淡い色で、昼か夜か分からぬ光が異世界に来た不安を掻き立てる。床も壁もちゃんと実感を持って触れるのに、寄る辺ない感覚が胸を浸す。不安な気持ちのまま通された先には、先ほど会った竜神様が待っていた。
「ああ綺麗になったな」
胡坐で座っていた竜神様が私を見たとたん、嬉しそうに大きく微笑んだ。
鮮やかな絨毯が敷き詰められた部屋には、豪華なご馳走の大皿が床を埋め尽くすように並んでいた。
竜神様が立ち上がると、わざわざ近くまできて体をかがめ私の顔を覗き込む。里の子供達がするような気安い仕草に、どうしていいのか身を小さくすると手を取られた。大きな手に驚いたけれど、彼は優しく私の手を包むと、ゆっくり導いて丸いふかふかの座布団に座わらせてくれた。そしてすぐ隣に座ったので何事が起きたのかと信じられなかった。誰かと一緒に食事をするなんて、ましてや高貴なお方の隣に座るなんて……経験したことがない。
「さあ、まず食べるのだ。このように細い体ではどこかに吹き飛んでしまいそうだ」
ご馳走を指さして「これもそれも旨いぞ」と勧めてはにっこり笑う。
口元に小さな牙が2本見えた。ときおり虹色を帯びる緑金の瞳の中には蛇のような虹彩。そして発光しているように輝く銀髪。
このお方は竜神様なのだ……神様の御前で畏れ多いと思うのに、屈託のない笑顔をみていると気持ちがゆるんでくる。
完璧に整ったお顔には、額と目じりに宝石が飾られて近寄り難い神々しさ。けれど、微笑むとほんの少し目じりが下がって少年っぽさが見え隠れする。竜神様は大人の男性に見えるけれど、きっとお若いのだろう。人間ならば20歳くらいの年頃に見えた。
それにしても…… 叫び声をあげて倒れてしまいそうな光景である。
給仕をしてくれる者達が周りに控えているが、人間に見えない者たちばかりなのだ。
「さあどうぞ花嫁様」
固まったまま動かない私に、頭には獣の耳があり狐のような尾がでている狐目の女性がそっと匙を手渡してくれた。
向こうにいる者は目玉が4つあり、4本ある手を器用に動かして湯気の立つ汁をよそっている。猫程の大きさの羽のあるぽってりと太った小人が飛んで来て、私の茶碗にお茶を注いでくれた。驚きの連続であるが、嬉しそうに私を眺める竜神様の隣にいると不安が薄れていき、だんだん異形の人々の姿に慣れてきた。
ここは竜の国、竜神様はいろんな種族の者達を従えていらっしゃるのだ。そして誰もが私を「花嫁様」と敬って丁寧に接してくれる。「さあ食べろ」と緑雨様が私を急かすのを、皆が目をキラキラとさせて見ている。間違いなく花嫁は歓迎されているのだ。
私は匙を動かして、目の前の汁を慎重に掬った。ほんの少しだけ、舌がぬれる程度口に含む。
芳香な香りが口に広がる、何たる美味!
次の皿も、その次の皿も……匙の先にほんの1滴だけ、味を付けては口に含んだ。
目を閉じてうっとりと味わう。こんな美味しい味がこの世にあるなんて!
肉や魚も米粒1つ分ほど噛んでみた。あまりに皿が多いので全て味見することはできなかったが、どれも申し分ない味だ、これなら姫様も喜んで召し上がるに違いない。
食べ物は問題ないと安心した。お茶を1口だけ飲んでから匙を置いた。
素晴らしい食事に感謝して、竜神様に深々と頭をさげる。
これは本来姫様が食べるご馳走なのだ、私のような者が頂くことは許されない。
それきり食事には手を付けなかった。
「どうして食べぬのだ……」
苛立ちを含んだ悲し気な声に竜神様を見上げると、深いしわが眉間に寄っている。
「人の子は弱いのだぞ。そんな細い体なのだ、食べねばすぐに死んでしまう」
さあ食べろと、竜神様が手ずから匙に肉を載せて口もとに運んでくれた。私はぐっと口を結んで目を閉じると左右に首を振った。
食べるわけにはいかない、だって私は花嫁ではないのだもの。もう味は充分確かめさせてもらった。
「どうして……これは口に合わぬのか……ならば全て作り直させる」
竜神様が大きな声で、料理をすべて新しい物に作り直せと命じたので、私は飛び上がるほど驚いてしまった。
「おまえは……口がきけぬの……か? どこか具合がわるいのか?」
心配そうにのぞき込む竜神様の目はお優しい。あわてて首を左右に振った。
ふっと体が浮いた。気づいたら出会った時と同じように両脇を持ち上げられ、また竿にかかった洗濯物のように高く掲げられた。竜神様は胡坐をかいているので、私の足はかろうじて床についてはいるが、この体勢から動いていいものかどうか、どうすれば失礼にならないのか分からないまま固まった。
「何をしているのですか緑雨様。花嫁殿が困っていますよ」
声の方を見ると、先ほど竜神様と一緒に迎えにきてくれた黒髪の男性が呆れた顔で立っていた。
「なあ仁永。真砂はこんなに軽いのに、飯を食わないのだ、どうすればよいか」
「あたながそんなだから驚いて食事も喉を通らないのでは? まあどんなにがさつでお子様でも、人の子にとっては緑雨様は尊い神様ですからね、畏れ多くてあなたの前で委縮してしまうのかもしれませんよ」
「またお子様と言ったなこの野郎。それでこの前やり合っただろうが、忘れたか!」
「やり合ってなどいませんよ、緑雨様が勝手に暴れただけです」
まったく……と緑雨様は不満顔でブツブツ言った後、私を掲げたまま考える顔をした。
「真砂は俺が怖いのか?」
これは難しい質問だった。竜神様を前にして怖くない人などいないだろう。
この中で1番怖いのが、ここの主と名乗った目の前の緑雨様だ。
けれど誰と一緒にいたいかと聞かれれば、絶対にこの方を選びたい。不安な異世界で誰よりもこの人が信頼でき、側にいて安心できると私の心が告げている。
私が黙っていると、竜神様の顔がどんどん難しくなっていく、困った末に私はコクリと頷いて見せた。
「ほうら、怖いそうですよ。緑雨様はもう少し品の良い振る舞いを覚えた方がいいといつも言って……」
「ああ、もううるさいな!」
竜神様の怒った声にびくっとした。すぐにすまなそうな顔をして彼は私をそうっと座布団に降ろしてくれた。
「そうか……わかった……ならば俺がいない方が気が休まって食べられるかもしれないな……」
しょんぼりと広間を出て行く竜神様の背中を見送りながら、なんと答えればよかったのかと後悔した。
その後、竜神様が命じた通り料理は新しく作り直され、次々と豪華な料理が運ばれたがとても手を付けることはできなかった。
「お気に召しませんか?」
私を風呂に入れた時から、一番に側で世話をしてくれている年長の、竜の目の美しい女性が心配そうに聞いてくる。私はなんと答えていいか分からずに、曖昧に頭を下げた。
「花嫁様は何もお食べにならないぞ」
小さな声が周りでひそひそと聞こえた。
広間を出て『花嫁様のお部屋でございます』と案内された先は、あまりの広さにふああと驚きの声が出てしまい、あわてて両手で口を覆った。
自分が寝泊まりしていた薬草倉庫が3つは入るであろう広さに、美しい絨毯と虹色の貝殻がはめ込まれた黒光りする調度品が揃っている。窓辺へいくと、月に照らされた神秘の青い湖が、何処までも続いて煌めいている。都の国主様が暮らすかのような、想像を超えた贅沢でいて上品な部屋。隣の間には、これまた度肝を抜かれるような豪華な寝台があった。ここも薬草倉庫が1棟入りそうな広さである。
寝巻も肌触りが極上の絹着物を着せられた。もう感嘆のため息をつきすぎて胸が苦しい。
体が沈むほどの柔らかい綿の布団に横になったとき、もしかして私は死んでいてこれは夢の中なのではと疑うほどに心地が良かった。
何もかも完璧。
ああ姫様がここで寝たら、咳もよくなるかもしれない。早く来ていただかなければ。
緊張の連続で体はとても疲れていた。ここでこのまま眠ってしまいたい誘惑に打ち勝つために、両手で頬をバチンと叩いた。
身を起こし布団から滑り出ると、何処で寝ればよいかと思案した。
見上げるような高さの大きな窓の下に行った。おとぎ話で聞いた遥か彼方の西国にあるというガラス窓。初めて見るそれは魔法のように透明で、眼下の湖が夜の闇に静かに広がっている。満月が登り湖を静かに照らして、金の光を長く伸ばしてこちらに手を差し伸べているように見えた。
どれも姫様のものだから、私が使う訳にはいかないけれど。この明媚な景色を見せて頂くくらいは許してもらえるはず……
床に直に横になると、白く輝くお月様を眺めた。
ああ、お月様は神辺の里で見るのと同じなのね……
ひんやりとした床に頬を付けるとすぐに眠気が訪れた。夢の中で、いつもの雨の子守歌を聞いた気がした。




