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43.竜神湖と紅玉湖

 私が人界に戻ってから1年の歳月が過ぎた。

 私は神辺の里で竜神を祀る社の巫女として暮らしている。


 私が竜神の生贄として湖に沈められた50年前、国では雨がパタリと止まり日照りが続き、作物は枯れて人々は渇き飢えて多くの人が亡くなったそうだ。


 急激に水量を減らした竜神湖を見て、人々は竜神の怒りだと騒ぎ、豪華な暮らしを続けるばかりで、何もできない『竜神湖の守り』である神辺家に対して不満が膨らんだ。そして、神辺元網が竜神を祀る大社を壊したことや、本来の生贄であった娘を差し出さなかったことが、さらに人々の不興を大きくした。渇きに苦しむ人々のはけ口になったのか、不満は憎しみへと変わり、国主は竜神湖を守れなかった責任を問うて神辺家を追放した。財も地位も失った神辺家の人々は離散して、神辺の里に残るものはいなかったという。

 里人のほとんども神辺の地を離れたが、罪人達は行き場も無く里に残った。そして皆年老いて亡くなっていき、今は3家族を残すだけなのだと、老人は教えてくれた。

 私が毎日共に薬草を採った罪人の仲間達は、なんとかつて父の家来であった人々だった。

 私の父は神辺家の前当主であり、神辺元網の兄であったという驚くべき事実を知った。

 父は竜神への信仰が篤く、古くなった大社を立て直す算段を進めていたが、弟元網の策略によって国主への謀反をでっちあげられて処刑された。

 神辺元網は私の叔父であったのだ。

 叔父への憎しみも、父母への申し訳なさも、私の胸の中で渦巻いたが、それらはすべて50年のはるか昔の影となり、事実を知る人々はもうすぐこの世から全ていなくなってしまうだろう。

 

 私が生贄となった翌年から、僅かではあるが夜に雨が降るようになり、細々とではあるが人々は雨の恵みを得て生き延びることができたのだそうだ。特に竜神湖では毎夜雨が降ることで、山を源流とする川は干上がることなく、国中に水を運び田畑を潤している。緑雨様が毎夜降らせてくれる雨のお陰で、日照り続きの中でも、河川が干上がらず人々はギリギリのところで生きているのだった。

 緑雨様が人界のために奮闘してくれているように、私も何かしたいと思った。

 まず手始めに山頂の小さな祠を立て直した。

 神辺の里に暮らす3家族も手伝ってくれたおかげで、小さいながら立派な祠ができた。竜神様にと野菊を摘んで供える里人を見て、ふと思いついた。

「そうだ! 緑雨様の好きなものを作ってさし上げよう」

 それから私はいなり寿司を作っては、『竜神寿司』と名付けて隣の町で売るようになった。料理の仕方を撫子さんに習ったことがとても役にたち、私の竜神寿司はなかなかの上出来でよく売れた。

 甘酸っぱい寿司飯と、甘じょっぱいお揚げの組み合わせのおいなりさんは、緑雨様を絶対に喜ばせる自信があった。作るたびに『甘いとしょっぱい、それから酸っぱいだな真砂、旨いぞ』と笑う顔を思い浮かべて嬉しくなり『緑雨様の好きな味は知ってますからね!』と心の中で得意気に言って返した。何もかも失ったと思った。でも私の体いっぱいに、緑雨様の優しい思い出が溢れている。彼を想いながら、山のように竜神寿司を背負っては早朝に出かけて町を歌いながら売り歩いた。

 緑雨様と猫じゃらしの丘で歌った雨の歌を、大きな声で歌っていると、町の童が集まって、私の後ろに付いてきては一緒に歌った。

 あまりに売れ行きがいいので、私は町に店を借りて人を雇って売り出すことにした。

 いなり寿司は境界の館でよく食べたが、こちらでは馴染みがない食べ物だったため、人々は珍しがって私の竜神寿司はどんどん評判を広げ、さらに隣町、そのまた向こうの町からもわざわざやって来て買い求める人々で店に行列ができた。


ざー ざー ざあ ざあ ざあ

ふーれー ふーれ やまに

ざー ざー ざあ ざあ ざあ

ふれー ふれー さとに

りゅうじんさまの あめだー


 私が竜神寿司を売り始めて1年が経つと、村でも町でも国中で童達は竜神様の雨の歌を歌うようになった。

 私は竜神寿司の作り方を、求める者には教えた。ただし、竜神寿司を作って売るためには、絶対に忘れてはいけない約束を彼らに伝えた。

「国に降る雨は、竜神様が降らせているのです。毎夜毎夜、疲れていても、眠くても、悲しくても、どんな夜も竜神様は私達が乾かぬように雨を降らせてくれるのです。だからこれは竜神様への感謝のいなり寿司なのですよ。「竜神様ありがとう」と天に祈ってからいただくように食べる人に伝えなさい」

 竜神寿司は雨の歌と一緒に国中に広がって、いたるところで食べられるようになった。私の専売でなくたったために寿司の売り上げは減ったけれど、替わりに、人々が神辺の里を訪れるようになった。

「竜神様のお社にお参りしたい」

 河川が枯れぬように緑雨様が毎晩眠らずに、竜神湖に雨を降らしていることを人々に伝えるのが、私の役目だと思った。

この身の半分は人間なのだからと、私達に寄り添ってくれる優しい竜神様がこの空の果てにいる。神だからと与えているのではなく、私達と同じように喜びそして迷う1人の青年が、成果の見えない苦しい中で、1日ずつ体を削るように降らせてくれる雨なのだ。

私が熱心に語る緑雨様の話を、皆神妙な顔で聞いては、小さな祠に手を合わせて竜神様への感謝を示してくれた。

 その頃から、急激に竜神湖の水かさが増え始め、国で降る雨も次第に回数を増やしていく。日照りの終わりが見え始めたことで、人々は、さらに神辺の地を訪れるようになった。

 私が神辺の里に戻って2年目には、国中から竜神参りと称して大勢の人々が神辺の里を訪れるようになり、里に暮らし始める人も増えた。そこで里人たちと協力して、かつて神辺家の大屋敷があった場所に、竜神を祀る大社を建立することにした。人々の寄付を募って材木やらを集めていると、その話がさらに広まって「竜神様に感謝したい」と協力してくれる人々がどんどん増えていく。その頃には50年の日照りが嘘のように雨がよく降るようになり、はげ山のようになった大地は水をごくごくと飲み込んで、田畑は充分な水を得て、秋には豊作となった。

 竜神湖も水かさを増してかつての姿を取り戻しつつあった。

『ありがとうございます緑雨様』

 私の声はもう緑雨様に届かないけれど、人々の感謝の気持ちは竜神湖を通って紅玉湖にも届いているのだと信じることができた。国中の人々の感謝の想いが、湖の水を増やしている。勢いよく水かさを増す竜神湖を目の前にして、紅玉湖の力の源は人間の想いなのだと私は理解することができた。

 竜神様を祀る大社を壊し、己の欲を求めた神辺元網のなんたる愚かなことか。

 父は大社を新しくして竜神様への感謝を伝える集いの場を造ろうとした。父が成し遂げたかった意志を、今私が繋げたい。50年の時を経て、失われたものばかりの中で、父が残してくれたものもあったのだ。

 都でも名を馳せた有名な大工達が大社の建立に手を貸してくれると、遠く都からやって来てくれた。大勢の協力者のお陰で、大きな社が立つ算段が整って建設が始まろうとしていた。私は1人ではない、志を同じくして助けてくれる人々が集まってきてくれる。

 いつも、どんなときも…… 私の心には緑雨様がいて、背中から包み込んで抱きしめられている心地がした。緑雨様と共に私は1日、1日を生きていく。

ある日、いつものように社建設のために忙しく働いていると、息せき切って里人の1人が私の家に駆けこんできた。

「竜神の巫女様大変です。国主様が兵をこちらに向けているとのこと。我々をひっ捕らえるつもりのようです。逃げてください!」

 兵とは? 

 初めは意味が分からなかったが、脳裏にはあの日、我が父母を槍で追い立てて縛り上げ、連れて行った武士たちの姿が生々しく浮かんだ。

 国主への怒りが湧き上がった。

 また同じことをしようというのか。父が竜神様の大社を建てていたならば、人々は感謝の心を忘れず、湖も枯れなかったかもしれない。愚かにも元網の言いなりになって真実を見失い、我が父を殺した。罪人はどちらだ!

私が今、父の意志を継いでやろうとしていることを、止めさせるものか!!

 逃げてくださいと説得する里人を振り切って、私は大社を建てるかつての神辺家大屋敷の前で、兵士達を待った。

 黒い甲冑を着込んだ歩兵団と、馬に乗った武士達が里に入りきらない大軍勢で押し寄せ、私の前で止まった。

 ひときわ豪華な甲冑を着込んだ若い武士が、騎乗したまま上から切りつけるような殺気のこもった声で告げた。

「この地を我が物とし、許しも無く社を建てようと目論んでいるのはおまえか!」

 荒々しい男たちが血走る眼で、私だけを見据えている。あの刀の一振りで私はあっけなく死ぬだろう。かつての私は、里人の1人にも口をきくことができず縮こまって怯え暮らしていた。刀を帯びた兵団を相手に、返事を返すなど弱い私にできようはずもない。

 私は深く息を吐いた。怖かった、されど……その何倍も怒っていた。

 天を埋め尽くすほどの大きな体、透き通った銀の髪、虹色に発光する角、新緑の眩しい瞳の光。私は緑雨様の愛に包まれて大空を飛んだのだ。

あの時の雄大な気持ちを思い出す。怖れるものなど何もない。ゆっくりと息を吸った。

 そして真っすぐに大将と思われる男に視線を定めると、大きな声で返した。

「そうです、私はここに竜神様を祀る社を建てます」

「なんだと! ここは国主様の土地である。国主様の許しが無く民を先導し社を建立するならば、謀反の企みとしてお前を捕らえる」

 男の声を合図に、脇に控えていた武士が私を捕らえようと迫ってきた、しかし里人が私を守るように前に立ちふさがってそれを止めた。

「巫女様をお守りするんだ」

「おまえ達も国主様に反逆するか! その娘を差し出せば他の者達は不問にする。さあどけ、娘を捕らえよ」

 私は、守ってくれる里人達に微笑んで見せると、ずいと前に出た。

「私は竜神緑雨様の花嫁、国主ごときの許しなど必要としない。下がりなさい」

 男が怒りに目を剥いた。「捕らえよ」と怒号がして武者たちの太い腕が振り上げられ、大きな手が私の肩に触れようとした刹那、パンっと閃光が走った。

 あまりに強い発光に世界の全ては真っ白になり、その場にいた全員の視力を奪った。

 目の奥の痛みと共にゆっくりと視力が戻る。見ると私のまわりにいた者達が円を描くように吹き飛ばされ、雷に打たれたように体を痙攣させて倒れていた。

 左耳がなおも発光していることに気付いて、手で耳たぶに触れると緑雨様に贈られた石が熱を帯びていた。

『この石が、私を守ってくれたのだわ。緑雨様が私と共にいてくれる』

 馬から落ち、地に倒れたまま驚愕に私を見上げる大将の近くに歩み寄り、私は立ったまま見下ろし冷たく告げた。

「竜神湖を守るのは誰の務めであるか? 申してみよ」

 私の物言いに、男の口が怒りに歪んだ。だが私がずいと体をさらに進めて真上に立つと、恐怖に身を強張らせて、情けなくおたおたと尻をついたまま後ろに下がった

「竜神湖を守るのは国主の務めである。この50年の日照りから国を守ってくださったのは、竜神緑雨様の雨であるのにその感謝を忘れ、国中の社も祠も壊してしまった。人々から竜神様への感謝の心を奪ったのは誰なのか? 真に罪を負っているのは誰なのか? 申してみよ!」 

 驚きに目を見開いて私を凝視している、その場にいる全ての兵に向けて叫んだ。

「あなた方も知っているはず。夜更けに降る雨が歌っているでしょう? ざー ざー ざあ ざあ ざあ 緑雨様が歌っている声があなたにも届いているはず。どれほど苦しくても、己に鞭打って緑雨様は雨を降らしてくださった。だから竜神湖は干上がらず、川は水を運んでくれた。その間、国主は何をしていたか!」

 私は尻をついたまま怯えた目で私を見上げる大将の前にしゃがみこみ、怒りを込めて言い放った。

「我が父はこの地に竜神様の大社を建立しようとして、反逆者として殺さた。私は国主を許さない。戻って国主に伝えなさい。社を建てるのは本来は国主の務めだと、国中の壊れた祠と社を建て直しなさい、そして竜神様への感謝を天に向かって国主自ら言ってみせよと! 私は竜神の花嫁真砂、文句があるなら本人自ら直々に私に会いに来なさい!」

 私の怒りに呼応するのか、左耳の石が眩く発光し、後ろの藪にバーンと雷が落ちた。

 兵士達が一斉に頭を抱え恐怖にしゃがみ込み、「この方は真に竜神様の花嫁様だ」と騒ぎだした。

「国主様に竜神の花嫁様のお心を必ずお伝えいたします。どうか怒りをお鎮めください」

 大将の男は地に額を付けてひれ伏すと私に約束し、軍勢を引き連れて都に帰っていった。

 退いて行く兵団を見送りながら、歓喜に湧く里人に囲まれて、私はへなへなと力が抜けて座り込んだ。

 両手で顔を覆って、高ぶる気持ちのままに震えていたが、だんだん愉快になってきてとうとう笑ってしまった。

「どうなさいました巫女様?」

 笑う私を不思議がって里人が尋ねる。私も何が可笑しいのかよく分からない、けれど不思議な確信があった。

「紅玉湖が愉快だといって大笑いしている気がするの。ああ本当に、あの湖の気持ちは気まぐれで、私達のことをからかって喜んでいるみたい。それでもはっきりと分る。幼子の私が崖にしがみついていた日からずっと見守っていてくれたのだと。この50年の時間も……」

 言葉を続けようとして胸が熱くなり、目頭が涙でにじんだ。


 見るんだ幼子よ

 己の姿を、己の心を

 そうして誰がそなたを愛していたかを……


 竜神湖も紅玉湖も、ずっと私を見守っていてくれたのに、私自身が自分を見失っていた。

 この50年の喪失を得て、ようやく私は1人でないと知ったのだ。

 紅玉湖からしたら聞き分けのない私の頭をこつんとお仕置きした程度なのかもしれない。ああそれでも、この50年の月日は人の身の私にはとてつもなく重い。

 姫様とも、緑雨様とも別たれたこの時間が、場所が……

 どうしようもなく遠くて……

 己の愚かさを悔いている、悔いても悔いても……

 それでも私はあの日約束を選んだのだ。それが私なのだ。

 苦しい想いのまま生きていく。

私は立ちあがると大きく微笑んで、皆に宣言した。

「祭りをしますよ。紅玉湖と竜神湖は魂を同じくする双子。湖の童は賑やかなのが大好きなの、とびきり楽しく歌って踊りましょう。私達が楽しいと湖の双子もきっと喜びます」


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