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3.姫様との約束 

 目の前のこの人がご当主神辺元網(もとつな)様。

 私はあの方のご慈悲で生かされたのだと、里人から何度も聞かされた。

 そのご恩に報いるために、私はいったい何をするのだろう?


 私を部屋まで連れてきた、神官が説明を始めた。

「『竜神の湖』に竜の国より使者が参りました。神辺家は使者が参ったならば、家で最も位の高い未婚の娘を竜神様の花嫁にさし上げねばなりません」


「えっ?」

 声が漏れて慌て頭を下げた。許しもないのにご当主様の前で声を出してはいけない。けれど驚きに心臓がバクバクと鳴り出した。

 最も位の高い神辺家の未婚の女性は……


 ご当主の低い声が話を続けた。

「竜神の使者は数百年に1度現れると古文書に記されている。使者が現れたならば、必ず花嫁を送らねばならぬ。古来より違えることなく守られてきた神辺家と竜神の契約である。こたびこの花嫁に我が娘が選ばれた」


 姫様が竜神様の花嫁に!!


 ああそんなこと……姫様は病もあるのに、想像もできない竜の国に嫁ぐなんて何てお可哀想。

 里の若い衆は竜などおとぎ話だと笑っていたのに、まさか本当に竜の国があるなんて……


 私の驚きが冷めないままに話しは続いた。ときおり苦し気に眉根を寄せる当主の声は、嘘をいっているようには到底思えない。本当に姫はそんな不可思議な場所に行かねばならぬのか……


「そこでだ。おまえが先に竜の国に行け。使者が来るまで正直私は竜の国など信じてはいなかった。だが現実に使者が来て、私は契約を守らねばならぬのだと覚悟した。だが、我が娘は病もありか弱い。だからおまえがまず先に行き、竜の国の様子をしっかりと調べて参れ、花婿である竜神が姫を大切にしてくれるかどうか、しかと確かめてくるのだ」


 私……が? 

 竜……の国に……行く?


 あまりの話に呆然とするしかなかった。息を吸ったが胸に入っていかない。

 神官がご当主様に促されてさらに説明を続ける。


「古文書によれば、使者は湖を通って花嫁を竜の国へと連れて行くそうです。竜の国には大きな湖と夢の様に美しい宮殿があり、竜神は巨大な竜でありながら、人の形にもなると記されています。人語を話す人型の竜は花嫁に害をなすことは一切せず、大切に扱うともあります。そして、ここが肝心なことですから良く聞きなさい。竜神は本人が望まぬならば、人の世界に戻してくれる。だから古文書に記された内容は、戻った花嫁によって語られたことなのです。前回の花嫁は数カ月で帰ってきたと記録されています」


 戻って……来られる……

 心の中で呟いたのに、まるで私の声が聞こえたかのように当主が頷いた。


「罪人の娘よ、竜の国がどんな場所か調べて参れ、そしてよくよく竜神に姫を大切にするよう申し上げよ。帰ってきたおまえが姫に相応しい場所だと申すなら、竜の国に花嫁として娘を送ろう」


 どうして私がという思いがよぎったが、当主の言う恩に報いるとはこのことなのかと理解した。初めて会った当主の顔をみても、恐ろしいばかりで恩義は心に湧いては来なかった。けれど……


 私には大恩がある姫様がいる。

 姫様のお役にたてるのならば、何だってしたい。そして今(まさ)に、私は姫様の与えてくれたこの命を姫様のために使うことができるのだ。


 私は顔を上げ、真っすぐに当主を見つめた。

「話すがよい、許す」

「ご当主様……私は……私は……竜の国に……行ってまいります」

 ほとんど声を出さずに生活しているために、決意をもって発したのに声はか細く響いた。


 口の端を上げて、当主がまた笑った。背筋に怖気が走る。

「そうか、では明日の夜、使者の所へ連れて行く。今宵の話はこれで終わりだ、下がれ」

 あまりにもあっけなく話は終わった。


 拍子抜けしていたところに「……お待ち……」と微かな声が聞こえた。

 心が震える。それは若い女性の声だった、誰なのか教えられなくても確信した。


 姫様!!


 当主の隣の御簾がゆっくりと上げられていく。幾重にも重ねられた美しい絹。ほっそりとした白い手には扇子が握られている。御簾が上がっていく……お顔が見える……ずっと心に描いては、ただの一度でいいから拝見したいと願ったお顔が……


 ああ……想像していたよりもずっと美しい。


 細く流れる黒髪は絹の着物の裾より長く、真っすぐ艶やかに輝いている。

 毛ぶるような睫毛に縁どられた黒い宝石のような瞳。湖の水面に光が煌くように眩しくて、見つめていると胸が苦しい。白い陶磁器のような肌と紅が載せられた唇、そのかんばせはもはや天女のよう。


 姫様が私を見ている……


 何か仰ろうとして息を吸い込んで、こほっこほっと咳き込んだ。

 後ろに控えていた女官が手早く出てきて御簾を下げようとすると、姫様はそれを手で制した。


 姫様は大きく息を吸い込むと、決意の(まなこ)で私をしかと見つめた。この方は本当の言葉を私に話そうとしている。姫様の強い意思が私の瞳に注ぎこまれる。


「大儀であるが……行っておくれ」


 私は背筋を伸ばし、両の手を丁寧にそろえておくと、額を降ろした。


「姫様、行ってまいります。そしてお役目を果たして、必ず帰ってきます」

 一語一語、己の心に刻みつけるように私は約束した。


 そのまま私は顔を上げなかった。平伏したまま姫様が下がられるのを待っていた。しかし長い時が過ぎても、姫様が動いた気配は無かった。


 顔を再び上げた時、姫様は変わらぬ強い瞳で私を見つめていた。


「真砂、待っています」


 姫様が私の名を呼んでくれた。

 そのたった1度で……

 私は今まで生きてきた何もかもが(むく)われた気がした。 

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