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27.天狗と神竜

「アオちゃん!」

 私は訳が分からず叫んで、大袋に入れられたアオちゃんに手を伸ばした、けれど届かなかった。


 体が黒衣の腕に巻き取られ、テンガさんの胸に押し付けられた。吐き気がする程の強い酒の臭いが充満する。

あらん限りの力で抵抗したけれど、私はやすやすとテンガさんの右腕にがっちり捕らえられてしまった。

 彼の左腕には黒い袋が掲げられ、中でアオちゃんが激しく動いて「出せー、出せー」とくぐもった声が聞こえた。


「は……はなしてください」

 テンガさんはアオちゃんが入った袋を部下に渡すと、私の顎を持ってぐいと上を向かせ、顔を覗き込んできた。


「ずいぶんと肉がついて旨そうな娘になったなあ。あんたがこの3月あまり、あの子タヌキとウロチョロするのを眺めていたが……苛々するんだよ、あの坊やがいつまでたってもあんたを食わない。あの坊やにはきっとまだわからんのだろ、あんたの価値が。だったら俺がもらってもいいだろう?」


 抱きかかえられ、体がぴったりとくっつけられているためか、彼の低い声が全身に響くようだった。恐ろしい言葉に今すぐ逃げ出したいのに、不思議な香に頭が痺れたよう力が抜けて抵抗できない。

 彼の鼻が、髪に押し付けられ、息を吸いこむのが感じられた。「ああいい香りだ、たまらない」と彼は囁き、私の額を生温かい物が擦った。舐められたと悟ったとき、全身が拒絶して怖気が走った。


「俺が可愛がってやるよ。あの坊にあんたはもったいない。あいつが来たせいで、紅玉湖は青くなっちまった。赤い湖を見物にくる上客は減って商売あがったりなのに、水のかさまでどんどん減ってる。閉じちまった境界の扉も増えてるってのに……あの坊やはなーんにもできない。無能の疫病神め」

 吐き捨てるように言って、また酒臭い顔を近づけてくる。私はお腹の底から声を出した。


「リョクウ様は無能ではありません。毎日紅玉湖の為に努力しているのです!」

「はっ何が努力だ。雨を少しばかり降らせたところで何にもかわりゃしない。馬鹿馬鹿しい子供の遊びに付き合わされて、ここに暮らすみんなは迷惑してんだよ」

 怒鳴り声に身がすくむ、それでも私は負けじと睨み返した。


「俺はなコクウ様には一目置いてた。あの竜には敵わない。ここでは力が全てだ、強い奴には絶対服従だ。だがな、あの坊やは生まれたてのヒヨコちゃん。俺がちょいとくちばしでつついたら、すぐに心臓をつまみ出せる。あんな弱っちい竜が紅玉の主なんて、俺は認めてねえんだよ!!」


 あの雄々しい竜で天を泳ぐリョクウ様が弱っちい? この人は何を言っているのだ。

「リョクウ様は誰よりも強い、でもお優しいから……」

「笑わせる。坊やが強いだと? いつもあの黒麒麟の背中に隠れて、黙って突っ立てるだけ。まるでシンエイが主みたいじゃねえか。おお思い出しただけで気分が悪い。あのお高くとまった黒麒麟が来たら面倒だからな。早いとこあんたを俺の根城に連れて行こう。まあ心配するな、おれは優しいぞ、うんと可愛がってやる」


 テンガの顔が近づいて、思い切り逸らしたのに、手でつかまれて逃げられない。頬に唇が当たる。そのまま首のほうにさがって指で襟首(えりくび)をぐいと引っ張られた。留め具が外れて襟元(えりもと)がはだける。彼の唇がそのまま耳の下に押し付けられて、酒の生臭い息が吹きかけられた。


「嫌だー」

 身をガチガチに硬くして心の底から嫌悪した。嫌、嫌、嫌、触られたくない。

「ああ最高の匂いだ。あんたは間違いなく生娘だ。馬鹿な坊やは、ここもまだ食べてない」

 唇に硬い指が触れる。鳥肌が立つほどゾッとするのに逃げられない。唇を噛もうとすると、強引に指が口に入ってこようとする。目から涙があふれた。


「まさごー」

 頭の中にリョクウ様の叫び声が鳴り響いた。


 キーンッと空気が震えた。一瞬で全ての空気が凍り付くような異様な衝撃が走った。

 刃に身を貫かれたかのように、その場のありとあらゆる者が体を硬直させ、音も動きも全てを止めた。

「殺される」そう直感させる殺気が稲妻のように空から降って来た。


 怒りの塊となって殺気をみなぎらせたリョクウ様が、第二層の回廊から燃える眼でテンガを見ている。

 拘束していた腕がほどかれて、私はそのまま地べたにへたり込んだ。テンガが一歩、一歩と後ずさる。

 リョクウ様の恐ろしい程の殺気に、第一層にいる全ての者は彼を見上げ、震えを止めることができない。


「俺の真砂に触れるな!」

 頭の中に怒鳴り声が鳴り響く。


 リョクウ様の輪郭(りんかく)がぼやけるほどに、銀色に発光している。そしてとうとう姿が全て光となったとき、彼は神竜へと変化した。境界の館の中央広場は、輝く銀緑の体に埋め尽くされた。

 圧倒的な質量が、広大と思われた空間を埋め尽くす。八の字を幾重にも撒いて宙に浮いているが、尾の先が回廊に触れると、バキバキと崩れて落ちた。


 テンガは驚愕に目も口も大きく開いたまま、よろよろと倒れて尻もちを付いた。

「嘘だろ、こんなところで竜になったら境界の館が崩れ落ちる」

 彼のつぶやきが終わる前に爆音がして、家が1軒降って来たかと思うような衝撃が地面を揺らした。ドスッとリョクウ様のかぎ爪の1本が、テンガの座り込んだ又の間にめり込んだ。


 竜の体がうねって、第一層の柱を何本か吹き飛ばし、上階がバキバキと傾いた。人々が大声を上げて逃げ惑う。

 皆が逃げていく中、私はリョクウ様に駆け寄ると、彼は首を降ろして乗れと伝えてくれたので、銀色の髪にしがみついて頭に登った。


 リョクウ様は私を頭に乗せると、また体を八の字にくねらせて、彼にとっては狭い空間で泳ぎ始めた。眼は鋭くテンガから離さない。開かれた上空の天窓から、ゴロゴロと雷が近づく音が聞こえた。


「殺す!」

 頭の中をビリビリさせるような怒鳴り声がして、意識が遠のくほどの怒りが充満した。雷の稲妻がテンガに降り注ぐ映像が頭の中に見えた。これは駄目だ、境界の館が破壊される!


「リョクウ様だめー」

 リョクウ様止まってと心に強く念じて叫んだ。テンガの恐怖の絶叫が響き渡った。

 稲妻の閃光で辺りが白く光った。同時にバーンと雷が落ちる爆音が耳をつんざいた。


 思わず目をきつく閉じた。ふわりと体が浮かんだあと、リョクウ様の腕の温もりを感じた。目を開けると人の姿に戻ったリョクウ様に抱きかかえられていた。

 丸くなってブルブル震えるテンガは黒焦げになっていない、雷は境界の館の外に落ちたのだと分かった。


「真砂が止めたから、殺すのは止めたが、おまえの羽を捥ぐくらいはしないと気がおさまらない」

 冷静な口調でありながらもリョクウ様の怒りは治まっていない。テンガはうずくまったまま顔を上げると「許してください、つい酔っぱらって……もうしません」と震えて謝った。


「俺の真砂に触った、許さない。おまえの顔を次に見た時は必ず殺す。ここから出ていけ、そして2度と戻るな。天狗の郎党すべて、境界の館に入ることを禁じる」

 テンガは驚きに口を震わせて、しばらく声も出せなかった。周りのカラスが一斉に集まって人型になるとひれ伏して、主様どうかご勘弁をと泣き喚いた。


「われら天狗の一族は代々この境界の館の下層を取り仕切ってまいりました。万年と尽くしてきたのです、主様はお困りになりますよ、第一層は我ら無くしてはめちゃくちゃになりましょう。ですからどうか……」


「それがどうした!」

 リョクウ様は泣いて縋るテンガと天狗達を一喝した。

「俺の真砂に触った。未来永劫許さぬ。 グダグダいうなら……」

 また天がゴロゴロとなり始めた。リョクウ様が息を大きく吸い込んだ、竜の目が縦に細くなり獣の眼で殺気をみなぎらせる。ああ雷が落とされると天狗達は身を縮み上がらせた。


「失せよ!」

 リョクウ様の怒号に天狗達はカラスに変化すると一斉に飛び立った。黒い塊のつむじ風のようになってカラスたちは柱の森の暗がりへと消えて行った。

 たった1人、ひれ伏すテンガだけがのこされた。彼はよろよろ立ち上がり、力をすっかり無くして虚ろな顔を上げると、縋るようにリョクウ様を見たが、すぐに何の希望もないのだと悟ったようにうなだれた。

「万年と続いていた我らが役目が……俺はなんと愚かなことを……」

 ささやき声を残して、大カラスに変化すると彼も暗がりに飛び去った。

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