26.新月の祭り
紅玉の湖にやって来て3カ月が過ぎ、季節は秋から冬へと移り、私は新年を迎えて17歳になった。
カラスの階は見渡す限り、至る所に出店が並び、すれ違うのも一苦労なほど妖達でごった返して大賑わいだ。
私は数ある出店の中から一軒の店に狙いを定め、置物の前に立つと、これだ! と思った。
自分の体と同じくらい大きな竜の置物があった。竜の目とバチリと視線が合った。
黒色の輝く石で造られた竜は、大きなかぎ爪と波打つ髪、そして長い髭が彼にそっくりだ。
「これは緑雨様だ。これが良い! アオちゃん私これを買います!」
アオちゃんの眉毛がこれ以上は無理というところまで下がって、申し訳なさそうに笑った。
「真砂様、それは……」
「おうお嬢ちゃん、それは400万両よ」
店主がじっとこちらを見た後、本当に買うのかい? と値段を教えてくれた。
出店には、美しい石で造られた様々な置物や飾りが並んでいる。その中でもこの竜の置物はひときわ大きかった。
私は堂々と、手のひらに握っていた銀銭を見せた。
「それりゃ4両。それを400万枚もってきな」
店主はガハハと笑い、私はびっくりして銀銭を見た。
撫子さんのそば屋で働いて、生まれて初めてもらった給金。
お金があれば何でも買える気がしていた。でもあとこの銀銭が39996枚足りないとは!
今日は新年最初の新月の祭り。
新月は妖達の力が最高潮になり、飲めや歌えの大騒ぎをしたくなる日なのだそうだ。
だから第一層のカラスの市は、常も賑やかなのに、今日はその何倍も大きな市がたって、妖に半妖に獣人に、物見遊山の神々と、それはもう様々な種族のものたちが入り混じってごった返す。
出店が東西南北どこまでも続いて、至る所で三味線やら太鼓やら、見たことも無い異国の楽器がかき鳴らされ、歌って踊って、誰もが陽気に祭りを楽しんでいる。
境界の館の秩序は、普段は黒麒麟の仁永様によって厳しく取り締まりされている。
邪気に敏感な麒麟である仁永様は、争いごとや邪な企てをする者を見つけ出し、即座に駆けつけ圧をかける。
彼は争いごとが嫌いだ。だからそれを絶対に許さない、黒麒麟の正義の神気は山一つ分の重さのごとく、のし掛かってくるのだそう。彼の無言の重圧の前では何人も諍いを起こすことができないのだ。
第一層を任されている天狗たちは、黒麒麟が近くに来るのも「息が詰まる」と仁永様を毛嫌いしているそうで「お綺麗な正義の神気を受けるくらいなら、タヌキの糞を食べる方がましだ」とまで言って、争いごとが起きないように、第一層のもめごとを仁永様が来る前に解決しているのだと撫子さんが教えてくれた。
けれど時に人は羽目を外したいもの、本能のままに生きる妖達ならなおのこと……
境界の館では、新年最初の新月は無礼講となる。今日1日は少しばかり騒いでもお咎め無しのお祭り日とするのが伝統。
黒麒麟の仁永様は普段は一滴も飲まない酒を飲まされて、酔っぱらって二胡を弾く。二弦の三味線ような楽器を彼は心から愛していて、酔っぱらうと演奏に夢中になって何が起きても気が付かなくなるのだそう。境界の舘の『見張り番』の酔いが醒めるまで、束の間だがお祭りが続くのだ。
境界の館で最も身分の高い『紅玉湖の主』である緑雨様は、上位の神々の相手をせねばならないと「面倒だなあ」という言葉を顔に張り付けて、朝から仕事に出かけている。
でも「午後は真砂と祭りを楽しむぞ」と私とカラスの市を見物する約束をしている。それまでは大人しく部屋で待っているのだぞと言われたのだけれど……
私は撫子さんに給金を頂いた時から、どうしてもしたいことがあったのだ、だからアオちゃんにお願いして、緑雨様を待たずにカラスの階のお祭り屋台に来ていた。
「これは……あまりにも小さいわ…………」
がっかりして、とぼとぼ歩く私の手を引いて、アオちゃんが「大丈夫」と励ましてくれる。
私にたくさんの贈り物をしてくれる緑雨様に、自分で働いて得たお金で特別に素敵な物を買って、お返しをしたかった。あのでっかい竜の置物をあげたら緑雨様はきっと大喜びしてくれると思ったのに…… 4両で買えたのは、米粒ほどの緑の丸い石が1つだった。迷って迷って、色んな飾りを見たけれど、この石は特別に緑色が美しかったけれどあまりに小さい。
「それは上等な翡翠です。店主はめちゃくちゃ値引きしてくれたですです。緑雨様の色ですからきっと喜びますよ。真砂様が初めに欲しがった置物は、緑雨様のお父様である黒雨様でしたから、その石のほうがずっといい」
「え? あれは緑雨様の置物ではなくて、お父様の? そっくりだった」
「そうですね、お姿はそっくりですが、黒雨様は黒いのです。今でもここでは大人気ですです」
そう言われてみると、黒い竜が描かれた昇旗やら、置物やら、まんじゅうやら、至る所に黒い竜がいる。けれど緑の竜はどこにもいない。
私がキョロキョロしていると、アオちゃんが手を引いて歩くよう急かした。
「早く部屋に帰りましょう。今日はとにかく妖達が浮かれていますから、真砂様が攫われたら一大事ですです」
「どうして私が攫われるの?」
「真砂様は人間ですから、妖達はお嫁に欲しいのです。神様達も同じです。緑雨様はまだ真砂さまを花嫁としてお披露目していないので、真砂様は誰にもどこにも属していない危険な状態ですです」
ここに来てから、神や妖の伴侶である人間を見ることはあった。けれど自分と同じ独身の人間は撫子さんだけだ。彼女の父親が信じられないくらい強いのは先日知った。
「緑雨様と結婚すれば、紅玉の主の妻に手を出す者はいませんが、今はまだ違うですです。新月の祭りはみんな浮かれるから、真砂様にちょっかいを出してくる妖がいるかもですです。今日は仁永様は酔っぱらって助けにきません。僕は強いですが、できれば戦いたくないのですです」
7歳の男の子の様にしか見えないけれど、なんとアオちゃんは強かったのか!
アオちゃんは私の護衛を緑雨様から頼まれているのだと、誇らしげに語った。どんな風に強いのか聞こうとした時、目の前に派手な柄の着物で、顔に赤や青の化粧をした大猿が道を塞いだ。
「良い匂いをさせてるなぁ嬢ちゃん。あんた純粋な人間だろう? 旦那はどこだ?」
見上げるような大猿は筋肉粒々で覆いかぶさるように、上から覗き込んできた。強烈な獣臭と混じりあった香の臭いがツーンと鼻に来る。
背中が怖気にぞわぞわして後ずさると、アオちゃんがさっと前にでてかばってくれた。
「さがれ猿! このお方は紅玉の主緑雨様の花嫁様だ。おまえごときが軽々しく口をきくな!」
ものすごい強気なアオちゃんだけれど、どう見てもただの可愛い男の子。
「それはそれは花嫁様に失礼しました」
大猿は嫌らしく口の端を上げると馬鹿にしたように私を見た。
「てめえら、この娘は俺がいただく。このちびっこいのを捕まえろ。皮をはいで、身は鍋にでもぶち込め」
大猿の後ろに控えていた子分らしい猿達が7人程ぬっと近づき、あっという間にぐるりと取り囲まれてしまった。
「主の花嫁がこんなところで、子タヌキポンポンとたった2人で歩いている訳なかろうが。こんな上物の人間の娘を拾えるとは、俺はついてる!」
大猿はアオちゃんの襟首をつまむと、団子の串を1本持ち上げるような軽さで、目もとまで軽々と持ち上げた。アオちゃんを助けなきゃと思うのに、私は恐怖に体が硬直して動くことができなかった。
「真砂様、手ぬぐいです! 早く!」
言われてハッと思い出し、帯に掛けていた一枚の絹の布を取り出した。
アオちゃんとカラスの階に撫子さんを訪ねて行くときは、何故か必ずこの手ぬぐいを持たされる。『僕が合図したら、それで鼻と口を覆うのですです』と繰り返し約束させられていた。
アオちゃんは大猿を蹴とばすと同時に、ポンとタヌキに姿を変えるとくるりと宙に飛んだ。
パッフウウウウー
気の抜けたほら貝を吹き鳴らしたような音を鳴らして、アオちゃんは華麗に着地した。
とたん、目が染みるように痛んだ。口と鼻にぎゅっと布を押し付け耐えると、周りにいた猿達がバタリ、バタリと地面に倒れて行った。それを合図にしたように、アオちゃんを中心に、周りにいる者達が「うぐぐ」と苦しそうにバタバタ倒れていく。それはどんどん広がって、屋台のお客や店主達まで、よろよろと地面にしゃがみこんでいく。
アオちゃんがトンっと地面を足で叩くと、正面の大猿がドーンとのけ反って地面に大の字に倒れ、気を失ってピクピク痙攣した。
「必殺タヌキの屁ですです!」
アオちゃんが振り返り、片目をつぶって得意気に尻尾を振った。
臭いが少しずつ薄らいでくると、遠くでしゃがんでいた人達からだんだん起き上がってきた。けれど近くにいた猿達はひっくり返ったまま動かない。死んでしまったのかしらと覗き込むと、アオちゃんが「そのうち起きるですです」と教えてくれて安心した。それにしても、一瞬で50人位の人達の気を失わせるとは、アオちゃんすごく強い。さすが緑雨様の近習様だ。
バサバサ羽音がして、次々にカラスが集まってくると、くるりと回転して黒衣の男達がやって来た。倒れている人々を抱きかかえ、介抱を始める。すぐに大カラスが目の前に舞い降りて、天狗の長である天雅さんに姿を変えた。
天雅さんの体から不思議な香の匂に混じって、強い酒の臭いがする。彼の頬は少し赤みを帯びて、目は濡れたように輝き、笑い顔は艶めかしかった。
「天狗の長殿、こいつらをひっ捕らえてるですです! 花嫁様を攫おうとしたですです!」
アオちゃんがぴょんぴょーんと跳ねて、猿達を指さすと振り返って私に微笑んだ。
「真砂様、これで安心。天狗達が来てくれたですです」
アオちゃんがそう言ってまたぴょんぴょーんと跳ねたところを、テンガさんがひょいっと捕まえた。え? とアオちゃんがテンガさんを見た瞬間、彼はにやーっと笑うと、ばっと黒い袋を広げた。瞬き1つの間に、タヌキ姿のアオちゃんは袋の中に入れられてしまった。




