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24.緑雨様と姫様が結婚したら

「それでね撫子さん、私のお部屋に姫様をお招きするの。それでね、それでね……練習したの。緑雨様が私のお部屋にお招きした1番目のお客さん! 二人で並んで座って、部屋でお茶を飲んだの……とても楽しかったの」


「はーいワカメそばのお客様、はいどうぞ。真砂様ネギをのせてください」

 私はカラスの階にある市場で、そば屋の屋台を出している撫子さんを手伝っていた。


 撫子さんは毎朝お家でおそばを打って、だし汁をつくり、色々な具を準備してお昼の屋台を出す。カラスの市と呼ばれる早朝から始まる市場で、人気のそば屋さんなのだそうだ。

 私が緑雨様のいる最上層に自分のお部屋をもらい、竜族の侍女達のお世話を受けるようになると、撫子さんは店を長く閉める訳にはいかないからとカラスの階の長屋に帰ってしまった。

 いつでも来てくださいねという言葉に甘えて、私は3日と空けずにアオちゃんと一緒に昼時のお手伝いに来ていた。撫子さんは私に料理も教えてくれて、お餅も上手に焼けるようになった。


 撫子さんがそばを茹で、だし汁を入れると、アオちゃんがお客さんが選んだ具をのせる、そして最後に私がネギをのせてお客様にお出しする。


「それでね、お部屋の天井から緑雨様が水晶の飾りを垂らしてくれて、そこに陽があたるとね……すごいの……虹が床に映るの……もうそれは、とっても奇麗なの。それをね姫様にお見せできるかと思うと、夢のようで……それからね、猫じゃらしがね、芽をだしたの……緑雨様がね……」

「もー真砂様、早くネギをのせるですです!」


 アオちゃんは背が低いので、台の上に乗って働く姿はそれは可愛らしい。けれど仕事ぶりはテキパキと見事な手さばきだ。天ぷらに、ワカメ、お揚げに、玉子、山菜に、お餅と具材が色々あるのに素早く載せる。具が選べるのが人気で毎日行列ができ、昼時は大忙しだ。


 撫子さんのお手伝いがしたくて、それに働くのも楽しくて、私は黙々と手を動かすだけだった。それなのに、どうしてしまったのだろう、ここ数日私はスルスル、スルスル言葉が出て来て口が閉まらない。ここに来たばかりの頃は、必死に声を出してもつっかえて上手く喋ることができなかったのに、私はこんなにもお喋りだったなんて! 自分に一体何が起きたのか驚くばかりだ。


「この前はね、おやつにまんじゅうを緑雨様と食べたの。まんじゅうというなら、甘い餡が入っているものでしょう? 私は里でまんじゅうを食べたことがないから……知らなかったの。お肉のまんじゅうもあるのね、びっくりしたの。そうしたらね、緑雨様が色んなまんじゅうを作らせると言って、今夜はね、中に何が入っているか分からないまんじゅうが、たくさん夕食に出るのですって。辛いのが入っていたらどうしようドキドキするの……でも楽しみなの。緑雨様はねいつも私のお話を聞いてくれて、私を喜ばせようとしてくれて……でもね、時々いたずらっ子みたいになってしまうの……それでね、それでね……」


「もー! 真砂様ネギです、ネギ!!」

 私は二人に呆れられつつも、どうしても口を閉じることができずひたすら喋り続けた。昼時を過ぎると完売となり、早々に屋台を仕舞って撫子さんの家に3人で帰った。


 撫子さんが暮らす長屋に戻ると、みんなで一息ついて、遅いお昼を食べる。撫子さんが私達にそばを用意して好きな具をなんでも載せてくれる。アオちゃんは自分用に具の全部載せをして、モリモリになったどんぶりを運んできた。私はそばに乗せる具は毎日お餅を選んでいた。お餅になるなら、やはりお餅を食べなくては。


 熱いおそばを食べるのもすっかり上手になった。湯気の立つだし汁からお餅をつまんで口に入れると本当に美味しい。

「真砂様が、何でも美味しそうに食べてくれるようになってとても嬉しいです。ああでもやはり……心配です、本当にこのままでいいのかしら」

 撫子さんが自分のそばには手を付けず、私を見つめて大きなため息を吐いた。


「あの……ごめんなさい。私はしゃべり過ぎなの。止めようとするのだけど……どんどん言葉がでてきてしまうの。私の口はどうしてしまったのかしら。がんばって直しますから心配しないで撫子さん」

 撫子さんは「まあ」と驚いてふふふと笑った。

「良いのですよ、むしろたくさんお喋りしてください。今まで独りきりで生きてきたのです、心に堰き止められていた気持ちがあふれ出しているのでしょう。素直な気持ちをたくさん外に出していいのですよ」


 緑雨様にここでずっと暮らせばいいと言われてから、私はふわふわ綿の上を歩いているみたいに、心が落ち着かない。私の心はすぐに気持ちで一杯になり溢れてしまう。嬉しくて、楽しくて、びっくりして、その気持ちを聞いてもらいたくてたまらなくなる。緑雨様が優しい目で「うんうん」って聞いてくれる。私はお話してももう叱られないの! ああ、もう気持ちは羽が生えたように軽くなって、踊り出してしまいたくなる。


 初めて私だけのお部屋ができた。そこに私だけの服が何着もある。信じられない、私の物があるなんて! 今までは里の子が使い古した着物を捨てるように与えられ、罪人達の食事の余りをお慈悲で恵んでもらっていた。いつも誰かのいらない余りを拾って生きてきた。でもここでは緑雨様が『真砂の物だ』と用意してくださる。


 姫様の物をお借りするのではない、私の為に用意された私だけの物なのだ。初めは不安で、悪いことをしている気持ちがどうしても消えなかったけれど、緑雨様が大きな口で『良いに決まってるだろ』と牙をみせて豪快に笑う。竜神様が許してくれるのだもの、だから大丈夫。もう怖くない。


 私のお部屋に必要な物を、緑雨様と1つずつ選ぶ。「どれがいい?」「何色が良い?」と私の好きを聞いてくれる。初めは全然選ぶことができなかった。けれど私が「これが好き」と伝えると、ぱあっと光が弾けるみたいに「そうかこれが好きか真砂」と笑ってくれる。

 あのお日様みたいな緑雨様が大好き。生きていることがこんなにも楽しいなんて、全てがキラキラ輝いて見える。ここに来た時はまるで夢の中の様に思っていたのに、もはや崖にしがみついて冷たい風に吹かれていた頃がどんどん遠くなって夢のようだ。


 私はここに居ていいのだ。ずうっと、ずうっと緑雨様のそばに。

 たくさん食べてお餅になったら姫様を迎えに行く。そうしたら姫様と緑雨様は結婚する。


「姫様がこちらに来たら、私はまた薬草を採って姫様のお薬を作ろうと思ったの。でも竜神の伴侶になれば、神気を吹き込まれて不老長寿となり、竜神様と同じ千年の時を共に生きられるのだそう。だから緑雨様に神気を吹き込まれれば、姫様の咳も治るからお薬はもういらないと言われたの。私は薬草採りしかしたことが無いから、他に何かできることがあるか分からない。でも、姫様のお役に立ちたい……撫子さん。私は姫様のために何ができるかしら?」


 撫子さんは、どこか痛むような辛い顔をした。

「真砂様は神気を吹き込まれるという意味が分かっていますか?」


「緑雨様が言うには、急にたくさん吹き込まれると人は体が耐えられないから、少しずつ何年にも渡って神気を吹き込むことになるだろうと。……どんどん体が神様に近くなって、青竜様のように水の中でも息ができて自由に泳げたり、竜の背にのって何日飛んでも平気になるそうです、他には……」


「真砂様」

 私が言葉を続けようとするのを、撫子さんが辛そうに遮った。


「神気を受けるとどうなるかではなくて、緑雨様がどうやって神気を与えるのか、その方法を知っているかと私は聞いたのです」


 私は撫子さんがあまりに悲痛な顔をしているので心配になった。これはそんな深刻な話なのだろうか?

「ええと……ええと、よく分からないけれど。吹き込むと……」


「真砂様、よく聞いてください。緑雨様は夜ごと花嫁を愛しみ、腕に抱いて交合しながら口移しで神気を与えるのです。これを聞いてどんな気持ちになりますか? あなたの慕う姫様と緑雨様がそれをなさる隣の部屋にあなたはこれから暮らすのですよ。平気でいられますか?」


 吹き込むと言うからには、何かを口に吹き込むのだろう……だがら口移し。なるほどと思った。

 しばし考えてみた。姫様と緑雨様が仲良くすることは私の望みだ、それに何の問題があるだろうか。

「平気です……よ? どうしてそんなことを聞くのですか? 大好きなお二人の近くで暮らせたら嬉しい」


 音を出さないまま「え?」とため息のような声を出し、撫子さんは悲しそうに私を見つめた。

「あなたは……まだ10歳のまま……身も心も時を止めているのですね。そうしなければ生きられぬほどに、あまりに辛かったのでしょう。ああでも、このままではいけない。傷ついてきたあなただからこそ、もう傷ついて欲しくない。真砂様、正直な気持ちを教えてください。緑雨様をお慕いしていますか?」


「はい!」

 私は笑顔で、大きく返事をした。大きな竜の姿も、笑うと可愛くなる竜の目の人の姿も、緑雨様の全てが大好き。

「ならばどうか、真砂様が緑雨様の花嫁になってくださいませ」

「それは出来ません。姫様が花嫁です」


 撫子さんは深くため息を吐き「……このままでは緑雨様はあなたを深く傷つける」と呟いた。

「そんなこと無い、緑雨様は私をとても大切にしてくれます。緑雨様はいつもお優しい。私を傷つけたりしません」 

「緑雨様が優しいからこそ、真砂様を傷つけるのです」

 私が緑雨様がどんなに優しいかをもっと言いつのろうとすると、撫子さんは訳の分からないことを言った。


 優しいから……傷つける?

「恋とは幸せなだけではない、どんなにお互いを大切にしたくても傷つけてしまうこともあるのです」


 さっきまで湯気をたてていたそばは、すっかり伸びて冷えてしまった。

「撫子、そばを食べないなら僕がもらうですです」

「アオちゃん!」

 あまりに大きな撫子さんの声に、アオちゃんは驚きに飛び上がってポンっとタヌキになった。


「もう、恋愛指南とやらを止めてちょうだい。緑雨様が真砂様にこれ以上何かをしでかす前に!!」

 子タヌキの可愛いアオちゃんが、怒った声で髭をピクピクさせた。

「嫌ですです! 手を繋いで頭をなでなで。二人でお出かけも何度もして、贈り物もいっぱいで真砂様は笑顔山盛り。至極順調ですです。次は口づけ」


「ぐあー」

 どこからそんな声が出るかと思う野太い叫び声を撫子さんは上げてちゃぶ台をバンと叩いた。

「駄目! 絶対に駄目! アオちゃん自分が何をしているか分かっているの? 主様は別の女と結婚するのよ。真砂様を傷つけないで!!」

 怒って尻尾をこれでもかと太くして撫子さんを威嚇していたアオちゃんは、急にしぼんで、きょとんとした。

「緑雨様と結婚するのは真砂様ですです」

 そんな当たり前のことも知らないのかと呆れた風にアオちゃんが言った。


 私は「ちがう、ちがう」と首を左右に振り、撫子さんは「だから、緑雨様の練習なのでしょう?」と反論したがアオちゃんは、はははと笑った。

「何にも分かっていないのは、二人の方ですです。僕は知っています。緑雨様の花嫁はこの世にたった一人、真砂様ですです」


 撫子さんは頭を振るとアオちゃんと話すのを諦めて私の前にぐぐぐっと恐ろしい顔で迫って来た。

「いいですか真砂様、あなたが主様と結婚なさるつもりがないのなら、絶対に唇を許してはなりません。どんなに主様が甘い言葉で迫ってこようとも、絶対に絶対に口づけだけはしてはなりません!!!」

 そうして力ずくできたらこうして反撃するのだと、身振り手振りで指導を受けているところに、カラカラと扉が開いて、包みを手に持った仁永様が訪ねてきた。


「…………何をしているのです撫子」

 仁永様が、蹴りのお手本をしている撫子さんに何と言ったものかと複雑な顔をして聞いた。

「真砂様の唇を守るための護身術を教えているですです」

「唇を守る……何から守るのですか?」

 アオちゃんが「緑雨様の口づけからですです」と言ってけらけら笑った。


 仁永様はしばらく無言で、冷めた目で私達を見ていたけれど、ボソリと言った。

「口づけなんて、そんなに特別なものですかね。黒雨様と奥様がことあることにしているのを幼い時から見慣れているから、どうとも思わないな……口と口がぶつかるくらい、本人達が合意ならいいのでは?」


 凍るような空気が、撫子さんからビューっと吹き上がるようっだった。

 静かに何も言わない。だが、彼女が壮絶に怒っていることは明白だった。


「……帰ってください」

 細められた冷たい視線で刺すように撫子さんが仁永様に告げた。

「え? いや、あの……撫子その……あの……」

 冷静な姿しか見せない仁永様が、ちょっと驚くくらい動揺して口をあわあわと動かした。


「何の御用ですか? わたくしは真砂様のお世話の役は辞めたはず。わたくしと真砂様は友人としてお付き合いしているのです。主様と仁永様には関係のないこと、このような下層の民を訪ねてくるのはもうおやめください」


 仁永様は「それは……困る……ので、私は……だから……その……」と口の中でもごもご言いながら、手に持っている包みを撫子さんに差し出した。

「何ですか?」

「……贈り物」

「真砂様にですか?」

 聞かれても仁永様は答えず、ただ撫子さんを見つめて包みを捧げるように渡した。

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