23.優しくするということ
「猫じゃらし……早く芽がでない……かな」
真砂が部屋に置いた、大きな鉢を覗き込みながらつぶやく。丘で摘んできた猫じゃらしは、枯れて種が落ちたので、鉢に土を入れて二人で種を撒いた。春になれば芽をだして部屋に猫じゃらしがたくさん茂るのを真砂は楽しみにしている。
鉢を覗き込む真砂は、リスのようで可愛らしい。
真砂の部屋ができあがったので、俺は仕事の手が空くと、真砂と一緒に部屋に必要なものを揃えていた。
境界の舘は、空間を無限に広げることができる。湖の小島に建つ一軒の舘であるが、館の中は異空間で、四方に伸びた広大な敷地は1つの街と呼べるほどだ。
館を広げるには、術者による面倒な儀式と術式を描いた特別な式陣が必要になるが、手順を踏んで紅玉湖に願うと館の空間は自在に伸び縮みさせることができる。館の空間が広がったあとは、内装や家具は生まれてこないので、造られたものを運び込むことになる。
舘の主として、どこに新たな空間を広げるかを采配するが、妖達の力関係を鑑みて慎重に決めねばならない。さらに細かい手順やら儀式やら、仁永の助けを借りながら、頭をうんうん悩ませてする作業なので苦手な仕事だ。だが今回は俺の部屋の隣に真砂の部屋をつくるのだ!
彼女が近くにいてくれると思うと気分がよくて、術者を急かして作業を進めた。
カンナベの姫を迎えたら、また新たに空間を隣に造ればいいのだから、今は真砂の部屋が俺の隣だ。
真砂の侍女達は、花嫁様にはあれも必要これも必要と、目をギラギラ輝かせて部屋造りを仕切ってきて、若い女性が好みそうな可愛らしい部屋をあっという間に造ってくれた。彼女たちは真砂が可愛くてしかたがないようで、隙あれば彼女を磨いて飾り上げようとする。
その気持ちは俺にもわかる。あのつぶらな瞳がすこし潤んで「ありがとうございます」と上目に言われると、もっともっと欲しがってくれと思う。何でも与えてやりたい。
しかし、真砂の希望を聞き出すのは、なかなか難儀なことだった。アオは「真砂様の気持ちをちゃんと聞くのです! 真砂様の好き!をたくさん見つけるのが次の課題ですです」と厳しく言う。
だが何が欲しいかと聞いても、彼女は首を傾げるばかり。遠慮しているのではなく、本当に何が欲しいのか分からない様子だった。ぼろ着でゴザの上に寝ていた彼女の今までを思うと心が苦しくなった。
俺の部屋にある座布団や絨毯の織物を見せて、いろんな動物が模様に織り込まれているのだと教えると、真砂が目を驚くほど大きくさせて、夢中で織物を見る。
「リョクウ様、狼がここに! クマがここに! あ!これは小鳥!」とそれは嬉しそうで、とうとう「これと同じが……欲しいです」と言ってくれた。
そして、どの色がいいか、どんな手触りがいいか、ゆっくりと彼女の答えを待つと、小さな声で「これが好き」と呟く。その瞬間、俺は大きな勝利を得たような、何者にも代えがたい満足感を得た。
真砂の「好き」が増えていくことが嬉しくてたまらなかった。
優しくするとは、どうすることなのか……
アオに教わりながら、真砂の『好き』を探していく。
優しくする練習と聞いた時は、そんな面倒なこととうんざりした気持ちになったのに、真砂とする練習は何一つ嫌ではない。彼女の顔を眺めていると今まで感じたことのない気持ちになった。
それは不思議な気持ちで、彼女は俺の心を穏やかにさせ、深い安らぎを与えてくれる、それなのに心の中の何かがそわそわと落ち着かない。まるで幼い日に、嬉しくてはしゃいで空を飛びまくっているときのような興奮がある。安堵と興奮がない交ぜになって胸が苦しくなるのに、彼女から目が離せない……いつまででも見ていられる……
「抱っこはまだ。でも頭をなでなでならいいですです」
アオから真砂に触れる許しがでたときは、胸の奥がぐううっと掴まれるような、痛みに似た感覚を味わった。嬉しいのに、何故かすぐに真砂に触れられなかった。
ここに来てから輝きを取り戻したサラサラした髪が、肩口で揺れる。俺はついこの間まで、この小さな頭をいきなりつかんで、荒っぽく撫でまわしていた。どうしてそんなことができたのか、今は分からない。
そっと、優しく、壊さないように……
真砂の髪を撫でてみる。
ああまただ…… 胸の奥が苦しい、それなのに嬉しい。いや? これは嬉しいという気持ちなのだろうか……
胸の中が騒ぐ、その気持ちがため息になって漏れ出た。
触れたいと思う。
もっと、真砂に触れたい。腕で囲って抱きしめたい。
優しくしたいと思うのに、時々自分の中に制御できない激しい気持ちが込み上げて、俺は真砂を傷つけてしまうのではないかと不安になる。
触れたいと思うほどに、俺は手を伸ばすことができなくなり、出来る限り真砂に触れないように己を律するようになった。
「この石は真砂の新しい部屋ができたお祝いだ」
真砂の部屋の天上に水晶の玉を吊るしてあげた。多角に削った石に太陽の光を通すと、床に虹の輪が無数に映って揺れた。
「わ、わ、わ、すごい! すごい! きれい!」
真砂が床にしゃがみこんで、揺れる虹の光をなぞる。そうして俺を見上げて……口元が緩んで……
ずっと硬い人形のように動かなかった表情が、柔らかく微笑んでいる。
真砂が幸せそうに笑っている。胸の真ん中がじわじわと熱くなっていく、この熱をどうしていいのか分からない。
ポ、ポ、ポ、ポポポポ…… それは音と呼ぶには小さすぎる、ささやきのような気配が、猫じゃらしの種を蒔いた大きな植木鉢から聞こえた。真砂が不思議な顔をして、植木鉢に駆け寄って中を覗いた。
「緑雨様! 芽が出てる!」
振り返って目をまん丸にして驚いている真砂に、俺は照れくさくて頭をかいた。
「あーそれは俺の力だ。青竜は春を司る神だから、俺は草木に生命力を息吹かせる力があるんだ」
「緑雨様の力? 冬なのに……春にする?」
「いや……そんなすごい力はない。それにまだ、俺は力を全然制御できないんだ、無意識にやってしまった。たいした力じゃないんだ……」
言い訳がましくいって恥ずかしさに目をそらした。青竜の春の力はめちゃくちゃに感情が高ぶった時にしか出ない……真砂の笑顔1つで、とんでもなく心を躍らせた自分自身に驚いていた。
俺はいったいどうしたのか。
胸いっぱいに何かが広がって、苦しい感じさえするのに、心地よくて、そしてもっと喜ばせたい、もっとあの笑顔を見たいという強烈な欲が全身を駆け巡って、空を暴れ飛びたくなった。
「私のお部屋ができて嬉しいです。緑雨様ありがとうございます」
真砂があまりに深々とお辞儀をしたので、笑ってしまった。
「でも……私のお部屋に座布団がいっぱい……こんなにどうしよう……1つでいいのに」
真砂は座布団を数えて、多すぎると困った顔をした。色々な動物が織り込まれた座布団を作ったので、確かに真砂の部屋は座布団だらけだ。
「座布団1つでは、客も呼べぬではないか」
「客?」と呟いて、真砂は不思議そうに小首をかしげた。
「私のお部屋に……お客様?」
「そうだ、おまえの姫様がこちらに来たら、真砂の部屋に招待するといい!」
ひゅっと息を吸いこんだきり、真砂は体を硬直させて固まった。
「駄目です。それは絶対に……駄目なこと。わた……私のような者のところに……姫様をお招きするなど……許されません」
手が白くなる程に真砂が手を握りしめて緊張している。小さな拳を上から包むように握って、真砂の前に膝立ちになり頭1つ分高くなった真砂の顔を見上げた。
「姫のことを大切に思っている真砂は、姫の友人に誰よりも相応しいと俺は思うぞ」
彼女は唇を噛むと、少し泣きそうになりながら首を激しく振った。
「私が……姫様のご友人……そんな……そんな……ご無礼をしては……駄目で……私は……姫様と口をきいては、いけなくて……」
今度は俺が首を左右に振った。なんと言葉をかければ、彼女の心を縛りつける見えない縄が解けるのか分からない。真砂はこんな細い体で、独りぼっちで酷使されながら生きてきた、そして死を覚悟して水に飛び込みこちらに来てくれた。ただ一筋に姫の役に立ちたいと想っている。
真砂のこの想いが、健気な強さが、俺の胸を苦しくさせるほどにいじらしい。彼女の姫への想いを大切にしてやりたいと思う。
「真砂は姫のために何かしたいのだろう? ならば、知らぬ世界で不安になるだろう姫を、真砂が友人として支えてあげるといい」
真砂は何も返事をせず、長い事俺を不安そうに見つめて動かなかったが「私なんかが……いいのかしら」と消え入りそうな声でささやいた。
「真砂だからいいんだ」
彼女の黒曜石の瞳が濡れたように輝いた。
自信なさげであったが、とうとうはコクリと頷いた。
「姫様のお役に立ちたい……です。ここで……喜んで……暮らしてほしい……から」
真砂が水晶を見上げた。瞳はどこか遠くを見ている気がした。人界の姫様のことを思っているのだろうか。
幸せそうな微笑みが、俺の胸に何かを泉のように湧かせた。
己の気持ちに必死に抗ったが、どうやっても我慢できなかった。俺は真砂を胸に引き寄せ、抱き上げると腕に乗せた。
「アオにはないしょだぞ」
彼女は驚いた顔をしたが、すぐに花のように微笑んでコクリと頷いた。
可愛い
もうどうしたらいいのだ。
真砂を抱えて、ぐるぐる回って、彼女を船のようにゆらゆら激しく揺らした。
「きゃっ、落ちる! リョクウ様 落ちる! 」
「竜神様がお前を落す訳がなかろうが!」
ぎゅっとしがみついてくる真砂の温もりが、胸を熱くする。さらにぐるぐる回ると真砂は小鳥のような声で笑い出した。
二人でひとしきり笑い見つめ合った。
すっかり安心した顔で俺にくっついていた真砂が水晶を見上げた。うーんとつぶやきながら片手を伸ばして、吊るされた水晶に触れようとした。俺が精一杯高く持ち上げてやると、彼女の指先がほんの少し石に触れて、ユラユラ揺れた。
虹の輪がゆれて、片方の手で額の髪をよけてやると、彼女の可愛らしいおでこにも虹が映って揺れた。
「緑雨様にも……虹が映ってます」
二人虹の中で、俺は満ち足りた気持ちで真砂を見つめ続けた。今この瞬間、もう何もいらないと思う。
「この美しい虹を早く姫様にお見せしたい……楽しみ……です」
真砂の笑顔をもっと見たい。
真砂は何よりも、姫を大切にしたいのだ。
カンナベの姫を花嫁に迎えたら、真砂はきっと心から喜ぶだろう。
だからそれが正しいことだ。




