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16.紅玉湖の果て

 朝日にキラキラと輝く青い湖の上を飛び続け、いつしか太陽が真昼の位置に登った頃、ようやく茶色い陸が見えた。近づいていくと、それは切り立つ崖だった。


 大岩の上でぐるんと体が回転したかと思うと、私は岩の上にたつ竜神様の腕に抱きかかえられていた。

「おおお……降ります。おろ……おろして……」

 言ってはみたものの、頭がぐるぐるしている。私を覗き込んだ竜神様が面白そうに眺めている。


「真砂の目の玉がぐるぐる回っているぞ。体が休まるまで俺が支えていてやる。心配するな」

 結局、胡坐をかいた竜神様に赤子のように抱きかかえられてしまった。

 波が岸壁に当たって、ザーン、ザーンと音をたてる。それを聞いていると、ぐらぐらした頭も静まっていく。力強い腕と、温もりと、若葉のような清涼な香りに包まれて、心地よさにぼんやりとして目を閉じた。


「真砂は、人の世界では何をして暮らしていたのだ。ここに来るのを両親は引き止めなかったのか?」

 私は、竜神様の腕の中で半分眠気に引っ張られながら、ゆっくりと答えた。


「父と母はいません……私は一人……」

「一人で暮らしていたのか? どうやって?」

「薬草を採ります。毎日、毎日働きます。竜神湖の崖に生える苔をこうやって……」

 ぼんやりした頭のまま、薄く目を開けて両手を動かして採るまねをした。

「崖で……そんな落ちたら危ないだろうが」

「はい、落ちました」


 竜神様がびくっとして私を抱く手に力がこもった。

「それで……大丈夫だったのか?」

 不安げに問う竜神様に、岩に引っかかり助かったこと、けれど油がもったいないと捨てられたこと、そして……姫様が救ってくださったことを、少し興奮して話した。

「だから……だから……姫様は私の命の……恩人なのです」

「それは……いつの話なのだ」

「すごく前です……10歳の時……です」


 はっと竜神様が強く息を吐いた。怒っているような雰囲気がして、不安になって顔を見上げた。

 怒ってはいなかったけれど、とても悲しい顔をしていた。

「10歳の時から、崖で薬草採りをさせられていたのか? 孤児は、おまえの国ではそんなに

ひどい扱いをうけるのか?」

「私は誰からも……いらない子……なのです。でも……姫様は、姫様だけは褒めてくださった。私の採った苔で、薬ができて、姫様の咳が良くなって……だから、私はいつか崖から落ちて死ぬ子だったけど、姫様が……姫様だけが私を見てくださったの……だから……あの……あの……竜神様?」


 私が喋れば喋るほどに、竜神様の顔が悲しそうに暗くなっていく。

「真砂、話してくれないか? おまえがどこで、何をして、何を食べて、何処で眠って……そして、大人たちがお前に何を言ったのか。一つずつでいい、教えておくれ」


 それは不思議な時間だった。竜神様が私に話して欲しいと言う。いつも、口をきいてはいけないと、きつく禁じられて黙って生きてきた。


 お話してもいいの?


 そうして、問われたことに1つずつ答えた。罪人の子としてご慈悲で働かせてもらっていたこと、10歳より前の記憶がないこと、薬草倉庫で一人で眠っていたこと。ずっとずっと独りぼっちだったこと。上手く言葉を見つけられなくて、つっかかり、しばらく黙ってしまっても、竜神様は優しく待ってくれた。私の話しを、じっと目を見て聞いてくれる。するとさらに不思議なことが起こった。


 竜神様が私の頭を撫でてくれた。

 赤子のように抱っこされて、大きな手が私の髪をなでる。ゆっくり、ゆっくり何度も繰り返し。


「かあさま……」

 思わず言ってしまい、慌てて口を手で覆った。どうしてそんなことを言ったのか自分でも分からない。


「そうだな……俺の母上も、こうやって頭を撫でてくれた。父上に叱られた時も……喧嘩してひどくやられて悔しくて泣いたときも……、それから眠れない時も……」

 細められた目はとても優しい、きっと竜神様を撫でていたお母様と同じ眼差しなのだ。


「寂しかったな真砂」

 言われたとたん、心の中にしまって隠していた悲しみが溢れてでてきてしまいそうだった。そうなったら最後、私は悲しみに飲まれて、もう立ち上がれなくなることを知っていた。だからごくんと悲しみをのみ込んで、ぎゅっと強く目を閉じた。


 大丈夫、私はまた何にも感じないもとの真砂にもどることができた。

 私は体を起こして、竜神様の腕から出ると立ち上がり。もう大丈夫だと、両手で拳をつくって、肩の上で元気に握って見せた。


「竜神様……私は寂しくない……寂しくないです。姫様が……いるから。姫様が……私を見ていてくれるから……寂しくない」


 しばらく竜神様は黙って、ただ私を見ていた。なんだかとても寂しそうな顔をした。

「そうか……真砂にとって姫様は、とても大切な方なのだな」


 ふわっと心が晴れた。そうだ、私は誰かにそう言って欲しかったのだ。私にとって姫様は大切な人なのだ。だから姫様のために生きるのだ。それが私の唯一の生きる意味なのだ。だから、だから……


「姫様の役にたちたいのだな。それが真砂の望みなのだな」

 私の気持ちを心底理解してもらえたのだと感じた。ああ、なんという充足感だろう。私はこの方を心から信頼できると思った。


「竜神様……あり……がとう……ごさいます」

「何の礼だ? 」

「お話……聞いてくれて、うれしい……です」


「なあ、真砂。俺のことは緑雨と呼んでくれ竜神様はなんだか背中が痒くなる」

 それは大変だ、竜神様の背中を痒くするわけにはいかない。

「りょ……りょくうさ……ま」

 彼の瞳が虹色に光って、満足そうに頷く。胸が苦しくなるような優しい微笑みだった。

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