14.草原の国
また竜神様が大きな手で私の掌を包み込むと、私を引いて歩いて行く。意識が少しぼんやりして気づくと3人の神主様は白い鹿の姿となっており、雄々しい角が神々しく発光している。まるで雲の中にいるようにあたりは真っ白になり、体も心も霧のように溶けて散ってしまいそうな不安に駆られた。けれど竜神様の手が力強く、我を保つことができた。
「真砂、あすこをくぐるぞ」
言われて辺りをみると、四方全ては青い湖で、小さな小島に立っていた。人が2人通れるほどの小さな鳥居がある。手を引かれるままにそれをくぐった。
ふわりと体が浮く感覚。急にあたりが昼の光に満たされて、眩しさに目を閉じる。
風が体を吹き抜けて、乾いた土の匂いがした。ゆっくりと目をひらくと、そこには大草原が広がって、風に吹かれる草が湖の水面のように揺れて波打っていた。
何処までも続く大平原の正面に、とてつもなく高い山が1つあり、天に届きそうな頂上から白い煙が登っている。
あまりに大きな山と、広大な緑の世界に圧倒されて、呆然としていると突然足元で「オオーン」と狼の唸り声が上がった。
ぎょっとして見ると大きな灰色の狼が一匹すぐそばにいた。天に鼻を突きあげて遠吠えを繰り返す。私は飛び上がる程にびっくりして竜神様にしがみついてしまった。
竜神様がひょいと私を持ち上げて、腕に乗せてくれた。鳥居をくぐるだけで別世界に行けると説明はされていたけれど、こうして体験すると、あまりのことに頭がついていかない。震えが止まらない私の背中を、竜神様が優しくポンポン叩いて落ち着かせてくれた。
何か黒いものが空を飛んでこちらに向かってくるのが見えた。
10頭ほどの馬がこちらに向かって駆けてくる。馬には大きな翼があり、羽ばたくごとにすごい速さで近づいて、空を駆けてこちらに迫って来る。
あっという間に頭上に来ると、腰に刀を佩いた男たちが、かなりの高さであるのに馬から飛び降りてくる。しなやかな身のこなしで、竜神様の前に集まると一斉に跪いて頭を垂れた。
「紅玉の主様、お出迎えが遅くなりましたことお詫びいたします」
澄んだ声は草原を渡り、先ほど聞いた狼の遠吠えのようだった。私は跪く大柄の男たちの姿をまじまじと眺めた。姿は人間であるのに頭には大きな三角の耳と長い尻尾が生えている。どちらも灰色で先が黒い。
「いや気にするな。俺が先触れをしなかったのだから迎えなどいらない。この娘にここを見せに来ただけだからすぐに帰る」
竜神様がそう言うと、一番前の男が顔を上げて私を見た。黒い大きな目は白目が少なく、口から少しはみ出す犬歯が見える。大きな耳が目と同じようにこちらを向いた。
「彼らは狼なのだ真砂。ここは獣人の国で、色々な獣人達の国がある。ここの鳥居は狼の王が守ってくれている」
竜神様は私を腕に乗せたまま「俺の大切な客人だ」と私を彼らに紹介してくれた。私はこの中で一番偉い方に見える先頭の男性に「狼の王様……こんにちは」と小さく挨拶すると彼は「私はただの兵士です。王などど……とんでもない」と慌てふためいて、大きな尻尾をバサバサ揺らして耳がぺたんと頭に倒れて困った顔になった。
竜神様が大きな声をあげて笑うと、その場の皆が微笑んで、場の空気が和んだ。狼と聞いて怖かったけれど、皆優しそうで安心した。
「真砂あの山をみてごらん」
竜神様は私を載せている反対の腕を上げて、遥か遠くにそびえる大山を指さした。
「あの火を吹く山には朱雀がいる」
「すざく?」
「朱雀とは火を司る神だよ。俺の母は火の神の巫女をしていた人間なんだ。ここは我が母が生まれ育った故郷だ」
「にんげん……竜神様のお母様は人間……」
獣人が住まうこの世界には人間も一緒に暮らしているのだと竜神さまが教えてくれた。
「境界の舘が開く世界は様々ある。妖の世界に、神しかいない場所もある。あと怨念などの体を持たぬ霊魂だけがいる世界もある。ここはもともと獣人だけの世界であったが、万年の昔に、人界の人間が境界の舘を通ってここに移り住んだのだろう。だから俺の母の先祖は、真砂の国から来たのだ」
山奥の小さな集落から出たことがない私には、この広大な平原と鳥居で繋がっていたなどと想像することもできなかった。都の国主様がこの世で一番偉い方だと思っていたけれど、天を埋め尽くす巨大な竜神さまのお姿を見たときから、なんだが自分が知る世界がちっぽけに感じられた。
そしてあの大山には炎に包まれた神の鳥がいるという。そしてこの不思議な世界に暮らす人間もいるなんて……
狼の獣人達に別れを告げ、また鳥居をくぐると白鹿と撫子さん仁永様が待っていた。




