13.妖国の入り口
大きな木の柱が立ち並ぶ空間の上には天井が続く。この上に巨大な建物が乗っているのだと思うと途方もない広さだった。
簡素な造りの小屋があちこち建っていて、妖達の住まいになっており、異形の姿の者達とすれ違う度に恐ろしかったが、皆竜神様にお辞儀をするだけで礼儀正しかった。
進んでいくと辺りは薄暗くなり、不気味な気配が増す。柱にお札のような紙が無数に貼ってあり、『妖狐』『牛鬼』など恐ろしい様々な文字があったが、進むほどに『鼠』の文字ばかりになった。
「手を出せ真砂、紅玉湖の気まぐれで、向こうの世界に吸い込まれてはいけないからな、俺が握っていよう」
手を伸ばすと、竜神様の大きな手に包み込まれてぎゅっと握られた。
進むほどに闇が濃くなっていくように見えて怖いなと思った。でも、大きな手の温もりを感じると大丈夫だと思えた。この方が一番怖いけど、どうしてなのか一番安心もする。
鉄鼠と書かれた大札が柱に貼られていた。
「てつ……ねずみ」
「それはてっそと読む。真砂は字が読めるのか?」
緑雨様に聞かれてコクリと頷いたが、どうして読めるのか分からなかった。罪人と薬草を採るだけの貧しい私には文字を見る機会など全くない。
ならば私はいつ文字を習ったのだろう?
急に野外に出た。
あまりに唐突にそれが起きてどこが境だったのか分からない。湖に浮かぶ小さな小島に私達は立っていた。
石の鳥居が1つ立っていて、そのわきに私の体よりも大きなネズミが人のように尻を付いて座っていた。
「これは紅玉の主様ご機嫌麗しく、拝謁至極でございます」
大ネズミが驚いて後ろ足で立ち上がると、仰々しく竜神様に挨拶した。どうしてかネズミの視線は私に定まって、食い入るように見つめて長い二本の前歯をカタカタさせると、口から涎が垂れた。
竜神様は軽く手を挙げてネズミを下がらせると、私を見て鳥居の向こうを指さした。
「この鳥居をくぐれば、ネズミの妖『鉄鼠の国』に行ける。こんな風に境界の館には、いたる所に異界への入り口がある。ここから向こうへ行く者もいれば、あちらからやって来る者もいる。いわば旅の要所だな。第一層には妖の国への入り口が多いから迷い込まないように、けして一人で来てはいけない」
竜神様が話す間も、大ネズミはじっとりと濡れた視線を私から離さない、気味が悪くなって彼の手をギュッと握りしめた。
「こいつは鉄鼠の国の門番だ。人間の子供が好物だからお前を食いたいのだ。怖がらせて悪かった真砂」
竜神様が目くばせすると、ひいいっとネズミは飛び上がって、振り返ることもなく一瞬で鳥居の向こうへ入り消えた。
手を引かれたままもと来た道を帰ると、また唐突に建物の中に入った。広場に戻ると、様々な種族のものたちが、ちらほら出てきて屋台の準備を始めていた。その上を声も無くカラスが何羽も飛び交い、上階の手すりに留まってこちらを鋭く見ている。
「あのカラスは天狗達で第一層を取り仕切っている。だからここは『カラスの階』と呼ばれている。天狗は頭が良くて腕がたつから、面倒事が起きてもそつなく解決してくれるので助かってはいるのだが……やつらは金の計算に細かくてな……」
竜神様がブツブツ言っていると、大カラスが飛んで来て、バサバサ羽ばたくと人の姿に変った。体にぴったりとした黒衣に、黒水晶の飾りが上品に光っている。切れ長の黒い瞳に日に焼けたような肌、眼光は鋭いが、酔わせるような魅力が漂う美貌の青年だった。
「こいつは天狗の頭で天雅だ」
里で話しに聞いた、赤顔で鼻が高い天狗の姿はしていなかったが、妖しい気配がして恐ろしい。
「おう坊や、今朝は早いな」
ここの主である竜神様に向かってずいぶん気軽な物言いだなと思った瞬間、仁永様の恐ろしい睨みに天狗様は「おおっと」と声をあげて身をすくませた。
「あー悪かった黒麒麟殿、そんなに凄まないで……あんたの圧のある、お綺麗な神気は苦手なんだ」
「だったら、主様への敬意をいいかげん覚えなさい」
はいはいと天狗様は怠そうに返事をしながら、私に目を向けた。
「この子が噂の花嫁殿か……」と顔を近づいてくる。お香の甘い匂いが鼻をかすめ術にかかったように体が痺れる感覚がした時、ふわっと体が浮いた。竜神様に軽々と持ち上げられて、彼の左腕に乗せられてしまった。
「おい天雅真砂に近づくな!」
天狗様から隠すように、竜神様が私を抱え込んだ。
「おやおや、来たばかりと言うに、ずいぶん入れ込んでるじゃないか。さすが人間の娘だ極上の匂いだな。もっと良く見せてくれ」
「色狂いのおまえに見せるものか! おい上に行くから階段を出せ」
竜神様が指示したとたん、カラスたちが一斉に羽ばたいて、黒い竜巻が起きたかと思うと目の前に階段が現れた。それを登っていくと、上階の廊下に辿り着いた。
吹き抜けをぐるりと一周する廊下の右方は手すりになっていて下に広場が見える。そして左方には、話に聞いた都とはこんな場所なのではと思う景色だった。
第二層は高級な店が立ち並ぶ、上品な趣のある町になっていた。まだ朝早いのに、どの店も開いていて雅な服装の高貴な人々がお連れの者達を従えて優雅に買い物をしている。呉服屋、宝飾品店、調度品に薬屋、武具に不思議な儀式の道具屋、そして書店もあるようだ。見たことも無い異国の珍しい物もいっぱいで声も出せずにきょろきょろするばかり。ぐるりと一周して階段を上がると、今度は宿屋や、高級な飯屋の看板が続く、中はどれほど豪華なのだろう。ここに来なければ一生に1度も見ることがないであろう都の上流貴族が使うような場所に見えた。
「ここは、神々が暇つぶしに遊びに来たり、強大な力がある妖が来て金を落して行く場所だ。境界の舘の入り口は時間がずれていることもあるから、こちらが夜でもお構いなく客が来る。だからここは1日中眠らずに店が開いているのだ」
そう言われて、自分がここに来た時も、夜だったのにいきなり昼の世界で驚いたことを思い出した。鳥居をくぐると別世界に行けるとは、なんと不思議な場所だろう。
「さっき使った階段だが、カラスの奴らがべら棒な通行料を取るから、第一層の『カラスの階』にいる者達はめったなことではここには登ってこられない。ここで買い物をしたり、食事をしたりして、最高級の宿に泊まるのが、下の者達の夢らしい。でも俺は、ここより下の市が一番楽しいけどな」
宿屋がある階からさらに上に登る階段に付くと、頭に鹿の角を生やした男性が3人立っていて、竜神様に恭しく礼をした。彼らの着物は私の故郷の神主様が着ている物とよく似ていた。
この第二層は、鹿の神獣達が守っており『白鹿の階』と呼ばれていると、竜神様が教えてくれた。
「天霊堺の入り口がいくつも開いている神々が行き来する階層だ。ここは金がいくらあっても入れない。神力があるものと……そして、紅玉湖の気まぐれに選ばれた者……その特別な者達しか入れないように結界が張られている。では1つ案内しよう」




