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11. 父との約束 

 俺は紅玉湖の境界の館で育った、竜の子だ。


 本来なら竜族の子は、神々が暮らす天霊堺(てんれいかい)の『竜の谷』で多くの竜と一緒に育つのが普通だ。

 だが、紅玉湖の主を務めていた父上は、ありとあらゆる種族が雑多に交わる境界の館で俺を育てた。だから俺は竜一族に属する気持ちが薄く、竜であるだけでなく、俺の半分は人間なのだとういう思いが強い。


 神も妖も関係なく、義には義で返す父上が好きだ。

 俺は種族の違いや身分の上下に頓着せずにわんぱくに暴れる子どもで、感情もそのまま出すので竜らしくないらしい。


 竜族はとても聡く理性的であるためか、力が強く大きくなるほど子をもたない。神竜となると、なおさら心静かに過ごすことを好むので、子作りのような強い感情を伴う行為を望まない。尊敬し合える相手と伴侶になることはあっても、子ができることは稀なのだ。


 俺の父黒雨(こくう)も、伴侶を得ることには全く興味が無かったらしい。

 神竜にしては珍しく好奇心の強い父は、紅玉湖の主に選ばれた。その因果で父は母と出会う。

 人間……である母に……

 

 紅玉湖は雲上山(うんじょうざん)の頂上にある。

 雲上山は天霊堺の遥か果てにあり、さらにあまりに巨大な山であるので、頂上の湖に飛来できるのは神竜のみ。神竜達は紅玉湖の守りを神々から任され、主を竜一族から選定し、この湖を守っている。


 紅玉湖は霊峰の力を秘め、意思があるかのごとく異界への入り口を創り出す。

 そうして出来上がったのが、異界から、別の異界へと出入りできる『境界(きょうかい)(やかた)』である。


 紅玉湖の気まぐれなのか、異界への入り口は増えたり減ったりするものの、ここ数千年は『境界の館』は常に数百の入り口を開いて、神から妖から、実体を持たぬ霊魂まで、様々な種族が行き交う場として賑わってきた。


 ところが、500年ほど前から紅玉湖の水が、じわり、じわりと減り始めた。

 水かさは下がっていき、そうしてとうとう水中にあった大鳥居が、半分水上に出てきてしまった。水中にある異界への入り口はただ一つにして、最も特別であると伝えられている。何故ならこの大鳥居の先が人界につながっており、紅玉湖はそこにも存在する。


 水中の大鳥居をくぐった先の人界にも、山の頂に湖があるのだという。


 紅玉湖の水が減っているのか、人界の湖が枯れてきたからこちらの水が減るのか、どちらにしても同じ湖であるので、2つの湖の水かさは、どんどん下がっていることは間違いない。


 水が減ると何が困るのか……

 それは紅玉湖の力が弱まってくことを意味し、異界への入り口が開かなくなるということ。

あまりに広い天霊堺を行き来するのは面倒だと、神々は、紅玉湖を便利な交通の要所にしている。商い魂逞しい妖どもはあっちへこっちへ、物から人材から流通させて、もはや紅玉湖なしでは存続できない世界が数多ある。


 『どうにかしろ』と文句ばかり言ってくる高邁(こうまい)な神々と、『どうかなんとかしてくださいませ』と腰を低くしながらも喰らいついてきそうな妖たちに、『紅玉湖の水をもとに戻せ!』と紅玉の主は毎日のように突き上げられる。


 神竜とて、湖の水かさを戻す方法など知りはしない。

 紅玉湖の主の務めは、境界地を荒らす者や、別世界を侵略するような企てをする者たちを取り締まることである。気まぐれな湖の水量など神々にも手を出せぬこと。


 先々代の紅玉湖の主は『出来もせぬことをチクチクと責められ、あまりに煩いことよ』と辞してしまった。そうして先代の主が俺の父上である青竜の黒雨コクウである。


 紅玉湖には長らく言い伝えがある。

『気まぐれな紅玉湖であるが、神竜が人の娘を花嫁に迎えると喜び機嫌を直す』

 その言い伝え通り父が人間である母と結婚すると、紅玉の湖は本来の姿にもどった。紅玉の名に相応しく、青い湖は一面に美しい紅色となったのだ。


 境界の館を知る全ての物たちが喜んだ「これで紅玉湖の力も元通りになる!」と……

 しかし、水かさは戻らなかった、じわりじわりと水は減っていく。

 期待が大きかっただけに、神々も名のある妖達も落胆し、あからさまに母への物言いがきつくなった。


『期待外れの花嫁』


 俺はどうしてもと願って紅玉湖の主の座を父上から譲り受けた。

 父上にできなくて、俺にしかできないことがあったからだ。

 それはすなわち『結婚すること』


 一生に一人の番しかもたない竜である父上にはすでに、俺の母である人間の伴侶がいる。

 だか俺には番がいない。

 たったの214歳の俺は、本来ならば結婚するなどあまりに早い。やっと成竜として仲間入りできた若造で、千歳を超える神々に、坊やだの赤子だの今だに言われている。黒麒麟の仁永は300歳だが、彼だってやっと大人の仲間入りをしたくらいに扱われている。

 そんなまだお子様同然の俺であるが、どうしても紅玉湖の水を元にもどしたいのだ。


『気まぐれ紅玉湖の水のたけを、もとにかえしたし……とな、己を知らぬ童よの緑雨……フォ、フォ』

 しわがれた声で神竜の長老に笑われたのを思い出す。


 青竜・赤竜・黒竜・黄竜の神竜達を統べる長老は齢3千歳を越える。黄竜である長老は百年単位で山の下に潜り寝ているので、起こすのに一苦労だった。岩の様に重い瞼をようやく持ち上げて、仁永と二人で必死の思いをして聞き出した。

そうして長老爺さんが教えてくれたのが……


『カンナベの花嫁まいりて、湖を守り水をたたへたり』


 前にも紅玉湖の水かさが減ってしまったことがあったらしい、その時に水中の大鳥居をくぐって人界からやってきた人間の娘がいた。神竜がその娘を花嫁に迎えた時、紅玉湖は水かさを元に戻し蘇ったのだという。


『ならば俺が水中の大鳥居から来た娘を花嫁にすればよいのだ。そうすれば紅玉湖を復活させることができる!』

 ただ、長老が言った「カンナベ」の意味は謎のままだった。仁永と文献を読み漁り、高位の神々を訪ね問うたが分からない……それが、先ほど真砂の口から発せられたのだ、カンナベと!


「真砂は人界に帰り、次はカンナベの姫を送って寄こすと言ったぞ。俺たちが求める姫が手に入るのだ。長老の言葉そのまま『カンナベ』と真砂は言った。その姫で間違いないだろう」

 俺は興奮を抑えきれずに身を乗り出す勢いだったが、仁永は難しい顔をした。


「真砂様を人界に帰すつもりか?」

「そうだ、代わりにカンナベの姫とやらが来てくれる」

 仁永は「代わりに……真砂様はもとの場所に帰る……」と肩を下ろした。鬣のように背に流れる黒髪は、感情が動くと赤く発光する。黒麒麟は慈悲の神獣、彼が何を言いたいのかは予想がついた。俺も真砂が帰ることを思うと、胸の中がかき混ぜられるように不愉快な気分になる。


 人界の境界となる大鳥居は今は半分陸に出ているが、本来であれば水底にあり、水中にある。

 対となる人界の湖の鳥居も、きっと水底にあるのだろう。

 真砂は知っていただろうか……水の中にナマズが待っていて、こちらに来ることができることを。

 あの、実を食べることしか頭にないナマズが、人族に顔をみせて説明をするとは思えない……神竜である俺の話もまともに聞かない奴なのだ、見下す人族にあいつが親切にするなどありえない……


 ならば真砂は死を覚悟して湖に飛び込んだのだ……

 真砂に重りを付けて湖に入れた者達は、真砂が十中八九溺れ死ぬだろうと知って入れたのだ。


「カンナベの姫とやらは姫と呼ばれるのだから、人界で高い位の者だろう。本気で使者を送る気があるならば、相応の地位の大人が来るはずだ。姫の代理に、あんなぼろ着のやせ細った半分子供のような娘を寄越すだろうか……あの娘の足首には荒縄で砂袋の重りがくくりつけられていた。あの子は使者などでは無い、虐げられた哀れな子だ」


 仁永の推測は正しいと思ったが、すぐには返す言葉を見つけられなかった。

「真砂様をこのまま花嫁にするべきだ。あの大鳥居を行き来できるのは、今やあのナマズだけ。あの男は我欲のためにしか動かず気まぐれだ。いつまた湖底で千年の眠りについてしまうか分からない。真砂様を帰したら、次の花嫁が絶対に来る保障などないのだ。それに……」


 仁永の赤い光が強くなって、彼の感情が高ぶるのが分る。怒っているのはおまえも同じ、そうだ、真砂を帰すということは、枯れ木のようにやせ細らせ、足に重りをつけて湖に落す者達の所へ返すということだ。


「真砂が可哀想だから俺の妻にしろというのか?」

 仁永はすぐに言い返そうとして息を吸ったが、そのまま唇を噛んだ。

「麒麟の慈悲の心があの娘に同情するのは分かる。だが、俺たちの憂いは人界そのものの災いだ。このまま紅玉湖の水が枯れれば、人界も干上がるのだ。その時失われる命に思いを致せ。小義に捕らわれ、大義を見失うわけにはいかない」


「私は、そのカンナベの姫とやらが正しい花嫁とは思えない。マサゴ様をやせ細らせ、重りを付けて水に落とすような相手を、緑雨は信じることができるのか? それよりは命を懸けて鳥居をくぐり、己が務めを必死に果たそうとしている真砂様の誠実さの方が私は花嫁に相応しいと思う」

「誠実であれば良いのなら………」

 俺は悔しさにギリと奥歯を噛んだ。


「ならば……何故、母上ではだめだったのだ。母上も人間の娘だ。父上の花嫁として何の不足があった? 慈悲深く、寛容で、紅玉湖の主の妻として相応しくあろうといつも誠実に努力されていた。でも……紅玉湖の水は増えなかった。違うか?」


 仁永と俺を、包み込むように優しく育ててくれた母上。

「人格の高潔さは関係ないのだと俺は思う。紅玉湖の水かさを元に戻すには、良き人間が必要なのではない、『力のある人間』が必要なのだ。それが、長老の言っていた『カンナベ』ではないのか?」

 仁永は不満そうだったが、返す言葉は無いようでふうと息を吐いた。


 胸の内にすっきりしないものを抱えていた。真砂が「カンナベ」と口にするまで、俺は彼女が大鳥居をくぐって来てくれた望み通りの花嫁だと信じて納得していたのだ。それなのにもっと良さげな娘がいると聞いたとたんにすぐに取り換えるのは、男としては誠実ではない。


 だが正直な気持ち、俺は誰でもよいのだ。

紅玉湖の水を増やしてくれる相手ならば、どの娘でもよい。


「それに……父上との約束もある。マサゴが花嫁になる気が無いのなら俺は無理強いはできない」

 俺は紅玉の主となり、花嫁を迎えるにあたって、父上に『二つの約束』を誓わされた。約束を言い渡される場に共にいた仁永は「そうだな」と頷く。


一つ『花嫁となる娘に無理強いをしてはならない』

二つ『花嫁は、頭ではなく、心で選ぶこと』


 父上との約束を守るならば、真砂が帰りたいならそうさせるべきだろう。無理強いはできないのだから。

「二つ目の約束が、私にはどうしても解せない」

 仁永の言葉に俺は強く同意して何度も頷いた。

「そうだよな、逆だよな。心ではなく、頭……すなわち理性で選ぶこと。ならすごく納得できる……言い間違いかと思ったくらいで……」


 だが、言い間違いでないことは全身が震えるように覚えている。

 竜の姿となった青竜黒雨が、空を黒く埋め尽くし雷鳴を轟かせ、黒い眼をカッと見開いた時、俺は悟った。


『これは父ではない、途方もない神力を宿した圧倒的な力の塊』


どこにも触れられていないのに、かぎ爪で心の臓を握り潰されたかのように追い詰められ、指を動かすことすらできない。持てる全てを掛けて死ぬ思いで抗ったが耐えきれず地にへたり込んだ。

 見上げる父は遥か高みで、母を背に乗せ冷ややかに俺を見下ろす。


 何もかも強すぎる、どうあがいても毛の一本ほども父に敵わない……それなのに俺はこの父から紅玉の主の座を奪うのだ。


「緑雨よ、何に代えても成し遂げたいことがあるのか?」

「そうです父上、俺は成して見せる!」


 立ち上がれないまま無様に地にひれ伏して叫んだ。

父は目を細め薄く笑った。


 ああ父上は俺に期待していない……


 父の眼は「まあ気の済むまで足掻けばよい」そう告げていて……

そうして父上は母上を連れて竜の谷に行ってしまった。


 俺は失敗したくない。

 母と同族である人間の世界を守るために、そして父上に認めてもらうために、俺は正しい花嫁を得てみせる。


 俺は心で花嫁を選ばない、頭で選び出す。

 父との約束を違える訳では無い、俺にとっては頭で選ぶことは心で選んだのと同じだから。


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