9.ゴザを一枚だけ
私の食べたいものを聞いた途端、撫子さんは少しお時間をくださいと部屋を出て行った。
私は空腹に立つこともできず、膝をかかえて一人座り込んでいると、廊下が急に騒がしくなった。
荒々しく扉が開く。びくっと体が硬直して見上げると、すごい速さで竜神様がこちらに向かってくる。
息をのむ暇もなく、一瞬で私の目の前に立ちはだかると、腕を組んで不機嫌に見下ろした。
「野菜くずとはなんだ!」
怒鳴り声に身がすくむ。私は体を小さくして頭を伏せた。竜神様の怒りをかったのだ、どうしよう。
「ああどうか、お待ちください主様。真砂様にはなにかご事情が……」
緑雨様を追うように駆けてきて横にひれ伏した撫子さんに「事情とはなんだ」と大声で返した。
「花嫁を歓迎して、多くの者が丹精込めて料理を用意してくれたのだ。それを一口も食わん。それにだ、あれも、これも嫌だと言って服も着ない。挙句に寝台の布団さえ気に入らないと床で寝ているそうではないか! 部屋は他にも準備させた、布団も3回も入れ替えた。それでも拒否だ……」
「おい、聞いているか?」と怒った声が間近でした。顔を上げると、しゃがみこんだ竜神様のお顔がずいと迫ってきた。
「紅玉湖の主である俺には大きな責務がある。その妻になるのだ苦労もさせる……だから俺は……できる限りのことは妻にしてやりたいと思っている。贅沢なら望むだけさせてやりたい。だがな、おまえに贈ったものは全て、多くの者達が心を込めて準備してくれたのだぞ、それを無下にするのは……あまりに……」
緑雨様の声は怒り声はだんだん落ち着いたが、彼の悲しみが伝わって私の胸を突いた。
「少々気に入らなくても、せめて1口くらい食べることはできないか……それを……食べたいのは野菜くずとは……今までの料理は野菜くず以下と言うのか!」
隣に撫子さんが来て私の肩を抱いた。
「主様、この体を見てください。この子が本当に、我儘に物を粗末にする子だとお思いですか? お願いです、もう3日も何も食べていないのです。どうか……」
「ああもう」苛々した緑雨様の声と同時に私の体が浮いた。
私は竜神様の肩に担がれた、背の高い彼の担がれると床が遠い、怖くて背中にしがみつこうとしたが大股でズンズン歩くので手がブラブラ揺れた。
しばらく歩くと、それはそれは広い厨房に入った。カワウソに似た妖達が板前の着物を着てせわしなく働き、小鬼たちもたくさんいる。蒸気があちこちで立ち上り、食欲を刺激する良い匂いが鼻をくすぐる。ぐううーっと盛大に私のお腹が鳴った。
「まったく、どうしてそんなにがさつなのです。花嫁をそんなふうに扱ってはいけません」
後から走ってきた仁永様が声を掛けると、緑雨様は私を肩から降ろし、彼の左腕に載せた。
無表情の緑雨様の顔が間近にある。怒っていらっしゃるのだ、怖くてしかたがないけれど、落ちそうになって彼の肩につかまるしかなかった。
「真砂、ここにある物でおまえが食べられそうなものを言ってくれ。何でもいい……その……野菜くずとやらでもいいから……」
声は穏やかで、もう怒ってはいなかった。お願いだと懇願するように竜神様は私を見つめる。緑金の瞳は悲しげだった。
たくさんのカワウソたちと小鬼たちが息を止めたように私を見ている。料理長と思われる巨躯の牛の顔をした鬼と目が合うと、意外にも優しい眼差しでどうぞと示してくれた。
私は辺りを見渡して食べても許されそうな物を探した。ざるの上に里芋らしきものが湯気をたてている。恐々と手を挙げて指さした。指先が震える……
「こんなものでいいのか」
竜神様が胡坐をかくと、私を膝に乗せた。片手で私の背を支え、もう片方の手で芋を1つとると私に手渡してくれた。厨房で働いている者達が無言で私を取り囲む。付いて来た撫子さんと仁永さんも心配そうに私を見ている。
ゴクリと唾をのんだ。芋はまだゆでたばかりで温かく、そうっと口元に持っていき、少しかじった。ほくほくとして甘い、こくんと飲み込んだ。
竜神様がはーっと深いため息を吐いた後「食べた」と感動したようにつぶやいた。
空腹もあって、私は芋を1つすぐに平らげた。
頭を出来るだけ下げてお辞儀をし、感謝を伝えようとした。
竜神様が困った顔で口だけ笑った。
「もっと食え、何でもいいぞ、次は何がいい」
私はしばし迷った。こんな美味しいお芋を頂いたのに、もっとと言われても……本当に良いのかな。
芋をまた指さした。こんなに食べていいのだろうか、罪悪感が込み上げる。
竜神様の顔が増々困ったようになって、泣き笑いのような表情になった。
「そうか芋か……いいぞ、もう1つ食え」
竜神様が芋を次々手渡してくれるので、私は3つも食べた。途中でカワウソが芋に塩を振ってくれたのでぺこりと頭を下げて周りを見るとみんながしんみりとしている、私と目が合うとうんうん頷いて「食べて食べて」と促された。
もう食べられないと首を振ると、水の入った茶碗を小鬼が運んできてくれたので、ごくごく飲んだ。
お腹が一杯になり、感謝の気持ちで皆さんに深々と頭を下げた。さきほどせっかく作った料理を無下にしたのだと叱られた。ここで料理してくれた人に詫びなければと思った。
「ごはん…………つくってくれたのに……食べない……ごめんなさい」
皆さんがぶるぶると首をふって大丈夫、大丈夫と口々に言った。
「なあ真砂、おまえはどうして何も受け取ってくれぬのだ」
緑雨様の膝に乗せられていることが気恥ずかしく、身じろぎすると、彼は降ろしてくださった。
今こそ本当のことを告げなければ。
私はひれ伏して精一杯大きな声を出した。
「竜神様……お……お、お許しを……ください」
彼は眉間に皺をよせ不機嫌な顔になったが、声は静かに「許すとは何を?」と聞いた。
「お許しがなければ……私は……お、お話してはいけない……ので……」
「お前は何をいっているのだ………… そうか! だから何も話さなかったのか!!」
竜神様が目を大きくして驚いた声をあげた。
「許す、今すぐ許すから話せ! これからは許しがなくともいつでも話して良い。いいな真砂」
私は大きく息を吸い、顔を上げて真実を告げた。
「私は……本当の花嫁ではないの……です」
「は? 何を言っている。おまえは人界の鳥居をくぐってきたではないか」
「はい……竜神様との契約……で、神辺の姫様がこちらに参ります。…………姫様はお体が弱いので……それ……で、私が先に……姫様にご無理が無い場所かどうか……確かめに……」
「カンナベの姫と言ったか!」
竜神様が大きな声を出し、返ると仁永様に「おい、きいたかカンナベの姫といったぞ」とくり返した。
「そうです……神辺の姫様です……姫様が……誠の花嫁で……ございます」
私はぎゅっと身を縮めて必死に説明した。
「私は……確かめ……ました…………。どれも素晴らしい……皆さまも……とてもお優しい………。姫様もきっと……喜ばれる……私は……帰ります。だから……指一本触れては……いけない……です。ぜんぶ……姫様の物……です……から……」
顔を伏せたまま竜神様の返事を待ったが、しばらく無言だった。心配になって顔を上げると、彼は深く息を吐いた。
「そうか、分かった。だがもう今日は遅い、明日改めて話を聞くから、おまえはもう休むのだ。連日床に寝ていたのだろう? 今夜は布団で休んでくれ、おまえの部屋を用意するから」
寝ると言われて、そう言えばと来るときに厨房の入り口に食糧倉庫を見たのを思い出した。
「あすこで……寝ます」
すぐに立ち上がり、足早に歩いて倉庫に向かった。棚と棚の隙間の感じが、いつも寝ていた薬草倉庫に似ていて落ち着きそうだ。
追いかけてきた竜神様が「おいおい」と慌てたように声をあげ、また私の両脇に手をいれるとひょいと持ち上げ、腕を伸ばして私を掲げ持つとまじまじと顔を見た。
「こんな場所で、床に直に寝るなど、そんなことさせられるか!」
ぷらーんと足と手を下げたまま、どうすればいいのか一生懸命考えた。姫様に用意されたお部屋を使う訳にはいかない……でも、床に寝てはいけないと竜神様は言う……
「あの……お願いが……」
緑雨様がやっと微笑んでくれた。
「言ってくれ、何でもいい、どうしてほしいのだ?」
「ゴサを……1枚……貸して……ください」
「ゴザ!?」
「床に……敷きま……す」




