七話 これが私の実力さ
この部屋のドアは両扉のタイプで、廊下側に開く方式となっている。
──ギイッ──
これを外へ直角九十度になるように開ける。こうすれば、左側に居る兵士達がこちらを見たとしても、開け放たれた扉が廊下の半分近くを塞いでいるため、反対側、つまり廊下の右側がほとんど見えなくなる。
「っ······」
なるべく壁側にくっつきながら右側へと走っていく殿下。開きっぱなしのドアによって、兵士達側からは殿下の姿も見えない。
私はなるべくドアが開いてる時間を稼ぎながら、かつ自然に振る舞う。
扉をそのままの角度で押さえたまま、誰も居ない部屋に向かって頭を下げ、一人で喋る。
「それでは殿下、ご養生ください。はい、はい。いえ、こちらの事はお気になさらず。それではごゆっくり。少しでも具合が良くなるよう、お祈りしております」
流石に扉を開けっ放しなのを不審に思ったのか、兵士達がこっちを見てくる。
反対側をチラリと伺うと、殿下のお尻が小さな通気孔へと飲み込まれているのが見えた。
「ええ、では失礼しました殿下」
なるべくゆっくりと扉を片方ずつ閉める。締め切ったと同時に殿下の姿は全く見えなくなった。
これで第一関門突破。さて、私は元の正規ルートを戻らねば。
しれっと歩いていくと、傍観していた兵士らが声をかけてきた。
「どうかされましたか、シェイグランド卿」
「殿下のお体に何かありましたか?」
「あ、いえ。どうも体調が優れないようでして。お体を大事にして下さいとお見舞いしたところです」
兵士らも頷いた。
「そう言えば体調不良であらせられると聞きましたな」
「大丈夫だろうか······」
「主治医も診に来るそうですから、大丈夫でしょう」
これも陛下との打ち合わせだ。影武者にしばらく殿下の代わりを務めてもらうけど、病気という事にして極力人前には出ないようにする予定。
「それでは私はここで失礼いたしますね」
「はっ。シェイグランド卿もお体には気を付けてください」
そのまましゃあしゃあと通り過ぎ、兵士達におしとやか聖女スマイルを傾けながら殿下との合流ポイントへと向かう。
殿下の入った通気孔は大人には通れないけど、猫や子供くらいなら通れる物で、いくつかの場所に繋がってる。
私の頭に刷り込まれた図面によると、その内の一つが中庭前に繋がってる。ちょっとした庭園にもなっているお洒落な場所だ。殿下には自力でそこまで通気孔を通ってきてもらうのだ。
この作戦により、本来なら突破困難な警備エリアを一つ突破。最初の部屋の前に続き難所を早くも半分クリア。
「あと2ヵ所······」
中庭に到着し、周囲を一旦見てから隅っこにある物置小屋へと向かう。
小屋の横に空いた通気孔。そこへ向かって「あー、今日も良いお酒日和だー」
と、あらかじめ打ち合わせておいた合言葉を言う。
すぐにモゾモゾっとちっこい殿下が現れる。
「ふうっ、遅かったなシェイグランド卿」
「お待たせしました。ここからが本番です。以降は私の指示に従ってもらいます」
「仕方ないな······」
殿下のあちこちに着いた埃やクモの巣をパッパッと払い身なりを整えてあげる。
こっからが本番だ。このちっこい殿下を誰にも見つからずに進まなければならないんだから。
まず私が少しだけ先行し、曲がり角から壁越しにチラリと確認してから、後方の殿下にOKを出す。それを慎重に繰り返しながら進む。
「······」
──クイ、クイ──
私が手招きすれば、ちっちゃな王子がちょこちょこ~っと駆け寄ってくる。
なんか面白い。カルガモの母親気分。
「シェイグランド卿、あとどのくらいだ?」
「まだ難所が二つ残っています。そこさえ突破出来ればよろしいかと」
曲がり角の壁際にピタリとくっついて、ポケットからスプーンを取り出す。
「何だそれは?」
「スプーンです。あ、ご心配なく。皇家から拝借したものではなく自前です」
「いや、そうではなくてな。なんでスプーンを?」
「手鏡では少々目立ちますので」
「?」
角からそっとスプーンの頭を出して、膨らんだ方の面を見る。曲がった先の通路が映り、小さくだけど、人の姿が見える。こちらに背を向けて歩いてるようだ。
「ふむ。どうやら一定時間見回るタイプの方のようですね。少し待ちましょう」
「そんな使い方してる奴初めて見たぞ」
殿下が呆れた顔でこっちを見上げていた。
「仮にも聖女がそんなコソ泥のような真似をするとはな」
「私だってやりたくてやってる訳ではございません。お父上からの要望でやってるのです」
「まあ、それはそうだが······にしてはさっきから板に付いた動きだな」
「修道院時代に少々たしなんで身につけた物ですから······」
「今は頼もしいと言っておくか」
予想通り、兵士の人はすぐに行ってしまった。
「さ、次の柱まで行きますよ」
二人でコソコソっと駆ける。
次のポイントまでの歩数や、周囲の気配などを計算しながら移動を繰り返し、時たま巡回中の兵士を物陰に隠れてやり過ごしていく。
「流石だなシェイグランド卿。慣れてる」
ピッタリとくっついてくる殿下がヒソヒソと話しかけてくる。
「何だかワクワクしてきた。今すごく冒険してる気分だ」
「はぁ、そうですか?」
子供のように(子供だけど)目をキラキラ輝かせる殿下。私は面倒くさいだけなんだけど、当の拐われる本人は凄く楽しそう。
「よーし。次はどうやって突破するんだ?」
「えーっと、ここら辺は心配いりません。問題は次のエリアですね」
陰から陰へとサッと移動して、次のエリアに差し掛かる。
「······」
重要ポイントその二。第二中庭。
ここは薔薇やら花やら木やらが植えてあって隠れるポイントは多いけど、私達の目指す廊下への入り口には二人の兵士が両脇を固めており、どうやっても見つかってしまう。
「ふーむ。ここは難しいな。どうやるんだシェイグランド卿」
「······はぁ~。本当はやりたくなかったのですが、ここばかりは仕方ありませんね」
用意しておいた小瓶を取り出す。
中には茶色い液体がちゃぽんっと揺れている。
「さて、これでやりますか」
「ちょ、ちょっと待て! 毒なんか駄目だぞ! 彼らも我が国の兵士なんだぞ!?」
「はい?」
小さな背を懸命に伸ばしてくる殿下から小ビンを逃がす。
「そんな残酷な事までして脱走なんかしたくないー! シェイグランド卿っ、命令だっ! そんな物は使うな!」
「どうどう、落ち着いて下さいませ殿下。これは毒ではありません」
ふんわりヘアーを手で押さえながら言うと、パチパチっと丸い目が瞬いた。
「え?」
「これはマタタビエキスです」
「は? マタタビ?」
頭に?を浮かべた後に安堵の息を漏らす殿下。
「な、なんだ~。良かった。てっきりあの兵士達を亡き者にしてから強行突破するのかと······」
「あのー、私も一応聖女なんですが」
世間的には最も清らかで慈悲深いとされている役職に就いてるはずなのに信頼度ゼロ。
「だが、マタタビでどうするんだ?」
「これはですね······おっ、グッドタイミング。おーい、マイケルー」
近くの物陰に呼び掛けると、ヌッと生き物が現れた。
「うわっ、な、何だ?」
驚く殿下。無理もない。
現れたのは殿下より少し小さいくらいの巨大な猫。
「ね、猫か?」
「はい。マイケルー、ちょいと顔を貸してくりゃんせー」
おやつの干し肉スティックをプラプラ揺らすと、ブスっとした野良猫魂の厚い面がもそりもそりとやってきた。
「う、うお」
その巨体に殿下が思わず後ずさる。
「マイケル、ちょっと協力して欲しいんだけど、いいかな?」
『ニャオー』
「マ、マイケルってそいつの名前か?」
「ええ。ここら辺をうろついてるボス猫のようです。ここへ赴任した時から見掛けまして、ちょっと仲良くなったんです」
「ふーん······」
ムチャムチャと肉を貪るボス猫ことマイケルに殿下は微妙そうな顔をしていた。
「まったく。いくら庭園とは言え中庭に猫の侵入を許すとはな······ところで、この猫をどうするんだ? さっきのマタタビ汁でもやるのか?」
「似たようなものです」
私は殿下に作戦を伝え、二手に別れた。
「はぁー······やっぱり嫌だけど、しゃーないか」
マイケルを抱えて、花や茂みに隠れながら兵士らに近づく。
ほどよい距離に近づいた辺りでマイケルを降ろして、わざと草をガサガサと揺らす。
「むっ、誰だ?」
「誰かそこに居るのか?」
狙い通り、兵士達が気づいて強張った口調で呼び掛けてくる。薔薇の生垣を挟んだ向こうからの声。
「おいっ、そこに居るのは分かっているぞ!」
「すぐに出てくるんだ」
ガシャガシャンッと鎧の擦り合う音が近づいてくる。
私はマイケルの顎をゴロゴロしながら待機し続けた。
果たせるかな、ガシャッと兵士らがこちら側に回り込んできた。
「むっ?」
「あっ、シェイグランド卿?」
「あ、あわわ~」
見つかった私はマイケルを撫でながら、なるべく恥ずかしがるフリをした。
「す、すみません。猫を見ていたらつい······聖女なのにこんな子供っぽい姿を見られるのが恥ずかしくて隠れてました。ごめんなさい」
「い、いえ。そうですか、シェイグランド卿でしたか」
「これは申し訳ありません。せっかくお楽しみ中だったのに······」
「いえいえ、どうもお騒がせしまして······」
自然な動作で立ち上がりざま、わざとヨロける。
「あーっ、昨日の深酒で目眩が~!」
「「?!」」
我ながら情けない嘘を吐きながら、蓋を外した小ビンを兵士らに向けて振りかざす。マタタビエキスが彼らかかる。
「ん?」
「あれ、何かかかった?」
『ゴロニャーンッ』
「うお?!」
途端に、マイケルが巨体をボーンっと弾ませて兵士らに跳びかかる。
「わっ、何だあ?!」
「お、おい、こら!」
『ニャゴオ~ン』
兵士らの脛にゲシゲシと当たり、体を擦りつけまくるマイケル。突然の事に彼らはすっかり慌てていた。
「こ、こら! 仕事の邪魔だ! あっち行ってろ!」
「うおっ? こいつ力強いぞ?!」
そんな奇妙な光景の後ろで、コソコソっと動き、通路へ滑り込んでいく殿下の姿を確認。
これでよし。
「大丈夫ですか? 今、聖なる力によってその子を静めますね。えー、清浄なる御霊よ、かの者の荒ぶる心を静めたまえー」
適当な呪文を唱える。呪文は適当だけど、水魔法を応用した浄化魔法を発動して、彼らにかかったマタタビを洗浄すると、マイケルは途端に興味を失くしてニャーっと行ってしまった。
「お、おお。凄い、あの狂った猫が去っていった!」
「助かりました、シェイグランド卿」
「いえいえ、とんでもない」
この上ないマッチポンプですので。
その場を後にし、少し歩いて殿下との待ち合わせ場所の掃除箱に到着して声をかける。
「殿下、参上いたしました」
「上手くいったな」
中から現れ、輝く目を向けてくる殿下。
「凄いなシェイグランド卿! まさかこうも上手くいくとは!」
「殿下、何だか楽しそうですね?」
「ああ、こう、スリルがあってワクワクするな! ふふっ、次はどう攻略するか!」
子供だからなのか、本人の素質なのか、それとも男性なのだからなのか。サッパリ分からない事を述べる殿下。
しかし最後の難所は、殿下の期待とは裏腹に一番楽な状況になっていた。
「くかー······すぴー······」
「ぐごごご······ひゅー······」
兵士二人が大きないびきを立てながら床で転がって寝ている。
「これはどういう事だ?」
「寝不足の兵士達です。殿下をお迎えする前に軽い安眠薬を渡しておいたので」
「······お前が敵国に居なくて良かったよ」
こうして、前代未聞の皇太子脱走作戦は成功した。
お疲れ様です。次話に続きます。




