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五話 心配しかない準備

 




 聖堂に帰還した私。しかし、ぼんやりと言うか呆然というか、『どうしてこうなった』という事で頭がいっぱいで、近くの手頃なベンチに座ってポケーッと女神様の像を眺める事しか出来なかった。


「どうしてこうなった······」


 ついには声になって口から出てしまった。






 ──数十分前──






「それだ! 弟という事にすればよいのだ!」


 と、いきなり叫んだ皇帝陛下。私も、ディゲル殿下も目をパチクリとして首を傾げた。


「はあ。弟?」


 とりあえずの生返答で私がそう言うと、陛下はウキウキなご様子で頷かれた。


「うむ。これほど完璧な隠れ蓑は無いだろう」

「あのー。お言葉ですが陛下。先程その弟だったらだったで厄介な事になりかねないとご自身で仰せられたばかりですが······」

「それはディゲルの弟という設定だったらという話だ。そうではなく──そなたの弟という事にすれば良いのだ」

「「は?」」


 ディゲル殿下と声がハモった。


「はい? え? 私の、ですか?」

「そうだ」



 その後、陛下は得意気にご自身の考えを語られた。

 ディゲル殿下をしばらくの間私の弟という事にして保護すれば良いというのだ。

 私の弟なら、聖堂に住んでいても姉弟で暮らしてるだけという事で問題もない。聖女の弟という事であるなら、聖堂や皇城の一部なら行ったり来たりしてもおかしくないし、周囲の人間も気にかけて見守ってくれる。


 つまり、ディゲル殿下を皇太子と気づかせずに、それなりの待遇や警備を敷いても怪しまれる事のないという設定なのだ。


 ······と、陛下は語った。


「いえ、いや、いやいやいやいや、その理論はおかしくありませんか?」


 真っ先に反論したのは私。


「だって私には弟なんて居ませんし、仮に居たとしても仕事場に来るなんておかしくありませんか?」

「そこは案ずるな。そなたの両親には私の方から話を合わせるように手紙を送っておく。もちろん、ディゲルの事は上手く伏せてな。そうだな。『シェイグランド男爵は色気多分な男で、気移りしてしまった行きずりの町娘との間に生まれた隠し子』のような感じでいくか」


 娘の目の前で父親の誹謗中傷とは。


「この聖堂に住まう理由も『酒狂の聖女として有名なシェイグランド卿のお目付け役として教団が修行として送り込んだ。シェイグランド卿は放っておくと職務を放棄してしまうが、弟の言う事には渋々耳を傾ける。これでなんとか半人前から一人前だ』とでもしておこう。これもまた教団の方に私から手紙を送っておく」


 今度は私の悪口を本人に向かって言うとは。おのれ皇帝。


「ち、父上っ、父上は乱心されたのか?!」


 と、それまで我慢してたのか黙っていた殿下も異論を唱えた。


「俺が弟ですと?! しかもよりによってシェイグランド卿の?!」


 至極まっとうなご意見。しかし、よりによってとは何だ、よりによってとは。


「そんなの滅茶苦茶だ! 意味が分からない!」

「何を言ってるディゲル。これほど完璧な名案は他にあるまい。それとも、お前には何か他に良い考えがあるのか?」

「う······」


 悲しいことに。私も殿下も大反対に関わらず、他に妙案が全く浮かばなかったので、陛下のアホな──少々個性的な案に代わる意見が出せなかったのだ。


「決まりだな」


 陛下は満足そうに宣言された。


「原因解明と解決までの間はこの手でいく。すぐに必要な手配にかかる」










 そして、今に至るのだ。



「あら? エリー様?」


 と、ぼんやり座っていた私の名を呼ぶ声がした。


 振り返ってみると、そこには清楚でおしとやかなシスターの女性が。

 制帽から少しはみ出たブロンドは上質なシルクのよう。柔らかな青い瞳は正にザ・聖女って感じ。私よりよっぽどだ。


「どうなされたのですか?」

「ううん、何でもないわエマ」

「あ、さてはまーたサボっていましたね? 駄目ですよエリー様っ。修道院ならいざ知らずここでもサボっては·····いや、修道院でもサボってはいけません!」

「私なにも言ってないよね?!」


 この子はエマ。私の専属シスターだ。

 聖女や大司教などの高位の聖職者になると、身の回りのお世話や仕事の補佐をする従者がつくことになる。エマは修道院時代からの付き合いで、私が聖女になる前からあれこれ世話をしてくれた子だ。お陰で何回も困らせてしまった、一番の被害者でもある。


 関係は上司と部下みたいなものだけど、私にとっては友達のような存在。


「エマ、二人きりの時は呼び捨てでいいのよ」

「いえ、そういう訳にはいきません。エリー様は我が教団の選ばれし聖女。例え不良で酒乱で、どうしようもない程に面倒くさがり屋のいい加減聖者であっても、腐っても聖女、ダメダメでも聖女。敬わなければなりません」

「絶対敬ってないよね?」


 まあ、このように遠慮なく物言える仲なのだ。


「そんな事より、どうされたのですか? 本当にサボっていたのですか? 皇帝陛下より呼び出しがあったと聞いておりましたが、用は済んだのですか?」

「あー······その件なんだけどさ、ちょっと面倒な事になりそうで」

「面倒? あっ、さては皇帝陛下の前で粗相をしてしまったのですね?! ああ、エリー様、一体何度私に心労をかければ気が済むのですかっ?」

「いやいやいや······」


 心労をかけられてるのはこっちだよ······。


 本当はさっきの話を全てしたいとこなんだけど、そうもいかない。今回のディゲル殿下別人成り済まし計画(仮)は誰にも言ってはならないのだ。


 なのに、ディゲル殿下は明日にはここへ来るのだ。しかも、私が迎えに行かなければならない。


 さらに、それだけじゃあない。

 もっとクレイジーな指令も受けているのだ。



『とりあえず、私はディゲルと共に用意を整えておく。明日の朝十時頃が良いだろう。その時間になったら太子の部屋に来てくれ』

『はあ。お迎えにですか······』

『そしてここからが重要なのだが、シェイグランド卿、一つ頼みがある』

『何でしょう?』

『迎えに来たらな、誰にも見つからないように太子を拐って城の外まで連れ出して欲しいのだ』

『はい???』

『拐うというのは語弊があるかもしれんが、つまりだな。太子はそなたの弟という事で外から迎えなければならない。皇族の居住区からそのまま聖堂に向かってはならんのだ。故に、まず一旦そなたがこっそりと外へ連れていき、そしてその後に正門から堂々と入るのだ』

『あの、ここから外まで行くには必ず警備が厳重なエリアを通らねばなりませんが······』

『うむ。なるべく自然に手薄になるよう整えるが、全てはそなたの腕次第だ』

『いやー······私は一応聖女であって、盗人ではなくてですね······』

『しかし、修道院を何度も脱走したのであろう? 自信を持つのだ』




 こんな訳分からなさ過ぎる経緯で、太子誘拐茶番劇のメインキャストにまで抜擢されてしまったのだ。もう不敬だなんて言うまでもない。皇帝陛下って馬鹿だったんだなあ。


「エリー様?」

「あ、うん。なんでもない。それよりエマ、ビショップを呼んでくれる?」

「え? はい。分かりました」


 この聖堂に暮らす聖職者は私含め三人。従者のエマと、司教のビショップ。


 すぐにビショップが来た。初老に差し掛かった穏やかな男性だ。


「シェイグランド卿、どうなされました?」

「あー、えっとー。二人とも。そこに座りなさい」

「「?」」


 二人をベンチに座らせ、私は立ち上がる。


「コホン。えー、本日はお日柄も良く、我らが女神様も大変うるわしく喜ばれており──」

「エリー様、慣れない式辞は結構ですよ」

「こ、こらシスターエマ! シェイグランド卿は腐っても聖女ですぞ!」


 私って腐りきってるんだなあ。泣きそう。


「コホン。じゃあ、前置きは無しで。二人には言うのが遅れていたんだけど、明日、新しい住人がここへ引っ越してきます」

「えっ?」

「なんですと?」


 エマもビショップも驚いた。いきなり過ぎる連絡だから当然の反応。


「誰か枢機卿でも来るのですか?」

「えーっと、詳しくはまだ言えないんだけど、VIPと言うか特別ゲストと言うか重要参考人と言うか複雑な事情を持った訳アリというか」

「そんなんじゃ全然分かりません。エリー様、また通達文をロクに読まなかったのですね?」


 日頃の行いの結果が出てる。自業自得だけど、今回に限っては私は悪くない。悪くないのに~。


「えっと、いずれは詳しく話せる日も来るんだけど本当に訳アリな人物が来るの。なので、二人ともそのつもりでいるように」

「はあ。シェイグランド卿がそう言われるのなら」

「明日にならないと分かりませんね······」



 という事で。納得してないお二人にも説明を施し、晴れて翌日を迎える事になったのだった。




お疲れ様です。次話に続きます。

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