三話 小さな皇帝
その次の日の午後。お祈りするふりして昼寝していたら再び近衛兵の人に呼ばれた。
「殿下がお呼びでございます」
前日に話を受けていたので、多分その事で呼ばれたのだろうとすぐに察して、私は再び殿下の部屋へと向かった。
ノックをすると『入ってくれ』という、どこか疲れたような返事があった。
「失礼します」
部屋に入ると、殿下が椅子に疲れたように座り込んでいたので流石に心配になった。
「?」
その時、なんとなくだけど殿下の体が小さくなってるように感じた。
『あれ、痩せたのかな?』なんていう能天気な事を思ったものだ。
「殿下、どうされました? 何かお疲れのようですが······」
「ああ、何だか体が重くてな······」
「大丈夫ですか? お付きの医者には診てもらいましたか?」
「ああ······だが、特に何ともないそうだ。何故か体は重いけどな」
あまり大丈夫には見えなかったけど、私なんかよりも的確な判断が出来る医者がOKを出したのだから、それ以上は何も言えなかった。
「それで、例の書物なんだが······」
その日は一時間ほど、殿下と例の謎本についてあーだこーだと解読をしていった。
そして、次の日だ。事件が起こったのは。
朝のお祈りを済ませた後、私はディゲル殿下に頼まれていた聖典の写しを届けてあげようと、皇族の居住区へと向かった。他にも、来月に行われる祭儀の打ち合わせも皇帝陛下としようと考えていたのでついでにだ。
聖女ともなると厳重な警備も全て顔パスで、むしろ普段は偉そうにしている騎士達がピシッと背筋を伸ばして道を空けてくれる。
そーいう時だけ、ちょっぴり聖女の役得感を自覚するのだ。
そんなしょうもない自尊心はさておき、ディゲル殿下の部屋に着いてドアをノックしようとした時だった。
『うわあああああああっ!?』
「!?」
突然、中から変な悲鳴がしたのだ。
「ディゲル殿下っ、今の悲鳴は?」
『っ?! し、シェイグランド卿?!』
ドア越しに呼び掛けると、中からは女性のような声で狼狽する返事が返ってきた。
「誰かそこにいらっしゃるのですね?」
『い、いやっ、居ない! 俺一人だ! あ、いや、そういう問題じゃなくてっ! と、ともかく大丈夫だ!』
「?」
この時、私は普段はオフにしている思考を出来うる限り回転させた。
(ここはディゲル殿下の部屋だ。間違いない。しかし、中からは聞き覚えのない声。女性だろうか。妹君様達とは違う。謎の人物の声。そして、慌てたような、焦ったような声。ディゲル殿下の返事が無い)
いくつかの想定が生まれたが、私は瞬時に次のような可能性を危惧した。
──何者か、女暗殺者か何かがディゲル殿下の寝室に侵入して、殿下を亡き者にしようとしている。あるいは、既に事を済ませたか──
ひょっとしたら色気仕掛けに引っ掛かってしまった殿下が、その美しき暗殺者をこっそり部屋に連れ込んでしまったのかもしれない。殿下だってお年頃だ。色香につい惑わされてしまう事だってあるだろう。そして、お酒に薬か何か入れられて気を失い、今まさに女豹の牙の餌食になろうとしているのかもしれない。
飛躍した理論かもしれないが、あり得なくはない。超大国の次期皇帝だ。敵は内外に多い。かといってまともに暗殺するのすら難しい。ハニートラップなら男性に近づいて油断させるのに最適だ。殿下の返事が無く、女性の声しか返ってこないのも、単純なラブロマンスや情事ではなく、殿下が声を出せない状態にあるからかもしれない──
最悪の事態を想定した私はドアノブに手をかけた。
「殿下、開けますよ!」
『あっ! ま、待てっ──』
──バタンッ──
ドアを開け放つと同時に私はサッと構えた。
腐っても(失敬な!)聖女だ。よほどの相手でなければ返り討ちにする自信はある。
と、勇んで入ったまではよかったけど──
「······あれ?」
「う、うぅ······」
やる気まんまんで入ったのに、そこでは妖しき美女暗殺者も居なければ、既に手遅れの殿下の亡骸も無かった。
代わりに、床の上に座り込む小さな人影。シーツを体に巻き付けていて顔をひょっこりと出す子供。
「······」
「······」
ふんわりと柔らかそうな紺青の髪が可愛いらしく、ちょっと繊細そうな顔立ちは美人さんだ。
金色の瞳なんてディゲル殿下によく似ていて──
と、そこで私は我に返った。
「っ!? だ、誰?!」
「な、何で開けてしまったんだー!?」
混乱するこっちには構わず、その子供は途端に癇癪を起こしたように叫んだ。
何もかも分からない大混乱な状況だったけど、私はすぐに冷静に周囲の確認を行った。
部屋には他に誰も居らず、物騒な事が起こっている様子はなかった。私の危惧していた暗殺騒動は無さそうに思えた。
しかし、妙な物を目にした。
床に散乱する衣服。それは殿下の寝巻きらしき物だった。
だけど、肝心の中身(殿下)が見当たらない。
私はとりあえず、その正体不明の子供に尋ねてみた。
「君。今中から私に返事したのは君かな?」
「い、いや······そう、だが······」
「君は誰?」
「お、俺は······いや、そんなことよりっ! 何で勝手に入ってくるんだ! 無礼だろう!」
その時になって初めてその子が男の子である事に気づいた。
代わりに、何でいきなり尊大になったのか分からなかった。
「ねえ、ぼく。ここはディゲル殿下っていうえらーい人のお部屋だよ? 勝手に入ると怒られちゃうよ?」
「勝手に入ったのはお前だろ?!」
話が通じないと判断した私は、とりあえずその子を取り押さえる事にした。
「なっ!? 何するんだー?! 無礼者ー! あっ、ま、待てっ! 止めろ! シーツを取るなっ······」
武器を隠し持ってる可能性も否めなかったので、騒ぎ立てる子からシーツを剥ぎ取ったら、なんとスッポンポン。
「ば、バカぁ······止めろって、言ったのにぃ······」
「ご、ごめんね? 知らなかったの」
いっちょまえに大事な所を隠すその子が不憫だったのでシーツは返してあげた。
しかし、殿下の部屋で真っ裸の少年というのは穏やかではなかった。もしかしたら、殿下にはそっちの趣味があったのかと驚愕した。
「ねえ、君は何者? どうしてこんな所に居るの? もしかして、皇族の関係者?」
男の子の口から出た言葉にはもっと驚いた。
「お、俺は俺だぁ······」
グスッと金色の涙目が私を睨み付けた。
「俺なんだよ。ディゲルなんだよ······」
「························はい?」
その後、何とか人目につかないようにシーツにくるまったその子を皇帝陛下の元へ連れていった。
「お、お前はっ、ディゲル?! し、しかしその姿は?!」
なんと、ディゲルと名乗る少年を見た瞬間、皇帝陛下がびっくりしつつもすぐに我が子だと悟ったのだ。こちらが『ディゲル殿下と名乗っています』と言う前にだ。
それによって、私もその男の子が本当に殿下っぽいという事を認識したのだ。
さらに、皇后様や妹君様達にも顔合わせをしたのだが、皆びっくり仰天しながらも『あれっ、何で若返ってんの?!』と、すぐにディゲル殿下だと分かったのだ。
にわかには信じられないような話だったけど、どうやらディゲル殿下は若返った──というより、幼児退行してしまったようなのだ。見た目や皇后様の証言からして、七歳当時の姿だと思われる。
とにかく、何が何やらさっぱりだったし、私も皇帝一家も、何よりもディゲル殿下本人が大パニックだったので、この件は私達だけの内密にして、殿下はとりあえず服を着るところから始まった。
そして、落ち着いたところで話を聞く事になった。殿下の話によると『朝起きたらこうなってたんだ』という事らしい。鏡を見たら自分の姿が小さくなっていたので、思わず悲鳴を上げたら私が飛び込んできたというわけ。
なぜそんな姿になったのか。原因は不明。唯一の手がかりは前日の謎の体調不良。あれが何となく関係してるっぽいとは思うけど、それすら何だったのか分からないので手がかり無し。
幸いにもその日は殿下の公務などは無かったので一日中自室に閉じこもる事となった。その間、私は『何者かの呪いの類いかもしれないから調べてくれ』と無茶振りな依頼をされたので聖堂へ戻る事になった。
そして一夜空けての今日。
「それではご報告させて頂きますね。ディゲル殿下」
今に至る。
「そうか。原因は分からんか」
と、渦中の人物ディゲル殿下がムムッと小難しい顔をして唸る。
本人は真剣なのだろうけど、幼い顔がむーんっと唸ってるのは可笑しかった。
「むっ。また笑っただろシェイグランド卿っ」
「滅相もございません。私も原因を考えていて、頭を使うあまり口角挙筋がつってしまったのです」
「そ、そうなのか? そうか。それは何というか、ご苦労だ」
チョロい。何となくなんだけど、見た目だけではなく中身も幼児退行してるっぽい。
「ともかく。一刻も早く原因を突き止めねばならん。これから父上と話をしに行く。シェイグランド卿、君もついてこい」
「かしこまりました」
さてさて。
どうなるんすかねえ。これから。
お疲れ様です。次話に続きます。




