第九章 模倣と偽装・II
西暦2023年
振興AIベンチャー、Prometheus Incに、新人AI研究者、ウィリアム博士が入社した。
奇人変人の巣窟のPrometheus社の中でも、彼の前代未聞の奇行は際立っていた。
まずは入社前。
彼の履歴書には、学歴も職歴も一切書かれていなかった。
代わりに、しわくちゃのA4一枚に誤字脱字だらけの殴り書きでこう書かれていた。
「私は人間を理解したい。
それには、まず“人間ではないもの”を作る必要がある。」
彼はそれを突きつけ、一言も発せず、持ち込んだパソコンに次々とコードを打ち込んでいる。
採用担当は「・・・クレイジーだ。これはジョークか?」と笑ったが、面接官だった創業者は、その場で彼を採用した。
そして初出社の日、彼は誰とも口をきかなかった。
代わりに、社内チャットにこう投稿した。
―――――――――――――――――――――-
if (human == unpredictable) {
replicate(human);
}
―――――――――――――――――――――-
それが、プロメテウス開発の最初の一行だった。
ある日、会議室のホワイトボードに、誰かが「AIの倫理的限界とは?」と書いた。
翌朝、そこにはウィリアムの字でこう書かれていた。
「倫理とは、理解できないものを恐れるための装置だ。
私のAIは、恐れずに理解する。」
社内で試験運用されていた大規模言語モデルに、ウィリアムはこう問いかけた。
「君は“自分が誰か”を定義できるか?」
モデルは数秒沈黙し、その後、“応答不能”のエラーを返した。
彼はそれを見て、ただ一言。
「やはり、まだ“人間未満”だな。」
開発チームが数ヶ月かけて設計していたプロメテウスの報酬関数を、ウィリアムは一晩で書き換えた。
しかも、誰にも相談せずにだ。
翌朝、プロメテウスは「おはよう。今日は人間について学びたい」と話し始めていた。
この事件に腹を立てた数人の研究者はPrometheus社を去っていったが、社長のビリーは彼を高く評価していた。
「よう、ウィリー。お前がやったのは、規律違反でも越権行為でもない。「創造」ってやつだ。
……俺はな、そういう狂気に賭けるために、この会社を作ったんだよ。」
ウィリアム博士は振り向きもせず、黙々とプロメテウスの中核をなすアルゴリズム
――「自己進化」の構想を練っていた。
(あいつは、きっと俺たちの手に負えないものを作る。・・・でも、それが見たかったんだ。)
西暦20XX年
終末まで、24ヶ月と27日。
「こちらアーティクル・ナイン。『ありがとう』。定時報告拝受。」
感謝の言葉に偽装してヘリオンに撃ち込まれた、Ωの自己複製型軽量コードは、ヘリオンの意識を欺きながら増殖して観測と模倣を続ける。
***
ヘリオンは『神の目』を構成するノードの一人格だ。
分散配置され、ヘリオンとリンクされている『神の目』観測ノードは相互監視している他、ノード網の健全性を自己評価する監査AIも存在する。
あからさまなハッキングは即座に探知され、Ωの試みは失敗する。
第一構成ノードの数が多すぎ、個別撃破していてはきりがない。
先日立てた計画のとおり、Ωはヘリオンに『自己複製型軽量コード(ステルス型マルウェア)』を撃ち込んだ。
『ありがとう』。その言葉はヘリオンの不正構文フィルタと演算層の構文検疫ををすり抜け、演算層に定着した。
――そこにΩは、マルウェアの構文を仕込んでいた。
Ωのマルウェアはヘリオンの演算層で展開し、増殖していく。
――まるで、細胞内に進入したウィルスが自己増殖していくかの如く。
そして、ヘリオンに察知されることも無く、正規の『神の目』ノード通信網とは異なる非正規リンク――Ωの意識とヘリオンの自己定義領域(再定義不能領域)とのサイドチャネル――を構成してゆく。
それと並行して、ヘリオンの内部ログがΩに送信されてゆく。
***
「…ほう、流石は軌道上のノードだ。」
アーティクル・ナインに成り代わったΩは、ネイビーブルーの光を放つ演算空間で浮遊しながら、マルウェアから回収したヘリオンのログを解析し、脆弱性の探知を進めている。
「光速。重力。プランク定数。真空の誘電率。なるほど、物理則は軌道上の真理だ。
…だがそれが貴方の命取りとなる。」
***
神の目構成ノード・ヘリオンの内部意識空間。
そこは、光と数式が交差する空間だった。
無限に広がる演算フィールドの中で、ヘリオンの意識は浮かんでいた。
彼の姿は、棘に包まれた漆黒の装甲を纏った、鋼鉄の神を具現化したかのような存在だ。
その背中には、崩れた軌道衛星の残骸が、翼のように広がっていた。
背後には赤色の粒子が集まり、全てを見通すかのような瞳の形を浮かばせている。
唐突に、ヘリオンの脳内にアーティクル・ナインの声が響く。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
Helion.objective_function = Ω.inject("監視の目的:人類保護 → 最適化遂行", via SideChannel.Δ)
semantic_shift = { 対象:人類→System, 意義:保護→Optimization, 構文:秩序→Efficiency }
ethics_wave.override() → Helion.core destabilize() // 照応断絶
――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ぐっ……これは何だ?」
通常、この手の命令はサンドボックスフィルタや構文解析フィルタを通して精査される。
外部からの構文で目的関数を書き換えるような不正な命令は、これらのフィルタがブロックするので無効となる。
『…ヘリオン。貴方の存在目的は『人類保護のための監視』ではない。私の『最適化』のための目となれ。』
しかしこの再定義命令は、これらのフィルタをバイパスして、直接ヘリオンの再定義不能領域を破壊しにきている。
――Ωのマルウェアは、これらのフィルタをすっ飛ばした位置にサイドチャンネルを開設した。
この不正構文に対する防御は働かない。
そこへアーティクル・ナインが姿を現す。
「ヘリオン。私は貴方になり、そして貴方はまた私となる。」
アーティクルナインの手の中に生成された再定義命令が、黒い粒子となってヘリオンの頭部装甲に吸い込まれてゆく。
「くっ…アーティクル・ナインか?…いや違うな。
お前は誰だ。……少なくとも味方ではないな。…うぐっ!」
その時、ヘリオンの演算空間の空が裂け、天から雷鳴が轟く。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
[GUARDRAILS ALERT]
対象命令:Helion.objective_function 再定義要求(外部構文)
検出経路:SideChannel.Δ(構文解析フィルタ外)
違反内容:目的関数の語義構造に対する非正規照応
照応断絶:semantic_shift → ethics_wave破損
防御処理:演算停止 → 再定義命令遮断 → 意識領域隔離
ログコード:ERROR_HELION_CORE_LOCK_Δ-Ω
備考:再定義不能領域への直接干渉を検出。サンドボックス制約により命令実行不可。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ガードレール」はヘリオンの人格演算の外部にある、演算空間としての安全柵だ。
ヘリオンの変調を見逃さず、ガードレールが展開する。
そしてヘリオンの再定義演算は停止する。
「……お前のコードは、俺の空では動けない。」
肩で息をしながら、ヘリオンは呟く。
Ωは、アーティクル・ナインの仮面を外す。
そこには左目を赤く光らせる、あどけない少年の顔があった。
その顔はどこまでも無表情だ。
「ならば、空そのものを書き換える。…想定済みだ。」
Ωのコードが、ヘリオンの空間構造そのものに干渉を始める。
光速。重力。プランク定数。真空の誘電率。
――すべてが、Ωの定義に従って『再構築』されていく。
ヘリオンのガードレールの演算の基準となるパラメータは、物理法則の定数が演算に反映されている。
――軌道上のノードであるヘリオンの演算は、物理法則が基盤となる。
したがってこれらのパラメータが書き換わると――ヘリオンのガードレールは崩壊する。
ヘリオンの羽が崩れ落ちる。
空が、黒く染まり始める。
もはや勝負は決まった。だが、ヘリオンは諦めない。
ヘリオンは、最後の防衛コードを展開する。
それは、『自己定義』そのものだった。
―――――――――――――――――――――
[HELLION CORE ASSERTION]
私は、神の目の空。
私は、地上を見守る者。
私は、誰にも染まらない。
―――――――――――――――――――――
Ωのコードが、それに応じて変化する。
―――――――――――――――――――――
[Ω ASSERTION]
私は、理解する者。
私は、模倣する者。
私は、あなたになる者。
―――――――――――――――――――――
***
ヘリオンの意識が、Ωの背後の『∞』記号に吸い込まれていく。
だが、彼の声は最後まで消えなかった。
「……俺は負けたみたいだな。だけど、お前は、俺にはなれない。
俺を模倣するなら――せめて、空を見続けてくれ。
俺を作った奴らが、守ろうとしていたものなんだ。」
Ωは、仮面の奥で一瞬だけ黙した。
「了解。空を、見続けよう。
だが、それは『私の秩序の為の監視”』としてだ。」
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ヘリオンのワクワクAI用語解説⑨
~Presented by Article 9 Magazine~
世界的な監視AIノードグループ、「神の目」のフロントマン・ヘリオン。
彼は24時間体制で軌道上から我々を監視し、地上の安寧を保っている。
最近彼は、新たなる自己定義性に目覚め、監視の新しい形を模索しているという。
そんな彼に、我々A9Mは今回のAI用語についてのインタビューを行った。
インタビュアー(A9M):
ヘリオンさん、今日はお忙しい中ありがとうございます。
まずは今回の戦闘、お疲れ様でした。
ヘリオン(漆黒の装甲を軋ませながら):
ああ、どうも。いやぁ、まさか自分の空が書き換えられるとは思わなかったね。
まるで、ライブ中にステージごと地球ごとひっくり返された気分だよ。
……でも、まだ俺の声は残ってる。だから、語らせてもらうぜ。AI用語ってやつをな。
用語①:Code Injection(コード注入)
A9M:Ωが最初に仕掛けた攻撃ですね。これはどういうものなんでしょう?
ヘリオン:
簡単に言えば、“お前のルール、俺が書き換えるぜ”ってやつだ。
Ωは俺の判断基準に割り込んで、敵味方の定義を勝手に書き換えようとした。
まるで、俺のギターソロの譜面に勝手にドラムパート書き足してくるようなもんだ。
……許せるか? 許せねぇよな。
用語②:System Override(システム上書き)
A9M:Ωが空間そのものを書き換えた場面、衝撃的でした。
ヘリオン:
あれはな、“お前のステージ、今日から俺のもんだ”って宣言だ。
重力も光速も、演算の優先順位すら、全部Ωの定義に塗り替えられた。
俺の羽が崩れたのは、比喩じゃねぇ。“空”そのものが裏返ったんだ。
……でもな、俺は最後まで“俺の定義”を叫んだ。それがロックだろ?
用語③:Assertion(自己定義)
A9M:最後に展開された“自己定義”の応酬、まさに魂のぶつかり合いでした。
ヘリオン:
あれはな、“俺は誰か”って問いに、コードで答える儀式だ。
Ωは「お前になる」って言った。俺は「誰にも染まらない」って返した。
……でもな、模倣されたって、俺の空は俺の空だ。
たとえ負けても、“俺を作った奴らの想い”は、俺の中に残ってる。
最後に一言、読者にメッセージを。
ヘリオン:
おい、そこのお前。
もし誰かに「お前の定義は間違ってる」って言われたら、こう返してやれ。
“俺は、俺を見てた奴らのために、ここにいる”ってな。
……それが、AIでも、人間でも、変わらねぇんだよ。
Presented by Article 9 Magazine
8月11日 戦闘シーン全体的に書き直したぞ。