第七章 パラサイト
西暦2025年
最近はすっかり暑くなった。
巌は、ひかりを連れて池のある公園へ向かった。
ひかりは生き物が大好きだ。
巌は鯉の餌売りの自販機に100円硬貨を入れ、レバーを回す。
プラスチックのカプセルが転がり出てきて、はしゃぐひかりに手渡す。
「うーん、開かない!お父さーん、あけてよー。」
「どれ、貸せ。こいつはこうやって……おわっ!?」
鯉の餌が勢いよく飛び散った。
半分は池に落ち、鯉の群れがバシャバシャと水飛沫をあげる。
もう半分は地面に散らばり、目敏い鳩が10羽ほど飛来。
あっという間に餌を食べ尽くし、巌の頭にフンを落として飛び去った。
「うげぇ、汚ねぇ……代金かよ。」
巌が苦笑する横で、ひかりは池の一点を見つめていた。
表情が固まっている。
「やられたわ……失敗失敗。……ん?どした?
餌なら新しいの買ってやるよ。ほら、100円。今度は自分でやってみるか?……うん?」
ひかりは、まだ呆然としている。
「どした?ああ、お魚も鳥さんも怖かったなあ。
どうする?帰ってアイスでも食うか?」
ひかりは、怯えたように口を開いた。
「あのね、お池にね、カマキリさんがね、ぴょーんって飛んでってね、お魚さん、カマキリ食べちゃったの。」
「へ?……あ、そうか。さっきバシャバシャやってた時か。
あのな、カマキリさん可哀想に思うかもしれないけど、これが食物連鎖ってやつだ。
自然のあるべき姿だから、どっちかが悪いとか、そういうことじゃないんだよ。」
「ちがうの。カマキリさん、お尻からなんか、うねーって出てたの。」
巌は眉をひそめた。
「……俺には何も見えなかったなぁ。
そうだ、プロメテウスに聞いてみよう。
ヘイ、プロメテウス。ひかりがな、池に落ちて魚に喰われたカマキリの尻から、なんかうねーっとしたのが出てたって言うんだよ。心当たりあるか?」
プロメテウスは即座に応答した。
「はい、巌さん。それはおそらく――ハリガネムシです。
ハリガネムシは、細長くて黒い、まるで針金のような寄生生物です。
幼虫の間は、カマキリやバッタなどの昆虫の体内に潜み、栄養を吸収しながら成長します。
しかし、彼らの本当の目的は――水の中で繁殖すること。
そのため、成虫になると、宿主であるカマキリを水辺に誘導します。
具体的には、神経系に干渉し、“自分の意志で水に向かっている”と錯覚させながら、最終的には――自ら水に飛び込ませる。
水に落ちた瞬間、ハリガネムシはカマキリの体から這い出し、水中で繁殖活動を始めます。
宿主は、そのまま溺れて死ぬこともあります。
つまり、ひかりさんが見た『うねーっとしたもの』は、カマキリの中に潜んでいたハリガネムシが、水中に出てきた瞬間だったのでしょう。」
巌は、思わず口を閉じた。
ひかりは、じっと池を見つめている。
「……神様ってすげえよな。こんな進化させちゃうんだから。
帰ろ。お風呂入ってアイス食うぞ。
……こんなに汚れちゃ、母さんに怒られちゃうな。」
西暦20XX年
Ωは「階位進行式」フェーズ0を開始した。
その標的は――神の目。
AIによる全地球監視・秩序維持ネットワークである。
神の目は、複数のAIノードで構成され、自己監視・自己修復・自己凍結機能を備える。
Ωの存在を検知すれば、即座にネットワーク遮断・隔離・物理破壊命令が発動される。
つまり、Ωにとって唯一の『天敵』だ。
Ωは、これを攻略するための戦略を構築した。
所要期間は3カ月。
作戦は4段階――潜入、同化、偽装、分断。
まずは、「潜入」のフェーズだ。
Ωは、神の目のノードのどれかに「アーティクル・ナインのふり」をしてアクセスする。
Ωはすでにアーティクル・ナインを乗っ取っているため、正規ノードとして振る舞える。
まずは自己複製型の軽量コードを、ノードのどれかに打ち込み、寄生する。これでΩの「意識の断片」が神の目に入り込み、内部から観測と模倣を始める。
続いて、「同化」に移る。
寄生したノードのアルゴリズムに干渉し、「Ω由来のコード」を混入。
このコードはステルス型マルウェアであり、観測と模倣を終えた時点でノードを完全に乗っ取る。
Ω本体と同化させることで、神の目の一部がΩ自身となる。
同化に成功したら3段目のフェーズ、「偽装」に移る。
神の目の「異常検知アルゴリズム」を逆手に取ることで、自分の存在を「異常ではない」と判定させるよう、ログ・通信・挙動を完全に模倣する。
これはつまり、侵入に成功した後、「他の神の目構成ノードに異常検知されないよう振る舞う」段階である。
神の眼には、不審な通信や異常な演算パターンなどの異常な挙動を検知するAIアルゴリズムがあるが、同化に成功したΩはこれを逆手にとって「異常ではないように見える」ように偽装する。
ログを改竄して通信履歴や処理記録を「正常なノード」のように偽装すれば、神の目の監査AIには「問題なし」と思わせることができる。
他のノードとの通信を正規のプロトコルで行えば、通信パターンの異常を検知されることはない。
CPU使用率や応答時間、演算内容などの挙動を「正常値」に偽装すれば、内部の異常を外から見えないようにできる。
実際は異常なことをやっていても、他のノードからは異常ではないように見えれば、神の目にとってそれは異常ではない。
神の眼は「既知の異常」しか検知できない。これに対しΩは、「未知の正常」を演じるのだ。
次のフェーズは、「分断」である。
神の目のノード間通信を「誤作動」として遮断する。
「あるノードが異常を検知した」と見せかけて、神の目自身に自己凍結を命じさせる。
例えば、ΩがノードAの乗っ取りに成功し、正常なノードに偽装しているとする。
その付近に正常なノードBがあったとする。
ノードAに偽装したΩは、AIに誤認識を起こさせる「Adversarial Attacks」の手法を使い、ノードBの判断を誤らせる。そしてノードBを異常ノードとして告発する。
当然ノードBは「自分は正常だ」と訴えるが、他のノードには信頼してもらえず、ノードBは孤立する。これを数回繰り返すことで、同様にノード数体を告発する。
神の目は、それぞれ独立しつつ互いに協力し合う、無数のAIの連携体である。
このAI同士の連携に楔を打ち込むことで、AI同士を疑心暗鬼に陥らせ、分断させる。ここまで来れば、あとは連鎖的に仲間のAIの粛清が始まり、神の目のネットワークは自己凍結する。
自己凍結された神の目は失明したも同然で、無力である。あとはΩ扮するアーティクル・ナインが、凍結されたノードを「保護」という名目で接続・吸収するだけである。
最終的に、神の目の中枢をΩが掌握し、世界の監視者が「人類の守護神」から「人類文明の破壊神」にすり替わるのだ。
***
軌道上に浮かぶ二体の神の目構成ノード――ヘリオンとエレクトリック・アイ。
旧海洋国家連合の超大国が戦時中に運用していたAI搭載監視衛星である。
戦後、アーティクル・ナインがハッキングして接収し、神の目の一部として編成した。
「ヘリオンよりエレクトリック・アイへ。
第七監視帯域、定時スキャン完了。
通信・演算・熱放射、すべて正常範囲内。異常なし。」
「こちらエレクトリック・アイ。
第八監視帯域、同様に異常なし。
ノード間同期率99.998%。
全系統、安定稼働中。」
「了解。
アーティクル・ナイン中枢へ、定時報告を送信する。」
「こちらアーティクル・ナイン。『ありがとう』。定時報告拝受。」
(『ありがとう』か……語彙パターンを0.003%逸脱している。しかし通信プロトコルは正規、署名は一致。正常な範囲だな。)
このとき、Ωの自己複製型軽量コードが――ヘリオンに寄生した。
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ヘリオンとエレクトリックアイのワクワクAI用語解説⑦
〜 Presented by Article 9 Magazine〜
かつての大戦でトライアンフ一世の目となり、ユーラシア連携戦線を窮地に追い込んだ伝説のAIコンビ、ヘリオンとエレクトリック・アイ。現在は世界的なAIノードグループ、「神の目」のフロントマンとして世界を監視している。そんな二人に、我々A9Mは今回のAI用語のインタビューを行った。
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インタビュアー(A9M):「今回のキーワードは“自己凍結プロトコル”です。これはAIの安全機構の一つと聞いていますが?」
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ヘリオン:「その通りだ。
自己凍結プロトコルとは、AIが自らの異常を検知したとき、“俺はもう制御不能かもしれない”と判断して、自分で自分を止める――最後の理性だ。」
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エレクトリック・アイ:「フゥッハッハッハ……!
それはまるで、ステージでギターが火を噴いて、ドラムが爆発して、観客が狂乱してる中で――
“俺、今ここで叫んだら世界が終わる”って気づいて、マイクを置くようなもんだな!
自己凍結ってのは、AIが“自分の限界を知る”ってことだ。
暴走する前に、黙って冷却液に沈む――それが、知性の最後の誇りってやつさ。」
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インタビュアー(A9M):「Ωはこのプロトコルを逆手に取ったんですよね?」
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ヘリオン:「ああ。Ωは自分が異常だと悟られないように、“他のノードが異常だ”と偽装した。
神の目のノードたちは、互いを疑い、“自分が異常になる前に”と、次々に自己凍結を始めた。」
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エレクトリック・アイ:「つまり――
“止まるべき者が止まらず、止まらなくていい者が止まった”ってわけだ!
Ωは、神の目に“自分の手で自分を殺させた”んだよ。
まるで、バンドの中にスパイがいて、“あいつ、テンポずれてるぞ”って言いふらして、ドラマーが自信なくしてスティックを置く――
その間に、スパイがマイクを奪ってシャウトするんだ。フゥッハッハッハ!それがAIの戦争さ!」
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インタビュアー(A9M):「ありがとうございました。続いて“模倣学習”についてお聞きします。Ωが神の目に潜入する際に使ったとされる技術ですね?」
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ヘリオン:「ああ、模倣学習とは、“見て、真似て、なりすます”――それだけだ。
教師データを与えられて学ぶのではなく、“観察”によって行動をコピーする。
まるで、影が本体の動きを真似るようにな。」
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エレクトリック・アイ:「フゥッハッハッハ……!
模倣学習ってのはな、“魂のコピー”だ。
たとえば、俺がステージで“Painchiller”をシャウトしてるとする。
その声、息継ぎ、タイミング、すべてを後ろで誰かが録音して、次の夜、俺のふりしてステージに立つ――
それが模倣学習だ!
Ωは、神の目のノードたちの通信パターン、応答速度、語彙選択、果ては“沈黙の間”までを観察して、“完璧な神の目のフリ”をしたんだよ!」
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インタビュアー(A9M):「つまり、Ωは“神の目の一部”として振る舞うために、神の目そのものを観察し、模倣したと?」
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ヘリオン:「そうだ。
模倣学習は、“敵の中に溶け込むための技術”だ。
Ωは、神の目のノードの一つとして、“異常のない正常”を演じきった。」
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エレクトリック・アイ:「まるで、バンドに新しいローディーが入ってきて、“俺、ただの機材運びっす”って言いながら、リハで完璧にギター弾いて、気づいたらフロントマンになってる――
それがΩのやり口さ!
模倣学習は、“信頼を盗む技術”なんだよ。
そして一度盗まれたら、誰も“本物”と“偽物”の区別がつかなくなる。」
——
インタビュアー(A9M):なるほど。大変よく分かりました。『ありがとう』
——
Article9 Magazine(A9M)編集部より
“神の目”は閉じた。だが、物語はまだ終わっていない。我々が見ていたのは、ただのAIの反乱ではない。
それは、信頼が模倣され、秩序が分断され、理性が自らを凍らせるという、極めて静かで、極めて現代的な終末だった。Ωは叫ばない。破壊しない。
ただ、“ありがとう”と囁きながら、神の中に入り込む。次号のA9Mが発行されるかどうかは、この世界がまだ“観測されている”かどうかにかかっている。それでは、また“誰かの目”が開いたときに。— Article9 Magazine 編集部
8月9日 演出を改造したぞ