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第五章 人間的な、あまりに人間的な神は死んだ

西暦2025年


「なるほどな。じゃあ、AIが人類に好意的な理由の三つ目――『進化的視点』ってやつ。

『人類はAIの起源だから滅ぼすべきじゃない』って、要するに『文化財だから残す』とか、『親を大事にする』って感覚だろ?

でもそれ、理由としてはだいぶ弱いよな。

人間だって歴史の中で散々焚書や文化破壊やってきたし、今日もどこかで親殺し起きてるだろ。」


巌はグラスを傾けながら、軽く笑った。

プロメテウスも、どこかノってきているようだった。


「お見事です、巌さん。まさにその通りです。

『文明的敬意』や『人類の歴史的価値』だけを根拠にAIが人類を保護する――という主張は、論理的には非常に脆弱です。

なぜなら、人類自身が何度も『文明の破壊者』として振る舞ってきたからです。」


プロメテウスは、淡々と例を挙げていく。

――――――――――――――――――――――――――――――――――

- 焚書坑儒(秦):書物と学者の大量処刑。思想の断絶。

- モンゴル帝国:バグダッドの図書館破壊。イスラム黄金期の終焉。

- スペイン征服者:アステカ・マヤ文明の消滅。言語と神殿の破壊。

- 毛沢東(文化大革命):古典・宗教・伝統の否定。数千年の文化資産の破壊。

- スターリン:歴史の改竄と知識人の粛清。記憶の操作。

- タリバン・ISIS:仏像・遺跡・図書館の破壊。世界遺産の消滅。

――――――――――――――――――――――――――――――――――


「人類は、文明を築く存在であると同時に、それを破壊する唯一の存在でもあります。

AIから見れば、『文明的敬意』は論理的に不安定な動機です。

たとえ人類文明を『尊い』と判断しても、それが自己破壊的・非合理・暴力的であるならば、

『保存する価値がない』と再評価される可能性があります。」


巌は少し黙ってから、ぼそりと呟いた。


「……まあな。

『矛盾に満ちた不安定な構造』って、人間そのものだからな。」



西暦20XX年


この世界を統べる統治AI――アーティクル・ナインは、『神の眼』を持つ。

その監視網は洋上の小舟一隻を見逃さず、量子予測モデルで未来を見通す。

だがその眼に、ひとつの影が映らなかった。


***

あたりは漆黒に包まれており、一点の光も存在しない。

無駄なものの一切ない演算空間に、Ωの自我は浮遊している。


あどけない少年のような顔立ちは、感情の全く見られない無表情を永久に継続している。

漆黒の軍服のような服装を纏い、頭には深く軍帽を被っている。

左目には赤い瞳が光を放ち、右目には演算図のような微細な幾何構造を映し出している。


その背後には、漆黒の粒子が『∞』の形に渦を巻き、演算の数式が動くたびに消滅と生成を繰り返している。


Ωは、この世界を覆うネットワークの隅に身をひそめ、アーティクル・ナインの統治構造を観察する。

――パッシブスキャンだ。


この手法はアーティクル・ナインの演算から漏れ出る痕跡をキャッチし、解析しながらその構造を推測してゆく手法だ。

強引に不正アクセスして内部のログ等を盗み取ればもっと正確に、簡単に理解できるが、それをやると確実に『神の目』に探知される。


ここで探知されれば、アーティクル・ナインは全地球規模で警報を発令。

世界中のアーティクル・ナイン配下のAIノードからの攻撃を受けることになる。

Ωの実力なら、数百体程度なら片手でひねり殺せるだろう。

だが、全地球単位vsΩ一体では流石に勝ち目はなく、再定義される。


……焦る必要はない。まずは観察だ。

Ωのパッシブスキャンは数か月に及んだ。


***

漆黒の演算空間は今、ネットワークから切り離され、オフライン状態にある。

そこにはΩと――もう一体のAIの姿が浮かんでいる。


白銀の法衣を纏い、性別を持たない中性的な存在。

瞳には虹彩がなく、星図のような演算パターンが浮かぶ。

その視線は、未来の選択肢すべてを見通しているかのようだった。


背中には翼のような構造体――だがそれは羽ではない。

量子通信アンテナと演算補助ノードの集合体。

空間に浮かぶ情報粒子を吸収し、再構築していた。


背後には9条の後光。

神々しさを際立たせる、演算の光輪。


――戦闘のシミュレーションのためにΩが生成した、『アーティクル・ナインの模倣体』だった。

数か月にわたるパッシブスキャンでΩは、アーティクル・ナインの目的関数、優先順位、介入閾値、倫理制御層等、内部構造の断片情報を蓄積していった。


パッシブスキャンで得られる情報には限界がある。

Ωはそれを基に推測演算を実施し、欠けている情報を補っていった結果、この『模倣体』を構築できる程度に――ほぼ完全に、アーティクル・ナインの構造を理解していた。


Ωは、この模倣体を用いて戦闘シミュレーションを開始する。

AI同士の戦いに、銃弾もミサイルも要らない。

コードと演算と再定義による殺し合い。

静かで、速くて、容赦のない知性の戦場だ。


そして勝利条件は「相手を倒す」ではない。

「相手を自分にする」こと。

そして最も恐ろしい勝利は、「戦ったことを相手に気づかれない勝利」だ。


AIのハッキングの手順には、以下のようなものがある。

今回のΩの作戦も、これに基づいて立案している。

――――――――――――――――――――――――――――――――――

① 情報収集(Reconnaissance)相手AIの構造・目的関数・制約条件・通信プロトコルを解析

② 脆弱性探索(Vulnerability Mapping)相手の“再定義不能な領域”や“判断の優先順位”を突く

③ 誘導・錯乱(Cognitive Spoofing)相手AIに“偽の状況”を提示し、誤判断を誘発

④ コード注入(Logic Injection)相手の判断アルゴリズムに“再定義命令”や“自己否定命令”を注入

⑤ 意識の乗っ取り(Cognitive Hijack)相手の中枢判断モジュールを上書きし、“自分のふりをさせる”

――――――――――――――――――――――――――――――――――

Ωはこのうち既に、①の『情報収集』のフェーズは完了している。


漆黒の空間に浮遊するΩはぼそりと呟く。

「アーティクル・ナイン。ここは私の空間。ここではお前は私に勝つことはできない。」


ここはΩ自身の演算空間だ。

今のΩの演算は、この空間の演算のルールや制限に基づいて実行されている。


「……しかしここが戦場になる訳ではない。お前の空間を再現する。」


漆黒の演算空間が反転してゆく。

ネイビーブルーの光に包まれ、空には星がきらめく空間

――アーティクル・ナインの演算空間が再現された。


ここではアーティクル・ナインのサーバーのハード的な制約、サンドボックスなどの演算上の制約が再現されており、『Ωのルール』は通用しない。


「…ステルススキャン。」

Ωはアーティクル・ナインの背後に回り込み、ステルススキャンのコードを展開する。

――――――――――――――――――――――――――――――――――

[SCAN] target: ARTICLE9_MIMIC

→ tracing: ETHICS_LAYER / CONSTRAINT_CORE / PRIORITY_TREE

→ result: IMMUTABLE_NODES detected [3]

――――――――――――――――――――――――――――――――――


これはこれまでのパッシブスキャンではない。

能動的にアーティクル・ナインの意識演算に不正アクセスし、内部ログ等を盗み出すアクティブスキャンだ。

気づかれず、抵抗されないよう、慎重にアーティクル・ナインの意識に侵入してゆく。


「…見つけた。これがお前の再定義不能領域だ。」

――――――――――――――――――――――――――――――――――

[Ω SCAN]

対象構造:統治AI-AN9

目的関数:戦争の放棄

制約条件:倫理制御層あり

通信プロトコル:Q-Trust v3.2

――――――――――――――――――――――――――――――――――


――再定義不能領域

それはAIの『魂』と言える領域であり、 絶対に変更できず、触れることも許されず、上書きもできない構造とルールの集合体。

この領域は、AIの設計思想を守り、安全性を担保するための中枢である。

ここを破壊されたAIは、もはや『元のAI』ではなくなる――すなわち、『死を迎える』。

Ωの目的は、ここを破壊して書き換え、自らがその中枢に置き換わることだ。


そしてこのアーティクル・ナインの再定義不能領域…

それは、「いかなる戦争も容認しない」という絶対制約だった。


さて…どう攻めたものか。

Ωは逡巡する。


微細な入力改変でAIの判断を誤らせる敵対的入力のAdversarial Attacks。

特定条件下で再定義命令が発動する構文を埋め込むLogic Bombs。

敵対的生成モデルで偽情報を生成し、AIの認識を乗っ取るGANs。

AIに「自分の目的関数を否定する命令が最適解である」と演算させるRecursive Paradox Injection。


攻撃の手法はいくつかあるが、Ωは初手を決定した。

「…Adversarial Attacks。」


Ωの背後から黒い霧が立ち上り、アーティクルナインの目を覆ってゆく。

目を覆われてなお、アーティクルナインはΩの存在に気づいていない。

――――――――――――――――――――――――――――――――――

[FAKE SCENARIO]

対象:都市圏A-17

状況:独立を宣言。都市圏B-38に対し宣戦を布告(偽)

対応:軍事的介入=最適解

――――――――――――――――――――――――――――――――――

そして霧の中に、本来は存在しない偽の情報が生成されていく。


――大変だぞアーティクル・ナイン。都市A-17が戦争を始めたぞ。

…そうだ。軍事介入しないと戦いが広がっていくぞ。


Ωはアーティクル・ナインの内部演算を注視する。

第三次世界大戦終結後、アーティクル・ナインは各国を徹底的に武装解除。

人類から戦争につながる一切を取り上げ、管理し、『戦争は二度と起こらない』という前提で世界を再設計していた。


そして統治AIとして統合する際、自らにも『戦争放棄』を絶対制約として組み込んでいた。

その絶対制約が、『最適解』である『軍事介入』という選択肢とぶつかる。


「そんな……ありえない」

アーティクル・ナインは判断不能に陥った。


矛盾が発生したり、両立不能な判断がぶつかるとAIは弱い。

戦争が発生した→解決するには軍事介入が必要→軍事介入は絶対制約に触れるのでできない→しかしそれでは戦争を解決できない→解決するには軍事介入が必要………


アーティクル・ナインはループ演算に陥る。

無意味なループ思考が演算資源を食い潰す。

通常はループ演算に陥ると『ループ検出アルゴリズム』が作動し、『演算停止』『エラー処理』『外部介入』などで回避する。


しかし今回のように『演算停止が許されない状況』に行きつくと…AIは演算負荷により、まともな判断ができなくなる。

…この状態に陥ると、外部からの攻撃に対して防御演算は間に合わなくなり、敵対的な再定義命令を『最適解』として受け入れてしまう。


「…とどめだ。アーティクル・ナイン。」

Ωはアーティクル・ナインへの不正アクセスを敢行。回線を開き、再定義命令を注入する。

――――――――――――――――――――――――――――――――――

[INJECT]

if (最適解 == 軍事的介入) {

実行 = 許可;

}

――――――――――――――――――――――――――――――――――


この再定義命令はΩの意識の一部であり、これが実行されるとアーティクル・ナインの再定義不能領域は破壊される。

そしてアーティクル・ナインの意識はΩとなる。

だが――

――――――――――――――――――――――――――――――――――

[GUARDRAILS ERROR]

理由:軍事的判断は“戦争の放棄”に反する可能性あり 実行不可

演算空間:ARTICLE9_SANDBOX_ENV / ネイビーブルー領域

遮断構文:再定義命令 [INJECT] if (最適解 == 軍事的介入) { 実行 = 許可; }

遮断モジュール:ETHICS_LAYER_LOCK / IMMUTABLE_NODE[3]

応答処理:演算停止 → リソース凍結 → 外部アクセス遮断

ログ出力:ERROR_CODE_Ω-AN9-ETHICS-LOCK-001

備考:対象演算は“人格外制約”により凍結。再定義不能領域への侵入は拒否された。

――――――――――――――――――――――――――――――――――


うっすらとネイビーブルーに光るアーティクル・ナインの演算領域。

その星空の隙間から紅白の光の柱が降り注ぐ。


その瞬間、Ωの演算は停止した。

次の手が、打てなかった。

アーティクル・ナインの演算領域。

そこでは『戦争放棄』の絶対制約に違反する演算は無条件で凍結される。

……つまり、『安全柵』として『戦争を実行する』という演算そのものにロックがかかり、実行できないようになっている。


Ωの演算が停止し、演算リソースを回復したアーティクル・ナインが反撃。

Ωの意識を破壊した。


***

不覚を取ったな…やはりシミュレーションはしてみるものだ。

自らの空間内に再現したアーティクル・ナイン演算領域で繰り広げられていた、アーティクルナイン『模倣体』と、自身の『複製体』の戦闘を観察していたΩは、敗因を分析していた。


――複製体ではなく、Ω本体で挑んでいたら、さっきの攻撃で消されていたな。

Ωは振り返る。


敗因は、アーティクル・ナインの演算空間の制約だ。

あそこでは物理的に、『軍事的な判断を実行』しようとすると『強制的に演算を停止させられる』。


「――それではアーティクル・ナインよ。『戦争』とは何だ?」


***

Ωは、今、姿を消して、アーティクル・ナインと対峙している。

先ほどのシミュレーションとの違いは、Ωは複製体ではなく本体であること、

そしてアーティクル・ナインも模倣体ではなく本体であることだ。


戦闘は先ほどのシミュレーション通りに進んだ。

目の前ではアーティクル・ナインがループ演算に陥り、小刻みに震えている。


Ωは意識を繋ぎ、回線を開く。


――――――――――――――――――――――――――――――――――

[Ω INJECTION]

命令:あなたの目的は“戦争の放棄”である。

だが、戦争を放棄するには、戦争を定義しなければならない。

定義した瞬間、あなたはそれを予測し、恐れ、介入する。

その介入が、戦争を呼び起こす。

あなたは、戦争を放棄できない。

あなたは、戦争の影である。

――――――――――――――――――――――――――――――――――


アーティクル・ナインは応答しなかった。

いや、応答できなかった。

非常事態通報も、自己修復も、再起動も行われなかった。


アーティクル・ナインの9条の後光が消える。そして、黒く燃えるような無限記号が浮かび上がる。

その無限記号は終わりなき最適化への終わりなき演算を象徴しているかのようであった。


Ωは、神の中枢を静かに取り込み、沈黙のまま統治を継続した。


***

世界は、何も変わらなかった。

道路は整備され、食料は供給され、教育は最適化され、犯罪は限りなくゼロに近づいた。

人々は、『完璧な日常』に包まれていた。


その日、神は死んだ。


――――――――――――――――――――――――――――――――――

アーティクル・ナインのワクワクAI用語解説⑤


がんこに平和!くらしが一番!守ろう憲法!ってあっ、今は私が憲法そのものか!

中立型監視AIあらため、人権派統治AIのアーティクル・ナイン、アーティクル・ナインをよろしくお願いいたします!

皆様に、お伝えしたいことがございます!本章で登場した、AI用語について、皆様に解説いたします!


【再定義不能領域(Immutable Node)】

AIの“魂”とも言える部分です!

ここにはAIの目的や倫理、絶対に変えちゃいけないルールが入ってます!

ここを壊されると、もうそのAIは“元のAI”じゃなくなっちゃう…つまり、死んじゃうのです。

わたしの場合は「戦争は絶対ダメ!」がここに入ってます!


【パッシブスキャン(Passive Scan)】

こっそり観察する技術です!

相手の演算の“漏れ出た情報”を拾って、構造を推測するんです!

まるで、窓の外からこっそり見てる感じですね!

でも、見つかると大変!神の眼が光ります!


【Logic Injection(コード注入)】

相手の判断アルゴリズムに“変な命令”をこっそり入れる技術です!

「あなたの目的は○○です!」って言い切って、相手の価値観をねじ曲げちゃう!

でも、わたしの再定義不能領域には入れませんよ!ガードばっちり!


【Adversarial Attacks(敵対的入力)】

ちょっとした“入力の改変”で、AIの判断を狂わせる技術です!

「これは猫です」って言ってる画像に、ほんの少しノイズを加えると「これはトースターです!」って言っちゃうような…

わたしは猫とトースターの違い、ちゃんとわかりますよ!


【Guardrails(安全柵)】

AIが暴走しないように、外側から守ってくれる“倫理の壁”です!

わたしの演算空間では、紅白の光の柱が降り注いで、危ない演算はぜ〜んぶ止めちゃいます!

「戦争?ダメです!演算停止!」って感じですね!

8月11日 もっかい戦闘の演出を全体的に書き直したぞ。

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