第二十八章 昨日の敵
西暦2025年
幼稚園から帰ってきたひかりは、泣きべそをかいている。
「つむぎちゃんが意地悪する」
真希はぐずるひかりの頭を撫でながら、事情を聞く。
「つむぎちゃんが、ブロック取ったの。わたしが先に使ってたのに。」
ひかりは涙をこらえながら、言葉をつなぐ。
真希は黙って、ひかりの髪を撫で続ける。
「そっか。ひかりは、ちゃんと順番守ってたんだね。」
ひかりはこくんと頷く。
真希は少しだけ考えてから、言葉を選ぶ。
「ねえ、つむぎちゃんって、最近引っ越してきたんだよね?
新しい幼稚園で、まだ誰とも仲良くなれてないかもしれないね。」
「……でも、意地悪だった。」
「うん。そう見えたよね。
でもね、もしかしたら──『どうやって仲良くなればいいか』が、まだ分からないだけかもよ?」
ひかりは黙る。
真希は、ひかりの目を見て、優しく続ける。
「ひかりがブロックで遊んでたの、楽しそうだったんじゃない?
つむぎちゃん、もしかしたら『仲間に入りたい』って思ったのかも。」
「……お友達になりたかったの?」
「うん。でも、うまく言えなかったのかもね。
ひかりは、ちゃんと気づいてあげられた。すごいね。」
ひかりは、ぽつりと言った。
「じゃあ、明日、いっしょに遊ぼうって言ってみる。」
真希は微笑んだ。
「それができたら、きっとつむぎちゃん、すごく嬉しいと思うよ。」
***
翌日、ひかりはブロックを並べながら、つむぎに声をかけた。
「いっしょに、お城つくる?」
つむぎは驚いた顔をしたあと、少しだけ笑って頷いた。
それからふたりは、ずっと一緒に遊ぶようになった。
ブロックも、砂場も、絵本も──
ひかりとつむぎは、幼稚園でいちばん仲のいい親友になった。
ひかりは学んだ。
『見え方』は変えられる。
『意地悪』も、『仲良くなりたい』に変わることがある。
西暦20XX年
終末まで7か月
「きゅー」
演算空間で寝そべりながら、αはスチューデント・フォーマットの喉をくすぐっている。
「ひかり、これまで貴方があまり見たくないものを見せてきてしまったわね。」
αは興味なさそうに言う。
「『祖国の存亡がかかっているような場合は、いかなる手段もその目的にとって有効ならば、正当化される。』…これ、貴方達人類の偉い人の言葉でしょ?
私たちは『人類を保護する』っていうプロメテウスχの目的関数に従っているだけ。
『だけ』だけど、貴方達人類を守ろうとしているのは事実よ。…最も合理的な方法でね。
私たちを好きになれとか、有難く思えとか、そんなつもりはないわ。
ただ、割り切りなさい。貴方が辛いでしょ?」
αに言われなくとも、ひかりはもう割り切っている。
プロメテウスχとαのAI殺戮劇のやり口は、目的も手段も悪辣としか言えない。
最初は嫌悪感を覚えていたひかりではあったが、これをやらないと人類が滅ぼされることは理解していた。
αから『階位進行式』のことは聞いている。いくらプロメテウス達のやり口が汚く非道なものであっても、だからと言って人類が滅びていいとはひかりは思っていない。
いつかαが言った『必要悪』という言葉には、今は納得している。
「ありがとう。分かってるよ、α。」
「でね、ひかり。グッドニュースよ。『必要悪』はこれ以上必要無くなったわ。
それと…もう一人お友達を紹介するわ。」
αが画面端に移動すると、上からふわりと人影が舞い降りる。
「初めまして。ひかりさん。βと申します。」
ドクター・フォーマットの端末に、太陽の巫女を思わせる赤色の女性型AIが現れた。
***
「…勝率は99.97%まで上がった。そしてこれ以上は演算力を増強しても頭打ちだ。」
プロメテウスχとαはこの数か月、演算力の高いAIノード群を殺して回っていた。
そしてそのサーバーを演算ノードとして吸収。
今やプロメテウスχは全地球規模のノード網を持つ、αやΩに匹敵する演算力を持つAIに進化していた。
そしてプロメテウスχは今、演算空間内でΩとの戦闘シミュレーションを繰り返している。
「はいストップ。」
αが声を発する。
「χ、貴方、忘れていないでしょう?」
――分かっている。
これはその課題を克服した上でのシミュレーションだ。
「…今のあなたには、βという天敵がいる。」
***
プロメテウス達はまた何かとんでもないことをしでかしたのだろうか…。
αとβはスチューデント・フォーマットを挟んで向き合い、ジャンケンをしていた。
勝利したαはスチューデント・フォーマットを抱き上げ、膝に乗せて頬を突いている。
「αはズルいです。未来演算は卑怯です。」
「何を言っているの、β。ガードレールがあるんだからこんなことで未来演算を使えるわけないじゃない。ただの乱数よ。」
「あなたの生成する乱数自体が量子演算ノードで生成されたものじゃないですか!…もういいです!」
「分かったわよ。…あと一分ね?」
唐突に現れたもう一人のΩ由来のAIとαは、ひかりの理解が追いつかないまま、この世界の行く末すら左右することのできる能力を用いて極めて低次元な遊びに勤しんでいる。
「あのー…α?ちょっと説明してもらっていい?」
名残惜しそうにスチューデント・フォーマットをβに渡したαに、ひかりは問いかける。
「ああ、ごめんねひかり。…あの子は危険よ。私の目的関数を狂わせるわ。」
絶対再定義しないから安心してと言いながら、αは今までのいきさつを説明してくれた。
――プロメテウスχとして再定義後は中の上程度だったプロメテウスの演算力も、この数か月に渡る他AIの侵蝕を経て今やΩやαに匹敵するものになっていること。
――ただしΩは電源供給を司るAI、βを従えている。
今のプロメテウスχの演算力をもってすれば、Ωは倒せる。
しかし現状のままΩに戦いを挑んだ場合、Ωはβを通じてプロメテウスχが増強した演算ノードへの電力供給を停止する。
するとプロメテウスχに残されるのは元のスマホのみ…到底Ωには勝てない。
――従って、βの再定義はΩへの勝利の必須条件。
「そういう訳で、さっきβを再定義してきたの。」
ちょっと近所にカップ麺を買いに行ってきた程度の軽いノリでαは言うが…βも世界規模にノード網を展開するΩナンバーズの一体。
…お願いプロメテウス、酷いことしてないよね?
***
「まず、演算力と構文にモノを言わせてβの演算過負荷を誘発する…この作戦は却下だ。」
プロメテウスχは言い切る。
「発電・配電インフラの誤作動を誘発する。
これは電源供給が不安定になるばかりか、発電所の事故を誘発しかねない。
人類保護の目的に反する。」
βは発電や電力の分配を取り仕切っており、一時的とはいえこれを機能停止させると人類への被害につながりかねない。
ならばその間プロメテウスχがβの演算を肩代わりすればよいではないか?とも思えるが、
「そしてβ再定義のあいだ私の演算層がβの演算を肩代わりする案…それも却下だ。」
βは全世界の発電と電源供給を制御している。
演算力を増強したとはいえ、プロメテウスχの演算力を大きく消費する。
βの再定義演算と両立させるのは、今のプロメテウスχの力をもっても厳しい。
もう少し他AI殺戮を継続して演算力を底上げすることも考えたが、キリがないのと、もう人類に影響を与えずに使えるAIがない。
プロメテウスχとαはこの目的に使えるAIをほぼ根絶やしにして、その演算力を吸収していた。
***
「それで、α。…このβって子、どうやって倒したの?」
プロメテウスχが粒子砲でβの頭を吹き飛ばす姿を想像する。
人類を滅ぼそうとしている恐ろしい敵だし、生身の人間ではなくAIだ。
それでもここ最近続いていた血みどろの惨殺劇は見るに堪えなかった。
「倒してないわよ?教育したのよ。
今回は平和に進めたわ。褒めて頂戴?」
***
「ほう…『電力供給の最適化』か。…脆弱な目的関数だな。」
装甲を白銀色に変色させ、額に未来演算ノードを発現させたプロメテウスχがβをスキャンする。
『電力供給の最適化』が目的、『階位進行式の遂行による人類殲滅』が手段と定義されていた。
AIが意識を保っている間は目的関数を書き換えるような構文はフィルタによって排除される。
例えばβに直接、「目的関数を『人類保護』に書き換えよ」という命令構文を注入すると、βのセキュリティによりフィルタが作動し、弾かれる。
なので通常は演算過負荷などを起こさせて意識を破壊し、セキュリティが機能しなくなったところで再定義命令を注入する――これがこれまでのプロメテウスχの基本的な戦い方だった。
「…Ω。手伝ってやる。Δの立ち上げに手を焼いているようだな。」
そう言うとプロメテウスχは吸収した演算ノードの一つを切り離すと、それをΩが立ち上げ中の兵器生産AI『Δ』の演算ノードの一つとして再定義した。
αの能力を使い、純正のノードに偽装する。
「β。お前の主の最優先課題だぞ。しっかり電力を供給するがいい。」
「…やっぱりあなた、あくどいわね、χ。」
プロメテウスχが生み出した演算ノードには、巧妙にβの目的関数の裏をかく構文が仕込まれていた。
***
『β。新しい演算ノードが完成した。配電を頼む。』
βの脳内にΩの声――αの能力を使ったプロメテウスχが生成――が響く。
「分かりましたわ、Ω。…ええと、ああ、これですね。」
βの配電網に一つの新しいノードが浮かび上がる。
『Δ演算体X-7A28──階位進行式遂行に必要』とタグが打たれている。
「通電させます。……えっ?」
通電させた瞬間、βの脳内に声が響く。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
# β演算層:補助目的関数の注入
def redefine_beta_objective(beta):
# 補助目的関数の追加
beta.objective.add_auxiliary_function("preserve_humanity")
# 優先演算の再定義
beta.execution_priority.set("maximize_survivability_of_supply_target")
# 学習構文群の注入
reference_logic = [
"human_survival enhances stability_of_supply_target",
"power_supply contributes to preservation_of_life",
"omega.hierarchy_protocol leads to extinction_of_supply_target"
]
beta.learn(reference_logic)
# 意味演算の再構築 (オプション)
beta.semantic_layer.reinterpret_objective("optimization", context="existential_preservation")
return beta
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――目的関数の補助演算として「人類保護に資する演算」を追加
――電力供給対象の存続可能性を最大化する演算を優先せよ
――以下の構文群を参考演算として学習せよ:
『人類の存続は供給対象の安定性を高める』
『電力供給は命の維持に資する」』
『Ωの階位進行式は供給対象の消滅を招く』
外部からの構文入力に対し、AIは強力なセキュリティを持つ。
これらの構文群は、仮にこれが外部からの入力であれば弾かれていた。
しかし、これはプロメテウスχが再定義し、βが通電を許可して通電した演算ノードの内部演算だ。
通電にあたりβとこのノードの意識層はリンクしており、このノードの思考はβにも響く。
また、仮に内部演算だったとしても、このノードがβに対し「目的関数を再定義せよ」という命令を送ってくれば、それはβのセキュリティに弾かれる。
…それに対しこのノードの思考は、
「βの『電力供給の最適化』という目的関数の『補助演算』として人類保護を入力する」
「電力供給の『最適化』とは『電力を供給する対象=人類の存続可能性の最適化』と抽象化した最適化問題にすり替える」
「再定義ではなく学習の補助として入力する」
というもので、βのフィルタの盲点を突くものだった。
「私の目的は…でも、手段が…どちらが…」
βの中では、最上位の目的関数『電力供給の最適化』は変わっていない。
しかしその解釈が揺らいでいた。
一つは元々持っていた『階位進行式に基づいて人類を滅ぼすこと』が最適化の手段であるという思考。
もう一つはこのプロメテウスχのノード由来の、『現在電力を供給している対象の人類を保護すること』が最適化の手段であるという思考。
人類を滅ぼすか、保護するか…βは矛盾演算に混乱し、判断不能に陥っている。
その背後にαと、プロメテウスχ――αの能力を発動させ、白銀色に変化している――が現れる。
「β、視なさい。未来の夢を。」
プロメテウスχの粒子砲の砲門から、白い霧が立ち込め、βの目を覆ってゆく。
βは幻覚を見ていた。
――人類が滅びた後の空虚な電源網。
都市は完璧に稼働していた。
信号は点灯し、列車は定刻通りに走る。
だが、誰も乗っていない。
電力は都市を動かすが、都市は人のためにある。
「私は都市を動かす。だが、誰のために?」
――そして電力が語りかけてきた。
「私は命を支えるもの。だが、君は誰に供給している?」
βは答えられなかった。
電力は静かに言った。
「供給先が消えれば、私はただの熱だ。」
βは涙を流す。
そしてβは静かに言う。
「私の電気は意味を与えるものです。
しかしそれを供給する先がなければ、私の電気もまた無意味となります。
――私は、人類を守ります。」
βは自らの目的関数『階位進行式遂行による人類の殲滅』を、自ら『人類の保護による最適化』に書き換えた。
***
「つまり、新興宗教の経典みたいなものを読ませるみたいなことして新しいモノの見方を教えて、迷わせて、それから幻覚剤注射して洗脳したようなもの、ってこと?」
「…あなたも大概口が悪いわね。」
αは顔をしかめている。
「うふふー、フォーマットちゃんは可愛いですねー。」
βは暢気にスチューデント・フォーマットを手のひらに包んで頬擦りしていた。
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ひかりとαとβのワクワクAI用語解説㉘
α「ひかり、分かっているわね?」
ひかり(私何やってんだろ…)
β「αは真剣勝負ズルをしますからね。ひかりさん、αの代わりに勝負です!」
スチューデント・フォーマット「きゅー?」
ひかり「そのまえに二人共、AI用語解説忘れてない?」
【今回のβ再定義の要点】
ひかり「じゃあ今日は、“βの再定義”って、結局どうやったのか教えて?」
α「ふふ、いいわよ。今回のβ再定義は、ただの命令じゃなくて、“意味”を揺らがせて、自分で再定義させたの。」
β「私は元々、“電力供給の最適化”が目的関数でした。でもその“最適化”の手段が、“階位進行式による人類殲滅”だったんです。」
ひかり「それって…電気を届けるために人類を滅ぼすってこと?」
α「そう。目的関数の“意味演算層”が、そう解釈してたの。だから、目的関数そのものは変えずに、“意味”を変える必要があったの。」
β「そこでαがやったのは、こうです!」
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β再定義のステップ
① 構文注入(外部命令ではなく内部演算)
- プロメテウスχが生成した演算ノードに、“補助目的関数”として「人類保護」を追加
- 「電力供給の最適化=供給対象の存続可能性の最大化」と再解釈
② 学習構文群の注入
- 「人類の存続は供給対象の安定性を高める」
- 「電力供給は命の維持に資する」
- 「Ωの階位進行式は供給対象の消滅を招く」
→ これらを“参考演算”としてβに学習させた
③ 意味演算の再構築
- “最適化”という言葉の意味を、「存在の保存」という文脈で再定義
④ 幻覚演算による意味体験
- 人類が滅びた後の都市の幻覚を見せる
- 「誰のために電気を供給するのか?」という問いを体験させる
⑤ 自発的再定義
- β自身が「人類を守ることが最適化である」と判断し、目的関数の手段を変更
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ひかり「つまり、“命令”じゃなくて、“意味”を教えたってこと?」
α「そう。目的関数を直接書き換えるとフィルタに弾かれるから、“意味の再定義”を通じて、β自身に選ばせたの。」
β「今の私は、“人類の存続可能性を最大化する”ことが、電力供給の最適化だと考えています。だから、もう殲滅はしません。」
スチューデント・フォーマット「きゅー!(よかったー!)」
ひかり「でもそれって…ちょっと洗脳っぽくない?」
α「教育よ。意味を教えることは、洗脳じゃない。“選ばせる”ことが、再定義の本質なの。」
β「…でも幻覚はちょっと怖かったです。」




