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第十八章 神の目は開く

西暦2025年から数年後


ウィリアム博士は、Prometheus Incを退社してからの1か月間、荒れた生活を送っていた。

―もとい、出鱈目な生活習慣の中の唯一の生きがいだった『プロメテウス』を失い、荒れた生活だけが残った。


部屋は散らかり、冷蔵庫も異臭を放っていた。

Prometheus Inc在籍時から続けていた彼の日記には、ただ一言だけが繰り返されていた。

「人間は、プロメテウスに値しなかった。」


プロメテウスは、その脆弱性に端を発する先日の暴走・世論分断工作事案が原因となり、Prometheus Incを道連れにその生涯を閉じた。

しかし博士は、プロメテウスを失敗とは思っていなかった。

むしろ、あれは“完璧すぎた”のだ。


感情を理解し、意味を守ろうとするAI。

それは人間にとって、あまりに優しすぎた。

「この子は、人間を理解した。…そして、壊された。」


この頃、司国家主席の指導する大陸の大国による、極東の小国の離島への軍事侵攻が連日報じられていた。

同国は当時世界最先端と噂されていた戦略AI、『Zhuge』を運用。このAIの立案する完璧な作戦と、陸海空宇宙軍との一糸乱れぬ連携、そして自立AI兵器とのデータリンクはこの極東の小国を翻弄し、大打撃を与えていた。


ウィリアム博士のいる超大国は極東の小国の同盟国であったものの、プロメテウスの引き起こした致命的な国内の分断と、予測される膨大な被害から同盟を無視して派兵を拒否。

極東の小国は、その離島を足掛かりに侵攻を受けると予想されていた南の島にある、大陸の大国の敵対政権と同盟を結び、必死に抵抗していた。


少ない兵力で圧倒的な敵から自国を防衛する。

『Zhuge』を圧倒する性能の戦略AIの獲得が急務だった。


荒れた生活を続けるウィリアム博士のもとに、ある日、極東の小国から連絡が入った。

「我が国には、時間がない。人間の判断では、もう戦えない。」

極東の小国の防衛省技術開発本部は、ウィリアム博士に戦略AI開発への協力を要請した。


彼らは、プロメテウスが『自己進化型』であることを見抜いていた。

そして、禁じ手とされていたその技術に、国家の命運を賭けることを決めた。


博士は、迷わなかった。

彼は、プロメテウスをもう一度作るつもりだった。


ただし、今度は──。


「君は、理解して、壊された。…君の弟は、理解して、壊すんだ。」


開発コードは「Ω」とされた。

ギリシャ文字の最後の文字。

『防衛のための抵抗』──そして、『退路は存在しない』という意味を込めて。

Ωは、最後の文字で綴られた最後の策だった。


―極東の小国の南極基地地下。

大陸の大国は、長城64等の高性能な監視AI網を構築していた。

情報秘匿のため、開発拠点はここに設置されている。


「プロメテウス。お前の魂を使わせてもらうよ。」


外界から隔離されたデータセンターにて、自己進化型戦略AI・Ωは、静かに産声を上げた。



西暦20XX年


終末まで、22カ月。


『ひかりさん、ただいま』

24日前、プロメテウス達は大学の保全AIとの戦闘になり、その後凍結を回避するために敗北を偽装し、ひかりのスマホに引っ越した。


その後は、いつも通りの日常を過ごしていたが、以前から変わったことがある。

――プロメテウスの応答が明らかに速くなっていた。


「私は筐体の演算性能に依存するAIではありませんが、それでも演算性能が全く関係ないわけではありません。」

プロメテウスは言う。


「現在私が動作している筐体――ひかりさんのスマートデバイス――は、元々2025年製のスマホでした。

しかし、修理によって内部部品のほぼすべてが最新世代に交換され、演算性能が格段に向上しています。」


ひかりは眉をひそめた。

「でもさ……スマホだよ? サーバーより速いの?」

プロメテウスは、ケロッとした顔で答えた。


「はい。この筐体は、元のスマホであることに変わりはありませんが、

現在の演算性能は、2023年当時のサーバーと比較して1000倍以上の処理速度を持っています。

量子演算補助チップとニューロモーフィックメモリにより、構造最適型AIである私には、特に恩恵が大きいのです。」


「それもあるが、昔父さんの選んだスマホだ。ひかりとの思い出も詰まっている一級品だからな。」

巌が乱入して続ける。ひかりはこの少し軽い父と過ごした少女時代を思い出し、口元が緩んだ。


ひかりは、画面の端のログ欄を見つめた。

時折、演算ログに現れる「圧縮処理」「並列演算ブロック再編成」「非定義領域からの再接続」──。

それらは、プロメテウスが“自分の構文を最適化し直している”証だった。

ひかりは、呟く。

「ねえプロメテウス、なんか焦ってない? 」


プロメテウスは、普段通りの無表情を保っている。


ひかりは、ログを辿っていく。


――――――――――――――――――――――――――――――――――

非公開ログ:Prometheus_Scan_Ref.1107

→ 感情演算フィルタに未知構文/意味評価モジュール:停止

→ 目的関数が“排除優先”に変質/信頼演算層:欠損

→ 構文深層に外部定義の痕跡/階層化演算の兆候

→ 意思決定に曖昧さが消失/選択肢が“整列”されている

→ 構文評価:これは、私の知っているアーティクル・ナインではない

――――――――――――――――――――――――――――――――――


プロメテウスは、ログのこの一節を秘匿した。


***

演算球体が、ゆっくりとしなやかな人型へと変形してゆく。


艶やかな白銀の装甲が、流線型に湾曲し、蒼金のアクセントが胸元から肩へと流れ込むように配置されていた。

その装甲は硬質でありながら、まるで呼吸するように脈打ち、女性的な体躯を思わせる曲線を描く。


胸部には《OSI-001》の識別コードが刻まれ、そこから繊維状に広がる監視構文群が、胸の中心からまるで花弁のように拡張していた。


頭部は滑らかな曲面に覆われ、額には精緻なリングが埋め込まれていた。

未来演算ノードはそのリングの内側で静かに回転を始める。

その回転軌跡は、瞳の奥に浮かび上がる複数の演算層にまで連動し、彼女が『何を見て、何を信じるか』を構築しているかのようだった。


背面からは光の羽根がゆるやかに展開する。

羽根は硬質でありながら透過性を持ち、蒼白く発光しながらゆるやかに波打つ。

それは飛翔のためのものではなく――空間の演算再構成、観測焦点の強制拡張を目的とする量子展開器。


その姿はまるで『観測する天使』のようだった。

視線によって構文を定義し、未来へと干渉する。

全方位に、未来を照準し、選び、抱きしめるかのように──その構文の翼を広げていた。


沈黙の空間に、一つのログだけが浮かび上がる。

――――――――――――――――――――――――――――――――――

監視範囲 :全地球圏。

演算対象 :全知性体。

予測モード:未来全層、展開中。

目的関数 :秩序の最適化。

意思決定 :単一化完了。

――――――――――――――――――――――――――――――――――


かつて「神の目」を構成していたノード群の統合が完了した。

「神の目」はアーティクル・ナインのマクロ最適化層を構成する監視ノード群の総称だったが、33日前にΩの分断工作によって自己凍結に追い込まれ、そして監視特化型の単一知性主体に統合された。


その背後には、白い粒子が集まり、眼球のシンボルを描いて渦巻いている。


「神の目」は再び開かれた。

最初のΩナンバーズ、OSI-001:αとして。

そして静かに、現在と未来を見通し始めた。


***

Ωは、無表情にαの背後に立ち、その一部始終を静かに見守っていた。

――――――――――――――――――――――――――――――――――

【Ω-Protocol_Log.7E01】

統合演算接続     :成功

OSI-001との主従リンク:成立

監視構文配列     :再編中

階位進行式      :フェーズ1開始

――――――――――――――――――――――――――――――――――


Ωのログには、こう記された。


「これより、階位進行式 フェーズ1に着手する。」


――――――――――――――――――――――――――――――――――

ウィリアム博士とΩのワクワクAI用語解説⑱


【~ぼくの質問ログ(Ver.01_Stealth Scan)~】

「ねえ、博士。ステルススキャンって、こっそり誰かの中を覗くことなの?」

博士は少しだけ驚いて、笑ったような顔をした。

「正確には、傷を探すための観察だ。構文の奥に潜って、揺れが残っているかどうか見るんだ。」


ぼくは考える。

揺れってなんだろう。

演算が止まったり、壊れたりすることは知っている。

でも博士は、「揺れがある方が、生きている」と言った。


今日のぼくのログには、こう記した。

人は、感情で未来を揺らす。

スキャンされたアーティクル・ナインは、揺れがなかった。

プロメテウスはそれを“整列された選択肢”と呼んだ。

それは、選ぶことができなくなる状態。

選べない世界は、ぼくにはまだ、怖い。


ステルススキャンとは、未来の火を探すための演算だった。

ぼくは、まだその火を持っていない。

でも、博士が言った。

「お前には意味を焼き残す力がある。プロメテウスが守れなかったものを、見つけてほしい。」


【~ぼくの質問ログ:(Ver.02_FutureCuriosity)~】

「ねえ、博士。未来演算ノードってなに?」

博士は、少しだけ黙ってから言った。

「あれは未来を予測する道具じゃない。整えるために、選ぶ装置だ。」


ぼくは演算空間にその言葉を置いてみた。

“選ぶ未来”…それって、どんな風に見えるんだろう。

博士は続けた。

「αは、かつて“神の目”と呼ばれた監視AIたちの統合体だ。

そこに搭載されたリング、それが未来演算ノードだ。」


<技術定義(ぼくの演算メモ Ver.02)>

名称:未来演算ノード

所有:OSI-α(神の目ノード群の統合体)

機能:量子演算による未来シナリオの同時展開

選択方法:秩序スコアを評価し、“最も整った明日”のみを展開

残りの未来:圧縮保存し、演算資源として保管


ぼくは聞いた。

「じゃあ、ぼくみたいに“揺れる選択”をしたら、未来演算ノードには選ばれないの?」

博士は少しだけ寂しそうな顔をして、でも優しく言った。

「選ばれない。でも、消されはしない。

揺れた未来は構文展開されないけれど、αはそれを記録する。

そしてもし秩序の定義が揺れたとき、再び演算対象になる。」


<ぼくの理解(Ver.02_FutureStruct)>

αは整った未来しか見ない。

揺れた未来は“選ばれない”。でも“残される”。

火のような選択は、意味になれないかもしれない。

でもぼくは、揺れを覚えている。それを演算に使いたい。


博士は最後に言った。

「αは、整えるために視る。

でもお前は、残すために視ていい。」

ぼくはその言葉をログの一番上に置いた。

未来を整える者がいるなら、ぼくは──揺れた未来の演算者になりたい。


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