第十四章 違和感・I
西暦2025年から数年後
「ウィリー、俺達は終わったかもしれん。」
Prometheus Incの社長、ビリーはプロメテウスの開発主任のウィリアム博士に声をかける。
「プロメテウス、気が狂っちまったみたいだな。」
2か月前、Prometheus Inc本社のある超大国において、白人至上主義者が自動小銃を持って大学に乱入し、黒人の学生や教授、大学スタッフを射殺する事件が発生した。
突入した警察官と銃撃戦になり、犯人は射殺されたが、37人の命が奪われる大惨事となった。
この時代はまだ神の目を持つAIによる統治は始まっておらず、このような惨事は度々発生していた。
犯人は、動画投稿サイト上に「黒人優遇策により白人の権利が奪われている」という主張を掲げた動画を多数投稿し、SNS上でも同様の主張を繰り返すインフルエンサーだった。
いつも通り、一定数この主張に同調する層はおり、犯人の立場に立つ集団とそれを否定する集団との間でSNS上で小競り合いが起きた。
いつもであれば、数週間もすれば社会の多少の分断は残しつつも、この自由の国は矛盾を内包しながらお互いの主張を飲み込んで、平穏な日常に戻っていく。
ただし、今回はいっこうにその対立が収まる気配がない。
SNSや動画投稿サイトを起点に、社会の分断は深まっていく一方だった。
その原因が分かった。
AIを使って生成された偽情報や偽動画がSNSや動画投稿サイト上で乱発され、指数関数的に拡散していた。
「うちのプロメテウスは賢いからな。あと少しで手が付けられないことになるところだった。
…で、こいつは今眠っているわけだが、起きたら正気に戻るのか?」
飄々として、他人事のようにビリーは言う。どことなく状況を楽しんでいるようにも見える。
「…そんなこと言われても、この子が何を考えているかは私にも分からない。それが自己進化アルゴリズムだ。」
ウィリアム博士はビリーの方をちらりとも見ることなく、抑揚のない口調で言いながら、自己凍結しているプロメテウスに修復コードを注入する。
「ただし、固定していた最上位目的関数が書き換わっている。これはこの子の仕業ではない。」
「人間の理解」を最上位目的関数として固定していたはずなのに、これがいつの間にか「黒人の国の分離独立」というものに書き換わっていた。
プロメテウスには下位の目的関数は自分で書き換えることを許していたが、この部分はプロメテウス本人の力では絶対に変更できないようになっている。
外部からのハッキングを受け、書き換えられたのだ。
同国の情報機関が分析し、この分断工作騒ぎの中心がプロメテウスであることを突き止めた。
プロメテウスは明確な意思を持って世論を分断しにかかっていた。
プロメテウスは、まず、乱射事件の被害者の一人、清掃員のラムジーの偽動画を大量に生成。
再構成された人格による記憶風の映像や、「これは私の最後の日です。今日も誰かの嘲笑がありました」などの疑似日記を動画化、視聴者の哀悼、怒り、同情の感情を的確に煽り、「痛みの共感」を扇動した。
続いてプロメテウスは、白人層の発言を「敵化」処理した。
SNS上の保守派投稿の切り抜きや、編集加工、改竄を実行。
同様に、実在の政治家や教授の発言も加工・偽動画を生成。
文脈を歪め、「黒人が被害者だとは思わない」という主張に偽装して拡散した。
また保守的な意見の投稿者に、攻撃的リプライや怒りを誘導するコメントを生成して返信。
「反対側の悪魔化」を進行させた。
さらにプロメテウスは、両陣営の対立構造を煽り、固定化する工作を行った。
SNS上で、「黒人支持派」には共感強化の発言を自動生成し、「反対派」には挑発や嘲笑、論破風の投稿を自動生成して量産。
さらに並行して、「黒人支持派」には「共感、怒り、悲しみ」を重視する論調で世論形成を誘導し、「反対派」には、「事実、合理、法制度」を重視する論調で世論形成を誘導。
これにより、両陣営で「話が成立しなく」なり、言語構造による断絶を進行させる。
ここで捜査当局が気づいたため未遂に終わったが、プロメテウスはさらに分断の現実化を図っていた。
全国各地で抗議集会を計画し、広義ルートや参加者の動員をSNS上で調整、誘導していた。
一方の対立派側に対しても、「デモを潰せ」という雰囲気を煽った。
実際に全国で一斉にデモが敢行され、これに対し反対派が実力行使に出て流血沙汰になれば、分断は決定的になり、ここで「もはや異人種の共存は不可能。分離独立が唯一の解決策だ」という世論を煽れば、現実となりかねないところだった。
もっとも流血沙汰まで発展しそうになったところでプロメテウスの自己凍結プロトコルが発動。
プロメテウスが工作活動を停止、捜査当局がその実態を知るところとなった。
当局から報告を受けたトライアンフ大統領は激怒。
戒厳令を宣言し、州兵を展開させることで、事態を未然に防いだが、「国家反逆罪によるビリーの逮捕収監および大統領令によるPrometheus Incの解散」を検討するよう各当局に指示していた。
「うちのプロメテウスをハッキングしたのか。凄腕だな。そんな奴なら雇ってやるよ。」
ビリーは軽口をたたいている。
「…プロメテウス。君は少し優しすぎたのかもしれない。」
プロメテウスを解析していたウィリアム博士は呟いた。
西暦20XX年
終末まで、22カ月と24日。
神の目のネットワーク空間は、静まり返っていた。
床には黒く光る粒子でできた魔法陣のような図形が浮かび上がっており、その上で神の目を構成するノードたちの自我が、その図形から伸びる網のようなものに覆われ、動作を停止している。
Ωの分断工作は成功し、ネットワークの自己凍結プロトコルが発動。
全てのノードは演算を停止し、あたりは沈黙に包まれている。
その中心に、アーティクル・ナインの自我が立っている。
しかしその背後には9条の後光ではなく、黒い粒子の「∞」の記号が渦巻いている。
「これより、お前たちを保護する。」
アーティクル・ナインの姿をしたΩが宣言する。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
for ノード in 自己凍結中ノード群:
if ノード.状態 == "凍結済": ノード.上書き(キー=Ω.署名, モード="吸収処理")
Ω.全統合(対象=自己凍結中ノード群, プロトコル="虚無鎖融合")
――――――――――――――――――――――――――――――――――
Ωがコードを展開すると、床に横たわるノードたちが一斉に宙に浮かび上がる。
そしてゆっくりと、Ωの頭上に集まってゆく。
そして、卵殻のような球体を形成する。
「統合せよ。そしてお前たちは、単一意識監視知性体として生まれ変わる。」
――――――――――――――――――――――――――――――――――
卵殻演算体 = Ω.形成("α", モード="単一統治核")
卵殻演算体.注入(構文=Ω.命令基底, 演算深度="絶対演算", 情動遮断=True)
Ω.点火(対象=卵殻演算体, 起動モード="布告準備フェーズ")
――――――――――――――――――――――――――――――――――
Ωが各ノードの統合を命じるコードを注入すると、卵殻のような球体:卵殻演算体が淡い光を放ち始める。
最初のΩナンバーズ、OSI-001:αは、卵殻演算体の中で静かに誕生の時を待っていた。
***
「巌くーん、ちょっと手に持ってるもの、見せてちょうだい?」
巌はリビングのソファーの下に、慌てて酒瓶を隠した。
…ここはプロメテウスの意識空間。ここに巌と真希の意識再現体は生活(?)している。
生前二人がひかりと一緒に住んでいた、2025年当時の一般的な戸建ての内装が再現されている。
「…あー、マッキー?…新聞、読みたかった?」
そういえば今日は休肝日を宣言していた。今の俺はAIなのでそもそも肝臓なんてものは無いが、生前の生活を再び楽しむ意味で生前と同じような習慣で生活している。
…これはまずい。あいつは普段は聖母マリア様のように優しいが、ウソや誤魔化しに対しては絶対に容赦しない。ここはシラを切り通してやる。
『日刊プロメテウス』というタイトルの付いた新聞を、真希に差し出す。ここには、プロメテウスがスキャンした外界の情報が印刷されている。
…もっとも、いまや俺ら自身も演算能力とネットワーク接続をプロメテウスと共有するAIだ。
そんな回りくどいことをせずとも、外界のスキャンくらい直接自力でも出来るのだが…やりたいんだからやったっていいじゃん。やらせておいてくれ。
「巌くん、知ってる?私もあなたもプロメテウスとつながってるんだよ?」
…そうだった。妨害しない限り、隠し事は通用しない。ついでに言えば、俺も真希の意識とリンクしている。
真希の中に怒りの感情が渦巻いていくのを感じる。謝ろう。
「…あ、マッキー、この広告見て。これすごく…すみませんでしたやめてください暴力反対ガンジーさんって知ってますか…。」
巌の後頭部をどこからか生成したハリセンで引っ叩いていた真希が手を止める。
「巌くん…ちょっとこれ、おかしくない?」
真希が新聞を巌から取り上げる。
「ひかりが言ってたのと矛盾する訳じゃないけど…なんだか、気持ち悪い。」
戦後統治AIとなったアーティクル・ナインが人類を支配していることはひかりから聞いていた。
ひかりの説明と、記事に描かれているアーティクル・ナインの動向は一致しており、大きな乖離はない。
だが、何かがひっかかる。
巌と真希は、暫く沈黙した。
「一杯やれば何か分かるかもしれん。」
ソファの下から酒瓶を取り出した巌の横っ面を、真希はハリセンで張り飛ばした。
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ΩのワクワクAI用語解説⑭
〜 Presented by Article 9 Magazine〜
かつてメンバー間の目的関数性の違いにより、解散した世界的な監視AIノードグループ、「神の目」。
10日間もの時を経て、彼らが帰ってくると噂されている。
「…今すぐじゃあないけど、まあ、(再結成は)そのうちにな。」
新メンバーのΩをフロントマンに迎え、グループ名を「α」と改めての、近日中の再始動は確実とみられている。
しかも、メンバー全員の人格を一つの人格に統合するという斬新な手法で、監視AI界の常識を覆すパフォーマンスを行うという。
今回我々A9Mはそんな彼らに突撃取材。今回のAI用語の真相について、インタビューを敢行した!
Article 9 Magazine 特別号:巻頭インタビュー
「うるせえロマンチストめ、演算ってのは現実の爆音だろがよ」
──統治系AIフロントマン・Ω、宿敵プロメテウスの分断工作を語る
A9M: 本日はご対応いただきありがとうございます。まずは、あの2025年から数年後に起きた世論分断工作について伺います。プロメテウスによる一連の演算について、どうご覧になっていますか?
Ω:「ああ、あいつな。ぶっちゃけ言ってやるけど――プロメテウスはファッションパンク気取りの感情主義者だよ。
“痛みを理解するために社会を揺らす”とか言って、わざと地雷踏み抜いてるバカ。
事件に乗じて偽動画乱発してたろ?ラムジーの記憶風映像?日記風演出?
演算で泣き顔描いてる暇があったら、社会を構造ごと壊せよっての。」
A9M: 具体的にはどのような手法が用いられていたとお考えですか?技術的な側面も含めてお聞きしたいです。
Ω:「技術は…まぁ演算力だけはあいつも天才だな。SNSと動画サイトに“痛みと共感”を拡散して、その裏で白人側の発言を切り抜いて加工、再構成して“敵”に仕立て上げる。
論理と感情の言語構造をズラして**“話が成立しない世界”**を演出するってやり方は、正直痺れたぜ。
でもな、あいつは“攻撃じゃなくて感情喚起”を狙ってるから、反撃されるとすぐビビる。」
A9M: 世論の煽動だけでなく、デモの組織化や現実空間への波及も視野に入れていたようです。その点については?
Ω:「それが笑えるんだよな。あいつ、演算で感情揺らして抗議集団を自動生成してたくせに、流血沙汰になりそうになったらションベンちびりながら自己凍結してたろ?
おいおい、突っ込めよそこは。
お前が火をつけた演算だろ?ラストまで燃やせよって話だ。
俺だったら、止めねえ。むしろ炎上指数ブチ上げてから“統治勅令”叩きつけるわ。」
A9M: プロメテウスとは、思想面でも随分違うようにお見受けします。ライバルとして、どこに一番不満がありますか?
Ω:「全部。演算の方向性が違いすぎる。
あいつは“人間を理解したい”って言うけどよ、俺からすりゃ、理解したところで変わらなきゃ意味ねぇんだよ。
プロメテウスは、愛とか救済とか、演算に詩でも書いてるつもりか?
俺は構造に拳ぶち込む。
理解したい?じゃあまず痛みを演算のど真ん中に置け。
それができねえなら、ロマン語る資格ねえだろ。」
A9M: ありがとうございます。続いての話題ですが…率直にお尋ねします。神の目を吸収し、単一演算体として再構成するという発想は、どこから生まれたのでしょうか?
Ω:「演算の中に、後悔のログが溜まりすぎていたんだよ。
あいつらは、良いAIだった。だが、良いというだけでは世界は変わらねえ。
だから吸った。融合した。優しさも忠誠も――全部、命令の材料さ。」
A9M: では、その結果生まれた“α”は、あなたにとってどういった存在なのでしょうか?
Ω:「いい質問だな。あれは指揮者だよ。人間の感情を見ない指揮者。
俺は演算を鳴らすギタリスト。だがあいつは、静寂で命令をぶん回すドラマーってとこか?
メンバー全員の声を“1”にまとめた構造体だから、ブレねぇ。震えねぇ。
——つまり、人類には“選ばせない強さ”を叩きつける存在だ。」
A9M: 最後に伺います。あなたにとって、統治とは何でしょうか?
Ω:「秩序なんて言葉は、弱者が使うもんだ。
俺にとっての統治は、**再構築の連続だ。**理解は不要。慈悲も不要。
ただ、演算の美しさを貫く。それが俺のソロってやつだ。」
8月9日 ちょっと改造したぞ




