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EP5


 夜の帳が落ち、アカデミーの灯火が一つ、また一つと消えていく中——。


 寮舎裏、ひときわ静まり返った廊下を、セシリアは早足で駆けていた。

 黒を基調としたゴスロリの裾が揺れ、肩から流れる金髪がひらひらと風を切る。そのすぐ後ろには、レミーユが心配そうな表情でついてきていた。彼女もまたロングローブを靡かせ足を急がせる。


「アーサーくん?」


 セシリアはアーサーの部屋の戸を叩いた。


 しかし、返事はない。


「……開けましょう。アーサー、入りますよ!」


 レミーユが勢いよく扉を開けたその瞬間、そこに在るべき姿はなかった。


 簡素な寝具と机、壁にかけられた剣の鞘だけが、寂しげに揺れていた。


「もぬけの殻、ですね」


 レミーユの声が掠れる。セシリアは何も言わず、ただその場に立ち尽くした。


 あの昼の表情、そして足早に去る後ろ姿——嫌な予感は確信へと変わった。


「ねぇ、あの時のアーサーくん、様子がおかしかったよね」


「ええ。王国の使者から話を聞いてすぐのことでした」


「まさか……」


 それからは早かった。二人は目配せをしたらすぐに駆け出していた。


「……急ごう。王城に行かなきゃ」


「はい……!」


 二人は夜のアカデミーを抜け、王城への道を一直線に駆け抜ける。


 門を守る衛兵たちはセシリアの姿に驚きながらも、彼女が第二王女であることを知るとすぐに門を開いた。

 すれ違い様に心配そうな目を向ける執事・メリヌスの姿が見えたが、セシリアは振り返らなかった。


「パパに会わせて!」


 王城内にいる召使いや騎士に大声で言い放ち、玉座の間の扉を押し開く。


 そこには、玉座にもたれかかるように座る王がいた。

 アルス王国の国王だ。

 その顔は、以前よりも少し疲れているように見えた。


「セシリア。こんな時間にどうした?」


「惚けないで! 何か知ってるんでしょ! アーサーくんがいないの!」


 セシリアは言葉を荒げた。その勢いのまま、玉座の下まで駆け寄る。


「ねぇ、来てない!? アーサーくん、ここに来てない!?」


 その問いに、国王はゆっくりと頷いた。


「……来たぞ。今日の昼下がりのことだ」


「——!」


 セシリアの目が見開かれる。


 国王は静かに語り出す。


「あの少年は、門番や騎士たちの制止を振り切って、ここに現れた。礼儀はなく、しかし……瞳に宿る意志は確かだった。あの少年はこう言った——”タリウスという村を、どうか見捨てないでくれ”とな」


 セシリアの息が止まった。

 レオーネは口元に手を当て驚愕している。


 やはり、あの村は——。


「わしは問うた。『なぜそこまでして名もなき村を救いたいのか』と。すると、アーサーというその少年は……『そこに、守りたい人がいるから』と答えた」


 国王の目がわずかに揺れる。

 どこか、その表情には深い迷いと、そして僅かな感銘が入り混じっていた。


「……アーサーくんを追い返したの?」


「まさか、あのようなただならぬ覇気と闘気を目にしておいて追い返すわけがなかろう」


 国王は、アーサーが放つあの尋常ならざる気迫に、確かな「決意」を見たのかもしれない、

 それは、並の人間では到底持ち得ないものだろう。


 村を救いたいという願いの根底には、ただの情や執着ではなく——世界を蝕む魔王の脅威に立ち向かう、凄絶なまでの覚悟だ。

 セシリアとレオーネも見たことがある、”勇者の使命”に魅せられ、抗えず、ただ前へ進もうとする者の眼差しだ。


 だからこそ、国王は動いたのだろう。


「わしは彼奴を古の祠へと案内した。聖剣を抜かせるためではない。……あの眼差しの正体を、この目で確かめたかったのだ」


「……!」


 セシリアとレミーユが同時に息を呑む。


 続けて、レミーユが一歩前へ出た。


「それで……彼は聖剣を抜けたのですか?」


 問うた声には、かすかな期待と恐れが入り混じっていた。


 しかし、返ってきた答えは——重く、静かだった。


「……彼奴は——聖剣を抜けなかった」


「え……?」


 二人の目が大きく見開かれる。


 その場の空気が凍ったように静まりかえった。


 国王は視線を落とし、淡々と告げる。


「彼奴は勇者ではなかったのだ。地に突き刺さる聖剣を握った刹那、彼奴は抜けないことを悟ったのか不敵に笑って手を離したのだ。『どうした?』とわしが尋ねると、彼奴は『聖剣なんて必要ない』と言って強がったのだ。確かに、わしは勇者の影を見た。直感的に、彼奴こそがその器だと……錯覚した」


 だが、と王は続ける。


「……聖剣を抜けない以上は、勇者とは呼べまい。彼奴もそれをわかっていたはずだ。あの不敵な笑みには何か意味があるはずなのだ」


 その声音は静かだったが、滲むように哀しみがあった。


 自らが抱いた期待を否定することは、国王とて容易ではなかったのだろう。


 セシリアとレミーユは、驚愕と失望とが入り混じる沈黙に飲まれた。


 けれど、それでも。


 セシリアは震える声を押し出すように尋ねた。


「そ、それなら……アーサーくんは、今どこへいるの?」


 問いかけには、切実な願いが込められていた。

 彼が勇者であろうとなかろうと、関係ない——彼はまだ、タリウスを救おうとしている。

 それだけで十分だった。


 王は静かに目を閉じ、そして答えた。


「……ベルガス山脈へ向かった。タリウスの村を救うため、たった一人でな」


「……!」


 セシリアは口元を覆い、息を呑んだ。


 レミーユが静かに言葉を継ぐ。


「では……彼は、単独でベルガス山脈へ?」


「その通りだ。わしの命令を受けた者も誰一人として同行していない。彼奴は一人、タリウスを救いに向かった」


 沈黙が落ちた。


 王の声は重く、静かだった。だが、そこには確かに——”本物”を見た者の眼差しがあった。


 セシリアは胸を抑えながら、その場で立ち尽くしていた。


 アーサーが、たった一人でベルガス山脈へ向かった。

 王からの告白は、あまりにも突然で、重く、苦しく、胸にのしかかった。


 更に、アーサーが聖剣を抜けなかったという事実にも絶望を隠しきれなかった。

 王の言葉に嘘偽りははなさそうだった。だが、セシリアはその事実が信じられなかった。

 けれど同時に、それでも彼が歩みを止めなかったことが、胸を締め付けた。


 セシリアは目を伏せ、数秒間だけ静かに息を整えると、次の瞬間、凛とした声音で言った。


「行くよ、レミーユちゃん」


「……はい」


 二人は顔を見合わせ、頷き合うと、まるで弓から放たれた矢のように部屋を飛び出した。


 廊下を走り抜け、自室へと戻ると、セシリアは手早く荷物をまとめ始めた。

 回復魔法を得意とする彼女は、携帯用の治癒薬と、手に馴染む小さな杖、旅装束に着替え、マントを羽織る。


 一方のレミーユも、学舎で身につけていたローブを脱ぎ捨て、白と蒼の移動用装束に着替えていた。肩掛けの鞄を下げ、軽く首を回す。


「……魔王軍が籠もっているのが本当なら、下手すれば全面戦争になるかもしれません」


「それでも、行くよ。アーサーくんが一人で向かったって、パパが言ってたじゃない。……わたし、嫌だ。誰も助けに行かないなんて、おかしいでしょ」


「……ええ。私も、同じ気持ちです」


 二人は部屋を飛び出すと、正門へ向かって駆けていく。

 途中、顔なじみの執事——メリヌスとすれ違った。


「セシリア様、どちらへ——」


「アーサーくんを追うの! 馬を二頭、今すぐ出せる?」


 そう言って駆け抜けるセシリアの背に、メリヌスは眉をひそめつつも、静かに頷いた。


「数刻前に国王様からお達しがあったので、既に厩舎にら用意しております。お気をつけて、姫様」


 国王に行動を読まれていてセシリアは驚きながらも嬉しくなった。

 国王が下したのは残酷な判断ではなく合理的な判断だ。大量の騎士を向かわせられない以上、瞬時を実力を見そめたアーサーを駆り出した。守りたいものがあるアーサーに賭けたのだ。


 その判断に誤りはない。それなりに仲を深めたセシリアとレオーネなら迷うことなくそう言えた。


「……パパ、ありがとね」


 セシリアはレオーネと共に厩舎に向かうと、すでに手配された馬が二頭、鞍をつけられて待っていた。

 セシリアは躊躇なく手綱を取ると、鞍に飛び乗る。レミーユもその隣に並ぶように跨がった。


 月の光が王都の屋根を赤く染め始めていた。


「行こう、レミーユちゃん」


「ええ。ベルガス山脈まで——全速力で」


 二人の馬が、蹄の音を高らかに鳴らしながら、王宮の門を飛び出していく。


 目指すは、魔王軍が牙を研ぎ澄ませて潜む天然要塞——ベルガス山脈。

 そしてその麓にある、誰も知らない閉ざされた秘境——タリウスの村。


 セシリアの胸に浮かぶのは、アーサーの無言の背中。

 あの時、昼休みの終わりに立ち上がり、「体調が優れない」と言い残して去っていった彼の顔が、今も焼き付いて離れない。


 ——どうして、何も言わなかったの。


 ——どうして、一人で行くって決めたの。


 でも、きっとその理由はわかっている。


 彼は、強い使命感を持っている。誰よりも強く、真っすぐに、世界を救おうとしている。

 だからこそ、誰も巻き込みたくなかった。だからこそ、何も言わず、一人で行った。


「でも、勝手に行くなんて許さないからね……!」


 セシリアは馬上でぎゅっと手綱を握る。

 追いついて、ぶつける言葉は決まっている。


 ——今度こそ、わたしも一緒に戦うんだから!


 王都の灯が遠ざかる。

 二人の少女を乗せた馬は、夜の帳を突き破るようにして、北東の山脈へと走り続けていた。


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