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EP4

 夜のアルス王城。

 ステンドグラス越しに月光が差し込む静寂の空間を、一人の少女が足早に駆けていた。


 黒を基調とした白いレースがあしらわれたゴスロリドレス。長い金髪はひとつに結ばれ、片方の肩にだらんと垂れている。

 その姿はアルス王国の第二王女、セシリア・ルシルフルその人である。


「……メリヌス! お父様は今どこ?」


 廊下を抜け、部屋へ向かう途中で執事の姿を見つけるなり、セシリアは勢いよく声をかけた。


「姫様、おかえりなさいませ。王は執務室でご公務を。ですが、こんな遅くに……」


「大事な話なの! アーサーくんのこと、話さなきゃいけないの!」


 その真剣な眼差しに、老執事メリヌスは小さく目を見開き、ゆっくりと頷いた。


「かしこまりました。……くれぐれもご無理はなさいませんように。王のお心も、近頃はなかなかお優しくございませんので」


「わたしの話をちゃんと聞いてもらうだけだから、大丈夫だよ」


 言葉を返しながら、セシリアはドレスの裾を軽く摘まみ、一直線に王の執務室へと向かう。


 


 扉の向こうには、燭台の火に照らされた厳かな空間。

 豪奢な椅子に腰掛けていたのは、威厳に満ちた男だった。セシリアの父、アルス王国の現国王である。


「おや、セシリア。遅い帰りだな」


「パパ、話があるの」


「……よかろう。聞こうか」


 その目は穏やかだったが、どこか探るような色もあった。


 セシリアは一つ深呼吸をしてから、真っ直ぐに告げた。


「わたし、アーサーくんが勇者様だと思う」


 一瞬、室内に沈黙が流れる。


「アーサーくん? 何奴だ?」


「セイクリッド・アカデミーの勇者候補(ブレイヴ・シード)だよ」


「ふむ。して、なぜ其奴が勇者だと思った? その根拠は?」


 国王の返答は淡々としたものだった。その響きに、セシリアの胸がざわつく。


「アカデミーで見てきたの。……勇者候補たちは、正義感なんて微塵もなくて、使命を果たす気概もなかった。聖剣を抜くどころか、誰一人として“勇者様”の資質なんて持ち合わせてなかった! アーサーくんを除いては、誰も——」


「冷静に。それにしても、思い出したぞ。アーサー……其奴は、確か田舎の出身の問題児だったか? アカデミーから秘密裏に報告が上がっていたな。独りよがりを好み、身勝手な行動ばかりするトラブルメイカーだとな」


「っ! そ、それは全部アカデミーが勝手に流してる噂だと思うけど? わたし、自分の目で確かめたの。彼は誰よりも努力していて、どれだけボロボロにされても剣を振り続けて……あんなの、使命感がなきゃできるわけないよ!」


 セシリアの声が、徐々に震えてくる。

 思い出すのは、森の中で満身創痍になりながらも立ち上がるアーサーの姿。痛みに顔を歪めながらも、剣を手放さなかった、あの気高さ。


「パパ……」


 セシリアは前に歩み出ると、静かに言葉を続けた。


「アーサーくんは、三つの条件をすべて備えてると思うの」


「ほう?」


「人々を守る意志と、正義感を持ってる。それに、どんな困難にも立ち向かう決断力も、どれだけ痛みに晒されても負けない覚悟もある。……わたし、断言できる。アーサーくんは——いつか聖剣を抜くよ」


 セシリアの声は強く、真っ直ぐだった。


 そして、一呼吸を置いて、ぐっと拳を握りしめながら続ける。


「……パパ。今までだって、何人もの勇者候補たちが聖剣を抜こうとしてきた。でも、一人も成功しなかった。中には無理やりに『それらしく見える』強者たちをかき集めて、魔王討伐に旅立たせた例だってある……でも、どれも惨敗だったじゃない!」


 その言葉に、国王の眉がわずかに動く。歴史の失敗に触れられたことが、誇り高き王の胸を揺らした。


「……ふむ。過去のことをよく覚えているな」


「忘れるはずがないよ。何人の命が失われたか、わたしだって全部覚えてる。選ばれた人たちは立派そうに見えたけど、実際には聖剣を抜けなかった。そして勇者候補(ブレイヴ・シード)とは名ばかりの実力しかなかった。そんな人たちに、魔王討伐なんてできるはずなかったんだよ」


 セシリアの声は震えていた。けれど、怒りと焦燥がしっかりと支えていた。


「……それなのに、アカデミーは今も呑気に演習だの座学だの繰り返して、肝心な使命を見失ってる。勇者候補のくせに、自分の命を使う覚悟もない人ばっかり。選ばれたことにあぐらをかいて、ちやほやされるためだけに剣を振ってる。そんなの、勇者じゃないよ!」


 無言で耳を傾ける国王は居心地が悪そうに眉を顰めていた。


「今、この瞬間にも魔王の勢力は広がってる。人間の領土が削られて、命が消えてるのに……呑気にしてる時間なんて、本当はもうないんだよ!?」


 彼女の金の瞳が王を真っすぐに射抜く。


「わたしが見たアーサーくんは、あの誰よりも静かに、誰よりも本気で、魔王を倒そうとしてた。……だから、わたしは信じたいの。アーサーくんこそが、本物の勇者様だって!」


 セシリアの叫びは謁見の間にこだました。


 しかし、国王はたった一言、それだけで済ませた。


「気に入ったようだな、その少年を。よほど眉目秀麗なのか?」


「そういうことじゃない! これは感情の問題じゃないの。……アーサーくんは本当に勇者様になる人だって、わたし、心から信じてるの!」


 しかし、国王は軽く目を閉じ、椅子にもたれかかると、重たげに息を吐いた。


「セシリア……お前の目に狂いがないことは信じよう。ただな、私は“感情”ではなく“材料”で動く。判断の根拠を、国政に持ち込むには、それ相応の証拠がいるのだ」


「証拠ってこと……?」


「そうだ。私にその少年を“本物の勇者”と信じさせるだけの、確かな材料を持ってこい。それまでは、アーサーという名も、耳に入れるつもりはない。話を聞くのはそれが条件だ。わかったか?」


 その宣言に、セシリアは奥歯を噛み締めた。


「じゃあ……見せてあげる。わたしが信じたアーサーくんが、どれほど凄い人かってことを、お父様にもちゃんと!」


「ならば、期待しよう。セシリア……お前の目が本物であることを、な」


 王の声は変わらず淡々としていたが、その奥に、王としての重たさが滲んでいた。


 会話は終わりを告げ、セシリアはその場を後にした。


 夜の廊下に出ると、そこには再びメリヌスが控えていた。


「いかがでしたか、姫様」


「お父様は……信じてくれなかった。でも、わたしは信じるよ。絶対に、アーサーくんが勇者様だってこと、証明してみせる!」


 力強く言い放つと、セシリアは月明かりに照らされた回廊を歩き出す。


 彼女の心は、もはや一片の迷いもなかった。

 “使命感”に取り憑かれた少年の背中を見た時から、彼女もまた、自分の“役目”を理解していたのだ。





 ◇◇◇◇◇




 

 国王に堂々とした態度を見せつけた翌朝。


 セシリアは執事のメリヌスには何も告げず、アポ無しで再びセイクリッド・アカデミーを訪れた。

 もちろん、目的はただ一つ。アーサーと話すこと。


 セシリアは訓練場へ足を運んだ。

 場所は寮舎の裏手、少し開けた土地に設けられた訓練場は、朝の光を浴びて汗と熱気に包まれていた。

 

 剣の音、掛け声、砂の跳ねる音……そこにいたのは勇者候補たち十数名ほど。そして、その中にアーサーの姿もあった。


「あ、いた」


 セシリアはゴスロリの裾を持ち上げて歩みを進めると、見物していた講師や生徒たちの視線が一斉に彼女へと向いた。誰もが驚き、言葉を呑んだ。まさか王女がアポ無しで現れるなど、前代未聞の事態だ。


「おい、まじかよ……」

「なんで王女様がここに……」


 ひそひそと声が飛び交う中、セシリアは堂々とアーサーの前に立つ。そして、無邪気な笑みを浮かべながら声をかけた。


「今日は模擬戦やるんでしょ? きみの本気、わたしに見せてよ!」


 その一言に、周囲の勇者候補たちは動揺した様子を見せ、アーサーはと言えば、微妙そうな表情を浮かべていた。困惑と、少しの迷い——そんなものが垣間見えた。


 だが、セシリアは気にしない。むしろ、それすらも興味を掻き立てる材料だった。


「なんでここに?」


 アーサーは苦々しい顔つきで口にした。非常に小さな声だった。


「んー、きみを見にきたからだよ」


「……そうか。期待するだけ無駄だからな」


「それはわたしの自由でしょ? きみに期待するなってほうが無理なんだからね?」


 セシリアはそう言ってアーサーに笑いかけた。


「はぁぁ……強情だな」


「まあね~、それよりも、今回はどういった形の演習なの?」


「対人戦だ。まあ、見てりゃわかる」


 アーサーは悲観したようにそれだけ言い残すと、セシリアから離れた。


 セシリアは胸中に疑念を抱えていたが、それが晴らされるのは、ほどなくして模擬戦が始まったころだった。


「では、初戦はアーサーとレイモンド兄弟だ」


 セシリアの来訪に騒然とする中、唐突に講師が大声で呼びかけた。


 講師が呼び込んだのは、三人。

 まずはアーサー、そしてセシリアが森で見かけた、あの二人だった。

 講師の悪い笑みとレイモンド兄弟の様子を見るに、どうやらまた組んでアーサーに挑むらしい。

 既に2対1の構図が出来上がっていた。


「……そういうこおね。おかしいじゃない、こんなの」


 セシリアが呟くと、講師が模擬戦開始の合図を出した。


「はじめ!」


 始まった途端。アーサーは殴る蹴るの攻撃を受け続けるばかり。

 まるで何もしない。殴られ、蹴られ、地面に倒れ伏し、それでも立ち上がる。ただ、それだけだった。


 頬を青く腫れさせ、口元から血を流し、だらんと垂れた腕には抵抗する意志を感じさせない。

 まるで感情のない人形のようだった。


 昨日の言葉の通り、彼はわざと攻撃を受けて、肉体と精神を鍛えている。


 ——なんで……? なんで抵抗しないの?


 セシリアはアーサーの真意を知っていたが、それでもこの場でその姿を見せられると胸が痛んだ。

 何より、周囲のゲスな笑いと、それを黙認する空気が、何よりも気に食わなかった。


 我慢の限界に達したセシリアは、傍にいた講師の一人に詰め寄る。


「ねぇ、どうして止めないの? これ、模擬戦っていうか、ただのリンチじゃん。アーサーくんが反撃しないのをいいことにやりたい放題ってわけ? これが実戦の何の役に立つか教えてもらえる?」


 講師はしどろもどろになりながら答える。


「そ、そ、それはですね……庶民が、貴族に一太刀でも浴びせると問題になるので……その、我々も注意などはできかねると言いますか、なんというか……」


「ああ、なるほど? 庶民は貴族に触れちゃいけないからって、アーサーくんにやられ役をさせてるってこと? それを講師が許してるわけだ? へぇ~、アカデミーってそんな場所なんだ? 崇高な理念があると思ってたけど、わたしの勘違いだったのかな?」


 皮肉を込めて問い返すと、講師は冷や汗を浮かべてうつむいた。


 セシリアは肩をすくめて、静かに手を叩いた。

 パンッという音が訓練場に響き、誰もがそちらに目を向けた。


「ねぇ、ルールを変えよう! 今日だけ、王女命令ってことで! いいわよね?」


 目を丸くする勇者候補たちに、セシリアはにっこりと笑って宣言する。

 無論、内心は怒り心頭で今にも全員に処罰を与えたかったくらいだが。


「最後まで生き残った人には、わたしが直々に晩餐に招待してあげる。もちろん、階級なんて関係なし! 国王に取り計らうこともできちゃうかも?」


 ざわめきが広がる。勇者候補たちは色めき立ち、講師たちは顔を青くする。

 だが、セシリアは一歩も引かない。命令だと繰り返し、従うように促す。


「ルールは簡単。武器も魔法も全部あり。もちろん、聖滅も使っていいよ。」


「お、王女様! さすがに聖滅の使用を許可すれば模擬戦の範疇を超えてしまいます!」


「じゃあ、実戦では聖滅を使わないの? 模擬戦って実戦を意識しないと意味ないよね? そんなの怖がってたら何もできなくなるよ? 魔王に滅ぼされてもいいの? 明日死んでもいいの? やだよね? わかる?」


 セシリアは止めに入った講師を言葉で退けると、今一度堂々と宣告した。


「ってことで、聖滅の使用を許可するね! ただし、殺しはナシ。最後に立ってた人が勝ち! アーサーくん、がんばってねー?」


 そう言って、セシリアはアーサーへと視線を移す。その表情はどこか凛としていて、ほんの少しだけ、祈るような気持ちも込められていた。


 ——お願い。きみの本気を、わたしに見せて。




◇◆◇◆◇◆




 訓練場に緊張が走っていた。


 セシリアの命令によって、模擬戦のルールは「なんでもあり」に変更された。

 それに加えて、セシリア・ルシルフルは「聖滅の使用も許可する」と宣言したからだ。


 場の空気が明らかに変わった。

 周囲にいた勇者候補たちは、一斉にアーサーへと視線を向ける。

 怒り、嫉妬、敵意……あらゆる感情がその瞳に渦巻いていた。一国の王女に名前を呼ばれて応援された。そんな異例が目の前で起きたのだ。誰もが殺気立っていた。


「おい、何をするかわかるよな?」

「へっ、あの田舎者め、王女様の前で調子に乗りやがって……」


 まるで示し合わせたかのように、数人の勇者候補がアーサーに殺到した。


 ——その瞬間だった。


「我が意志に応えよ、雷撃の嵐(レギンレイヴ)!」

「炎の覇王よ、我に力を——|《灼熱爆炎》《フレア・ヴォルカノ》!」


 立て続けに解き放たれる、勇者候補たちの“聖滅(セイメツ)”。

 光と雷と炎が、空を焼き、地を裂いた。雷が天から降り注ぎ、地を焼き払う業火が唸りを上げる。

 どれも一騎当千の力を持ち、まともに食らえば一撃で事切れるような魔法ばかりだった。


 セシリアは聖滅を昨日初めて見たばかりではあったが、その威力に思わず声を呑んだ。


「……アーサーくんはこんなんじゃやられないよね」


 なぜそう言い切れたのかはわからない。ただ、セシリアはなぜか感覚的にアーサーならばどうにかできると思っていた。


 同時に、これなら、魔王にだって傷を負わせられる——誰もがそう思った。


 だが。


 それらの圧倒的な力が、ことごとく空を斬り、風を切り、地を削っていく中で。


 ——アーサーは、無傷だった。


「なっ……!?」

「おい、避けた……? 全部……!?」


 雷を跳ね除け、炎を踏み越え、暴風を斬り裂くようにして、彼はただ剣を振るっていた。

 全て剣のみで。

 それも、無駄な動き一つなく、全ての攻撃を読むかのように躱し、捌き、無力化していた。


 次々に襲いかかる勇者候補たちは、アーサーの剣によって軽く打ち払われていった。

 身体を切られることもない。ただ、寸前で軌道を逸らされ、戦意を折られるだけだった。

 一人、また一人と地面に転がり、呻き声を上げた。


 それはまさに、圧倒的だった。


 セシリアは唖然として、言葉を忘れていた。


 ——なにこれ……。あんなに、みんなすごい力を使ってたのに……


 聖滅の力は本物だった。それは一目で分かった。

 確かに、どれも強大だった。

 セシリアが見ても「これは魔王にも通じる」と思えるほどの力だった。


 だが、そのすべてがアーサーには通じなかった。


 ——やっぱり、わたしの目に狂いはなかったんだ!


 息を呑み、目を見張りながらも、セシリアは胸の内でそう確信する。

 彼こそが本物の勇者だ。誰よりも鍛錬し、努力を積み重ね、それを血肉に変えてきた者。

 誰もが聖滅に頼る中、彼だけが己を鍛え、研ぎ澄まされた刃のように立っていた。


 やがて、模擬戦開始から僅か5分。


 訓練場には、アーサー一人が立っていた。


 地に倒れた勇者候補たちは呻き声を上げ、講師たちは言葉を失い、呆然とその姿を見つめていた。


 そんな沈黙の中、セシリアはパチンと軽く手を鳴らした。


「……んじゃ、アーサーくんはもらっていくねー?」


 にっこりと笑いながら、講師にそう告げる。


 我に返った講師が慌てて口を開いた。


「お、お待ちください、王女様、それは、その……! 偶然では? まさかこんな田舎者が、聖滅もまともに扱えないグズが、優秀な彼らを打ち負かすなんてあり得ません! アーサー、貴様はどんなズルをした!」


 講師は開き直ってアーサーを責めたが、この場においてはその言葉は意味を成さない。


「ねぇ、どの口が言ってんの? アーサーくんに失礼だと思わないの? 王族とか貴族とか庶民とか、わたしはどうでもいいの。魔王を倒すことができる勇者様を探してるだけだからね。それがアーサーくんってこと。次、アーサーくんのことを悪く言ったら……わかるよね?」


「っ、す、すみません、でした……」


「よろしい! じゃあ、またねー」


 セシリアは陽気に手を振ったが、その声には王女としての静かな威圧が含まれていた。

 講師は顔を引きつらせたまま、何も言えなくなっていた。


 セシリアはアーサーに近づき、にっこり笑いかける。


「行こっか、アーサーくん」


 アーサーは心底呆れたような顔つきで黙って頷いた。


 こうして、勇者コースの修練場に残されたのは、倒れた生徒たちと呆然と立ち尽くす講師たちだけだった。


 アーサーの剣がすべてを語り、セシリアの直感が証明された——そんな昼下がりだった。





 ◇◆◇◆◇




 

 訓練場から少し離れた木陰で、アーサーとセシリアは二人きりになっていた。


 夕暮れの橙が空を染め、吹き抜ける風が金髪の先をゆらりと揺らす。

 セシリアは満足げに笑っていた。


「アーサーくん、きみは強いね」


 その言葉には、賞賛も、感嘆も、そして何より期待が込められていた。

 彼女は信じていた。目の前の少年こそが、本物の勇者なのだと。


 しかし、アーサーはそっけなく返す。


「過信しすぎだ」


「ううん、ちがうよ。きみは強いんだよ、誰よりも。きっと、その剣は魔王にも届く」


「期待してもらっておいて悪いが、俺の剣では魔王に届かない」


 アーサーの声には、確信と痛みが入り混じっていた。セシリアはそれを敏感に察する。

 彼は戦うことを選んだ人間。けれど、その強さの奥にある影の深さが、言葉の端々から滲んでいた。


 セシリアは前のめりに言った。


「じゃあさ、もし剣だけじゃ無理でも、聖滅があるでしょ? それに、賢者や僧侶や戦士がいれば——わたし達がいれば、何とかなるかもしれない。だから、一人で挑まないで? 四人いた方が絶対に強いよ!」


 それは希望だった。魔王という絶対的な脅威に立ち向かうには、信じ合える仲間が必要だと彼女は本気で思っていた。

 過去の勇者パーティーは四人が力を合わせて魔王を追い込んだ実績もある。単騎で挑むよりも、魔王討伐を成し遂げられる成功確率は高いはずだ。


 だが、アーサーは、静かに首を横に振った。


「俺の聖滅は、そんな生半可な気持ちで使えるもんじゃない」


「……どういう意味?」


「使うには、覚悟がいる」


 言葉は曖昧だった。でも、曖昧さの中に確かに感じ取れるものがあった。


「その覚悟って、何?」


「決意を固めて……滅びることだ」


 その瞬間、セシリアは言葉を失った。


 彼は笑っていなかった。怒ってもいなかった。もちろん冗談で言ってるわけじゃなかった。ただ、真っ直ぐに事実を伝えているだけだった。

 己の命を投げ打つ可能性。それが彼の“力”に潜む代償なのだと、セシリアはようやく悟った。


「じゃあ、やっぱり……アーサーくんはずっと一人で戦うつもり?」


「パーティーを組むつもりはない。仲間がいれば、俺の力は……誰かを巻き込むことになるかもしれないからな」


 アーサーの目が一瞬揺れた。それは恐怖と決意の深さだった。

 セシリアは胸の奥が締めつけられるような気がした。アーサーが持ちうる勇者候補(ブレイヴ・シード)としての強大な使命感が垣間見えた瞬間だった。


「でもさ……怖くないの?」


 不意に漏れた問いかけに、アーサーは答えなかった。

 けれど、それだけでセシリアには伝わった。


 彼は、怖いのだ。


 死が。使命が。失うことが。


 それでも止まれない。

 止まろうとしない。


 その背負っているものが、重すぎるのだ。


「……勇者ってさ、そんなに孤独じゃなくていいと思うんだ。みんなの希望になる存在なのに、自分だけが全部背負い込むなんて、間違ってるよ」


 セシリアはそう言いながら、そっとアーサーの腕に手を添えた。


「孤独でいないと、俺は俺じゃなくなる」


「アーサーくんが何と言おうと、わたしはあきらめないよ。きみの隣で、わたしは戦いたいんだ」


「……そうか」


 アーサーは苦笑を浮かべると、それ以上は何も言わずに一人歩き出した。


 セシリアの手が、そっとその背を追いかける。


 ——わたしは、ぜったい諦めないからね。


 その決意は、まだ彼の背中には届いていなかったかもしれない。


 けれど、彼女は信じていた。


 あの背中が、世界を救う光であることを。



 


 ◇◇◇◇◇





 その日のアカデミーは、珍しく穏やかな空気に包まれていた。

 勇者候補たちの修練は午前で終わり、午後の演習までの短い休息。

 セシリアは中庭の木陰に敷かれたベンチに腰掛け、隣にはレミーユ・ヴェルシュ、向かいにはアーサーが座っていた。


 三人で過ごし始めて、かれこれ二週間経過していた。

 こうして三人で過ごす時間も、少しずつ当たり前になりつつある。

 

 セシリアはカップに口をつけながら、ふとした疑問を口にした。


「ねえ、アーサーくん。嫌じゃなかったら教えてほしいんだけど、きみの故郷って、どんなところなの?」


 軽い好奇心からだった。

 セシリアはまだアーサーとパーティーを組めてはいなかったが、もう仲間同然と思っていた。故に彼の出自が知りたかった。


 問いかけられたアーサーは、一瞬だけ動きを止めた。

 そして、ゆっくりと答える。


「山奥の秘境の村だ……二人は知らない場所さ」


 淡々とした声音だった。けれど、その横顔には、どこか寂しげな陰が落ちていたようにセシリアには見えた。


「ふうん。秘境って響き、ちょっとワクワクするけどね?」


 茶化すように笑いかけてみたが、アーサーはそれ以上語ろうとはしなかった。

 代わりに口を開いたのはレミーユだった。

 彼女はセシリアにしか聞こえない小声で囁く。


「セシリア様、アーサーは勇者の胎動(ブレイヴ・パルス)|すら知らない小さな村で生まれたのです。無論、勇者候補ブレイヴ・シードという存在自体も認知されていません。その意味がお分かりですね?」


「っ……ごめん」


 セシリアはレオーネの言葉を聞いて途端に申し訳なさが込み上げた。勇者という存在すら知らない村で生まれたということはそういうことだ。アーサーがどんな扱いを受けてきたのか、今の情報だけでおおよそ理解することができた。


「……それより、向こうから走ってきてる奴がいるぞ」


「え? あー、王城の人だよ。どしたの?」


 振り返るとそこには、セシリアと顔見知りの王城からの遣いの男がいた。

 何か急ぎの伝令らしく、息を切らしながらセシリアのもとに駆け寄る。


「セ、セシリア様! 急報です。魔王軍の動きが確認されました!」


「また? 今度はどこ?」


「ベルガス山脈です。そして……その麓にある、タリウスという村も危険域と判断されました」


 セシリアは記憶を辿ってみたが、ベルガスという山脈もタリウスという村も全く覚えがなかった。


「ねえ、その山脈と村……どこかで聞いたことある? レミーユちゃんは?」


「私も初めて聞きました。私の祖国とも近くないでしょうし、アルス王国とも無縁の地でしょうね」


「そ、その通りです! タリウスは閉鎖的な村だそうで、国王様も存じ上げないようでした」


「ふーん」


 セシリアが首を傾げる一方で、アーサーの様子がわずかに変わった。

 ほんの一瞬だけ、眉がわずかに寄った。


「……アーサーくん?」


 思わず名を呼ぶと、彼はすぐに表情を戻し、静かに言った。


「なんでもない。続けろ」


 彼のその言葉に、使者は報告を再開したが、セシリアの心には何かひっかかるものが残った。あの微かな表情の揺らぎ。

 普段は感情を押し殺す彼が、あそこまで動揺するのは珍しかった。


 セシリアがアーサーの様子を疑う最中も、使者の報告は続いた。


 曰く、ベルガス山脈には脈々と鉱山が眠り、天然要塞と呼ばれているため、麓からの攻略は非常に困難である。

 曰く、タリウスの村には魔王軍迎撃の協力意思がない。

 曰く、各国から隔絶された地に存する場所のため、応援をつかわすのは難しい。

 曰く、そこを取られたとてデメリットはないので、各国は静観し、人里の多い地点に拠点を置き迎撃する構えだ。


「つまり、タリウスっていう村は見捨てるってことね」


「……残酷ですがそういうことになります。そもそもタリウスの村の村人は独自の慣習を大事にしているようで、近隣国家の庇護下に入り守られることを望んでいないのです。魔王軍は既にタリウスの村の村人たちを人質に取っているようですが、向こうが救援を望まない以上、各国は多くの増援をするつもりはないとのことでした」


「おっけー。じゃあタリウスの村が制圧されて、魔王軍がもっと侵攻を早めたらこっちもヤバそうな感じってことね」


「その通りでございます。報告は以上です。取り急ぎアルス王国で何かをする予定はございませんが、今の話を頭の片隅に入れておいてください。では」


 説明が終わると、使者はそそくさと立ち去った。


「セシリア様、アルス王国からも増援を派遣する意思はなさそうでしたね」


「んー……助けてあげたいところだけど、わたしにそんな決定権はないからしょうがないかな。各国が絡んでる以上、迂闊に騎士を向かわせるわけにもいかないからね」


 セシリアが腕を組んで思案していると、いきなりアーサーは立ち上がった。

 立ちくらみでも起こしたのか、彼は覚束ない足取りだった。


「体調が少し優れない。午後の演習は……部屋で休ませてもらう。」


 それだけ告げると、彼はゆっくりと歩き去っていった。後ろ姿からは、どこか張り詰めた気配が感じ取れた。


「アーサーは一体どうしたのでしょうか? きちんと昼食は食べていたので食欲はありそうでしたが……」


「わからないけど、なんか嫌な予感がするんだよね」


「……心配なので、今夜はアーサーの部屋を尋ねてみますか」


「うん。そうしよ」


 セシリアは胸の奥がざわつくのを感じながら、彼の背中を見つめ続けた。言葉にはしなかったが、どこかで確信していた。


 アーサーにとって、タリウスの村もベルガス山脈も、他人事ではないのかもしれない、と。

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